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Posts Tagged ‘エンゲルス’


『狂った北朝鮮の金一族の核ミサイル』


   


     3月 30th, 2022  Posted 11:00 PM

日本にとって、重大な問題があります。
それは北朝鮮のミサイル実験が、またまた連続していることです。
「専制政治」の金一族など、どうでもいいことです。
「拉致が連続」していることをもっと「重要」にする事。
それこそ、日本の国会議員のとりわけをすれば、
在日問題者があまりにも、野党では多いことです。
「核シェアリング」なんて問題などないのです。
私立大学の元学長すら
「核シェアリングで何も知らないこと」には、
呆れかえるだけです。
拉致された家族は、段々と死んでいっているのです。
もはや、ミサイル実験があれば、「戦争集団」には、
日本が攻撃をしなければいけなくなってきたのです。
自衛隊は、私なら防衛省の軍隊でもあります。
第九条より第11条すら読んでいない、しかも在日なら、
在日していれば韓国に徴兵があてはまっていくのです。
私はこのブログを20年前には「資本論」から書き始めました。
マルクスが最初を書き、彼は「数学を書き残しました」。
エンゲルスを引き継ぐためを、私はまったく信じられないからです。
私はCNN放送を見ていますが、
「白人主義(white supremacy)」だらけです。
金一族も、白人主義者も、全員一緒だと私は確信しています。
「東京裁判」で、日本人が2度も世界大戦の敗者を
徹底的なGHQからの憲法を変えて「拉致攻撃」をさせないのです。
二度の大戦を変えさせたのは、白人主義であった大統領でした。
私はウクライナで子供も市民を巻き込んだ「原爆」には、
米国の大統領が「プーチン戦争」すら巻き込んでいます。
私の父は、乃木希典の私立中学から、日中戦争と大東亜戦争に
金沢21師団「騎兵」となって7.5年も従軍しました。
父の私立中学はGHQから歴史も抹消されました。それこそ、
橋本左内がソビエトを徹底的に理論的にも戒めた理由です。


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『資本主義からの逃走』
  「あらためて情報と空間・デザイン資産として」


   


     10月 28th, 2010  Posted 12:00 AM

情報という資産
デザインと情報の組み合わせに言及しました。
それは、資本論が登場した時代に資本として、
まったく存在しなかった言葉の「情報」・「空間」という概念が、
今では重要な資本財だからです。
情報という資産は、人・物・金の動勢についての諜報性はありました。
それは、やがて金融資本という要因財の動因情勢に関わりはじめました。
当然、戦争による資本流動は、戦争要因となるイデオロギーと結びつき、
資本論は本来、マルクスやエンゲルスが意図しなかったイデオロギー書となってしまったことです。
私は、資本論は確かに資本主義というイデオロギーや政治経済の基本的なある種の思想書、
そして、経済システムを論理的に示したテキストということは認めています。
しかし、現代はこの資本論で、資本とされた物事に対して、
新たな資本が加わっていることを重大視しています。
資本としての情報・空間・デザイン
それが、情報・空間・デザインだと考えます。
情報という資本が時代空間・地球空間との関係=構造化があります。
この場合の空間は環境と呼び直してもいいかもしれません。
そして、この「情報」・対・「空間(環境)」を、
制御しさらにこの構造化を創出する実務的な営為をデザインと位置づけているのです。
私が「情報空間」といまさらながらこの言葉と概念に拘っているのは、
デザイン対象である資本財だからです。
そしてなおかつ、「デザイン」も資本財であることを主張する上で、
四つのデザイン領域を実務基本学・基本論としています。


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『資本主義からの逃走』
「Media Integrationからアフェレーシスを経るだろう!」


   


     9月 18th, 2010  Posted 12:00 AM

「情勢報告」=情報
「情報」という日本語に向き合ってきました。
いつごろからだったかと考えると、明確には東芝入社時に、
FORTRAN とCOBOLの研修を受けた時からだと思います。
そして、ポストインダストリー=脱工業化社会論は、
ドイツから出版された「意識革命」だったと思います。
そして、情報が森鴎外の邦訳語説に出会いました。
ところが、超有名大学教授から猛烈な「反撃」を受けました。
ちょうど、私が名古屋市立大学教授になった時でした。
驚愕し無論この教授がこのような方だったと愕然とし、私も反撃してこの発言をし続けてきました。
しかし、私はこの反撃が直感で誤りだと感じていました。
森鴎外のクラウゼヴィッツ・戦争論の翻訳・「大戦学理」にある
「情勢報告」を「情報」としていると金沢での第15回日本VR学会で教えていただきました。
しかも、私が講演で「情報は情に報いる」という事自体が大きな過ちだという指摘には
大賛同をしていただきました。
情報が情に報いるなら、表記は「報情」でなければなりません。
しかも、「情」には古代中国の文字定義意味があるので中国古典書定義からは、外れてしまいます。
「情」とは心に中に流れ込むどろどろとした「青」(中国ではこれは黒です)ですから、
人間の策略や謀略を意味します。

apheresis

したがって、戦争での情勢とは戦略の動勢を探って報とし伝達するという意味になります。
そこで、これまで一部で語ってきたのは、「アフェレーシス」でした。
これはギリシア語・aheresis=「分離」を意味しています。
現在、アフェレシスは医学術語で「血液分離」として人工透析などの基礎用語になっています。
そこで、私は、「ユビキタス」=どこでもコンピューターとの対話環境がある、
となれば、「情報の分離」が必須になるということで、アフェレーシスという段階が必至であり、
このステップ経なければならないということを若手ベンチャーの指導者にその話をしてきました。
「情勢報告」=「情報」も分離して、プライオリティが必要だということです。
そこで、「情報社会」ではアフェレーシスが重大になると自信をもって発言します。
私がMedia IntegrationからMedia Allianceへのステップにaphereis、
その分離ダイナミックスが重要になるという提案です。
「戦争論」は資本論にとってもエンゲルスが絶対に参考にすべきと言われた論理でしたが、
クラウゼヴィッツは、「戦争論」を書き上げることはできなかった論理でした。
私は、情勢の分離が知識と意識にどのように影響していくかは、
当時はまだ熟考不足があったものと考えます。
戦争論理でいえば、「孫子の兵法」が見事に言い尽くしているというのが私の判断です。


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『資本主義からの逃走』
 「資本主義の欠陥は、
  資本論の指摘では無くなった」


   


     1月 5th, 2010  Posted 9:00 AM

不満と信頼

150年前の著作を「もう一度」などと言うのは、
はなはだ「時代を読んでいない」と私は思っています。
再度、「資本論」への不満と信頼もあります。
ただし、信頼というのは、1850年当時の発想と論理です。
読み違いをまったくしなかった私の理由は簡潔です。
まず、副題が「経済学批判」であったこと。
この副題は、「批判」です。
「批判」をして、「提案」は何もありません。
デザインの実践者として、デザイン批判は受けますが、
それなら・・・という「提案」はほとんどありません。
そして、マルクスもエンゲルスも、
この書は、「共産主義を構築していく理論書ではない」ことを
完全に否定しています。
ここに私の信頼があります。
さて、150年前の指摘が、現代に当てはまるわけなど、
どこにも、もう見受けられません。

循環

そして、決定的には、彼らが指し示した「循環論」が、
「貨幣」・「生産」・「商品」の循環論です。
私はデザイナーとしては、
「生産」と「商品」に深く関与していますが、
「貨幣」の形式の大きな変貌について前述してきました。
私は「循環」からの視点が無いことが不満です。
「貨幣」は、クレジットカードやプラスチックマネーとなり、
「生産」に、労働による身分格差での剥奪論も底をつき、
「商品」には、意味論=デザインという全体価値があることを
彼らには、予言も予知も予測もありませんでした。
だからこそ、私は、不満と信頼のバランスで、
あらためて、この記述の下敷きにしています。

意味論の創出


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『資本主義からの逃走』
  「資本論の、指摘不足と現代性との剥離」


   


     12月 4th, 2009  Posted 9:38 AM

「資本論」はとても魅力あふれる論理です。
その魅力はマルクスとエンゲルスの才能の成果だと思います。
しかし、私は、「資本論」では、
重大なキーワードでまったく皆無な言葉があることと、
この言葉への深い洞察があってほしかったと思います。

たとえば、「生産」という言葉は重大なキーワードです。
しかし、
「生産」と技術の関係では「設計」の論理が皆無であり、
「精神的生産」という重大な言葉に「安価」な生産、
その記述がありますが、思量不足を感じています。
それはなぜかということになります。
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最近、経済学者や経済評論家の方々は、
とりわけ、日本は「モノづくり」の国家論を喧伝します。
しかし彼らに、
「モノづくり」の根本や経験が欠落しているのですから、
それは「空論」になることは当然です。
私は、「資本論」の魅力を十分に感じるのは、
マルクス、エンゲルスが、結局指摘不足だったことです。
モノづくり=生産にとって、
現代性との剥離を見つけるたびに、
私のデザインを強化することができるのです。
なおかつ、
私のデザインが、必ず、「資本主義から逃走」可能、
そのことを強く認識しているのです。
明らかに、モノづくりには「安価」なモノは必要です。
この「安価」な生産性を「資本論」は、
指摘しているのですが洞察不足過ぎるのです。
その周辺論理への思考は、
「モノづくり」の無経験さが満ちあふれているだけに
私には魅力的なのです。


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『資本主義からの逃走』
 「資本主義、その逃走の基本方程式」


   


     12月 1st, 2009  Posted 7:39 PM

デザイン」は、「問題解決の方法」だとこれまで、
ズッーと私は、一般に、学生に、企業に伝えてきました。
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それも「問題解決」でありしかも「難問解決」なのです。
その唯一の方法だとさえ確信しています。
ただし、宗教ではありません。奇跡は起こせません。
まして、科学・技術・芸術でもないのです。
科学と技術とを接着・融合させるたった一つの方法です。
ところで「科学技術」という日本語は大きな間違いです。
哲学者・中村雄二郎先生は、
「科学」は「分科学」の略語にすぎないと教えられました。
デザインの難問解決という論議から、
問題解決の簡潔な方程式を、
私はデザイン思考の基本と基準にしてきました。

つまり「問題」には、
  ●「話題」=Topics
  ●「課題」=Question
  ●「問題」=Problem
があります。

この解決は、
  ■  Topics – Reply
  ■  Question – Answer
  ■  Problem – Solution
ということまでが、本来の方程式=equationです。

この方程式は、デザインでは次の二つになります。
AlgorithmとProgramです。
そこで、「資本論」のために、
マルクス(数学に関する遺稿集)が、なぜ導関数を
エンゲルスに教えたのかがわかるはずです。
数学的思考は、応答と回答は、
「算数」や「数学」で学ぶことができます。
芸術も、応答的な作品と回答的な作品しかありません。
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本来、「問題解決」・「難問解決」によって「解答」が
創出されるのです。
創出されるから、クリエィティブでなければいけません。
しかも「解答」は美しさが必要です。
私は、「逃走する方程式」はかくあるべきと考えています。
そして、デザインには、
「デザイン数理学」というAlgorithmとProgramが、
「分科学」として「技術」を支え、
造形言語によって美しさが創出されるのだと思います。
「資本主義から逃走できるデザイン」、
その時代を牽引できるデザイナーは限られているのは、
多分、「仕分けられた」才能でしょう。


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