4月 22nd, 2012 Posted 12:00 AM
関東労災病院でのリハビリテーションを終えて、
私は赤坂にデザイン事務所を開設しました。
1978年でした。
まだ東芝社員のままに独立を許諾されたのです。
ただしオーディオ関連以外のデザインに従事することが条件でした。
しかも給与は支給されていました。
ただの直感でデザイン事務所名は「Super Edison」でした。
技術・エンジニアリングを意識し、
「デザインは発明でもなければいけない」
という柳宗理先生の思想を込めたネーミングでした。
たまたま、米国人のモデルがガールフレンドの一人だったので、
彼女は来日すれば仕事休日に、モデルとして手伝ってくれました。
それで、デザインスタジオのプロモーションスライドづくりです。
当時は口コミだけでデザイン依頼をしてくるクライアントに、
「Super Edison」のスライドとオーバーヘッドプロジェクターで、
スタジオでのデザインワークプロセスなどを見せていました。
工業デザインの仕事よりも、
イベント企画や商店街活性化企画をしていました。
とてつもなく大きなイベント企画ばかりしていたようです。
ちょうどピンク・レディー全盛期で、
新宿で新築の最高層ビル「野村ビル」屋上で、
紅白歌合戦終了とともに日本で最大の鐘を突き「ゆく年くる年」をやる。
そのために高岡で鋳造されている直径2mの鐘を東京まで陸送、
それは陸運会社のTVCFにし、
屋上には陸上自衛隊のヘリコプターで下ろしてもらうという企画、
実現いよいよとなりました。しかし、
澁谷のNHKから新宿まではパトカー先導ということまで決まったのですが、
没になりました。
ある仏教系からの文句が大きくて
「とんでもないそれは除夜の鐘の冒涜だ」という批判で中止になりました。
東京のある商店街通りに、
パリのごとく「花街道」にしようという企画、
そのために花咲く季節前にビニール栽培をしていたら、
その花が突然すべて枯れるということもありました。
それから3/4インチビデオ撮影スタジオ業もやり始めていました。
また新宿に高層ビルが竣工となり、
その屋上にハリウッドから実寸の映画モデル「ゴジラ」を座らせる、
なんてこともスタッフがハリウッドの演出会社を説得し
船便で運んで来る企画も実現間際に、
消防庁の許諾どころかお叱りを受けたりしました。
すべてが失敗していたわけではありません。
晴海埠頭にあった晴海の見本市会場では、
「日本オーディオフェア」で展博ディレクター。
1988、1989とあるメーカーを人気No,1にしたこともありました。
東芝時代には東芝でのディレクターをしていたので、
開催前日、ディスプレーデザインのチェックには
会場内まで自家用車・当時はGMの「モンザ」で乗り付けると、
顔なじみの展博屋さんたちが大拍手で迎えてくれました。
「よくがんばったな」
「生きていてくれてありがとう」
「流石にまったく新しいディスプレーだ!」
「車椅子になったからさらに神がかりな展示だ」なんて言われて、
長髪の頭をみんながぐちゃぐちゃにしながら撫でて喜んでくれました。
(あぁー、自分はオーディオのこの世界にまた戻れた)と、
大笑いしながら泣きました。
毎日、でかいイベント企画、その発想の楽しみを懸命にすることで、
寿命は40歳まで(当時のドクター診断予知)という重くて真っ暗闇、
心に突き刺さってくる「哀しみ」と闘っていました。
1%の精進で 99%は死に向かっていく諦観を心に留め、
ともかく明るく振る舞っていました。
Tags: 1978年, NHK, Super Edison, TVCF, イベント企画, エンジニアリング, オーディオ, オーバーヘッドプロジェクター, ガールフレンド, ゴジラ, ディスプレーデザイン, デザイン, デザインスタジオ, デザインワークプロセス, デザイン事務所, ネーミング, ハリウッド, ビニール栽培, ピンク・レディー, ピンクレディー, フリーランス, プロモーションスライド, ヘリコプター, モデル, リハビリテーション, 口コミ, 商店街活性化企画, 工業デザイン, 技術, 新宿, 日本オーディオフェア, 東京, 東芝, 柳宗理, 澁谷, 独立, 発明, 直感, 米国人, 紅白歌合戦, 給与, 花街道, 赤坂, 車椅子, 野村ビル, 鐘, 関東労災病院, 陸上自衛隊
Posted in 企望を「までい」具現へ, 祈望から企望へ
目次を見る
2月 23rd, 2012 Posted 12:00 AM
通称「ロクハン」と呼ばれるスピーカーユニットがあります。
口径16cmのフルレンジ=音響再生領域が満遍なく
フラットなスピーカーユニットのことです。
人間が聞こえる可聴領域があります。
可視光線の領域のようなものですが、
最低音f0が40Hzあたりから高音域20kHzまでがあれば十分なわけです。
そしてこの領域の音圧がすべてフラットな音の再生が重要と言われてます。
しかしマニアックには、このフラットさに、
それぞれの音楽領域、ジャズとクラッシックを再生するとなれば、
フラットではなく、ある再生音響領域にだけピーク値や谷を求めます。
それがスピーカーメーカーの特色になります。
ジャズならJBLで、
クラッシックならタンノイという迷信があります。
私は迷信だと思っていますしそれはアナログ時代のことです。
今はデジタル再生ですからこの考え方はもう時代遅れです。
そして、フルレンジそれも「ロクハン」ともなれば、
卒業研究と卒業制作ではコーラルのロクハンからスタートした私が、
東芝時代にこのロクハンをデザインで追いかけていました。
つまり、フルレンジではf0=80Hzですら再生は難しいのですが、
基音の倍音ということで、耳はあたかも低音を再現してくれるのです。
ハーモニクスな状態で身体を包んでくれる心地よさです。
私は、基音が適えば=基礎が全うなら、
すべてをフル稼働=フル機能化実現につながると考えています。
それは自分がロクハンというフルレンジスピーカー、
そのもののデザインを素材選定から構造化してきた経験があるからです。
日本は1970年代から80年代に蓄積してきた音響設計経験を失いました。
この経験則をさらに積み上げてきた欧米は、
今、映像と音響の新たな世界観を商品化しています。
その製造生産技術を中国も積み上げてきました。
それでも、日本ならではのある素材運用技術はまだ残っています。
基音と倍音の関係でのフル稼働機能性に最適な素材設計技術です。
この技術復権もデザイン主導すればという想いが私にはあります。
「ロクハン」という小っちゃなスピーカーユニットだからこそ、
その凝縮技術の応用に日本技術の復権が可能です。
それを主導する役割がデザインだと確信しています。
Tags: 1970年代, 80年代, F0, JBL, アナログ, クラッシック, コーラル, ジャズ, スピーカーメーカー, スピーカーユニット, タンノイ, デザイン, デザイン主導, デジタル再生, ハーモニクス, ピーク値, フラット, フルレンジ, フル機能化, フル稼働, マニアック, ロクハン, 世界観, 中国, 主導, 人間, 低音, 倍音, 再現, 再生, 凝縮技術, 卒業制作, 卒業研究, 可聴領域, 可視光線, 商品化, 基礎, 基音, 復権, 心地よさ, 応用, 技術, 技術復権, 日本, 映像, 時代, 時代遅れ, 最低音, 東芝, 構造化, 機能性, 欧米, 特色, 素材設計技術, 素材運用技術, 素材選定, 経験, 経験則, 耳, 蓄積, 製造生産技術, 谷, 身体, 迷信, 音, 音圧, 音響, 音響再生領域, 音響設計経験, 領域, 高音域
Posted in 企望を「までい」具現へ, 祈望から企望へ
目次を見る
1月 24th, 2012 Posted 12:00 AM
オーディオの話ばかりで申し訳ありません。
やはり、私なりの根性の話は、
東芝時代から育まれたのだと思います。
インハウスデザイナーは、アノニマスでなければなりません。
これが嫌だったのです。
それは金沢美大入学直後に言われたことにつながります。
「君たちは芸大に入ったわけではない。だから無名で、
雑草のごときデザイナーになれ」
即刻、反論しました。
「昭和天皇は、雑草という草は無い、
雑木林というのも間違っている。すべてに “名前がある”」と。
結局、この反撃で4年間にらまれました。
だからインハウスデザイナーだけれど、
「自分の発想、オリジナリティは必ず実現!」。
したがって、バイノーラルLP、45回転LPを、
第一家庭電器で実現させたところ大ヒットしました。
したがって結局は、私のデザインしたSZ-1000、
エレクトレットコンデンサーのイコライザーAMPやカートリッジPRに、
45回転でバイノーラルLPは、東芝から出されることになりました。
車椅子になって、「諦めて=resign 生きる」=「諦観」を知りましたが、
自分の発想で、必ずオリジナリティを込めたことは、
絶対に「あきらめ=abandom」ないことです。
特に、次世代のデザイナー、
インハウスデザイナーには強調して伝えておきたいことです。
日本人には「あきらめる」美学があります。
それは「諦観」であり、
もう一つのあきらめは、投げ捨ててしまう怠惰さにすぎません。
この怠惰=なまけ心は、デザインを完成させません。
怠惰心でデザインに向かう性分があるなら、
デザイナーになってはいけない、
私が学んだのは、
この怠惰心からどれだけ距離を取るだけの真剣さを身につけることです。
と言いつつも、やはり怠惰心と諦観が、
私の精神の中ではまだまだこの闘争が続いています。
「喧嘩師であれ」とは、
自分自身に喧嘩を売ることです。
「やる!」と決めたら、
絶対に自分の怠惰心に
まず勝つことだと死ぬまで言い聞かせているでしょう。
Tags: 45回転, 45回転LP, abandom, LP, PR, resign, SZ-1000, あきらめない, あきらめる, アノニマス, イコライザー, インハウスデザイナー, エレクトレットコンデンサー, オーディオ, オリジナリティ, デザイナー, デザイン, なまけ心, バイノーラル, バイノーラルLP, 反撃, 名前, 喧嘩, 喧嘩師, 大ヒット, 実現, 怠惰, 怠惰さ, 怠惰心, 性分, 日本人, 昭和天皇, 東芝, 東芝時代, 根性, 次世代, 無名, 生きる, 発想, 第一家庭電器, 美学, 自分自身, 芸大, 諦める, 諦観, 車椅子, 金沢美大, 闘争, 雑木林, 雑草
Posted in 企望を「までい」具現へ, 祈望から企望へ
目次を見る
1月 23rd, 2012 Posted 12:00 AM
Aurex時代、これはほとんど私の東芝時代です。
東芝本社で企画を通すことは本当に大変でした。
しかし、上司に恵まれていて、
「これ、やりたい」と言えばディテールまで忠告を受けたり、
「絶対に実現したい!」というわがままを包んでもらいました。
ただし、やるべき業務以上の義務は果たすこと、でした。
第一家庭電器のDAMはそういう意味では、
東芝より自由に私のアイディアを実現してもらいました。
「45回転LP 」を実現したい、
そのためには、レコーディングプロセスを詳細にLP化すること、
このようなアイディアも実現できました。
午前中は磯子の音響工場のデザインルームでスケッチを描き、
昼からはほとんど東芝EMIのミキサールームに入り浸り、
そうしてミキシング技術を教わりました。
そしてジャケットデザインを赤・緑で構成。
これはやがて村上春樹著「ノルウェイの森」の装丁と同様でした。
私の具体化が先んじていたと今頃になっても言っておきたいことです。
このトラックダウンは、回転数は45回転、厚盤仕様、
そして詳細にそれぞれのトラック毎のミキシングを乗せていくことで、
レコード再現のHi-Fi性能のチェックがきめ細かく出来ました。
DAMは顧客サービスとして
おそらく2000枚近くをメンバーに配布していました。
「マニアを追い越せ!大作戦」というタイトルが必ずつけられていました。
45回転で超厚盤は、
カラヤンやアリスからも
訴えられる寸前までいくほどLPプレスが完璧でした。
だからDAMのレコードシリーズだけは、今も持っています。
その45回転LPこそマニアにはたまらない音質チェック、
そんな思いが東芝より第一家庭電器で実現していました。
こうしたシリーズは実際、10000枚以上も配布されていました。
だから、やがてこのアイディアは、東芝もやらざるをえなくなるのです。
ともかく、「思いついたことの実現」に無我夢中でした。
Tags: 45回転, 45回転LP, Aurex, DAM, Hi-Fi, LPプレス, LP化, アイディア, アリス, カラヤン, ジャケットデザイン, スケッチ, タイトル, チェック, ディテール, デザインルーム, トラック, トラックダウン, ノルウェイの森, マニアを追い越せ!大作戦, ミキサールーム, ミキシング, ミキシング技術, レコーディングプロセス, レコード再現, わがまま, 上司, 企画, 具体化, 厚盤, 回転数, 実現, 忠告, 村上春樹, 東芝, 東芝EMI, 東芝本社, 業務, 無我夢中, 磯子, 第一家庭電器, 義務, 自由, 装丁, 音質チェック, 音響工場, 顧客サービス
Posted in 企望を「までい」具現へ, 祈望から企望へ
目次を見る
1月 22nd, 2012 Posted 12:00 AM
左右両耳にそれぞれマイクをつけて録音をします。
そうすると、本当に耳元の音を再現できます。
たとえば、散髪をしてもらうときにこのスタイルで録音をすれば、
ヘッドホンで再生するとそのまま、
全く散髪されているかのように錯覚するほどです。
私がヘッドホンのデザインに夢中になっていたとき、
この録音がドイツでは、
ラジオ放送でヘッドホンで推理ドラマがあるという情報がありました。
ところが運良く東芝総研には、
そのHATS(Head & Amp Torso Simulator)という
ダミーヘッドマイク装置がありました。
そこでそれを東芝EMIに持ち込んで、様々な場所での録音をし、
LPレコード化企画したのです。東芝では賛同が得られなかったので、
それならと、当時、東京で最大の量販店・第一家庭電器に持ち込みました。
第一家庭電器は、今はありませんが、(量販店は栄枯盛衰があります)
当時はDAM=Daiichi Audio Membersというユーザークラブがありました。
そのオーディオクラブの会員向けには「マニアを追い越せ大作戦」という
DAMレコードという
独自のマニア向けの特別なLP盤を会員だけにプレス出版していました。
このDAMでLP化することができました。
それはAurexを第一家庭電器に販売ルートつくるきっかけになりました。
以後、このDAM-LPの企画案から販売企画、
そして、TV-CFのディレクターも東芝社員としてやることができました。
このバイノーラル録音は
DAMのコンテスト企画になり優秀作品もLP化しました。
バイノーラル録音の最初のディレクターとして
「レコード年鑑」に私の名前があります。
したがって、ヘッドホンで本当の音はバイノーラル録音が
最適だと今でも私は思っています。
当時は、ラジカセにもバイノーラル録音が可能な機種も流行しました。
ヘッドホンだけを再生装置とするなら、
この録音の音楽ソースが欲しいと思っています。
というより、最近の録音の質はコンピュータを介在できるためか、
それなりの装置で試聴すると、
録音技術は悪くなっていると言ってもいいでしょう。
いわゆるミキサー=録音技師名が
アルバムタイトルになっているCDは本当に少なくなりました。
Tags: Audio, Aurex, CD, Daiichi, DAM, DAMレコード, HATS, Head & Torso Simulator, LPレコード, LP盤, Members, TV-CF, アルバムタイトル, オーディオクラブ, コンピュータ, ダミーヘッド, ディレクター, デザイン, ドイツ, バイノーラル録音, プレス出版, ヘッドホン, マイク, マイク装置, マニア, マニアを追い越せ大作戦, ミキサー, ユーザークラブ, ラジオ放送, ラジカセ, レコード年鑑, 両耳, 介在, 企画, 企画案, 会員向け, 再現, 再生, 再生装置, 推理ドラマ, 東芝, 東芝EMI, 東芝社員, 東芝総研, 流行, 第一家庭電器, 耳元の音, 試聴, 販売ルート, 販売企画, 量販店, 錯覚, 録音, 録音技師, 録音技術, 音楽ソース
Posted in 企望を「までい」具現へ, 祈望から企望へ
目次を見る
1月 13th, 2012 Posted 12:00 AM
おそらくカートリッジと言ってももう不明でしょう。
LPレコードを再生させるレコード針のことです。
写真は、東芝で最後の商品であるイコライザーアンプ用の、
エレクトレットコンデンサーのレコード針・C-400と、
フリーになって、
「ナガオカ」=レコード周辺アクセサリーメーカーの仕事です。
もう「ナガオカ」は消滅しましたが、
元社員の方々で「レコード針』販売は続いています。
「ナガオカ」の商品は今も専門店で販売されています。
「ナガオカ」は最初に私のパトロネージュになっていただいた企業。
だから、このシリーズは私にとって作品ですから、
全製品買い求めたいのですが、
おそらく100万円ぐらいになるほど高価な商品です。
もはや、レコードプレーヤーは使っていませんから、
持っていたレコード針はもうこれだけです。
ピッカリング、オルトフォン、シュアなど再現音が懐かしいです。
LPレコードファンは今なおマニアックにおられます。
私も「糸ドライブのプレーヤー」そしてその周辺機器で、
たっぷりと「アナログのレコード演奏」を聴いてみたいと思っています。
だからLPレコードもきっちりと100枚だけ残してあります。
今、CDもリッピングして整理、100枚だけ残して整理をしている最中です。
この写真の「ナガオカ」商品は、パッケージデザインでは
当時、肉厚成型で今はもう出来ないかもしれません。
Aurexはエレクトレットコンデンサータイプだけれど、
ヘッドシェル(カートリッジを取り付けている)は、
マグネシウム合金で一体成型、
よって、針先への振動を可能なだけ遮断することをめざしています。
車椅子になる直前と直後の仕事です。
つまり、性能を出来るだけ完成度を求めるために、
素材や成型加工に至るまで、本当に丁寧な仕事をしています。
パッケージ、ヘッドシェルいづれも、時々取り出して眺めていると、
現代の「モノづくり」は手抜き仕事に思えてなりません。
デザイン・生産設計・商品化まで、徹底的に性能から機能を求めました。
やはり、徹底的な「仕上げ」=フィニッシュワークはデザインの本質です。
デザイナーである限り、決して忘れたくありません。
Tags: Aurex, C-400, LPレコード, LPレコードファン, アナログ, イコライザーアンプ, エレクトレットコンデンサー, オロトフォン, カートリッジ, シュア, デザイン, ナガオカ, パッケージデザイン, ピッカリング, フィニッシュワーク, プレーヤー, ヘッドシェル, マグネシュウム合金, マニアック, メーカー, モノづくり, レコードプレーヤー, レコード周辺機器, レコード演奏, レコード針, 一体成型, 仕上げ, 作品, 再現音, 再生, 商品, 商品化, 完成度, 専門店, 性能, 成型加工, 手抜き, 振動, 本質, 東芝, 機能, 生産設計, 糸ドライブ, 素材, 肉厚成型, 販売, 道具, 遮断, 針先
Posted in 企望を「までい」具現へ, 祈望から企望へ
目次を見る
12月 31st, 2011 Posted 12:00 AM
2010年9月末に私は東芝の原子力研究所を訪ねました。
「あと20年、貿易立国・日本は大丈夫」、
原子力技術の進展ぶりに驚愕しました。
「はやぶさ」と「南極観測船・しらせ」に、
わが国の高密度技術あってこそ、
私なりのデザインは寄り添えられるという確信でした。
3.11 PM2:46 M9.0 東日本大震災
大地震・大津波・フクシマ原電事故は、
わが国を「ゼロ」にしてしまいました。
3月からほぼ半年は、瓦礫と破壊された東北景観に涙しました。
そして、1000年に一度を、すでに残されたわが生涯に、
真正面から「祈望と企望」にして対象化しました。
ところが体内のICDが電池切れ、またもや入院手術。
けれども、中国と韓国では、
「国際貢献のデザイン」を講演するチャンスをいただきました。
キーボード・スポーツ眼鏡フレーム・血圧計を世に出しました。
講演も「3.11以後のデザイン」を次世代に語りました。
東芝にもどって、
「復興計画●●●PROJECT」に取り組んだ年となりました。
来年、この提案が受け入れられるかどうかです。
提案はたとえ東芝で出来なくとも後世に残す覚悟でいます。
それは、自分へのある種の決着です。
デザイナーとしての生涯の証です。
身体は、新たなICDでまた五年の心臓制御は保障されました。
日本のデザイン界は低迷しデザイン行政は為体です。
それは日本の政権交代の大失敗と連関しています。
正直、心なき中傷も受けますがそんなものは、
命がけを体験してきた私に届くわけがありません。
私は、地道に懸命さで、
そして最も過激で敵をつくろうが生命の限りを使い果たす覚悟です。
祖父や父の世代がやっと敗戦からつくり直した日本を、
もう一度、私はデザイナーとして大学人として、
私の微力を捧げます。
Tags: 20年, 3.11, 3.11以後のデザイン, ICD, M9.0, PM2:46, キーボード, しらせ, スポーツ眼鏡フレーム, ゼロ, チャンス, デザイナー, デザイン, デザイン界, デザイン行政, はやぶさ, フクシマ原電事故, もう一度, 世代, 中国, 五年, 企望, 低迷, 体内, 体験, 保障, 入院, 南極観測船, 原子力技術, 原子力研究所, 命がけ, 国際貢献のデザイン, 地道, 大丈夫, 大地震, 大失敗, 大学人, 大津波, 対象化, 希望, 後世, 復興計画, 微力, 心なき中傷, 心臓制御, 懸命, 手術, 提案, 政権交代, 敗戦, 敵, 日本, 東北景観, 東日本大震災, 東芝, 次世代, 正直, 涙, 為体, 父, 瓦礫, 生命, 生涯, 真正面, 破壊, 確信, 祖父, 血圧計, 覚悟, 講演, 貿易立国, 身体, 連関, 進展, 過激, 限り, 電池切れ, 韓国, 驚愕, 高密度技術
Posted in 祈望から企望へ
目次を見る
12月 24th, 2011 Posted 12:00 AM
震災直後のNHK取材は3D撮影であり、
監督されたNHKメディアテクノロジーの智片通博氏に
阪大で特別講演をしてもらいました。
依頼後時間が経ちましたが、
かえって「風化しそうな」記憶を再確認できました。
私自身は震災直後から東芝で
「復興計画デザイン」に関与してきました。
ほぼ10ヶ月かけて「全計画」を書き上げ、
来年早々、東芝トッププレゼンします。
デザイナーとして40年の実務経験からの発想です。
講演では、取材編集はあの日の参議院予算委員会から始まります。
時間経過にそったNHKの天災時対応の詳細や、
そうした放送台本が放送直前の修正まで見ることができました。
私はメモを相当に取りました。
講演を見聞し、幾つか私の心に残り書きとどめたことです。
●震災の歴史的記念は
これは残すべきかは被災された方の気持ちが大事で記念館など不要。
●市町村合併によって町名に何ら東北地方性が失われていた。
●1000年に一度の天災でこそ
「役立たない技術」などはまったく人類に不要。
●NHKは日本人全員の生命と財産を守るマスコミとして
相当の日常的準備訓練があったこと。
●「みちのく」を復旧し復興することが政治で可能だろうか。
●マスコミとしてのNHKに対して、
ミニコミの必要性がもとめられますが、そのあり方。
●箱根を境界として、
日本が二分されてしまった現状から国力再建の可能性。
私は、あらためて国難の中にたたずんでしまっている
自分を客観視しました。
講義後、講座担当教授としてこのような話でまとめました。
1860年、日米修好通商条約提携に向け、
勝海舟・福沢諭吉が乗った咸臨丸が出航。
1854年から1859年は「安政時代」、社会不安に天災続き、
特に大阪も安政南海地震で大津波、
結果、難波(津波災害から)、梅田(埋め田)という地名が生まれるほど。
NHKでも若い取材者は、精神的ショックが相当だと聞きました。
現実、大学生にもボランティアに行きつつも、
そのやりきれなさで自殺者が出ています。
私たち日本人にとって、この震災・津波・原電事故は、
日本を「壊滅」させました。
それ以上にタイでの洪水は、産業的海外基盤を失っている状況です。
祖父や父世代が、日本を敗戦ながらも「楽園国家」にしてくれました。
その楽園環境に麻痺していたのかもしれませんが、
現実、まだまだ復旧さえ進まないわが国は
本当に「絆」をもって再興すべきだと再決意しました。
Tags: 3D撮影, NHK, NHKメディアテクノロジー, ショック, タイ, デザイン, トッププレゼン, ボランティア, マスコミ, みちのく, ミニコミ, メモ, やりきれなさ, 不要, 予算委員会, 人類, 依頼, 全計画, 再決意, 再確認, 出航, 勝海舟, 原電事故, 参議院, 取材, 取材者, 咸臨丸, 国力再建, 国難, 地名, 埋め田, 境界, 壊滅, 大学生, 大津波, 大阪, 天災, 安政南海地震, 安政時代, 実務経験, 客観視, 対応, 市町村合併, 役立たない技術, 復旧, 復興, 復興計画, 必要性, 担当教授, 提携, 放送, 放送台本, 政治, 敗戦, 日常的, 日本人, 日米通商条約, 時間経過, 智片通博, 東北地方性, 東芝, 梅田, 楽園国家, 楽園環境, 歴史的記念, 洪水, 海外基盤, 準備, 父世代, 特別講演, 生命, 産業的, 町名, 発想, 監督, 社会不安, 祖父, 福沢諭吉, 箱根, 精神的, 絆, 編集, 自殺者, 訓練, 記念館, 記憶, 講座, 講演, 財産, 阪大, 難波, 震災, 震災直後, 風化, 麻痺
Posted in 祈望から企望へ
目次を見る
12月 18th, 2011 Posted 12:00 AM
エレクトレット・コンデンサーカートリッジのイコライザーアンプです。
と言っても、分かる人は超オーディオファイルの人だけでしょう。
カートリッジは、レコードのピックアップ針であり、
その形式が静電容量タイプで駆動させるモノです。
その微少な電流をパワーアンプに送り込むための
プリアンプと考えていいでしょう。
30年前、東芝時代の最終商品となりました。
つまりこの商品を最後に車椅子になったために退職しました。
ところが今もオークションで
35000円(当時10万円)程度で取引されています。
実際にはエレクトレットコンデンサーの
カートリッジが無ければ不必要です。
このデザインは回路基板まで私自身が版下をデザインしています。
そして部品もすべてデザインし、
なおかつ実装内装までほぼデザイン意図を完全にさせたデザインです。
したがって、今も一部のマニアに収集されているのでしょう。
そこで、ここから何を読み取ってもらいたいかということになります。
それはオーディオだから、特に、電源や回路やコンデンサーまで、
すべてにデザインされていることによる
性能性と機能性があるということです。
このデザイン設計から、
たとえばヘッドホンアンプのあり方の基本が見えてきます。
私は自分自身がこのアンプデザインの経験から、
いかに製品デザインの部品とそのレイアウト、
そして部品設計の完成度を批評することが出来ると自負しています。
電源はグリーン・大地のエネルギーを表現し、
左右チャンネルアンプは、ホワイトで無色透明の音質感、
ボリュームによって、人間と機器とのつながり感を表出させています。
東芝でのこのデザイン設計が、現在私のデザイン原点になっています。
Tags: あり方, アンプデザイン, イコライザーアンプ, エネルギー, エレクトレット・コンデンサーカートリッジ, エレクトレットコンデンサー, オークション, オーディオファイル, カートリッジ, グリーン, コンデンサー, つながり感, デザイン, デザイン設計, パワーアンプ, ピックアップ針, プリアンプ, ヘッドホンアンプ, ボリューム, ホワイト, マニア, モノ, レイアウト, レコード, 不必要, 人間, 内装, 原点, 収集, 商品, 回路, 回路基板, 基本, 大地, 完成度, 実装, 左右チャンネルアンプ, 形式, 性能性, 批評, 最終商品, 東芝, 機器, 機能性, 無色透明, 版下, 経験, 自分自身, 自負, 表現, 製品デザイン, 車椅子, 退職, 部品, 部品設計, 電流, 電源, 静電容量, 音質感, 駆動
Posted in 祈望から企望へ
目次を見る
12月 4th, 2011 Posted 12:00 AM
良い音を聴きたい。
素晴らしい音環境に包まれたい。
だから・・・
これが私のオーディオ世界に入っていったきっかけでした。
のめり込んでいったのは美大時代でしたが、
当時、とても高額だったステレオシステムは持てませんでした。
2chのテープデッキとトリオ(Kenwood)のヘッドホンで、
10本ほどのJazzとRockのmusic-tapeだけでした。
プロのデザイナーになるデザイン対象は「音と光」を選びました。
幸いにして主任教授の指示(命令)で入社した東芝は、
Aurexブランドを立ち上げ、
そのブランドマークからビジュアルアイデンティティまで担当できました。
そしてAurexに新しいオーディオ製品開発分野では、
当時の東芝には「エレクトレットコンデンサー技術」があり、
カートリッジ・マイク・ヘッドホンの商品化の企画から関与できました。
しかし、ヘッドホンは頭部と耳部に装着する機器開発は
デザインの根本から研究しなければなりませんでした。
まず頭部の大きさから耳の形態、
そうして装着感という性能が局部空間での再生音響を
デザインでどこまで機能性を引き出せるのだろうか、
これがテーマでした。
頭部の大きさはジェット戦闘機のヘルメット資料から学びました。
耳への装着感は、ヘッドホン重量・当時は平均300gもあり、
耳部への圧着感についてもある法則を見つけました。
この経験が眼鏡フレームデザインに応用することができました。
今でもヘッドホンは手にとっただけで圧着性の製品性能が判断可能です。
重量は150g(今では考えられない重量)をめざした苦労がありました。
またエレクトレットコンデンサー技術開発を現場で見ていたこと、
これが「素材開発」のプロセスを学んだ一つの経験でした。
今やiPodでのHiFi再生では、ヘッドホンは要です。
私自身どれだけのヘッドホンを試して現在に至っているかを紹介します。
最近、Bowers & Wilkinsを試聴しています。
Tags: 2ch, Aurexブランド, HiFi, iPod, JAZZ, KENWOOD, music-tape, Rock, エレクトレットコンデンサー技術, オーディオ, カートリッジ・マイク・ヘッドホン, ジェット戦闘機, ステレオシステム, テープデッキ, デザイナー, トリオ, ビジュアルアイデンティティ, ブランドマーク, プロ, ヘッドホン, ヘルメット, 主任教授, 光, 再生音響, 圧着性, 局部空間, 東芝, 美大時代, 耳部, 良い音, 音, 音環境, 頭部, 高額
Posted in 祈望から企望へ
目次を見る