kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘家’


『電気自動車には長い文化が必須でしょう』


   


     11月 14th, 2019  Posted 12:00 AM

かつて3億円の研究開発費をかけた電気船舶船が
海洋大学で開発され「Ship of the Year」で賞を受賞しました。
この開発はやがて電気自動車として、
しかも普及を目指した価格帯300万円程度で一般化されると
聞いていたのが何年も前でした。
電気船舶船は、絶対に海水が入ってはいけない機関室でも、
大丈夫であり、
電気船舶の漁船が日本漁業を進展させると私は思っていました。
最近では、日本のモーターショーの来場者が
280万人が7万人/日となり、
海外からの出展メーカーが撤退、
自動車産業の行く末を案じています。
が、おそらく、自動車産業の確かなコストダウンは日本産業の
大きなリエンジニアリングだと思っています。
今では、若者が「自動車に興味が無い」ということも
時代の変遷なのです。
自動車だけでなく、
家、服、モノへの欲がない、悟り世代とも言われています。
モノを所有しない「シェアの時代」、
自動車がやがては「シェアカー」になるでしょう。
ただし、私はこだわりのガソリン車で人生が終わるでしょう。
なぜなら、文化が確実にあるのです。


目次を見る

『京都に隠れ家あり』


   


     10月 24th, 2017  Posted 12:00 AM

京都は私にとってはやはり日本の代表都市だと思います。
東京は私には首都と言っても時代流行の軽薄な都会でしかありません。
日本の文化を支えてきたのは、越前=福井県と美濃=岐阜県であり、
これが文明を伝統化して文化を支援したというのが私の信念です。
なぜなら、京都も奈良も、根本的な文化を支えてきた労働の里=鄙は、
福井県と岐阜県であることは間違いありません。
なぜなら、刀剣、和紙、漆器、陶器は、この二つがあればこそです。
私の母方は、宮大工でありそれは紀州から京都に住み、
関ヶ原にて秀吉と家康に分断され、負けた一族は逃げて越前のもっと鄙に
隠れ住むことでした。
奈良には「お水おくり」があり、京都には「鯖街道」があるがごとく、
都文化を支えていたと言い切れます。
そして私自身、ワイフは京都生まれ京都育ち。
よって、毎月、映画を観ることにして京都には滞在します。
私は身しょう者対応が出来ているのは、日本では京都と金沢であり、
それがなんとも文化を最もシンボル化していると判断しているのです。
そして、これは京都の隠れ家でもあり、スタッフに先般、初めて見せました。
正直、私は家という住処意識は全くありませんから、
これは私の一応隠れ家ですが、ほとんどがいずれはワイフの住処でしょう。
この家の設計は友人の作品でもありますが、
手づくり感を大事にする友人建築家と工業製品感が当然という私、
この対立は、設計から施工にあたって大変な論議をしたものです。
この家が建つ前には、ほとんどが空き地でしたが、
今ではすっかりと住宅地になっていますが、
造形的には平屋建てのたたずまいは美しいと思います。
私は建築デザインよりも工業デザインがどれほど繊細で難しいかを存分熟知。
日本の住宅建築は、工業デザインが主体であるべきと思っています。
だから日本の住宅建築で最も軽視されてきたのは、
耐震性や土砂災害であり、それ以上に、
すべての住宅にはシェルターが必須だったことです。
「家」のパターン・ランゲージで言えば、
日本の住宅には絶対にあらゆる自然災害と防衛としてのシェルターは、
本当に大切だったと今は特にそう思います。

* 「スイス政府防災マニュアルは憲法の具体解説」
* 「青い空は動くのです、しかも晩夏の空にアラート不要」
* 『観光都市はエスノセントリズムから解放されること』
* 「車とエレベーター」
* 『「森羅万象悉く紙なり」とは神と死に直結している』


目次を見る

『熊本大震災への新たな瓦屋根材のデザイン開発』


   


     6月 28th, 2016  Posted 12:00 AM

熊本の大震災は未だに終息しているわけではありません。
その後も大集中豪雨や、液状化も起こっていますが、
全く報道がありません。
九州大学・崇城大学は熊本現地にて「レジリエンスデザインチーム」を
大阪大学を中軸にして39大学・デザイン系建築系が支援活動をしています。
チームに「全瓦連」からアプローチがありました。
実際に熊本での特に屋根材・瓦の破壊や家の倒壊に関わり、
「瓦屋根材」への大きな見直しが必要になっています。
その前に大雨対策でブルーシートが大量に求められました。
それは悪徳業者によるいわゆるぼったくり販売が横行したのは事実です。
それと同時に、屋根が重ければ住宅の心柱が歪み、倒壊寸前になります。
屋根が軽ければ、あるいは瓦が地震で落下すれば、心柱は残りますが、
天井が破壊されて雨漏り対策が必然となり、ブルーシート張りになります。
それでも、被災者は、火事場泥棒の可能性があることから、
避難所よりも、いつまた地震が来るか分からない自宅で
生活を余儀なくされているのです。
結局、これまでのしかも阪神大震災・3.11東日本大震災を経験しながらも、
「建築基準法」はもとより、
屋根材・瓦構法など全てのやり直しが必要です。
建築だけに任せておけません。
伝統的な景観となっている「瓦」は、震災毎にダメージを受けています。
全く新素材のしかも伝統的な新規屋根材、
実装された「瓦屋根材」がデザインされるべきです。
それこそ、家屋には安全で安心できる住まい、
どのようなしかも連続している地震にも、
明確に耐震性充分な「瓦屋根材」のデザイン開発が
「レジリエンスデザイン」の大きなテーマになっています。

*『壊れてはならないから鄙美人にレジリエンスデザイン』
*『仮設という無能な制度設計の住宅』
*『ソーラーパネルは制度で大誤解をあたえその真実が歪んでる』
*『安政の三大地震・伝承されたこと』
*『石巻市へ『までいProject』の提案プレゼン』


目次を見る

『ツバメの巣、それが福祉の象徴です』


   


     6月 4th, 2016  Posted 12:00 AM

忘れていた自然界の素晴らしさを美大時代の同期から
写真がFBにアップされていました。
写真掲載OKをもらって、しみじみと思い出しています。
この季節、渡り鳥がやって来て、巣を造ってくれます。
すっかり、この風情を忘れていました。
ツバメがやってきて巣を造ってくれるのは良いことが起こるという
こんな話が今ではすっかり忘れられていますが、確かに同期は金沢。
福井にいたときに、あんな所に巣を造っている、と驚いて、
そうか、ツバメも新素材の接着剤を見つけたんだ。
でなければ、出来るワケがないと思い出してしまいました。
本当に今では見ることができないどころか、
ツバメの巣造りを嫌うことが出てきたとすら聞きます。
とんでもないと思います。
ツバメは毎年やって来て、巣造りをしてもらえる家には
福をもたらすと言われていますが、
これは真実です。
祖母から聞かされていた話は、ツバメがこの季節にやってきて、
彼らは最高の居場所だからこそ巣を造るのです。
自然の摂理を家に当てはめているのです。
巣は安全で安心できる場所を見つけているからです。
もし、ツバメの巣があれば、その家には「福」が舞い込んでくるのです。
母の実家、父の実家にもありました。
福井に戻った私が見たのは、全く新しい建築資材がその巣にあったとき、
アレは新しい巣を造る素材と方法を編み出したと思ったものでした。
自然が見いだす最高の居場所は、もう都会にはありません。
しかし、ツバメの巣こそ、豊かさの象徴だと思っています。
北陸には、「福」がやってくるその豊かさがまだまだ残っていると、
とても安心した風情を美大時代の同期が思い起こしてくれました。
連日、仕事に追いまくられていますが、
そうだ、やっぱり日本には自然からの「福」があるのです。
それこそ、福祉とは、神様が富を壺に詰め込んでやってきた、
その証に、膨らんだ「福」と
その足跡=祉を残すことです。
福祉とは、まさに、ツバメの巣こそ、その象徴だと思います。

*『日本が貧乏になっていく、と思うのは・・・』
*『金沢美術工芸大学の大阪での大学大同窓会』
*『端午の節句だが、かつての日本の田舎が豊かだった』
*『「福祉車両」とは決して言ってはいけない車』
*『安全と安心・デザインの不在か非在か』


目次を見る

『端午の節句だが、かつての日本の田舎が豊かだった。』


   


     5月 6th, 2016  Posted 12:00 AM

北陸・福井生まれの自分にとって、端午の節句には
幼い頃の強烈な思い出が残っています。
端午の節句飾り・チマキ・菖蒲の湯の香りです。
チマキもすでに京都の日本風スゥーツ?になっていますが
全くのインチキだと思います。
というより、田舎の方が豊かだったと思います。
幼少の頃は祖母が大釜でチマキを大量に茹で上げていました。
もう一度食べたいと思い出します。
その大量のチマキは宮大工大棟梁一族全てに配るためであり、
台所が大騒動であったことや、きな粉の香りが今も残って居るほどです。
そして菖蒲の湯のために職人さんが菖蒲の俵巻きを
荒縄でいくつもつくっていました。
高校生になっても、それは家に届いていました。
そして、何と言っても、端午の節句のお飾りは、
最初の外孫であったために、ミニチュアの弓矢や刀がありました。
残念ながら飾りの弓矢などは水害で無くしましたが、
刀といっても小刀は残っていて、
しかもそれは本物でありそれほどの切れ味ではありませんが、
小学生の頃は、山で遊ぶときには有効な刀になっていました。
端午の節句、その直前には、父の日本刀の手入れを離れて観ていました。
その時に日本刀の手入れや、
菖蒲の俵巻きの方法などは習っておくべきでした。
すでに端午の節句での鯉のぼりや5月飾りなどを見ると、
あたかも日本の伝統は、お土産物や観光の小道具になっています。
それは伝統文化を商業的に利用しているだけの、
きわめて「貧しい継承」だと思ってしまいます。
日本の伝統継承が貧しくて、
余程、昔の田舎の方が豊かだったと思います。

写真は私の自宅:マンション(集合アパートの玄関飾り)

*『最近見なくなった竹藪、その思い出』
*『享保の手帖から私が学び直したこと』
*『* 夢の大きさは、祖父への約束 *』
*『大風呂敷という喧嘩手法、その肝心要』
*『なぜ、あえて「日本刀」と呼ばれたのか?!』


目次を見る

「位相空間で『ドッグボーン空間』という想像力」


   


     5月 6th, 2013  Posted 12:00 AM

トポロジー=位相空間という訳語に違和感がありました。
米国のRH Bingは、そのトポロジー的な対象を
様々に考え出しました。
彼のビイングズ・ハウスという、
二つの部屋がある家と名付けられた空間の家があります。
これは図で見ていても、その証拠立ては難しいと感じました。
この感覚に、いわゆる漫画的には、ドッグボーンがあります。
これは空間に穴が空いていますが、その穴のある空間の内部に、
さらに、ランダムなパイプがあるわけです。
そこで、これを「光造形」出来ないだろうか、
ということを名古屋市立大学時代に、
当時のEWSで試みました。
しかし、この形態が出来たのはたった一人でした。
あくまでも、RH Bingのトポロジー思考対象でしたが、
「ドッグボーン」という印象がまったく無くて、
それなら、まさに漫画に登場する形態にしたいという想い、
その想いをかなえるには、本当に、まず空間があるべきです。
それなら、「光造形の途中で、水を入れる」という無茶です。
そして、その水の中にパイプがあるわけです。
これが出来たのもたった一人しかいませんでした。
この二人が苦労したのは、
当時すでにEWSでは、
あるソリッドな空間を支えるサポートまで出来てしまうのです。
そこで、この二つのモデルも、
中空の中のパイプはソリッドです。
正直、このパイプ内を空洞にすることは出来ていません。
しかも、位相空間の「ドッグボーン空間」ですから、
デザイン的には、空間の中にある形態・言語・空間が造形。
私のイメージは、そこから「トポロジー」的な思考を空間に、
あるいは言語にしていく装置として、
空洞に穴があっても、その空洞にまた空洞のパイプが出来れば、
そんな想いが今、3Dプリンターの素材そのものに、
新たな期待があるのです。
それが「出来れば」!・・・
コレが可能になると想像しているのです。


目次を見る