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『資本主義からの逃走』
「Master-SlaveとClient-Server、
    関係性の呼称が恣意し示唆すること」


   


     2月 8th, 2010  Posted 12:30 AM

呼称は時代を隠喩

前回に、Serverの種類について、一気に記述。
そうしたら、やはり、「超・突っ込み」を受けました。
スペル間違いや、人物特定などです。
でも、ここまでを批判できる人物はやはり専門家です。
それが学者にはなぜできないのでしょうか、
無視しているほど、見下げていると考えられます。
すでにこうした連中を学者というのは、
学者職能が大学内職名・TVコメンテーターだからです。
本当は知らない。わからない。使えないのです。
資本主義の限界は、明らかに言葉に表れてきています。
資本主義の支配・被支配関係、
つまり、資本家・労働者という富分配の格差関係です。
クライアントとサーバーという呼び名には、
統治と役割や依頼と受諾などなどの隠喩性とみれます。
マスターとスレーブは、私も、人工心臓の分散化に、
コンセプトとして、主機能統合と分散機能配分などで
呼称展開に引用しました。
主従関係や統合分配に、コンピューター用語ですが、
「分配」機能性を表現する言葉として、
この逆読みで、呼称意味の恣意性と示唆性を、
● 経済的な富の分配=利益構造の差異性
● 産業構造での役割=権限制御の効能性
● 文化格差の再構築=格差品性の表現性

として、
これらを資本主義の革新に差し戻すヒントです。
だから、私は、コンピューター技術、その用語・術語には
そのサイエンス性やユーザビリティ性から、
資本主義からの逃走どころか、
「解放」社会をなんとしても引き込みたいのです。
それを、いの一番に可能ならしめることが、
「日本だからできる」という
自負感覚を誇りにしていきたいと思っています。


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『資本主義からの逃走』
 「サーバーとクライアントの相補性が、
         ATOM社会から離脱する道筋」


   


     2月 6th, 2010  Posted 12:30 AM

sendmail by Paul Vixie

私たちが電子メールができるのは、
sendmailがPaul Vixieによって書かれたからです。
sendmail of Eric Allman

というより、Eric Allmanとの関係も知りおくべきかもしれません。
こうした人物の存在はほとんど忘れられています。
BINDというコンセプトに、
サーバーとクライアントの関係が語られました
しかし、それは相補性です。

相互性=インターラクションとは異なっています。
サーバー・クライアント=主従相補性は、
資本主義での主従関係論に近似していますが、
サーバーには五つの分類ができます。

BIND
● Cache Server
● Remote(Master) Server
● Slave Server
● Primary Server
● Secondary Server

この統合化されたものがName Serverだと思います。
そしてこれらがOSにのって作動制御される時代は、
まさに、資本主義の主従関係=支配と搾取を、
一変する隠喩性が生まれてきたと考えるべきでしょう。
私は、サーバーとクライアントというネットワークを、
逆読みしていけば、ひょっとすると、
とんでもなく、経済学者が解明できなかった、
それこそ2進法的=binaryな経済学を示唆している、
とすら私は想像しています。
あるいは、資本主義を超越あるいは破壊するほど、
内在しているパワーがあるとも予想しているのです。
それは、サーバーを5分類して、
それぞれの効能が社会革新のトリガー機能だからです。

OSの融解

ここから、私はOSがこれまで、
産業経済の競合や差別化での利潤対象から「融解」し、
「雲」=クラウドの中に入っていくのでしょうか。
そんな問いかけの中で、もう一度、
コンセプトとしてのサーバーとクライアントを
概念の具現化として、
「形式」と「形態」をデザイン対象化しています。
それはATOM社会がBITSで包囲されて、
離脱していくことの「道筋を設計」しているのです。


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『資本主義からの逃走』
 「iPadがまた拡大させる!?・批判or批評or非難、
               iMacの私の経験から」


   


     2月 5th, 2010  Posted 2:37 AM

iPadだ!
未来、 見えているか?

iPadのNewsは様々な批評や期待で一杯です。
Apple社、ジョッブス氏の活発さに惹かれます。
そこには、いつも私たちは未来を見るわけです。
現代、こうしたNewsが、
多大な問題いっぱいの世界をやや救ってくれています。
それは閉塞感満ちあふれる日常での救いでしょう。
かつて、私はiMacを100人評価する雑誌で、
唯一、「ゴミだ!」って発言して、
ほとんど日本中から袋だたきに遭いました。
さらに、Gマークでも金賞候補からはずす主役でした。
問題点は、三つありました。
一つは、すでにあのモックアップは見ていましたから、
がっくりしたのです。
環境ホルモンと流行
ところが、
理由はそれが、ポリカーボネート製でした。
これが二つ目の理由でした。
ビスフェノールAという環境ホルモンの問題です。
今では、ポリカのリサイクルシステムもできましたが、
当時はビスフェノールAだ!って叫んだのは私だけ。
さらに、これがカラーで透明だったので、
おそらく日本の様々な文具から何にでも、
「流行現象」が蔓延してビスフェノールAに無頓着、
というのを、一人でも食い止めたいと思ったからです。
まあ、脅迫メールは届くは、
ポリカ業界からも散々な目に遭いました。
この時にも、私は自分を「職能家・デザイナー」を、
絶対に押し通そうと言い聞かせて、耐えました。
結局、「流行」は去り、ポリカのビスフェノールAは、
WHOから、「懸念ある素材」となり、
産業界はリサイクルシステム無しには、
素材使用は自粛されました。
「川崎は理詰め」と言われますが、
理性と感性には、順位があります。
「理をつめなければ、けっして感性優位は排撃すべき」
というのが、私のデザイナーとしての信念です。

私は、iPadには、二つが無かったと思っています。

●「新素材・made in Japanを知らなかったこと」
●「清潔感をコンセプトにする」

ということです。これは「批評」です。
それでも、iPadが、「iPod」がデカイだけ、
というのは、非難であり、未来が見えていません。
これは駄目でしょう。
私は、私の批評ポイントをはずせば、
やはり、「やられた!」といわざるをえません。
そして、必ず、私の二つの批評が合体するモノを
最も希望しています。


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『資本主義からの逃走』
 「LISAからiPadはφ=MECCへ」


   


     2月 4th, 2010  Posted 9:37 AM

LISA to iPad

LISAというコンピューターが登場。
やがて、私の側にMacintosh 128kで、以来、
コンピューターはMac以外は認めてきませんでした。
ただ、UNIXでのEWSの世界で、
「光造形システム」=Rapid Prototypingを追いかけ、
トポロジー空間論から人工臓器デザインをしています。
Macの世界はApple社という新たな企業存在でした。
そして私も、スカリー会長時代、アラン・ケイ氏にも
自分のデザインがApple社プロジェクトになって、
様々な議論をした経験が、大きな生涯の思い出です。

Apple Consultant

Mind Top・Popeye・Sweatpea・Jeep・Brutus,etc
が当時のコードネームでした。実現はしませんでした。
が、デザインのモックアップモデルは手元にあります。
パソコンをツールとしながらも、
私には「デザイン対象」そのものです。
パソコンは、「クラウド型」となることは確実です。
「スマートフォン」と「ネットワークコンピュータ」
この形式がiPadに進化しました。
おそらく、この中のコンテンツも、想像以上に、
驚愕の進化を遂げるかもしれません。
また、iPadは、ユーザーそれぞれの使用用途での
エンハンスメントも、新しい才能によって、
拡大化と集約化し、その相互性でさらに革新が
希望になってくれれば、
現代までの様々な問題解決につながると、
私は確信しているのです。
キーワードは、
物質=Material
エネルギー=Energy
情報=Contents & Context

φ=MECC

だと宣言しておきます。


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『資本主義からの逃走』
 「ATOMがBITSを、BITSでATOMに、
        それは新素材開発での造形デザイン」


   


     2月 2nd, 2010  Posted 1:00 AM

FEP Front End Processor
ワープロは、日本独自の発明でした。
英・Word Processorとは異なるBits文字世界です。
さらに、日本語フロントエンドプロセッサーも、
日本語処理を可能とした大変な成果だと思っています。
だからFEPが無料である必要はありません。
しかし、そんな時代が近づいていると考えます。
日本語は、パソコンやケータイでは、
不利な言語体系であることがDigital技術で、
明白になりました。 
それは、BITSをコスト的に考えれば英字に比べれば、
コストは2倍です。
ハングルとも2倍差があります。
そこで、パソコンやケータイでは無くて、
電子ブック(これは変な日本語です)での日本語、
その進化を私は、これまで正確に追いかけてきました。
すでに確立しているFEP(IN PUT)が電子ブックでは、
「EFP」(OUT PUT)=日本語アウトプットが不可欠です。
「書籍(ATOM)」という形式の要素としての日本が、
電子ブック(BITS)形式にはもう目前です。
私はe-Bookが各種進化するたびに収集してきました。
しかし、これらはすべて英文字でした。
「青空文庫」が立ち上がって、なんとかMacで、
という発端時の様子も間近でみてきました。
今、私はKindleを、Kindleで購入したコンテンツを
iPhoneでも読むことができる時代になりました。
Kindle・iPhone
i-Pad
そして、とうとう大変な話題であった、
憶測や推測のiPadが商品化されました。
が、日本語処理=「EFP」は、
KindleもiPhoneもBITS技術は開発されていないので、
日本語電子ブックになる明確な日程は届いていません。
それはBITSの問題ですが、私は別の視点で、
大きな見落としを、デザイナーとして確信しています。
それは、電子ブックの「形式」ではなくて「形態」です。
「形態」=ATOMを決定づける素材が、
まったく開発されていません。
すなわちATOMとBITSの相互作用を忘却していす。
もうひとつ付け加えるなら、デジタル機器の機能です。
その機能の重大さは「清潔さ」です。
「書籍」を一ページづつ舐めた指先でという風景より、
「不潔さ」を解消しているATOM性が皆無です。
それはBITSを包んでいる形態の「素材」の進歩です。
私は、その「新素材開発」をベースに、
ATOMとBITSの相互作用性をデザインしました。
まもなく発表します。


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『資本主義からの逃走』
 「iMac・iPhoneの意図がiTunesだとしたら・8」


   


     1月 15th, 2010  Posted 10:00 AM

iMac to iTunes

100115imaginary1
i-Atomとはimaginary Emptinessであり、
websiteに連鎖しているのかもしれません。
e・i・πは、デジタルなバーチャルの象徴です。
バーチャル=Virtualとは、仮想世界観です。
Virtualは「人間のイメージと生命」だと
だれかが言ってました。
その人物は常にAtom世界からの離脱を試みました。
すなわち「イメージ世界」から、
現実世界を傍観していたのかもしれません。

e・i・π

e・i・π、
この三つのArticleに人間は誘導されたのでしょうか。
ここが一つのポイントだったと考えます。
そこであらためて私にはその基準として、
「虚数」というイメージが思い浮かぶのです。
その「虚数的な発見」が導いてきた現在を、
私たちは無意識に取り込み見ているのでしょう。
e-Businessがなぜ、
「i-冠詞」世界表現へ連鎖していったのかと考えます。
具体的にはiMac・iPod・iPhoneがAtom世界です。
それならiTunesは、
明らかにTunning世界観=imaginary Worldです。
imaginary Worldをまさしくコントロールすること、
この重大さは、「空」=emptinessだと、
東洋的には考えることができます。
今や人類のイメージ、
その象徴がe・i・πだったとして、
この三つのデジタル社会資本は、
「雲の中」に配置されようとしているのだと
私は想像し、理解し、だからデザイナーとして、
デジタル社会資本にe・i・πを配置するつもりです。
これがデジタル社会での資本づくり、
つまり、「モノづくり」だと確信しているからです。


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『資本主義からの逃走』
 「e-JAPAN、常に失敗する政治政策だから・・・・7」


   


     1月 14th, 2010  Posted 1:00 AM

e-JAPAN から i-Japan へ

すでにデジタル社会になった時から、
たとえば、Junetがすでに動き出した時にも、
わが国の政治は無関心でした。
その後、私はほとんどのパソコンからスパコンまで、
当時の政治が何を重要視し、
「遅れながらも追随」しようとしたか知っています。
中でも「出来るかも」と思ったのは、「Σ-Project」、
そして「e-JAPAN」がありましたが、
これはもうネーミングで大きな間違いがありました。
すでに、i-Macが、ある種のブームになっていました。
つまり、「e-冠詞」の時代から「i-冠詞」へと、
時代は志向して、社会は「i-冠詞」を希求する、
ということが見え始めていました。
「i-Article」の時代と社会がwebになっていたのです。
すなわちi=虚数=imaginary numberのように、
難しい表現では「フェーザ表示」が起動したのです。
私は、「i-冠詞」=虚数というバーチャル語彙表示、
だと言いたいのです。
だから、「i-Japan」構想が不可欠だったのです。
「e-JAPAN」から、日本の携帯電話、
その技術は「世界から取り残されました」。
ちょうどDoCoMoがFOMAを世界基準にという、
そんな企画に、私も参画したことがありました。
私の発想は、多分、理解されなかったのでしょうが、
プレゼンテーション中断し、その仕事を放棄しました。
以後、ケータイは日本だけの「特殊な文化」に育成。

政治ー産業ー消費ー制度ー風俗

私は、それはそれでいいと思っていますが、
私自身は、政治ー産業ー消費ー制度ー風俗を傍観です。
結局、もはや日本では、「スマートフォン」さえ、
技術開発とデザインは不可能産業になっています。
その発端は、政治政策「e-JAPAN」のかけ声だ!
と思っています。

e から i へ

なぜ「eからi」だったのかは、重大な課題です。


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『資本主義からの逃走』
  「i-Bitのeとiとπの意味を求めて・6」


   


     1月 13th, 2010  Posted 1:00 AM

e・i・π

e・i・π、この三つに、デジタル社会があります。
あるのではないだろうか、というのが私の推論です。
「e-冠詞」と「i-冠詞」に私は何かを見ています。
exponent・Napier’s-e・internetにπです。
この一つ一つは、直喩性から隠喩性で、
現代の「情報時代・情報社会」の意味論へと、
その思索と思考を深めていくことができるでしょう。
たとえば、πは、円球だとするなら、
それはまさにwebsiteです。
πに対して、人類が追い求めてきた歴史は、
もうビックリするばかりです。
e-management5果たして、
デザイン、デザイナーの「感性」・「感覚」が、
見えているデジタルには、明らかにAtom資本は、
包み込まれています。
さて問題は、
iという虚数はバーチャルへの想像力が創造しました。
リアルとバーチャルも、
すでに、すっかりと、
これらのe・i・πにシンボル化されています。
だから、これらの意味論は記号論・構造論となって、
実は「造形」に結びついている、
というのが私が追い求め始めている「造形基礎論」、
すなわち「デザイン数理学」なのです。


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『資本主義からの逃走』
  「Napier’s Bit=exponent Bitから、i-Bitへ・5」


   


     1月 12th, 2010  Posted 1:00 AM

e-articleからi-articleへ

「e-冠詞(article)」がBit社会資本ではないか、
という判断は、私はしていません。
「e-」はelectoronicsからinternetの冠詞です。
明らかに、
e-articleはBit資本になるかも知れません。
そして、私が数学的な思考に遡及してみると、
その原意として明確になってくることがあります。
exponentとNapier’s constantという公式的な
思考方法が見えてきます。
私はあらためて、このdigital資本=Bit資本を
Atom資本からの大きな変革になるものと
評価判断をせざるをえません。

急いで結論を断言してしまいたいと思っています。
それは、「オイラーの公式」にまで至っているのです。
e-management4

私は、この公式が「人生・生涯」を表していると
考えてきました。
だからこの公式に、
「デザイン」が入り込み、
「デザイン」が取り囲み、
「デザイン」で証明できるという確信を持っています。
そんな確信を、今は評価されないかもしれませんが、
必ず、評価される「時」が来るでしょう。


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『資本主義からの逃走』
  「Bit-exponent=Napie’s-eからDesign Algorithmへ・4」


   


     1月 11th, 2010  Posted 1:00 AM

exponent to Napier’s constant

私の高校時代は、物理と数学が同次元の授業でした。
受験数学・受験物理で無かったことは幸運でした。
eネピア数という授業は今も私の数学的思考原点です。
だから、私がふるさとでデザインスタジオの名前は、
「eX-Design」としたほどでした。
電話番号も2728にしました。
私は、「e-」冠詞がデジタル社会を表現する言葉だと
考え、exponentという概念を持ち出しました。

e=2.71828 18284 59045 23536・・・・

Napier’s constantというこの値と、
Napier概念定義をオイラーによって、
「理想数式」になっていったのだと私は思います。
あらためて、ネピア数=eが、
実は「人生」をも決定づけている、
というのは言い過ぎでしょうか。
デザインや設計理論で、このネピア数的思考は、
設計アルゴリズムになる!という確信が、
私には「絶対思考」となっています。
私の「デザイン思考」がまとまりつつあります。
それはパウル・クレーが悩んでいた解答手法は、
コレだ!という想いが、Napier’s constantかも、
と、今、一番思い当たっているのです。
それが、「造形思考」→「デザイン数理学」へ、
これから教育者としてまとめていくつもりです。

Design Algorithm

Digital Algorithmが「造形」=designに
向かっていると私は考えています。
したがって、ここでの論述は、メモですが、
「感覚」で受け止めてもらって、keyword=tagを
調べてもらえればと願っています。


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