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Posts Tagged ‘コードネーム’


『無謀であっても「挑戦」することが大事だ』


   


     4月 3rd, 2019  Posted 12:00 AM

若いときは無謀だったかも知れません。
しかし、無謀だったから、私はApple社CEO ジョン・スカリーに直接、
デザインコンサルティングを申し出ました。
当時、提案したモックアップには「虹色」のAppleマークを使いました。
デザインのモックアップは、私も所有しています。
今もその時のApple社プロデューサーとはFacebookでつなっがっています。
今のiPadに繋がるインタラクションが完成していました。
ただし、「ポップ・アップメニュー」は使われていません。
コードネーム、「スイトピー」と「ポパイ」は、
両サイドが赤と緑の特徴的なハードウェアデザインで、
20年経った今のゲーム機でその形態は継承されているように思います。
また、モニターを制御するリモートコントローラーは、
ボタンがいっぱい並ぶようなリモコンとは異なり、
4つのボタンと1つのトッラクパッドで全て対応可能でした。
今になって思うのは、英語ほど簡単な会話もありません。
男性名詞・女性名詞で、動詞も変わることなどもありません。
70になり再びフランス語を始めたので、そう感じます。
でも、「挑戦をする」と言う意味では、
私の無謀さは良かった思っています。
死んでいくときには「挑戦しなかった」ことは
「挑戦をする」ことより心残りです。

コードネーム

リモートコントローラー


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『ランドセル廃止を進めるべきだ、新しい学習鞄が必要』


   


     7月 24th, 2017  Posted 12:00 AM

小学校も二つ、中学校も二つ転校しています。
足羽小学校ではランドセルでの思い出は足羽山をよく登って下校、
だから山で栗やら石を詰めて帰宅。
武生西小学校は、目の前の学校だったから、
ともかく小中学時代は教科書は学校に置いて帰っていました。
でも、予習復習は何にも苦無くやっていたと思います。
高校時代は英語と世界史の教科書しか入らないほど最も薄くて黒い牛革鞄。
やはり教科書は学校に置いていたと記憶しています。
現在、ランドセルはすごくカラフルであり、海外ではkawaii鞄とか。
先般も大きくて立派なランドセルを背負っている低学年の女生徒を見て、
ランドセル、大きな肩掛け鞄、手提げまで持っていてかわいそう過ぎます。
もう、iPadとランチボックスでいい時代。
学校に行くには、iPad程度で十分の時代だと思っています。
確か、FBでも友人で社長だったY氏が、
米国の子どもたちの学習がすべてiPad。
これでは日本はもう相当に遅れると投稿していました。
かって、Apple 本社でコンサルだった頃には、
Sweetpea、Popeyeなどコードネームプロジェクトに参画していました。
特にJeepというコードネームのパソコンは生徒や学生向けでした。
ジョンスカリー退社(政治的な理由)で、七つのプロジェクトが全部中止。
今となるとよく40そこそこで、クパチーノと福井へ行っていたと思います。
日本はバブル真ん中の時代でした。
ともかく、ランドセルの市場は大きいかもしれないけれど、
最早とても時代遅れの教育用品だと私は断言しておきます。
AI、 AR、 VR、 IoT、への教育プログラムは、今の教員には、
とても無理でしょう。あのランドセル廃止を進めるべきです。

* 『開発コードネーム・Popeyeからの拡大』
* 『Sweet-peaからPopeyeの最終モデル開発までのこと』
* 『メディア・インテグレーションを追いかけた経験作品』
* 「コンピュータを強く認識したときの人物と試作デザイン」
* 『盤という人類文化にAI相手は無意味である』


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『GRiD社キーボード位置をどう乗り越えるかだった』


   


     12月 29th, 2015  Posted 12:00 AM

1984年は私にとって一つの大きな区切りの年でした。
それはAppleからMacintosh 128kが登場したことでした。
それまで、Apple?やコンピュータに興味をもちながらも、
このコンピュータの登場は、やがて私がこのパーソナルコンピュータに
それも深く関わっていく起点の年であったことです。
国内の企業にいくつか関わり、
その愚痴をApple Japanでこぼしていました。
「川崎さん、米国に行くべきです。Apple社を紹介します」。
そして私はオレンジとブルーのMindTopを持ってクパチーノに行きました。
「プリエ方式」という二分されたノートブックスタイル、
「Big Blue」を引き離すという意味、
これは当時、IBMを指すスラングでした。
私が驚いたのは、GRiDがクラムシェル型という手前にキーボードで
マグネシウム合金筐体=これはMoMA最初の携帯PCの登場でした。
これは友人・故ビル・モグリッジのデザイン。
キーボード位置は完璧な特許でした。
A:「なぜ、君のはキーボードが奥にある?」
K:「GRiD特許は避けないといけないのです」、「なるほど」。
A:「なぜ、トラックボールが手前で中央?」、
K:「マウスを裏返した造形です」。
沈黙の後に、私はコードネーム「ASAHI」を見せられました。
CEOジョン・スカーリーとアラン・ケイの前でのプレゼでした。
それからの闘いは、デザイン部門と技術部門の激烈な闘いの連続。
世界で最初のPowerBook100を生み出す現場で、
東洋人とWASPの闘いの中での日々でした。
福井でのデザイン活動は、「メディアインテグレーションの具体化」、
七つのプロジェクト=東芝との共同開発を抱えていました。
シャープとのNewton開発帰りには、メンバーが福井で打ち合わせ。
呼び出されると、私はクパチーノに出向いていました。
東京はちょうど「バブル経済のど真ん中」であり、
私には東京は狂っているとしか見えない情況。
福井 – クパチーノ、クパチーノ – 福井でのプロジェクトが
すべて中止になったのは、ジョン・スカーリーが、
クリントン大統領就任とともに、Apple社退任になった時でした。
DeskTop→LapTop→ PalmTop、だからMindTopという論理は、
金剛界曼荼羅が思想背景が明前とあり、
曼荼羅論はすでにスカーリーはすべて理解してしまっていました。
東京で会い、箱根でも打ち合わせが連続していました。
私の「Go a head, make my Apple!」が
プレゼンテーションではもの凄く受けました。
私のMindTopは、意匠権は20年で消滅しましたが、
この図面は、私の作品集で著作権となり、
国内雑誌にも特集、TVでも紹介されました。
GRiD社のキーボード配置は、
その後の技術でキーボード仕様は大きく変化。
今や、手前にポインティングディバイスで、
キーボードは後方が当たり前になりました。
PCの技術進化はクパチーノの現場での詳細な経験は深い思い出。
未だに、私のコードネーム=Jeepは実現されていません。


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『若手デザイナーの海外個展を応援する』


   


     11月 9th, 2015  Posted 12:00 AM

私が自分のデザイン活動をようやくニューヨークで
発表したのは30代中頃でした。
それは、いつか、海外で発表をと思っていた時期に、
米国のギャラリーからも誘いをいただきましたが
資金もなくて1年間待ってもらった経験があります。
そしてニューヨークでの個展から、
ようやく私も海外での仕事ができるようになりました。
日本がバブル経済で東京が浮かれているのを私は見ていて、
何か、変だと思っていたときは、
Apple本社でいくつかのコードネームでデザイン提案をしていました。
だから、最近は、次世代デザイナーの一部の
海外での活躍ぶりには目を見張るものがあります。
しかし、海外での日本人デザイナーの仕事は、
明確にはっきりとしつつあることが起こっています。
海外でのアドバンスデザイン展でのプロトタイプをコピーし
まさに盗作。
この情報も私には届いていますが、
先般の盗作問題もあり、
私はこうしたことが一般化することを反対しています。
これは正当な海外進出ではありませんから、
やがて国際問題にならないことを願いますし、
この事実は黙秘せざるをえません。
しかも海外評判を国内に逆輸入しているデザイナーには呆れます。
それを助長しているマスコミには大きな疑問があります。
国内の雑誌などで、いかにも国際的活動だという取材を見ると
残念でなりません。
しかし、このところインテリアデザインを主体に活躍している
Yasumichi Morita氏が、今度はインテリアを超えて、
写真家として、しかも写真表現そのものを
モノづくりに向けて、パリで発表することを以前から聞いていました。
丁度、パリには行こうと考えていた時期と重なり、
その個展を見にいくつもりです。
欧州には、教え子たちが何人かいます。
フランスにはインターン生だったフランス人もおり、
彼の仕事ぶりが心配なので会ってこようと考えています。
また、教え子たちでも車関係・カーデザイナーを目指す子は
企業留学しています。
私の時代、何も分からずに米国から出発しましたが、
最近は、なんとか次世代のデザイナーに
私に出来ることはないかということを自分に求めています。
なにしろ、最近は海外を目指す若者が減少しているだけに
そのことが不思議でたまりません。
Yasumichi Morita氏の国内外の仕事は、かえって海外での評価が高く、
そうした仕事は、海外からの依頼かと思っていましたが、
すべからく自分でそうした仕事を求めて行くという勇気を
私は絶賛しています。
彼がパリで、写真家、そしてそのデザイン応用の個展は
ほとんど国内で宣伝をしていませんが、
私自身、その個展を見てくるつもりです。
幸い、教え子たちにも会えそうです。


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『英文の日本文化百科辞典も見つかった、その思い出』


   


     9月 9th, 2015  Posted 12:00 AM

書庫からはなんとしても見つけたかった
英文での日本のいわば百科事典も見つかりました。
これをなんとしても手に入れようと思っていたのは、
米国でApple社での仕事、
そのプレゼのために必要だと思っていたからでした。
ところが、どうしても2巻が見つからずに
探しまわりました。
それは一番なんとしても調べあげて、
徹底的に知りたかった項目がその2巻にありました。
すっかり忘れていた項目には、
ポストイットが色褪せて張り付いていました。
それは明確に、仏教、道元、曼荼羅には、
確かにその当時には「Mind Top」というネーミングであり、
3×3で9つの金剛界曼荼羅がデザイン表現意図でした。
まだ、Appleがノートタイプの開発に入ったという
そんな噂しか知りませんでした。
私の提案の骨子は曼荼羅であり、その曼荼羅の仏教と、
さらには自分のふるさと永平寺と道元を
デザインの背景だと絶対にCEOであったジョン・スカーリー氏に
話さなければと思い込んでいました。
スカーリー氏は実際にはCEOではなくて、Chief Listenerであり、
この理由を知っていた私は
Dream Designerという名刺を作成までしていました。
そして、英文での曼荼羅の大きな図鑑も持参しお土産にしました。
なんとか下手くそな英語で曼荼羅を伝えて、その図鑑を差し出したら、
彼の社長室の本棚でも際だったところに同じ曼荼羅図鑑がありました。
ノートブックPCは、デスクトップ、ラップトップ、ハンドトップから、
最終的にはマインドトップが私の狙いで、その裏側の仏教、
特に道元そして曼荼羅を懸命に話した思い出が
すぐにこの百科事典で浮かびました。
そうしたらなんのことも無くスカーリー氏は、仏教、そして曼荼羅、
いずれにも詳しかったことを後に知りました。
そして、プレゼが終わると時間が延長になり、
スカーリーが呼び出してくれた人物はアラン・ケイでした。
私が夢かと思う出会いで、
同じ内容、仏教、道元、曼荼羅の話でプレゼしました。
丁度Apple社はコードネーム「ASAHI」開発の現物を見せてもらって、
「なぜ君はキーボードが奥にあって
手前がスクロールボールになるのですか」と聞かれました。
この英文の日本文化の百科事典も、やっと書庫で10年ぶりに出会い、
そして自宅に持ち込んでいます。
これで、英語での日本文化紹介には最適な百科事典です。


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『デジタルな火と水を傍らに置く重大さ』


   


     8月 16th, 2015  Posted 12:00 AM

私の企画戦略には必ず立ち戻る基本があります。
それはインド思想の木火土金水と仏教思想の風地火水空です。
この四句分別によって25 のマトリックスが生まれます。
それは25のコンセプトが生まれるということにつながります。
少なからずこれは世界観での25の問題点が整理されたコンセプトです。
しかし、これだけ全てを列挙すると、二つの疑問にぶつかります。
まず、デザインでそのようなことをやってもらいたいとは・・・
これで台無しにして仕事をどれだけ失ってきたでしょうか。
デザインでそこまで語ってほしくは無かった・・・
これで仕事をしたくない行政マン、役人(人に役立つ人)を知り、
彼らの生息生理をほとんど知ってしまいました。
このことで、若い頃はクライアントに喧嘩を売り喧嘩師になりました。
最近は利口になって、インド思想にも仏教思想にもある火と水を
主体的に語っていくことを中核にしています。
無論、両方の思想の核心にある火と水には同意性と差異性があります。
それを論理的に学び直したのはガストン・バシュラールでした。
バシュラールは、明確に水と火は対照的な著作を残しています。
そして彼の著作を度外視していたつまらない輩がいたこともあります。
私にとって、現実的には、水と火、それぞれがCGになる過程を
まさに米国で立ち会ってそのプログラミングを見ることができたこと。
これは生涯の思い出になっています。
しかも、このNatural Phenomenaというコードネームには、
明らかにバシュラールが基底で語られていたことです。
火も水も、デジタルとして燃えさかることと水滴や流れまでが、
制御と否制御が起こってしまうことでしたが、
結局、火は燃えさかっても熱くはなくて破壊することがありません。
水も自然と水滴から大洪水も決して起こらないことです。
これがデジタルの限界でありながらも、自然よりも勢いがあります。
私は、自宅にデジタルの全く無温度の火と水を配置します。
それこそ、自然と人工を対比させた日常を側に置いてみることで、
自然=アナログを絶対にデジタルで調和も制御も出来ないことを
言い聞かせる手法だと思っています。


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『開発コードネーム・Popeyeからの拡大』


   


     12月 16th, 2014  Posted 12:00 AM

Sweet-peaというコードネームが、マスコミに突然流布されると、
Popeyeというコードネームがきました。
これは元々、Popであることとそれを見つめるeyeという、
メディア・インテグレーションにはふさわしいと考えられていました。
そして、Popeyeがほぼポップアップメニューにも、
インターラクションで「これが入る!」というシンタックスがあり、
私は日本で騒がれているマルチメディアの軽薄さに失望しました。
そして、ポパイをもう一度整理するために、
随分とビデオを探し回り、数本見た経験があります。
そこからオリーブとブルータスのデザイン企画が広がり提案しました。
丁度、航空企業の整備マニュアルの話が舞い込むと、
今度はNikeからの接客と店頭販売ツールの実装設計までに至りました。
今ではこれがiPadになりましたが、当時はCD-ROM企画での
まさにメディア・インテグレーションでした。
ユナイテッド航空、ナイキはそれぞれの要求が異なっていましたが、
共用できる設計となり、日本では実装でまとまることが、
回路設計はレイアウト、筐体設計はコンフィグレーションでした。
この二つの技術設計のフィージビリティを私はまとめるべく、
実装をConfiguration Layoutという一語にまとめるプレゼをしました。
デザイン部門には気楽に入ることが許されていましたが、
なかなか、当時ASAHI=MacBookとの設計でぶつかっていました。
一応、この写真モデルまでの実装設計にまで辿り付いたので、
さらに雨天用から水中使用のブルータスの条件まとめも
スタートしましたが、さらに、生徒用(小中生相手)MacBook企画は
コードネームがJeepが、Newtonのキーボードを私が提示したために
この企画までが飛び込んできました。
ともかく、福井とクパチーノでこの開発がされていることは、
完全にマスコミ対策にはなっていたと思います。
デザイン契約では、Apple本社の弁護士からは、
当時、福井のデザインスタジオに指紋認証入室まで求められました。
そして、なんと言っても、プレゼでは当時、Director=動画を使い、
プレゼの後には、必ず聞かれていたことがありました。
この話はいづれ記録しておかなければと考えることでした。

Jeep「コンピュータを強く認識したときの人物と試作デザイン」
「キーボードデザインはここから始まった!」


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『メディア・インテグレーションを追いかけた経験作品』


   


     12月 13th, 2014  Posted 12:00 AM

ちょうど日本がバブル真っ最中の頃には、マルチメディアが喧騒。
福井にいる私にまで多大なデザイン依頼が連続して来ました。が、
福井から東京を傍観していて「これは変であり自分は加わらず」。
その時に私はApple本社で「メディア・インテグレーション」を学び、
その具体的なsweet-pea開発に従事していましたが、
このコードネームがすっぱ抜かれて、popeye開発になりました。
Apple180万台+IBM80万台+東芝40万台の開発に関わっていました。
私は福井とクパティーノ、時に東京の東芝、
米国からはシャープ(Newton開発)帰りが福井でミーティング。
だから、マルチメディアの不足を知り、東芝に届かないGUIまでを
存分に知り尽くすことが出来ました。これがインターラクション、
特にPCと人間の使い勝手の基本になったと思っています。
メディア・インテグレーションだと未だに言い続けているのは私だけ。
しかし、明確にインターネットだクラウドだというのは、
情報の統合化が進行していることにすぎません。
もっと、明確に言えば、クラウドやインターネットの次世代まで、
それは統合化を超えた新たな概念が必要だということです。
ちょうどsweet-pea(モデル写真)のCDとポップアップメニュー、
とりわけ、このメニュー構造のシンタックスは知られていません。
私は、今、メディア・インテグレーションでの体験からの進展方向を
コンシリエンス=consilienceに持ち込む計画に入っています。
つまり、情報の統合では、元来の「学際」化が必然であり、
それこそシンタックス可能な領域の設定と統合だけの不備さをさらに
焦点化と拡散化を狙っていくことだと考えています。
その実例が、このポップアップメニューに含まれています。
これまでのApple製品にもこのシンタックス性は未登場です。
これからの私のデザインでは、
コンシリエンスとシンタックスを
具体的なこのポップアップメニュー(プログラム有)を
参考に展開していくつもりです。

『コンシリエンスデザインの認識に向けて』


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『1984年からMacintoshとの付き合いが私の重大経験』


   


     1月 27th, 2014  Posted 12:00 AM

私は車椅子生活になってふるさと福井に帰ることになりました。
ふるさとには高校時代の友人達がすでにそれぞれ分野のリーダーでした。
中でも、親友・玉木(現福井キヤノン事務機会長)は、
すぐにデザイン活動で苦心している私を物心両面で支援してくれました。
彼の会社のショールームにMacintosh128kがありました。
私は「とても高額なおもちゃのコンピュータ」を借りました。
彼に、「このコンピュータがきっと世界を変える」と話しました。
彼は私の予言を素直に聞き入れてくれてセールス戦略にとりあげ、
Mac512kは自らが講習会を受け、16台即持ち帰ってきました。
私はApple?もLisaもじっくりと知り尽くそうとしていただけに、
Macintosh128kの商品発表は鮮烈でした。
その頃、VENUS-P(通信衛星)で米国のDIALOGにアクセスするという話が、
もっともらしく当時の雑誌紹介はすべてが嘘でした。
なぜなら、Mac512kとMacTerminal、電話カプラー300bpsで、
私はDIALOGに福井は40円/分、東京は80円/分、名古屋は60円/分でした。
このようなことを書き始めていたこともあって、その後からすっかり、
Macの世界に入っていきました。
1991年から2年半は、とうとう福井で7つのコードネームで新製品開発、
Apple社からは弁護士や開発チームがやってくるほどでした。
私はジョンスカーリーの直属のデザインコンサルタントを務めました。
クパチーノApple本社でのプレゼンテーションでは、
黄色人種としての立場までいっぱい体験しました。
日本・東京はバブル経済であり、私は「何かが変だ」と思っていました。
さらに大電産業グループが私にeX-DESIGN(株)を全面支援してくれました。
福井で車椅子の私に1億4000万円のEMSを与えたのは、
その頃の福井県青年会議所の主要メンバーや地元の金融機関でした。
MS-DOSはじめSmallTalk、いくつかのプログラム言語を独学しました。
心臓障害になり、デザインも諦めていた私は、
気づけば、名古屋市立大学に光造形システムとその環境が与えられました。
先般、日本のグラフィック界の二人の代表人物に、
ジョッブスが最後に置き土産にしたと思える書体の話もしたところです。
私の30代からこの35年をMac文明とMac文化があったことは確かです。


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『資本主義からの逃走』
 「LISAからiPadはφ=MECCへ」


   


     2月 4th, 2010  Posted 9:37 AM

LISA to iPad

LISAというコンピューターが登場。
やがて、私の側にMacintosh 128kで、以来、
コンピューターはMac以外は認めてきませんでした。
ただ、UNIXでのEWSの世界で、
「光造形システム」=Rapid Prototypingを追いかけ、
トポロジー空間論から人工臓器デザインをしています。
Macの世界はApple社という新たな企業存在でした。
そして私も、スカリー会長時代、アラン・ケイ氏にも
自分のデザインがApple社プロジェクトになって、
様々な議論をした経験が、大きな生涯の思い出です。

Apple Consultant

Mind TopPopeyeSweatpeaJeepBrutus,etc
が当時のコードネームでした。実現はしませんでした。
が、デザインのモックアップモデルは手元にあります。
パソコンをツールとしながらも、
私には「デザイン対象」そのものです。
パソコンは、「クラウド型」となることは確実です。
「スマートフォン」と「ネットワークコンピュータ」
この形式がiPadに進化しました。
おそらく、この中のコンテンツも、想像以上に、
驚愕の進化を遂げるかもしれません。
また、iPadは、ユーザーそれぞれの使用用途での
エンハンスメントも、新しい才能によって、
拡大化と集約化し、その相互性でさらに革新が
希望になってくれれば、
現代までの様々な問題解決につながると、
私は確信しているのです。
キーワードは、
物質=Material
エネルギー=Energy
情報=Contents & Context

φ=MECC

だと宣言しておきます。


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