1月 26th, 2010 Posted 1:00 AM
My Context of Computing Interaction
少なからずBit資本が情報化社会の基盤要素、
Bit資本が情報時代となってきた「要因」を
考えつくしてみたいからです。
だから特にソフトウエアとの関係を
私自身が1970年代からの実体験は、批評と評価を
語り尽くさねばならないと考えています。
批評は時として「非難」になります。
毒舌、悪口でもあります。
ただし、悪口を陰でコソコソと言っているのでは無く、
正眼の構えで、私自身が非難される覚悟をもって、
語るのです。
それは覚悟であって、勇気ではありません。
覚悟と勇気もその差異性を明確に志しであるべきです。
ブログという形式は、悪口の形式になることも
しばしば起こります。
「ブログ炎上」というのがその実例でしょう。
私のブログは、「数学」に触れると、
アクセス数は激減します。
どれだけ私たちが学校で「数学」がつまらなかったか、
ということでしょう。
ところが、「数学的思考」を根底でとらえて、
日常のツールとなったのがパソコンです。
すなわち、bit=1or 0=on or offのdigital世界を
隠されたレイヤーの後ろに「数学」というか、
「数理的思考」があることを認めて真正面で、
受け止めれば、パソコンにまつわる情報・情報化、
そして、
Bit資本を定義化して、
資本主義の変革、革新、
その手法を早く発見できるでしょう。
Tags: 「資本主義からの逃走」, bit=1or 0=on or off, bit資本, digital世界, My Contex Computing Interaction, アクセス数, ツール, パソコン, ブログ炎上, 基盤要素, 情報化社会, 情報時代, 数学, 数学的思考, 数理的思考, 要因, 資本主義
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1月 8th, 2010 Posted 8:00 AM
Bit Capitalism Equation
Bit資本は、パソコンの出現時にスタートしました。
けれども、Atom社会が資本主義というイデオロギーと、
ともに終わっていったという意識は、
全世界が認識することができなかったのだと思います。
私自身,デザイナーとしてパソコンをデザインツールとし、
しかも、
研究対象から趣味対象としながら気づきませんでした。
光造形システムで、「トポロジー空間論」や、
3次元CADから4次元CAD=「遺伝子操作のデザイン」へ、
さらに、その医療=命と向き合うデザインまでを
「デザイン対象」にしてきました。
ところが私の脳内の一方では、
再びマルクスの「資本論」・「経済学批判」にもどりつつも、
「数式」に書き換えるということにまでは気づかないという、
まったく別次元でした。
しかし、やはり、
このAtomからBitへの時代転換を「数式」にしてみます。
「数式」などというのはブログではさらに「重い」でしょう。
ひとまず、
「アルゴリズム」、いや、「数式的記号」に表現してみます。
そうすると、
?・!
とてつもない「不思議さ・?」と「そうだったのか・!」が
結びついたのです。
それをこれから記録していくことにしたいと思っています。
exponent
exponent=「e」の世界観
そして
imaginary
imaginary number=「i」の世界観が、
ぴったりと、Bitの世界の冠詞になっていたのです。
この数式あるいはアルゴリズムの進化を見極めれば、
「資本主義から逃走」して、
新天地に入ることが可能だとわかりました。
Tags: !, ?, 「資本主義からの逃走」, 3次元CAD, 4次元CAD, Atom, bit資本, e, exponent, i, imaginary, アルゴリズム, イデオロギー, そうだったのか, デザイナー, デザインツール, デザイン対象, トポロジー空間論, パソコン, ブログ, マルクス, 不思議さ, 世界観, 光造形, 冠詞, 出現時, 医療, 命と向き合うデザイン, 応用, 意識, 数式, 数式的記号, 新天地, 研究対象, 社会, 経済学批判, 脳内, 表現, 記録, 認識, 資本, 資本主義, 資本論, 趣味対象, 遺伝子操作
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1月 6th, 2010 Posted 8:00 AM
錯覚
民主主義は、近代市民権で最高かつ最大の理想主義?。
私はそうは思っていません。
民主主義はある意味では、
「無血革命」での勝利成果なのでしょうか。
そうだとするなら、
「革命」は、民主主義の体制下では不可能だと思います。
だから暴力的な「革命」を私は望んでいるわけはありません。
なぜなら
「革命」と「革新」は、まったく意味が異なっています。
「革命」というだけに、「いのち」がかかっています。
「革命」は血が流れて「痛い・苦しい」はずです。
そんなのは嫌です。
「痛い・苦しい」というのは、
私はどれほど体験してきたことでしょうか。
だから、
民主主義は本来、決して、
痛かったり、苦しかったりでは無いはずです。
ところが、人生・生涯には、痛みや苦しみがあります。
それを民主主義が全て解放してくれるわけではありません。
革
「革命」の革という象形文字は、解体された獣の皮です。
「ピィーン」と張った「革」に刃物を入れることが、
「革命」・「革新」の「革」を表示しています。
私はもう一度、問い直します。
民主主義は語られれば語られるほどの理想主義でしょうか。
絶対に「民主主義」が大きな隠れ蓑になっていると思います。
その隠れ蓑を補強してきたのが資本主義かもしれません。
そろそろ、民主主義が民衆主義を言い換えている、
その事実をあぶり出す必要が私はあるとさえ思っています。
資本主義と民主主義の狭間に常に起こっているのが「錯覚」。
私はこの「錯覚」を見極めてこそ
「美」・「義」・「善」が、
やっと自分の表現に込められると考えています。
美・義・善
Tags: 「資本主義からの逃走」, いのち, 不可能, 人生, 体験, 刃物, 勝利成果, 善革, 意味, 暴力的, 最大, 最高, 民主主義, 民衆主義, 無血革命, 獣の皮, 理想主義, 生涯, 痛い, 痛み, 美, 義, 苦しい, 苦しみ, 表現, 解体, 解放, 象形文字, 資本主義, 近代市民権, 錯覚, 隠れ蓑, 革命, 革新
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1月 5th, 2010 Posted 9:00 AM
不満と信頼
150年前の著作を「もう一度」などと言うのは、
はなはだ「時代を読んでいない」と私は思っています。
再度、「資本論」への不満と信頼もあります。
ただし、信頼というのは、1850年当時の発想と論理です。
読み違いをまったくしなかった私の理由は簡潔です。
まず、副題が「経済学批判」であったこと。
この副題は、「批判」です。
「批判」をして、「提案」は何もありません。
デザインの実践者として、デザイン批判は受けますが、
それなら・・・という「提案」はほとんどありません。
そして、マルクスもエンゲルスも、
この書は、「共産主義を構築していく理論書ではない」ことを
完全に否定しています。
ここに私の信頼があります。
さて、150年前の指摘が、現代に当てはまるわけなど、
どこにも、もう見受けられません。
循環
そして、決定的には、彼らが指し示した「循環論」が、
「貨幣」・「生産」・「商品」の循環論です。
私はデザイナーとしては、
「生産」と「商品」に深く関与していますが、
「貨幣」の形式の大きな変貌について前述してきました。
私は「循環」からの視点が無いことが不満です。
「貨幣」は、クレジットカードやプラスチックマネーとなり、
「生産」に、労働による身分格差での剥奪論も底をつき、
「商品」には、意味論=デザインという全体価値があることを
彼らには、予言も予知も予測もありませんでした。
だからこそ、私は、不満と信頼のバランスで、
あらためて、この記述の下敷きにしています。
意味論の創出
Tags: 「資本主義からの逃走」, 150年前, エンゲルス, クレジットカード, デザイナー, デザイン, プラスチックマネー, マルクス, 不満, 予測, 予知, 予言, 信頼, 全体価値, 共産主義, 剥奪論, 副題, 創出, 労働, 否定, 商品, 変貌, 実践者, 循環, 循環論, 意味論, 批判, 指摘, 提案, 時代, 構築, 現代, 理論書, 生産, 発想, 経済学批判, 視点, 論理, 貨幣, 資本主義, 資本論, 身分格差
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1月 2nd, 2010 Posted 8:00 AM
私の民主主義への疑念は、かねてよりありました。
民主主義の基本といわれる
● 「多数決の原則」
● 「合意形成の制御」
という二つによりかかっています。
けれども私には「多数決」にしても「合意性」にしても、
技術進化による「イノベーション」と、
資本蓄積の配分での「インフレーション」の結果です。
いずれも「社会生理」の反応が、
巨大に関与していることに、
注視する時代だということです。
INNOVATION・INFLATION
私は「イノベーション」と「インフレーション」が、
まさしく「資本主義」の基底キーワードだと思います。
したがって、
現代経済社会の「資本主義」と
現代世界観の「民主主義」は
根底で連鎖しているというこになります。
情報操作による人気という合意
そこで、「イノベーション」によって、
「社会生理」が大きく影響されたのは、
「情報認識」と「情報判断」による「情報評価」です。
その「情報操作」をするのは、コンピューター技術です。
とりわけ、コンピューターはインターネットにより、
マスコミ・ジャーナリズムその表現内容を変貌しました。
その表現内容は「感覚の分別性」を混乱混濁させました。
この混乱と混濁を利用して、
民主主義の多数決や合意性は、
確実に、「権力」で「操作」が可能なわけです。
結果として、民主主権ではなく、
大衆と民衆への「合意」ではなく「人気」が作用し、
民衆の多数意見を集中させる権力構造力になっています。
哀しいかな、日本の民主主義は確実に民衆主義の反映を、
民主主義の意思決定の「場」である
「議会制民主主義」に置き換えています。
日本人は、目覚めるべきです。
少なからず、「イノベーション」の選別の偏りそのままが
国民の分別力を失わせているというのが、私の判断です。
「民主主義」は、「人気の多数決での合意」でありません。
Tags: 「資本主義からの逃走」, INFLATION, INNOVATION, イノベーション, インターネット, インフレーション, キーワード, コンピューター技術, ジャーナリズム, マスコミ, 人気, 偏り, 分別力, 分別性, 制御, 原則, 反応, 反映, 合意, 合意形成, 基底, 基本, 場, 変貌, 多数決, 大衆, 情報判断, 情報評価, 情報認識, 意思決定, 感覚, 技術進化, 操作, 日本人, 根底, 権力, 権力構造力, 民主主義, 民衆, 民衆主義, 混乱, 混濁, 現代世界観, 現代経済社会, 疑念, 社会生理, 蓄積, 表現内容, 議会制民主主義, 資本, 資本主義, 連鎖, 選別, 配分, 関与, 集中
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12月 23rd, 2009 Posted 10:00 AM
2009年、歳末になろうとしています。
私にとって、この一年は、
教育・講演・研究・開発・提言すべてを
デザインで包み込んだ活動でした。
もっともちょうど60歳・還暦で生命はつながっていす。
ブログ本論のタイトルは、「華甲我之発言也」です。
華甲発言
「華甲」とは還暦・60歳を意味する
古代よりのレトリックとして美しい言葉です。
デザインの世界に入って、
ほとんど休日休暇は持たないデザイン連続でした。
ただし、時に、「死に際」に至ることや、
「死」の予感が私の生体を追い込むことはしばしばです。
そして、その「死線」から帰還すると、
必ず、私にはなぜか大きなテーマが振り降りてきます。
●「なぜ、このスケッチを描くのだろう」
●「なぜ、今こそ、どう非難されても発言しよう」と
なります。
日本のかたち
このブログで、とうとう「資本主義と民主主義」への
私の持ち続けてきた「歴史観、それも敗戦という軸」に、
知識を整理して、いわば暴論となろうが、
この思索は、私のデザイン手法での「日本のかたち」、
その試作だと思ってください。
●それは壊れかかっていたり、
●すでに壊れたり、失ってしまった「日本のかたち」を
デザインし直すこと。新たなデザインを生み出すこと。
この二つを差し出そうということです。
だから、このブログは、一度こうして掲載した後も、
さらに「校正」を何度もしているのです。
おそらく、ほとんどの読者の方々は一度読んで、
●「まぁ、そういう見方もあるか」とか
●「過激だな、何をそこまでも」とか、でしょう。
私は、ブログという形式がすべからく「日記風」の
感想報告文体であることを残念に思っている立場です。
残念であり、無念であり、
文体に載せる言葉の貧しさに、「不景気さ」=鬱を
見抜いてしまいます。
「不景気という不気味さ」
なぜなら、
私は確実にコンピューターのエバンジェリストでした。
だから、特にパソコンとネットワーク、インターネット、
それらの進化はつぶさに実体験し、そのシステム創りや
デザインに関わってきましたから、
ブログの形式が日記風・感想文風ということに陥っている
その「不景気」さは「不気味」さでもあるのです。
だから、この「不気味さ」を選んでいる社会は、
「不景気」だから、ブログという新たな表現形式にも
●「不景気」という「不気味さ」にすら気づかないほど、
●「不景気」、すなわち「bitな鬱病」だから、
「死線」が見えるわけがありません。
鬱病に死線は見えない
その「死線」とは、
「資本主義の終焉という死」の境界線です。
Tags: 「資本主義からの逃走」, 2009年, 60歳, bitな鬱病, インターネット, エバンジェリスト, コンピューター, サイクルループ, システム, システム設計, スケッチ, タイトル, テーマ, デザイン, デザイン手法, ネットワーク, パソコン, ブログ, レトリック, 不景気. 不気味, 不景気という不気味さ, 予感 生体, 休日, 休暇, 境界線, 実体験, 帰還, 思索, 提言, 敗戦, 教育, 整理, 日本のかたち, 暴論, 本論, 校正, 歳末, 歴史観, 死に際, 死線, 民主主義, 生きがい, 生命, 発言, 知識, 研究, 華甲, 華甲我之発言也, 表現形式, 試作, 論理性, 講演, 資本主義, 資本主義の終焉という死, 還暦, 開発, 非難
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12月 22nd, 2009 Posted 10:00 AM
循環させるための付加価値
資本主義でほとんど完全防御されていた経済性の循環。
しかし、「循環」には、必ず、異変が起こります。
そのことは、マルクス以後、様々な経済学者によって、
また様々の資本の投機と回収、あるいは資本の貸借など、
その手法論や合理的な運用が論理化されてきました。
私は、「モノづくり」の初期段階で、
「デザイン」を投機してきました。
それは「回収」されるべき利益構造が、まったく、
資本論はじめ経済的な論理では説明も解釈も困難でした。
そこで私が見つけたのは、「感覚」で受け止める「価値」、
モノの「存在」でした。
私の資本主義からの離脱はこの発見時から始まったのす。
まず、大きな疑問が常にありました。
「特殊解」と受けとめられる「かたち・形態」には、
決して、「価値」、それこそ「付加価値」であろうが、
「全体価値」であろうがその「存在」が意識化されません。
特殊解的な形態
したがって、
そうした「特殊解」的な「かたち」には、
一般的な「価値」すら生まれず、「存在」させた、という
「事実」だけが残りました。
この「事実」だけがデザイナーの「労働対価」だとすれば
デザイナーには、
「景気」というある種の指標は無関係だということです。
この構造が、
とりわけ、日本の企業にとっては好都合だったのです。
景気からの離脱
デザイナーの存在、頭脳的、感覚的、時に芸術的労働者は
「付加価値を創出」する職能集団に仕立て上げることが、
最も容易に組織化することができました。
だから、デザインを「付加価値」と言い切ったのです。
その「付加価値」は、「欲望を刺激」して、
「欲しい」、「買いたい」、という、
流行・ファッション・風俗・サブカルチュアに、
仕立て上げました。
私は、この一見、
文化へと交代させたかのような「循環」と「代謝」から、
私のデザインを離脱させることで、
「景気」とは無縁の「モノづくり」のデザイン職能を
めざしてきたと思っています。
Tags: 「資本主義からの逃走」, かたち, サブカルチュア, デザイナー, デザイン, デザイン職能, ファッション, マルクス, モノづくり, 事実, 交代, 付加価値, 代謝, 価値, 全体価値, 初期段階, 利益構造, 創出, 労働者, 回収, 好都合, 存在, 完全防御, 形態, 循環, 意識化, 感覚, 感覚的, 手法論, 投機, 指標, 文化, 日本の企業, 構造, 欲しい, 欲望を刺激, 流行, 無関係, 特殊解, 異変, 疑問, 組織化, 経済学者, 経済性, 職能集団, 芸術的, 解釈, 説明, 論理化, 買いたい, 貸借, 資本主義, 資本論, 運用, 離脱, 頭脳的, 風俗
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12月 20th, 2009 Posted 11:00 AM
「生産と消費」の構造は、特に第二次大戦後、
資本主義のサイクルで産業経済論的な効果がありました。
しかし、
「生産」と「消費」がいわゆる景気循環によって、
支えられてきた国家・社会体制は限られていました。
そして「不況」ともなれば、
その景気循環は、世界を飲み込んだ大問題となりました。
つまり、
問題が及ぼしてきたのは、「価値」と「存在」です。
「価値」はまず経済価値からスタートし、
結果は、「働きがい」・「生きがい」へと連鎖しています。
「存在」は、
地球環境、自然環境、人工環境での人間への問題です。
によって、
「生産」と「消費」の
point of contactへの関与性でした。
私はこれらをループ化することで、「デザイン」の位置が
きわめて明快になります。
情報化・・これは経済社会論を変貌しました。
存在化・・ontorogyの問題は価値観のレトリックです。
再生化・・いわゆるリサイクルの手法はまだ不完全です。
生態系化・地球環境全体への国際関係の「制度論」です。
このループを「資本主義」が支える困難さと可能性は、
ほとんど論理性すら発見できていません。
ということは、
「価値」と「存在」は、
に対するサイクルループで、
システム設計とダイナミックス設計が、
人類に課せられている、「緊急かつ重大」な「問題」、
ということにほかなりません。
果たしてそうしたサイクルループに装備できる「装置化」、このデザインこそ、デザインによる人間と環境との
創出・代謝・循環・交代、
それぞれの調和と存続につながっていると思います。
Tags: 「資本主義からの逃走」, ontorogy, point of contact, サイクル, サイクルループ, システム設計, ダイナミックス設計, デザイン, リサイクル, ループ, ループ化, レトリック, 不完全, 交代, 人間, 代謝, 価値, 価値観, 働きがい, 再生化, 制度論, 創生, 効果, 国家体制, 国際関係, 地球環境, 変貌, 大問題, 存在, 存在化, 存続, 循環, 情報化, 手法, 景気循環, 構造, 消費, 生きがい, 生態系化, 生産, 産業経済論, 社会体制, 第二次大戦後, 経済価値, 経済社会論, 緊急かつ重大, 自然環境, 装置化, 調和, 論理性, 資本主義, 連鎖, 関与性
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12月 19th, 2009 Posted 10:00 AM
デザインは付加価値ではありません。
私は「全体価値」と言い続けてきました。
「欲望の刺激装置」=デザインを破壊するなら、
その新たな革新的な装置化を提出することになります。
上記の図解が私の提示している「装置」です。
その装置は「AparatousからDevice」に変更します。
これにも意味があります。
創出・代謝・循環・交代
おそらく、「空間」・「情報」・「エネルギー」も同じです。
そして、この対峙しあう「価値」と「存在」は、
創出・代謝・循環・交代というサイクルに配置します。
すなわち、サイクルと言ってもヘリカルなサイクルです。
実は、この背景・基盤には、
私が実体験を余儀なくされた、幾たびかの入院や手術、
それらを通して、「生」と「死」への想いがあります。
もはや人類の生存と存続が問われているという問題には、
ヘリカルなサイクルに、最も問われるのは「存在」です。
と言っても、
「実存」というやや古典的な思考からは離れた客観性に
「デザインの創出」が「存在」した「価値」だからです。
この提示した、ダイアグラムには、
明確に、「物質・情報・エネルギー」という
「時空間」性をイメージして、
感じ取ってもらいたいと望んでいます。
そのイメージを拡大してください。
世界の人口は、やがて70億人を超えるでしょう。
しかし、毎日、
10機のジャンボジェット機が墜落しています。
その機上に、
乳幼児から小児・子供たちが5000人乗っています。
地球・人間・世代交代に対して、
経済思想や資本主義では解決不可能の事態に、
「価値」と「存在」の「装置」そのものを
デザインしなければならないのです。
Tags: 「資本主義からの逃走」, 10機のジャンボジェット機, 70億人, Aparatous, AparatousからDevice, Device, ECOLOGY, ONTOLOGY, RYCICLE, イメージ, エネルギー, サイクル, ダイアグラム, デザイン, デザインの創出, ヘリカル, 世代交代, 世界人口, 交代, 人類, 付加価値ではない, 代謝, 価値, 全体価値, 創出, 古典的, 基盤, 墜落, 子供たちが5000人, 存在, 存続, 実体験, 実存, 客観性, 循環, 思考, 情報, 拡大, 時空間, 欲望の刺激装置, 死, 生, 生存, 空間, 経済思想, 背景, 装置, 装置化, 解決不可能, 資本主義, 革新的
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12月 18th, 2009 Posted 10:00 AM
「生産」と「消費」の世界で、
大量生産と大衆消費の構造に私は生息していました。
私はすでに資本主義に何の疑いもためらいも無く、
大企業で社会人デザイナーとなりました。
ただ、その企業が儲けるよりも、
自分の提案デザインが、
「商品化」されることに驚喜していました。
そんな私ですら、「生産」と「消費」の構造の中で、
「デザインは付加価値」ということに対して
やり切れない憤りがありました。
もっと賢明なデザイナーとしての発言力を持ちたい、
その想いをぶつけたのが、
構造主義、記号論、マルクスの形態価値論に出会います。
ミシェル・フーコーに出会います。
ジャン・ボードリヤール
の批判に、「かたち」で、
この思想と対決したい。
ソシュールやモーリス・メルロー=ポンティ、デリダ、のとめどなく
深い思考の森の中に入っていきました。
この森の中でも、せっせと「モノのデザイン」は、
決して、「付加価値を生み出しているのでは無い」という
直感を信じていました。
おそらく、私にその啓示がめぐってきたのは、
「言葉と物」、「物の体系」をはじめとするどこかで、
マルクス臭のある論策でした。
結果、
結論は、「デザインは付加価値では無い」ということ。
「デザインは全体価値」、
だから、
であったデザインをどう解放し、
その証拠立てをしていくことだったと思い返しています。
point of contactという「生産」と「消費」の結合点に、
デザインを配置し直そうとしましたが、
すでに、時代は、「生産」して「消費」することが、
どれほど、今度は私たち自身の「存続」、
地球環境の破壊が私たちを取り囲んでしまったわけです。
それでも
●「欲望」あるいは「フェティシズム」は、誘惑的です。
●「希望」あるいは「ダンディズム」は、魅力的です。
そうした私が障がい者になって、思い知らされたことは、
「喜怒哀楽」でした。
には、「医学」と「デザイン」によって、
「生」と「死」を
根底から見つめ直すことでした。
Tags: point of contact, かたち, ジャン・ボードリアール, ソシュール, ダンディズム, デザイナー, デザイン, デリダ, フェティシズム, ミッシェル・フーコー, モーリス・メルロー=ポンティ, モノのデザイン, 付加価値, 全体価値, 医学, 商品化, 喜怒哀楽, 地球環境, 大企業, 存続, 希望, 形態価値論, 思想, 構造, 構造主義、記号論、マルクス, 死, 消費, 物の体系, 生, 生産, 発言力, 直感, 自分, 解放, 言葉と物, 誘惑, 資本主義, 資本主義からの逃走, 障がい者, 魅力
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