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12月17日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     12月 17th, 2017  Posted 12:00 AM

12月17日 先負(戊寅)

私がデザインしたナイフは、
握ると
手にしっとりとフィットする
というよりも、
多少、
角張った感触が残る。

切られる方だって痛いんだ
という
メッセージをかたちに語らせる。

『プラトンのオルゴール』花鳥風月、風のごとくデザイン


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「オノマトペ=感性評価軸が学術検証された」


   


     9月 23rd, 2015  Posted 12:00 AM

声喩・擬音語・擬態語として
「オノマトペ」の学術論文がようやく査読OK。
これは私が長い間、繊維の性質分類の感性評価軸、
その設定をめざしてスタッフを中心に、福井県織物組合の青年部会と、
擬音語で、布感覚評価をしてきたことを学術的に、
感性工学会に提示してきたものでした。
提案から1年半かかったことになります。
かねてより、繊維・布には七つの手触り感覚での分類がありました。
しかし、数値化不可能であり、プラスチックが金属化をめざしていた、
その手法に触発されて、まず我々はその感性評価の6角形に、
さらに「しなやかさ」を付け加える道具で、
布の手触り感覚評価を随分と積み重ねましたが、所詮、それは、
大人たちの感覚に頼りきっていることに気づき、
保育園児たちに彼らの感覚評価を求めてみました。
「ぬめり」・「しゃり」・「きしみ」は幼児達の語彙には無く、
それゆえに、彼らは頬に押し当てたり、噛んでみたり、嗅いでみたりと、
彼らの五感に布の感覚はまさに新しい擬音語まで突出する有様でした。
これによって「羽二重:HUBTAE」ブランドの
参考見本帳の感性評価軸ができました。
ちょうど同じくして、二つの現象が起こってきています。
ひとつは、ビールCF表現での「ぐびぐび」、「ごくごく」とかを
未成年の飲酒禁止表現でのあり方検証になっています。
またもう一つは、
医学特に、問診でのどこが痛いかを伝えるオノマトペ運用があります。
「ずきずき痛む」、「きりきり差し込む」などは、
患者とドクターとの会話での感覚伝達になりますから、
これをさらに突き詰めていくことで、背中、胃周辺など、
体の一部への痛度評価になるという研究が出現していることです。
このことを大阪大学医学系研究科でも、
痛度の「オノマトペ感性評価軸研究」に
明確に持ち込むことが可能になりました。
地方産業、その繊維の感性評価軸への「オノマトペ運用」は
デザインにおける一つの
それも大きな感性評価が可能だということです。
そのためには、擬音語や擬態語の収集と伝達によって、
これら擬音語が少なくとも三つ重なった時には、
感覚伝達の共有化が必ず叶うのではないだろうかということです。
おそらく「オノマトペ」というラテン語からフランス語になっていった
ことばが感覚伝達をすることは確実になったと思っています。


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『具体化まで、あと一息だ!』


   


     8月 21st, 2014  Posted 12:00 AM

2004年にPKD=Peace-Keeping Designを連載で文章提案しました。
もう随分経過しているかもしれませんが、開発続けています。
低開発国での感染症防止のワクチン接種は、シリンジの開発を続け、
経皮注射だと痛いので、経肺接種なら痛くないからと決め、
ようやく登録も終了したのでその形態を紹介できます。
ワクチンも2種決定し、しかも、遺伝子検査は1ヶ月を5時間、
この医療検査ユニット開発をデザインしその搬送や展開もデザイン、
接種手順にも相当に工夫を込めてきました。
私が、
医療検査ユニットと訴えかけてもう10年になりますが諦めていません。
最近のデザイナーは提案で終わってしまうことに平然としています。
これは許せないどころか実はデザイン才能が無いと断定しています。
「モノづくりが大好きだから・・・デザイナーを」とかいう
そのような若手が本当に多くなってきていますが、
私の断定は、「ヤルと決めたら、まっしぐらにヤルんだ」なのです。
もちろん、私にも出来なかったコトは一杯ありますが、
それは未来に向けても、何らかに残しておきたいと考えます。
私はこれまで、いわゆる大風呂敷を広げることこそ、デザイン。
しかし、その大風呂敷は畳んで帰ることができる大きさにしました。
PKOもPKFも、すべて軍隊的な要素が強く、
それこそ軍事力で世界平和という考え方が時代遅れです。
今日も、一日5000人の子どもたちが死んでいるわけです。
これはジャンボジェット機が10台墜落しているという想像力です。
国内はもちろん、海外でも、PKDのことを語ってきましたが、
ワクチンシリンジ・遺伝子検査・接種システムの具体化デザイン、
これらでPKDを訴求する具体的なモノとコトのデザインが、
もうあと少しで展開ができそうになってきました。
「ヤルときめたら、ヤルんだ!」この決意こそ、
デザインを成し遂げるデザイナーの裁量だと確信しています。

『デザイン都市でのデザイン会議報告』
「シリンジの問題解決・2006年から取り組んできた」
「『危機管理プロダクトデザイン』は先端統合デザイン」


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2月22日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     2月 22nd, 2010  Posted 2:30 PM

2月22日 先負(癸卯)

私がデザインしたナイフは、
握ると
手にしっとりとフィットする
というよりも、
多少、
角張った感触が残る。

切られる方だって痛いんだ
という
メッセージをかたちに語らせる。

『プラトンのオルゴール』
花鳥風月、風のごとくデザイン


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『資本主義からの逃走』
  「資本主義で民主主義を防衛している大きな錯覚」


   


     1月 6th, 2010  Posted 8:00 AM

錯覚

民主主義は、近代市民権で最高かつ最大の理想主義?。
私はそうは思っていません。
民主主義はある意味では、
「無血革命」での勝利成果なのでしょうか。
そうだとするなら、
「革命」は、民主主義の体制下では不可能だと思います。

だから暴力的な「革命」を私は望んでいるわけはありません。
なぜなら
「革命」と「革新」は、まったく意味が異なっています。
「革命」というだけに、「いのち」がかかっています。
「革命」は血が流れて「痛い・苦しい」はずです。
そんなのは嫌です。
「痛い・苦しい」というのは、
私はどれほど体験してきたことでしょうか。
だから、
民主主義は本来、決して、
痛かったり、苦しかったりでは無いはずです。
ところが、人生・生涯には、痛みや苦しみがあります。
それを民主主義が全て解放してくれるわけではありません。



「革命」の革という象形文字は、解体された獣の皮です。
「ピィーン」と張った「革」に刃物を入れることが、
「革命」・「革新」の「革」を表示しています。
私はもう一度、問い直します。
民主主義は語られれば語られるほどの理想主義でしょうか。
絶対に「民主主義」が大きな隠れ蓑になっていると思います。
その隠れ蓑を補強してきたのが資本主義かもしれません。
そろそろ、民主主義が民衆主義を言い換えている、
その事実をあぶり出す必要が私はあるとさえ思っています。
資本主義と民主主義の狭間に常に起こっているのが「錯覚」。

私はこの「錯覚」を見極めてこそ
「美」・「義」・「善」が、
やっと自分の表現に込められると考えています。

美・義・善


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