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Posts Tagged ‘豊か’


11月3日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 3rd, 2021  Posted 12:00 AM

11月3日 先勝(乙卯)

『下学としてのデザイン』

物質文明と
情報文化の
日常的な接点で、
私たちの生活は
本当に
豊かで
潤っているのだろうか。

artificial heart:川崎和男展


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1月6日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     1月 6th, 2021  Posted 12:00 AM

1月6日 先負(甲寅)

『修景としてのデザイン』

さらに情景的には
人間の情感を
豊かにする方向を
見失わせている。

artificial heart:川崎和男展


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『かっての日本の行事やモノやお菓子には文化があった』


   


     7月 17th, 2019  Posted 12:00 AM

本来は端午の節句に「ちまき」は配られています。
ちょうど今、祇園祭りで「ちまき」が圧倒的に売れ、
同時にネットで転売されているというニュースが出ていました。
祇園祭の「ちまき」は笹の葉で作られたお守り、
疫病と災難除けに効果があるとされています。
それを見ながら、私は母方の祖母が、
とっても大きな鍋でちまちを巻いていたことを思い出します。
この時期、京都の和菓子のちまきを食べたとき、
これは絶対に私の知るちまきではないと言い放ちました。
それこそ現代では、行事、節句の中でも消えつつあるモノ、
消えたモノがあります。
たとえば、油団(ゆとん)、
これは福井の夏のしつらえ、和紙に荏油を塗り込んだ敷物でした。
蚊帳なども、今ではすっかり使われていません。
が、この蚊帳の目がとても気持ちがいいのです。(床ずれなど)
昔、祖母がやってくれていたことがとてもいい思い出であり、
福井での日々の暮らしがとても豊かだったのだと感じる一方、
日本は随分と継承してきたモノやコトを捨ててきていると思います。
そういう意味では、
小中学校での思い出の「日本の文化」が消えているのです。
合理化や利便性を追い求めすぎた代償は大きく、
未来づくりを担うデザインも、単にモノづくりがコトづくり、
翻って、コトがモノづくりだとする一辺倒のストーリーは
再考、再構すべきです。


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『端午の節句だが、かつての日本の田舎が豊かだった。』


   


     5月 6th, 2016  Posted 12:00 AM

北陸・福井生まれの自分にとって、端午の節句には
幼い頃の強烈な思い出が残っています。
端午の節句飾り・チマキ・菖蒲の湯の香りです。
チマキもすでに京都の日本風スゥーツ?になっていますが
全くのインチキだと思います。
というより、田舎の方が豊かだったと思います。
幼少の頃は祖母が大釜でチマキを大量に茹で上げていました。
もう一度食べたいと思い出します。
その大量のチマキは宮大工大棟梁一族全てに配るためであり、
台所が大騒動であったことや、きな粉の香りが今も残って居るほどです。
そして菖蒲の湯のために職人さんが菖蒲の俵巻きを
荒縄でいくつもつくっていました。
高校生になっても、それは家に届いていました。
そして、何と言っても、端午の節句のお飾りは、
最初の外孫であったために、ミニチュアの弓矢や刀がありました。
残念ながら飾りの弓矢などは水害で無くしましたが、
刀といっても小刀は残っていて、
しかもそれは本物でありそれほどの切れ味ではありませんが、
小学生の頃は、山で遊ぶときには有効な刀になっていました。
端午の節句、その直前には、父の日本刀の手入れを離れて観ていました。
その時に日本刀の手入れや、
菖蒲の俵巻きの方法などは習っておくべきでした。
すでに端午の節句での鯉のぼりや5月飾りなどを見ると、
あたかも日本の伝統は、お土産物や観光の小道具になっています。
それは伝統文化を商業的に利用しているだけの、
きわめて「貧しい継承」だと思ってしまいます。
日本の伝統継承が貧しくて、
余程、昔の田舎の方が豊かだったと思います。

写真は私の自宅:マンション(集合アパートの玄関飾り)

*『最近見なくなった竹藪、その思い出』
*『享保の手帖から私が学び直したこと』
*『* 夢の大きさは、祖父への約束 *』
*『大風呂敷という喧嘩手法、その肝心要』
*『なぜ、あえて「日本刀」と呼ばれたのか?!』


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8月19日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 19th, 2014  Posted 12:00 AM

8月19日 壬戌(赤口)

人間の未来は、
「死」である。
生きていくことは
死んでいくこと。

だから、生きていく未来を
私たちは「豊か」にすることでしかない。
その「豊か」さは、
死んでいく毎日に、
その豊かさを
懸命に積み重ねていくことしかない。

「川崎和男 強い人弱い人」


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「日本が貧乏になっていく、と思うのは・・・」


   


     8月 23rd, 2012  Posted 12:00 AM

私の移動、その大半は飛行機です。
そして、プレミアムシートでは軽食が出ます。
その軽食の種類、量、
パッケージが段々とコストダウンをしていくのを見ると、
「貧乏になっていくなー」と感じます。
敗戦後、日本は「豊かな国、国民になろう」と考えました。
結果は、貧乏だというのはお金が無いこと。
お金があれば「豊かになれる」と思ったのが、気がつくと、
それは「豊かさ」とは全く違うことがやっと分かったのでしょう。
最近は、格安航空券ブームです。
したがって、この軽食の質も格段にコストダウンをしています。
シャンパンがまずブランド品から格下げになり
スパークルワインになりました。
最も明解なのは、ファーストクラスの食事など、
「これが?」というほどになっています。
無論、それは一部のことだと言えますが、
「貧しい」ことの解釈が「豊かさの勘違い」を引きずったままだからです。
航空機会社ではファーストクラスを廃絶したところもでてきました。
世界的な傾向でしょうし、
それがスタンダードになっていくのだと思います。
私には未体験ですが、客船でも1等客室も2、3等客室でも、
食事は平等になりつつあり
それなら3等客室で十分という話を聞いたことがあります。
つまり、「貧乏」というのは、
「贅沢」との格差、その感じ方だと思います。
「贅沢さ」=「豊かさ」ではありません。
「貧乏」=お金が無いことではありません。
今、私たちに問われているのは、可処分所得の高低が貧乏さを決定したり、
贅沢・豊かさ・貧しさ、ということへの、
自分自身がどのレベルで「心」を満腹に出来るかということです。
ちなみに、「心」とは武士道では「腹」にあり、
よって、「切腹」とは、
腹の清らかさを確認する自死行為だったということです。
だから「腹づもり=心構え」こそ、
貧乏も贅沢も切り捨てた美学だと思っています。


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「甲殻類アレルギーでも、蟹は食べる!」


   


     11月 28th, 2011  Posted 12:00 AM

幼稚園は転園1回、基督教系から仏教系へ。
悪さが過ぎて転園しなければならなかったらしいのです。
幼稚園から小学校4年まで、
この季節になると、必ず絶対におやつは「越前蟹」。
セイコガニでした。
魚屋さんの前を帰宅時に通り過ぎると、
必ず呼び止められて
セイコガニを一杯(一匹)もらえるのです。当時は50円?
鳥取ではマツバガニ、加賀ではコウバコガニと呼ぶ、
日本海のズワイガニの雌種です。
最近は生息量の激減種ゆえにとても高額商品になっています。
しかし、ふるさとから必ずこの季節には送られてきます。
たった2ヶ月しか食べられません。
京都生まれ京都育ちのワイフも大好きなので、
蟹の季節は待ち焦がれています。
ところが5年前に、多分ですがICD(埋め込み型除細動器)手術後、
私は甲殻類アレルギーになってしまいました。
それで蟹なら、呼吸困難になるほどの症状。
でも今年は、アレルギー時の薬で一応最初に予防をして食べました。
大冒険!、大丈夫でした。酒もふるさとの「一本義」です。
「黒龍」もなかなかです。
さて、お酒・アルコールも心臓のために飲めない体になりました。
しかし、もういいでしょうということで最近は飲みます。
父方も母方も酒には強い家系です。
二日酔いにならないほどです。
ついでに両方とも絶対に禿げずに見事な白髪=銀髪になります。
いとこ達に禿げ頭はいません。これも幸運ですが、
甲殻類アレルギーは不運きわまりないことです。
今年は思い切っての冒険、自分なりの予防で食べ呑みました。
ひょっとすると先般2台目のICDの手術でOKになったのかもしれません。
まったくアレルギーを回避することができました。
ともかく「やっぱりセイコガニは最高」です。
新嘗祭が終わりました。勤労感謝の日となってしまいましたが、
この日をもって新米=コシヒカリ=福井原産が食べられるのです。
おいしいものがいっぱいある故郷をもって幸運でした。
ただ、悲しいかな、セイコガニは、
越前産には必ず黄色のラベルがつけられるのです。
ブランド表示と言えばそれでいいのでしょうが、
日本海が汚れていることの指標でもあるのです。
日本人は、「物質社会で豊かさを失った」と言われますが、
この黄色のラベルも「豊かさを失った証明」なのでしょうか。
私は「物質的なことも豊かでなければならない」と思っています。
自然からの恵みも豊かでなければなりません。
本当の「豊かさ」って、まだ言い切れません。

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『資本主義からの逃走』
    「 富の分配は『豊かさ=審美性の共有』にあらず」


   


     9月 5th, 2010  Posted 12:00 AM

本当に豊かな時代はあっただろうか
日本が豊かだった時代は本当にあったのでしょうか?
私はもう一度、この探索をし直すべきだろうと思います。
少なからず、戦後の高度経済成長から、
日本の奇跡と呼ばれ「Japan as No.1」の時期はありました。
現代の若い世代には、そんな時代イメージはTVの中での一シーンにすぎません。
私自身、社会人になってすぐに「オイルショック」・「バブル」・「円高」・
「リーマンショック」、そしてまた「円高ドル安」でした。
私にとっては昭和30年代(小学時代)が「豊かな時代」だった気がします。
それは「貧しい時代」だったのです。モノには全く多種多様性はありませんでした。
価値感にも多様性はありませんでした。
だから、モノを大切に大事にしていた時代だったことは確かです。
私は、畳もなく、ガラス窓の無い住宅に友達が住んでいたことを思い出します。
しかし、「笑い声いっぱい」でした。
確かに「イジメ」もありましたが陰湿ではありませんでした。
喧嘩も充分にしましたが、ナイフを使って級友を刺殺することなどはありえませんでした。
豊かさの核心=審美性
敗戦意識は、「貧しい」という観念をすり替えられたと思います。
「貧しいこと」からの脱出は、
「お金持ちになる=豊かになる」という意識が入り込んでしまったのです。
この大きな勘違いが、現代アジアに根付いています。
日本が真の「豊かさ」をガラパゴスという批判から再構築する立場だと考えます。
したがって、高級=高額であり、高級感は高額なモノにある審美性ではありません。
極貧なれど「美」を生み出そうとしている芸術家、
芸術家は極貧ということも当然だった時代がありました。
私が美大を選んだ時には、「食べていけるのか?」という評価が一般的であり、
美大は道楽学校だったのです。
デザイナーは芸術家でも無いだけに、美大進学は進学校での信頼は皆無でした。
これは今なお、デザインは決して芸術的印象はあっても、芸術的価値として評価はされていません。
「豊かさ」の核心にある「審美性」、
あらためてデザインが創造する「デザイン審美性」の創出を私はめざしたいと考えています。


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