11月 25th, 2012 Posted 12:00 AM
三つ目の波が「情報革命」でした。
その革命によって、
「情報化」・「情報」はNetworkによって繋がっています。
もっとも具体的なNetworkは、「インターネット」であり、
それはwww-server、
あるいはName Domain Systemとして地球に覆い被さっています。
1970年代から、今日の情報社会までの急激な変貌は、
私たちの意識まで変えてしまいました。
結果が、端的に
「情報=知識・意識・諜報・案内」というコンテンツとして、
私たちはもう一つのコミュニケーション方法として手に入れてきました。
しかし、功罪相半ばを認めておかなければなりません。
おそらく、世界中の人が毎日、
電子メールを読み、インターネットにアクセスしています。
「ユビキタス」時代は、すでに「クラウド」時代に突入しています。
そして、その基盤であるデジタル処理が、
Serverによって、管理と運営と維持されています。
私はその基本程度は常識として知っておいてほしいと思っています。
数年前に私はコンピューター企業の代表的企業後援の講演で
「コンピューターが消える日」を通告したことがあります。
その時以来、よく質問をします。
「サーバーって何種類あるのだろうか?」、と。
大学院生ですら知りません。
すでに彼らは幼少の頃にはもう日常生活にパソコンは存在していたのです。
私が、ここに掲げているサーバーには、それぞれの役割があります。
せめて、その役割程度は常識にしておいてほしいと思っています。
なぜならば、
私がこのところ
「記号」・「記号化」・「記号学」・「記号論」を持ち出しているのも、
実際は、自分をパソコン能力に喩えれば、
自分の脳内にこの五つのサーバーが、
その人の能力そのままのスピードとメモリーで構成されているからです。
「頭の回転が速い」とか、「知識の箪笥引き出しが多い」というのは、
まさにサーバーになぞらえることが可能です。
それは、あなた自身のイメージのサーバーも、
この五つに必ず分類することができるでしょう。
なぜなら、私たちが共有しようというイメージが「記号」であり、
その「記号」の存在野=存在装置がサーバーだと言ってもいいからです。
Tags: Domain Name System, Network, www-server, インターネット, クラウド, コミュニケーション, コンテンツ, コンピューターが消える日, サーバー, サーバー情報, スピード, デジタル, パソコン, メモリー, ユビキタス, 三つ目の波, 地球, 常識, 情報, 情報化, 情報社会, 情報革命, 意識, 方法, 案内, 知識, 管理, 維持, 脳内, 記号, 記号化, 記号学, 記号論, 諜報, 運営, 電子メール, 革命
Posted in 企望を「までい」具現へ, 祈望から企望へ
目次を見る
6月 20th, 2010 Posted 2:00 AM
モノ=モ・ノ
モノいう表現は、私流には「人工物」をという意図です。
今日ある大学デザイン系の報告書を読みました。
大学の後輩が教授職にあります。
デザイン系学生への教育方針を模索している相当の内容でした。
確かに、先般、ある「デザイン系大学の作品展」でも、
この大学、学生の作品はとても優れた成果でした。
学生の作品は、教える側の反映であることは間違いありません。
この報告書では、「デザイン」を「モノ」と「コト」の関係性を
重点的に教育方針で論議の経過や結論にまとめていました。
大学の意欲を強く感じた次第です。
「デザイン」がようやく、
「外観づくり」とか、「応用芸術」ということからは解放されつつあります。
明らかに、デザインは、「コトのデザイン」だということは明白になりました。
単純な図式は、
「ヒト」と「コト」を「も・の」でつないでみれば、ほとんど論理性などもなく、
図式ができるということです。
●「ひと」モ「こと」=「情景」=人間と情報の関係
●「ひと」ノ「こと」=「情報」=人間と人間の関係
これは、「モノ」が介在して、人間と情報・情景を構造化していることを可視化しています。
再度、{人間と情景・人間と情報}・{人間も情景・人間も情報}
この関係式になるということでは、
「モノ」=モ・ノという助詞の機能=助詞がコンテクストの要になっているということです。
私は、あらためてこの関係性=構造性に、「人工物」の役割を配置する必要性を感じます。
助詞
「助詞」である、「モ」と「ノ」が、
日本語のコンテクストの構成要素であることに注視します。
私は、常に「日本語」と向き合っています。
それは日本人として生まれ、「いのち」をつないでいるのが「日本語」だからです。
私はデザイナーという職能で「モノ」の「かたち」を対象化してきました。
その対象である「モノ」・「モノづくり」=「かたち・づくり」に関わっていますが、
その基盤であり背景には「コト」があります。
そして、その「コト」と人間の関係は、
「ことば」だというすべてが、実は「十牛図」のごとく、
連環していると考えることができます。
今日も、「十牛図」のイメージは、私に「ひと」・「モノ」・「こと」に覆い被さっています。
Tags: いのち, コト, サーバー情報, ヒト, モノ, 人工物, 十牛図, 情景, 日本語, 関係
Posted in 033「十牛図との出逢い」, 資本主義から逃走せよ!
目次を見る
2月 8th, 2010 Posted 12:30 AM
呼称は時代を隠喩
前回に、Serverの種類について、一気に記述。
そうしたら、やはり、「超・突っ込み」を受けました。
スペル間違いや、人物特定などです。
でも、ここまでを批判できる人物はやはり専門家です。
それが学者にはなぜできないのでしょうか、
無視しているほど、見下げていると考えられます。
すでにこうした連中を学者というのは、
学者職能が大学内職名・TVコメンテーターだからです。
本当は知らない。わからない。使えないのです。
資本主義の限界は、明らかに言葉に表れてきています。
資本主義の支配・被支配関係、
つまり、資本家・労働者という富分配の格差関係です。
クライアントとサーバーという呼び名には、
統治と役割や依頼と受諾などなどの隠喩性とみれます。
マスターとスレーブは、私も、人工心臓の分散化に、
コンセプトとして、主機能統合と分散機能配分などで
呼称展開に引用しました。
主従関係や統合分配に、コンピューター用語ですが、
「分配」機能性を表現する言葉として、
この逆読みで、呼称意味の恣意性と示唆性を、
● 経済的な富の分配=利益構造の差異性
● 産業構造での役割=権限制御の効能性
● 文化格差の再構築=格差品性の表現性
として、
これらを資本主義の革新に差し戻すヒントです。
だから、私は、コンピューター技術、その用語・術語には
そのサイエンス性やユーザビリティ性から、
資本主義からの逃走どころか、
「解放」社会をなんとしても引き込みたいのです。
それを、いの一番に可能ならしめることが、
「日本だからできる」という
自負感覚を誇りにしていきたいと思っています。
Tags: TVコメンテーター, クライアント, サーバー, サーバー情報, スレーブ, マスター, 主機能統合, 人工心臓, 依頼, 分散化, 分散機能配分, 利益構造, 労働者, 効能性, 受諾, 呼称展開, 大学内職名, 学者職能が, 富分配, 専門家, 差異性, 役割, 支配, 日本, 格差, 格差品性, 権限制御, 統治, 表現性, 被支配関係, 解放, 資本主義, 資本主義からの逃走, 資本家, 関係, 隠喩性
Posted in 010「AtomとBIt」, 資本主義から逃走せよ!
目次を見る