7月 31st, 2012 Posted 9:30 AM
目次を見る
7月 31st, 2012 Posted 12:39 AM
目次を見る
7月 31st, 2012 Posted 12:00 AM
1981年頃から、
すでに存在していた「武生打刃物工業研究会」に、
私が参画し、「伝統工芸にデザイン導入」を始めました。
すでに研究会は、「伝統的刃物のレプリカを150点ほど」、
自分たちで鍛造製造をし、その技の習得をしていました。
もう越前市の越前打刃物産地「タケフナイフビレッジ」には、
後継者の若者がグループ、次世代に引き継いでいます。
そこで、私も、彼らへの課題を伝えています。
「ミニナイフの開発」に入りたいという一つのアイディアがあります。
世界には沢山のミニナイフが存在。
ミニ・ミニマムにしていく技術・技は
相当に錬磨しなければならないでしょう。
ミニナイフへ、
「ハマグリ刃火づくり鍛造」の越前打刃物の伝統技をベースに、
「先端的なデザイン」を実現してもらいたいと望んでいます。
私なりに、ミニナイフも収集してきました。
その収集品の中でも、特徴と新たな革新をねらったり、
ミニマムにするには相当の工夫や製造技術には
創造性が求められていることが明白です。
たとえば、日本の「肥後守」でもミニはあります。
切れ味はありますが、伝統とはそのままの温存ではありません。
ファッションメーカーだからこそ、皮革張りをミニで実現したモノ、
銃器メーカならではの繊細なガンのような仕上げや構造、
ナイフギルドだからこそ可能ならしめたミニマム設計の実現、
アウトドアだから、ここまで詳細設計の具現化など、
早く産地にこれらを持ち込んで、参考にしてもらいたいと思っています。
ただし、これらを乗りこえるべきデザインを
私自身やり遂げなければなりません。
だから、ここに参考資料とした形態は全く考えていません。
素材も選び抜き、構造も、ミニマム化の様式も
すべて変革しなければ私の存在価値はありません。
これは私自身へのプレッシャーです。
早く、産地に帰りたいと思っています。
Tags: アイディア, アウトドア, タケフナイフビレッジ, デザイン, デザイン導入, ナイフ, ファッション, プレッシャー, ベース, ミニ, ミニマム, メーカー, モノ, ループ, レプリカ, 世代, 世界, 仕上げ, 伝統, 伝統工芸, 伝統技, 価値, 具現, 刃, 刃物, 切れ味, 創造, 創造性, 参画, 収集, 収集品, 器, 変革, 存在, 実現, 工夫, 形, 形態, 後継者, 打刃物, 技術, 日本, 構造, 様式, 次世代, 武生, 火づくり鍛造, 特徴, 産地, 皮革, 研究, 素材, 習得, 自分, 若者, 製造, 製造技術, 設計, 越前, 越前市, 越前打刃物, 越前打刃物産地, 銃, 革新
Posted in 企望を「までい」具現へ, 祈望から企望へ
目次を見る
7月 30th, 2012 Posted 7:35 PM
7月30日 staffblog
週末に、
母校である、金沢美術工芸大学の
大阪同窓会に参加した、
BOSS(川崎和男, Kazuo KAWASAKI)。
挨拶を求められお話中。
同期の1972年卒クラスメイトの方と一緒に。
お二人は、
元川崎重工のバイクのデザイナーと
元トヨタのデザイナーで、
現在参与をされている方です。
久しぶりの同級生との会話、
大変盛り上がりました。
目次を見る
7月 30th, 2012 Posted 12:00 AM
車椅子になって、新幹線での乗り降りには、
私には相当の闘いがありました。
東京から新幹線に乗ろうとしたとき、
かつては1時間前に駅に行かなければなりませんでした。
東京駅では業務用エレベーターで、
東京駅地下道・妙な臭いの空間を通るのです。
そこで、ある衆議院議員の秘書の方と
国土交通省に陳情に行ったことがあり大喧嘩をしました。
新幹線に限らず、
「駅長室」ここに駅長さんがいるわけではありませんが、
それこそ、抗議を随分やったものです。
国土交通省での私の戦闘論理は簡潔に仕組みました。
「海外から車椅子旅行者が、業務用エレベーターに乗せられ、
そして地下道、その臭いを知ったなら、日本のイメージががた落ち」。
当時の扇大臣が視察をされて驚愕されて改善計画が始まりました。
それから3年後に現在のエレベーターが設置されました。
米国のアムトラックでの車椅子対応と車両設計の合理性を
体験していたことが私の背景でした。
最近は、写真のようなホームから車両までのスロープが用意されています。
駅員の皆さんも大変に親切になりました。
それでも時に大駅ほどとんでも無い事態に遭遇します。
詳細は書かないでおきます。
しかし、私は、
このようなスロープでは限界がやがてくると想像しています。
飛行機での車椅子対応は、航空各社で多少差異がありますが、
最近では、必ず、車椅子の人に2~3組出逢います。
おそらく、これからはもっと、
車椅子使用者の列車利用が増えることは間違いありません。
おそらく、5組の乗降があったなら、
列車の停車時間内では対応が困難になるはずです。
車椅子対応の車両も北陸線「サンダーバード」では一組しかありません。
グリーン車内には車椅子巾がなければ乗降不可能です。
つまり、列車の車両デザインそのものを根本から変えるべきです。
ホームと列車間の隙間をスロープで解決している限界があり、
車両のトイレ洗面はもっと基本的ユニバーサルデザインが必要です。
こうしたデザイン設計できる
列車車両の次世代デザイナーに期待することです。
Tags: アムトラック, イメージ, エピソード, エレベーター, グリーン, サンダーバード, スロープ, デザイナー, デザイン, デザイン設計, トイレ, ニバーサルデザイン, ホーム, ユニバーサルデザイン, 不可能, 世代, 仕組, 体験, 使用, 写真, 出逢い, 列車, 北陸, 北陸線, 合理性, 喧嘩, 困難, 国土交通省, 地下道, 対応, 差異, 想像, 戦闘, 抗議, 改善, 新幹線, 期待, 東京駅, 根本, 業務, 次世代デザイナー, 海外, 簡潔, 米国, 背景, 視察, 親切, 解決, 計画, 論理, 議員, 車両, 車内, 車椅子, 車椅子対応, 間違い, 限界, 飛行機, 駅員
Posted in 企望を「までい」具現へ, 祈望から企望へ
目次を見る
7月 29th, 2012 Posted 10:00 AM
目次を見る
7月 29th, 2012 Posted 12:00 AM
「駅」は不思議かつ重大な場所だと思います。
そして人生には、人それぞれが人生でのいくつかの「駅」を持っています。
それも「乗り換え駅」でしかないけれども、
それなりに、人生の結節点になっている場としての「駅」があるものです。
私にとって、
もう二度と立ち寄ることが出来ない駅の一つが「米原駅」です。
思いがけなくこだま700系、各駅停車に乗ったら、米原駅に停車しました。
この駅は、福井から東京や大阪に出るときには、
北陸線から東海道線や新幹線に乗り換える駅です。
大阪での浪人時代も、ここから北陸に帰りました。
だからこの駅前に2~3回は降りたことがあります。
冬、もう北陸線が無くて駅で一晩始発列車を待ったこともあります。
もう40余年ほど前ですから、
駅前にはパチンコ店が2件程度の小さな駅前でした。
それこそ「新横浜」に就職で上京したとき、
「えっ、ここから私の人生が始まる・・・なぜ・・」って思うほど、
ほとんど荒れ地に鉄条網があった時代です。
現在の「新横浜」などは、
これが時代変化なんだと思うほど大きな駅、駅前になっています。
きっと、米原駅前も相当に変わっていると思います。
米原駅は、車いすになったときには、
あぁ、あの駅に行くことはもう無いなーと思いました。
なぜなら、新幹線から北陸線には長くて急な階段があったからです。
今はどうなっているのでしょうか。
人は、「駅」がいくつかあるものです。
さらに、「乗り継ぎ駅」、決して駅前に出ることはない「駅」もあります。
だから、そのまま、人生にも出発点や到着点のごとき「駅」がありますが、
「乗り換え駅」のような人生の結節点であり、
その結節点の光景・風景・情景を、
知らず仕舞いの「駅」もあると思っています。
Tags: 40余年, こだま700系, パチンコ店, 不思議, 乗り換え駅, 人生, 光景, 冬, 北陸線, 大阪, 就職, 情景, 新幹線, 新横浜, 東京, 東海道線, 福井, 米原駅, 結節点, 鉄条網, 風景, 駅
Posted in 企望を「までい」具現へ, 祈望から企望へ
目次を見る
7月 28th, 2012 Posted 10:00 AM
目次を見る
7月 28th, 2012 Posted 12:00 AM
47歳大学人になって、
私は常に学生を自宅に呼ぶ教授であろうと思っていました。
それは私の大学時代に由来します。
金沢美大時代、お金が無くなると教授宅で
夕飯を食べさせてもらっていました。
先生も奥様もそれがわかっておられるから、
まずは、草むしりをしたり先生の蔵書の整理、
先生が色紙に絵を描かれると落款を押したり等いい思い出があります。
最近は、どうしても何かイベントで自宅に呼んだり、
叱責説教で呼び出しますが、夕食をともにします。
しかし、本当に年4~5回程度です。
大学内より、先生宅での思い出は人生を支えてくれる「幸運」です。
今回、新幹線こだま700系で帰阪しました。
最近、私もビールなどならまあまあ注意をしながら飲んでいます。
だから、「酒盛りしながら各駅停車」を楽しめました。
確実に、新幹線でも各駅停車なら、准教授も交えて、
これぞ大学ならではの幸運な集いが出来ます。
しかし、最近の学生は「下戸」が多いようです。
これは生来のこと、先天的なことがありますから仕方の無いことです。
父親が酒を家庭内で高校ぐらいから鍛えない、だからダメなのでしょう。
韓国は未成年でも年長者の前なら暗黙の了解が残っています。
新歓コンパで救急車を呼ぶのはもはや「事件」になっている時代です。
幸い私は、母方父方ともに「上戸」、
しかも美大時代・空手部ゆえ「死ぬほど飲まされて」鍛えられました。
また、新幹線はかつてはふたり向かい合えば、
窓際にビール空き缶は24缶並んだと記憶しています。
もう14缶程度になっていました。
東芝時代も必ず出張の帰りは窓際を
ともかく2ダースは飲むなんてことを粋がっていました。
若き日の想い出です。
論文・研究・学内事情から、個人的な話や研究室メンバーの話まで、
結局、私と准教授はまったく正常で帰阪しました。
スタッフと学生はかくも見事に寝入ってしまいました。
最も、酒を奨めるなんてことはパワーハラスメントになる時代です。
個人主義のあり方はもっと精査されるべきだというのが私の意見です。
古い考え方ですが、このまま生きていくつもりです。
Tags: イベント, こだま700系, パワーハラスメント, ビール, 下戸, 事件, 准教授, 叱責説教, 夕飯, 大学人, 大学時代, 学内事情, 幸運, 救急車, 教授宅, 新幹線, 新歓コンパ, 生来, 研究, 空手部, 色紙, 草むしり, 落款, 論文, 金沢美大
Posted in 企望を「までい」具現へ, 祈望から企望へ
目次を見る
7月 27th, 2012 Posted 3:29 PM
目次を見る