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Posts Tagged ‘事実’


『車イス設計のために、肌と血液関係!』


   


     3月 28th, 2022  Posted 11:00 AM

私がインテリアに頗る興味は「哀しみのデザイン」での、
自分の車イス設計だったのです。
その時には、人間には2種の人々があるという事実でした。
例えば、酒には「上戸」と「下戸」があるように、
ソファーには背面で、「背もたれ」の素材でした。
自分の背面には、「血液の押し下げが関係」が叶っている。
この事証でした。
肌が押されると、血液が止まって仕舞うと言う人と
肌に血液を押さえない人がいるのです。
その際には、人間工学の2種を確かめるのです。
身障者の座面は80mmの厚さですが、背面を決めています。
級友は「シーティングエンジニア」を語り、人間工学を解放。
私は背中の肌と血液での圧迫度を知っています。
どのようなオッフィス・チェアで「ほとんど」解ります。
それは、腰椎では車イスの設計はありえません。
現代の「Gマーク賞の審査委員長」は
もっと分別をやるべきです。


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5月25日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     5月 25th, 2021  Posted 12:00 AM

5月25日 大安(癸酉)

『観念としてのデザイン』

しかし、この
コンセプチュアリズムは
現代文明を
進化させることは
できたが、
その文明による
功罪の均衡を
崩してしまったことが
明白な
事実となっている。

artificial heart:川崎和男展


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12月3日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     12月 3rd, 2020  Posted 12:00 AM

12月3日 仏滅(庚辰)

『指示としてのデザイン』

こんな事実を
都市の快楽と
呼んでいるのかもしれない。

artificial heart:川崎和男展


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12月1日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     12月 1st, 2020  Posted 12:00 AM

12月1日 友引(戊寅)

『指示としてのデザイン』

欲望が
錯綜した消費社会は
都市に構造づけられた
事実である。

artificial heart:川崎和男展


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6月11日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 11th, 2020  Posted 12:00 AM

6月11日 大安(乙酉)

『文学としてのデザイン』

なぜなら、
デザイン意図で語られる「ことば」と「かたち」の適合性は、
「かたち」の事実を説明するだけでしかなかった。

artificial heart:川崎和男展


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『レストランテーブルの高さに車椅子使用者ゆえ注目』


   


     7月 21st, 2017  Posted 12:00 AM

ようやく気づいたと私は思いました。
これはいわゆる食堂、レストランという建築空間です。
何に気づいたということでしょうか?
テーブルの高さを見てもらえば分かることですが、
通常、日本ではほとんどというかすべからくテーブルの高さは700mmです。
しかし、喫茶店になるともっとテーブルの高さは低いのです。
私はたとえば企業のC.I.などの企業イメージづくりに関わるときには、
特に食事をするテーブルは750mmにすることを薦めます。
理由はとても簡単なことですが、車椅子での使用勝手では当然なのです。
これは京都のそれも米国的な雰囲気を若者対象にしているレストランです。
ともかく京都は外人が多い街であること、
それも在住している白人が多いということに起因しているでしょう。
東京でも一流ホテルなどのレストランはほとんど海外仕様で、
テーブルの高さは750mmですから椅子の高さもそのテーブルとペアです。
このテーブルの高さがなぜ私は気にしているかということです。
それは車椅子使用者にとって、テーブルの高さはとても重大だからです。
正直なところ国内のホテルやレストランで海外と同じテーブルの高さは
全く出会ったことがないということです。
昨夜もユニバーサルデザインやバリアフリーが日本ではサンクションだと、
一応記述しましたが、車椅子生活も40年で、自分の職能からも、
ましてはユニバーサルデザインを自分職能の領域にしていますが、
バリアフリーはほとんど実現はしていないのです。
もっと正確な事実を明らかにするべきかと考えています。

* 『統一、いや統合には四つの分類があるが気づくだろうか』
* 「アイデンティフィケーション、そのデザイン体験」
* 『もし、このデザイナーから学ぶことが無いなら・・・』
* 「C.I.デザインの源流としての思想」
* 「現代的アートが象徴していることは企業革新テーマ」


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『「手・掌を清潔に」するモノとコトのデザイン実務』


   


     7月 15th, 2016  Posted 12:00 AM

「手あるいは掌」をきれいにすること。
手を洗うことは外出したら必ず、これは感染症を防止する日常的な常識です。
ここ数年で、病院はもちろんのこと公の場所や店舗などでも手の消毒剤を
どこでも目にすることができます。
しかし、病院ですら、これを常に使っているのは、
医療従事者、医師や看護師さんは当然ですが、来院者が使っている、
その現場は、自分は常に意識して見てきましたが、ゼロです。
企業の入り口にも必ず設置されていますが、これを使用している人を
全くみたことがありません。
理由は、面倒なこともありますが、何と言っても「手が濡れる」という
この印象が強いからかも知れません。
自分自身は、こうした手の消毒剤を全て使ってきましたが、
高級な消毒剤は、直ぐに乾燥してしまいますが、これではまた、
手を洗うコトと手を消毒するという日常性には大きな隔たりがあります。
自分にとっては、やはり、自動的に手をかざせば、消毒剤が掌に乗り、
それでも水でしっかりと洗い流すことが「手洗い」になります。
わが研究室は「コンシリエンスデザイン看医工学寄附講座」であり、
基本は「完全無菌と抗体保健」をデザイン対象にしています。
無菌に拘れば、身体は弱体化するというこの矛盾への難問解決が、
コンシリエンスデザイン・レジリエンスデザインを実務化する目標と目的です。
したがって、この「手洗い」の革新をこの3年狙って、
「全く新しい日常的な手・掌の清潔」を目指してきました。
この実装は7月28日に正式に記者発表をすることになりました。
これまでも多少、このブログで紹介してきた「動物実験」でのエビデンス、
これは医療関係での学術的な証左事実の確認です。
そしてこれを学術論文として発表をデザイナー自身がやります。
このデザイン実務は明白な「ビジネスデザインモデル」になるでしょう。
そして、こうしたことに次世代デザイナーが向かってほしいと願っています。

*『看医工学へのレジリエンスからコンシリエンスデザイン』
*『デザインはすでにここまでが必然となっている』
*『「パラシリエンスデザイン」でのプライミング効果予測』
*『IoMeTのためのMedical LogとConnect nome』
*『コンシリエンスデザイン看医工学の危機解決対象・MERS』


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『熊本大震災への新たな瓦屋根材のデザイン開発』


   


     6月 28th, 2016  Posted 12:00 AM

熊本の大震災は未だに終息しているわけではありません。
その後も大集中豪雨や、液状化も起こっていますが、
全く報道がありません。
九州大学・崇城大学は熊本現地にて「レジリエンスデザインチーム」を
大阪大学を中軸にして39大学・デザイン系建築系が支援活動をしています。
チームに「全瓦連」からアプローチがありました。
実際に熊本での特に屋根材・瓦の破壊や家の倒壊に関わり、
「瓦屋根材」への大きな見直しが必要になっています。
その前に大雨対策でブルーシートが大量に求められました。
それは悪徳業者によるいわゆるぼったくり販売が横行したのは事実です。
それと同時に、屋根が重ければ住宅の心柱が歪み、倒壊寸前になります。
屋根が軽ければ、あるいは瓦が地震で落下すれば、心柱は残りますが、
天井が破壊されて雨漏り対策が必然となり、ブルーシート張りになります。
それでも、被災者は、火事場泥棒の可能性があることから、
避難所よりも、いつまた地震が来るか分からない自宅で
生活を余儀なくされているのです。
結局、これまでのしかも阪神大震災・3.11東日本大震災を経験しながらも、
「建築基準法」はもとより、
屋根材・瓦構法など全てのやり直しが必要です。
建築だけに任せておけません。
伝統的な景観となっている「瓦」は、震災毎にダメージを受けています。
全く新素材のしかも伝統的な新規屋根材、
実装された「瓦屋根材」がデザインされるべきです。
それこそ、家屋には安全で安心できる住まい、
どのようなしかも連続している地震にも、
明確に耐震性充分な「瓦屋根材」のデザイン開発が
「レジリエンスデザイン」の大きなテーマになっています。

*『壊れてはならないから鄙美人にレジリエンスデザイン』
*『仮設という無能な制度設計の住宅』
*『ソーラーパネルは制度で大誤解をあたえその真実が歪んでる』
*『安政の三大地震・伝承されたこと』
*『石巻市へ『までいProject』の提案プレゼン』


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『コンセプトから逃走してほしい・・・』


   


     6月 17th, 2016  Posted 1:00 AM

おそらく20世紀後半に、人間の思考は、
「コンセプト」に呪縛されてきたとようやく指摘できます。
この言葉は側に「概念」という訳語を
日本語解釈には持っています。
しかし、概念とコンセプト、あるいはconceptについて、
自分はデザイナーとして確かに寄りかかっていたことは
自白しておかなければなりません。
そして、デザインを教育する立場では、
まず、「概念」と「観念」についても、無論、哲学用語からも、
さらには「概念」と「観念」の間にconcept=コンセプトを置いた講義、
それだけでは自分自身が「コンセプト」のまともなあるいは正当な
その定義を確実に伝えたという経験はありません。
もっとも「コンセプト」を多用しているそれこそ、企業の開発、
あるいは大学での研究などにおいても、
「コンセプト学」などは皆無と断言していいでしょう。
したがって、自分が「コンセプト」とは何か?という説明では、
「端的に一言で言い切ってしまえる印象」ということが
的を得ていると一応思ってきました。
でも、これすら自分のデザイン活動の中で大きな疑念がありました。
特に大学人になってから、それこそ一流の学者たちが、
日常的に多用している「コンセプト」ということになると、
この疑念は明白に、思考的、哲学的、科学的な
「大間違い」であると言い切れるようになりました。
例えば、
黒というコンセプトと白というコンセプトと言い切った場合、
「コンセプト」で語られた白であれ、黒であれ、
印象の曖昧さしか残っていないということです。
断言すれば、黒は全てを飲み込み、いや包含していて、
白は反射して、概念でも観念でもありえない事実でしかありません。
かねてより、「観自在」に委ねられた人間の発想・着想、そして思考には
もっと連綿とした対立や対比が「ライン」で連続しているのです。
「コンセプト」を早く捨てることを推奨します。

*『空間へのdolly的な隠喩性という手法』
*『デザインのようなデザインという大誤解の現実がある』
*『造形デザインがレジリエンスデザインを具体化解答』
*『照明の文化論としての陰翳礼讃』
*『「パラシリエンスデザイン」でのプライミング効果予測』


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『「機能」と「デザイン」=日本文具大賞の審査基準』


   


     6月 11th, 2016  Posted 12:00 AM

「日本文具大賞」は25回目になるそうです。
自分がこの審査委員長になってから受賞作品は「必ず」大ヒットします。
そのこともあってか、毎年応募点数が増え続けています。
この時期は前後して「Ship of the Year」の審査もあります。
船舶業界は例年に無く大不況であり、日本の造船や漁業界は国際法変更で
日本苛めが相次いでいます。
この審査は各社のプレゼですが、
審査委員の厳しい検証には応募企業は答えるのが大変だと思います。
変わって、文具関係の審査は日常性があるのですが、
今回は応募点数が多くてその中での受賞作対象はwebsiteでも検証しました。
さて、この審査には
「機能部門」と「デザイン部門」をあえて分けています。
審査委員長として明確に分けておきます。
「機能部門」というのは、
デザインといえば機能ということではありません。
モノとしての性能、その進化性を見て、
社会的に存在する効能が備わっているかがまず選別対象です。
では「デザイン部門」はというのは無論、
機能性=性能+効能の基準をこえ、
さらに「美学的な解決」までということを見ます。
残念ながら
デコレーション=装飾がデザインという思い込み企業が多いこと、
これはデザインに対する誤解がまだ残っているということです。
したがって、それなら「デザイン」は統合的とすみ分けますが、
機能部門はデザインの統合性でも性能と効能の技術進化を見ています。
したがって、企業は両部門に応募されることが多いのも事実です。
この審査は7/6に「国際 文具・紙製品展」にて
グランプリと受賞作が発表です。
今年も必ず、受賞作は「流石に日本のモノづくり」として、
極めて日常的な手元でのふれあいが確認できるでしょう。
そして、この審査での「デザイン」「機能」を
改めて検証していただきたいと思っています。

*『売れるより売る文具大賞グランプリ』
*『日本文具大賞審査=受賞すれば、必ずヒットする!』
*『ISOTでの勘違いを発見』
*『2012『日本文具大賞グランプリ』は書くことの再確認』
*『わが国の展博・コンベンションデザインは遅れている』


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