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『デザイン言語表現がコンシリエンスデザインになる』


   


     4月 24th, 2016  Posted 12:00 AM

デザインは表現営為です。
したがってデザインされた表現の形態は言語だと言えます。
そこで、デザイン形態=「デザイン言語」と呼びます。
そのデザイン言語は、意味する意図(intention)を
造形言語=designing language、
意味されている内容(contents)を
形態言語=designed languageと、その二つで成立しています。
そして最近、この言語の背景にある知識や知恵という根幹こそsilience、
いわゆる日常ではほとんど無意識である「知性の核心」だと理解しました。
この無意識である知性こそデザイナーの知的背景だと決定できます。
コンシリエンスデザインこそ、知性の統合されたデザイナー能力であり、
言語表現に込められた意図と内容は、
すでに目論まれていたプライミング効果、
すなわちデザインの効用と効果を成し遂げるものになると断言します。
自分としては、コンシリエンスデザインという位置づけは、
明確にデザイン手法、その論理を言語化して、
その意味論は記号論へと向かわせることが出来たと自負しています。
これまでのデザインはすぐに機能で語られ、
装飾ある形態論に終始していましたが、
ここから明らかに小論的な論理を持って、
記号学に向かってきていると明言します。
さらに、デザイン知性は必ずスケッチでその言語展開が必要です。
それは「手」で描かれた発想表現が
プライミング効果になるということです。

*『記号論でのコンシリエンスデザイン』
*『かたちの意味・造形言語と形態言語』
*『記号論は脱構築に向かっていった「かたち論」』
*『アナログスケッチからデジタルスケッチへ・・』
*『Padスケッチにすっかり馴れ親しんだ!』


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「現代の重大概念と技術支援とのギャップ」


   


     1月 7th, 2012  Posted 12:00 AM

「光景」とは人間の生死を対照化する景観です。
そしてその光景景観=生死境界には、
現代性を共時する言葉・概念が表れています。
その一つが「コミュニケーション」という概念と手法だと考えます。
3.11の大天災時に、
生死という光景を決定づけていたのも「コミュニケーション」でした。
それは「コミュニケーション問題」として
再検証すべきものになっています。
NHKは日本の最大マスコミとして、
災害情報発信においては毎日トレーニングをしていると聞きました。
よってその放送があまりにも冷静過ぎるとの批判さえあるらしいのです。
推測ですが原電での事故トレーニングは行事でしかなかったのでしょう。
さて、今回の連絡コミュニケーションはラジオ・テレビではなくて、
地元では、地元それぞれの地域内放送でした。
それは日常ツールであり、メディアでは無かったのかもしれません。
そしてSocial Networkでのtwitterが最も情報の拡散を果たしました。
写真にあるようなケータイの充電風景と、
ホワイトボード上に書き込まれた現場情報の共有情景、
この風景と情景によって、「光景」を決定づけている、
「コミュニケーション」の手段でありツールでした。
つまり、「コミュニケーション」は、
メディアとコンテンツがその概念の中軸のように思われます。
しかし、ホワイトボードとケータイという「ツール」が
コミュニケーションの基軸でした。
私は、現代、communication論として、
media・contents・toolとして再考するならば、
あらためて、toolのデザインがcommunicationでは
com=二つ対峙する関係がnicateお互いに分け合うこと、
そのためのtool論が本当は大問題だと知ることになりました。
コミュニケーションにとっての重大事は、
コンテンツが中心では無いというのは私の持論です。
コンテンツよりもコンテクスト=文脈、
それは「分かち合う脈略」がコミュニケーションの定義だという主張です。
あらためて「コミュニケーション」という現代重要概念の共有共時性は、
contextとtoolをこれからいかにデザインと技術支援し、
技術進化を果たしていくかを確実にすべきと判断します。
単純に「コミュニケーション」は、語れば語るほど、
現代社会観での光景論を喪失していることを露呈しているのでしょう。
communication=tool+contextが正解なのかもしれません。
よって、mediaとcontentsは
光景=生死からは離脱した概要だということが可能です。

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『資本主義からの逃走』
「#ファッションはすでに時代思想のMatrixだと思う#」


   


     4月 18th, 2010  Posted 1:57 AM

Fashion Profile Matrix
ファッションは、すでに服装や外見の時代風潮ではありません。
私は、「何がファッションか?」と考察するべきと思います。
その動機として、「モードの体系」という大著を手に入れたのです。
しかし、ここで論述された分析や分類、さらにその関係性、
すなわち構造性は、工業化時代をひきづっていたものと考えます。
むしろ、時代が大きな変革をむかえ、その時代意識も大きな振幅と,
意識の質転換を受け入れなければならない状況で、
今世紀が始まったと思います。
それは、情報が「ファッション」になるか、
その問いかけだったのではないだろうかと私は推測するのです。
そして、二つの明解なディレクトリーが,
ファッションを定義づけていたことに注目します。
CODE・MODE
まず、コードとモードです。
そしてさらに「内容=Contents」と「形式=Form」です。
Contents & Form
このそれぞれを、Matrixに配置すれば、何がイメージになってくれるでしょうか。
私は、昨今の「コンテンツ産業」というのは、
日本語では「内容産業」です。
そんな産業があるんでしょうか?
確かに、もう少し形容すれば、それは「情報内容の産業」です。
直結的には、マンガ・アニメーション・ゲーム等という、
実は「形式」に当てはめただけの「形式充当産業」でしかありません。
以下のMatrixを、イメージ刺激のために提示しておきます。

このMatrixにマンガ・アニメーション・ゲーム等を適合させれば、
それは「産業」としては、
イノベーション=景気循環論にはならないでしょう。
とりあえず、ここまでにしておきます。


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『資本主義からの逃走』
 「LISAからiPadはφ=MECCへ」


   


     2月 4th, 2010  Posted 9:37 AM

LISA to iPad

LISAというコンピューターが登場。
やがて、私の側にMacintosh 128kで、以来、
コンピューターはMac以外は認めてきませんでした。
ただ、UNIXでのEWSの世界で、
「光造形システム」=Rapid Prototypingを追いかけ、
トポロジー空間論から人工臓器デザインをしています。
Macの世界はApple社という新たな企業存在でした。
そして私も、スカリー会長時代、アラン・ケイ氏にも
自分のデザインがApple社プロジェクトになって、
様々な議論をした経験が、大きな生涯の思い出です。

Apple Consultant

Mind TopPopeyeSweatpeaJeepBrutus,etc
が当時のコードネームでした。実現はしませんでした。
が、デザインのモックアップモデルは手元にあります。
パソコンをツールとしながらも、
私には「デザイン対象」そのものです。
パソコンは、「クラウド型」となることは確実です。
「スマートフォン」と「ネットワークコンピュータ」
この形式がiPadに進化しました。
おそらく、この中のコンテンツも、想像以上に、
驚愕の進化を遂げるかもしれません。
また、iPadは、ユーザーそれぞれの使用用途での
エンハンスメントも、新しい才能によって、
拡大化と集約化し、その相互性でさらに革新が
希望になってくれれば、
現代までの様々な問題解決につながると、
私は確信しているのです。
キーワードは、
物質=Material
エネルギー=Energy
情報=Contents & Context

φ=MECC

だと宣言しておきます。


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