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Posts Tagged ‘構造化’


9月19日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     9月 19th, 2020  Posted 12:00 AM

9月19日 仏滅(乙丑)

『技術としてのデザイン』

さらにこの技術が、
産業として生産 と消費を
構造化してきた経緯もまた
理想社会の構築とは
かけ離れたものになっていることも
明白である。

artificial heart:川崎和男展


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8月9日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 9th, 2020  Posted 12:00 AM

8月9日 先勝(甲申)

『位相としてのデザイン』

よって、
怠惰な日常が
構造化されてしまうことに
なるのかもしれない。

artificial heart:川崎和男展


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10月23日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     10月 23rd, 2015  Posted 12:00 AM

10月23日 先勝(壬申)

発想は多重性が必要、
つまり、
いくつかの発想が構造化して
表現は立体化するべきである。
これを
私は「アッサンブラージュ」と呼ぶ。

川崎和男の発想表現手法


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『学位論文での新たなデザイン造形の論理的な思考法の提案』


   


     11月 16th, 2013  Posted 12:00 AM

阪大を定年退官したこともあり、指導教官=副査として、
この論文=論考と論察に6年間関わってきました。
機械工学専攻においての教授たちの様々な研究査察は、
今回もおそらく国内では大変に厳しく、
かくいう私も本人以上にこの論文を幾たびも読みました。
私も学位取得ではもういらないと思うほどの厳しさを受けました。
論文の構成は学域として完成された論考と論察はシンプルです。
背景・緒言、方法、結果、考察、結論・展開で構造化できます。
この論文におけるテーマはあくまでも「記号論」を引用し、
デザイン造形されたいわば秀作73点を数理論的に解釈されました。
デザイン造形は「かたち=形態」に集結します。
「かたち=形態」は、「ことば=言語」化できます。
この形態が言語化されれば「記号」として、その解釈は、
ソシュールによって論考の手がかりを引用可能でした。
したがって、造形言語はデザイナーが造形意図をあたえることで、
「デザインする」という意味の核心であるデザイン意図であり、
形態言語はその意図により「デザインされた」内容を意味します。
この意図と内容を「デザインする」・「デザインされた」という、
記号論的な解釈を数理論的な数式で解釈の論察を試みました。
73点のデザイン製品を数式的な解釈は、工学的な論考として、
5名の学位保持者たちの予備審査によって、
ようやく大阪大学大学院は「学位授与」資格に至りました。
あとは工学研究科教授会での認定に至ります。
私にとっては3人目の工学博士をデザインの世界から生みました。
かって私自身も、
学位授与式での学長からのメッセージがいつももどってきます。
それは、「ようやくこれで学域の研究者として発言が許される」、
その立場が社会的な専門学域者としての資格=博士号です。
この学位取得者はこれから、デザイン+エンジニアリングを融合し
私は「テクノロジスト」として「デザイン工学」に、
果敢に挑戦をしていってもらいたいと思っています。


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「音からデザイン役割を語る基礎として」


   


     2月 23rd, 2012  Posted 12:00 AM

通称「ロクハン」と呼ばれるスピーカーユニットがあります。
口径16cmのフルレンジ=音響再生領域が満遍なく
フラットなスピーカーユニットのことです。
人間が聞こえる可聴領域があります。
可視光線の領域のようなものですが、
最低音f0が40Hzあたりから高音域20kHzまでがあれば十分なわけです。
そしてこの領域の音圧がすべてフラットな音の再生が重要と言われてます。
しかしマニアックには、このフラットさに、
それぞれの音楽領域、ジャズとクラッシックを再生するとなれば、
フラットではなく、ある再生音響領域にだけピーク値や谷を求めます。
それがスピーカーメーカーの特色になります。
ジャズならJBLで、
クラッシックならタンノイという迷信があります。
私は迷信だと思っていますしそれはアナログ時代のことです。
今はデジタル再生ですからこの考え方はもう時代遅れです。
そして、フルレンジそれも「ロクハン」ともなれば、
卒業研究と卒業制作ではコーラルのロクハンからスタートした私が、
東芝時代にこのロクハンをデザインで追いかけていました。
つまり、フルレンジではf0=80Hzですら再生は難しいのですが、
基音の倍音ということで、耳はあたかも低音を再現してくれるのです。
ハーモニクスな状態で身体を包んでくれる心地よさです。
私は、基音が適えば=基礎が全うなら、
すべてをフル稼働=フル機能化実現につながると考えています。
それは自分がロクハンというフルレンジスピーカー、
そのもののデザインを素材選定から構造化してきた経験があるからです。
日本は1970年代から80年代に蓄積してきた音響設計経験を失いました。
この経験則をさらに積み上げてきた欧米は、
今、映像と音響の新たな世界観を商品化しています。
その製造生産技術を中国も積み上げてきました。
それでも、日本ならではのある素材運用技術はまだ残っています。
基音と倍音の関係でのフル稼働機能性に最適な素材設計技術です。
この技術復権もデザイン主導すればという想いが私にはあります。
「ロクハン」という小っちゃなスピーカーユニットだからこそ、
その凝縮技術の応用に日本技術の復権が可能です。
それを主導する役割がデザインだと確信しています。

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9月20日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     9月 20th, 2011  Posted 2:15 PM

9月20日 赤口(戊寅)

見つめるべき表裏、
表面という外観と
その外観を構造化している
内実=デザイン意図や、
デザイン表現の意志=哲学は、
語り切る言葉が少ないからかもしれない。

『デザインという先手』触手


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9月19日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     9月 19th, 2011  Posted 10:00 AM

9月19日 大安(丁丑)

デザインは、
あくまでも外観的な印象を感覚として
受け止めることができる。

しかし、
その外観を内側から構造化している
デザインの思考は、
印象でも感覚でも、
認識性には行き着かないものである。

『デザインという先手』触手


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8月24日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 24th, 2011  Posted 10:00 AM

8月24日 先勝(辛亥)

政策はデザイン手法、
つまりデザイン戦略で
構成と
構造化されなければならない時代である。

『デザインという先手』手段


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『資本主義からの逃走』
    「人権と情報はアポリアのまま」


   


     12月 16th, 2010  Posted 12:01 AM

人権と民主主義
人権は民主主義の根本です。
社会が個人尊重を第一義にしている知恵です。
ただし私自身には民主主義懸念が生じています。
だからといって代替主義を見いだしてはいません。
結局、人権と民主主義がアポリアなわけです。
人権へのハラスメント
それは、今や個人は情報によって、あるいは情報の中でのみ、
個人の存在が社会的認知をされてしまっていると考えるからです。
「人権」、その保全・保護・防御すべからく「情報」以外であれば、
身体的、または精神的な人権は、ハラスメントを超えればこれは明らかに暴力であり犯罪です。
無論、セクシャルハラスメント・パワーハラスメントは日常語になっています。
ただし、ハラスメント意識社会は民主主義が前提です。
情報セキュリティはアポリア
人権が未だに軋轢・圧迫されている社会は、
政治的には独裁政治、国際的には未熟な社会といわざるをえません。
ところが、この未熟さを強化するツールにコンピューターの利用は独裁的であるわけです。
人権の消去はコンピューター上で可能となります。
つまり、人権と情報、コンピューターの構造は、
先進国家では、人権確認のいわゆる情報セキュリティに連鎖させて制度化されていますが、
この構造化が技術化されているだけです。
結果、やはり、「人権」と「情報」の関係は、
政治性と社会性の中ではアポリアのままだと言わざるをえません。


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『資本主義からの逃走』
   「新資本とは、自分が「包まれる」デザイン手法の直観」


   


     7月 4th, 2010  Posted 12:00 AM

新資本づくり
私が職能家・デザイナーになって、すでに40年です。
すっかり、日本の産業構造とデザインの構造を実体験してきました。
この経験は、日本の大企業から地方の地場産業まで、
その「構造化」された仕組みをつぶさに見てきたことだと思います。
そして、今やわが国の「モノづくり」の危うさを実感しています。
貿易をしないと、資源の無いわが国は存続していくことはできません。
しかし、貿易だけの国家戦略の時代ではありません。
つまり、脱工業化から情報の高密度化、
あるいは、地球環境の最先端的保全、
国際的なボランティアサービスなど多様な国家的、民族的、教育的、医療的などへの
貢献からの収益での存続性があります。
私は、その中核と周縁に「慈愛」と「優美」を二重構造化すること、
そこに「新資本づくり」があると判断しています。
そして、その基本は、これまでの「手法」からは逸脱することだと私は確信しています。
なぜなら、デザインは時代と共にではありません。
まず、デザイン自らが「デザインを先導させる」ことが最重要だと考えます。
もっと明確に言えば、
デザインのデザインとは、これまでのデザインを中心・中核から外すことです。
私は、慈愛と優美を次のように考えます。
● 慈愛を中心に、優美を周縁とする。
● 優美を中心に、慈愛を周縁とする。
● 中核を「空」として、慈愛・優美を周縁とする。
● 周縁を「無」として、慈愛・優美を周縁とする。
「空」・「無」
これは、一言で言い尽くせば、
「つつましさ」=包むことの「空」
「つつましさ」=包むことの「無」です。
コンセプト・デザインから離脱
もっと明言を断言にすれば、「コンセプト・デザイン」を離脱することです。
その時に、観えてくる自分が何に包まれているからこそ、
自分が発露できる「つつましさ」の品位ある美しさ、
そのようなことが観えている自分の自己確認に他なりません。
「コンセプト」など「空」にする方法を見つけること。
「コンセプト」など「無」にする方法を見つけること。
まるで、「禅問答」のようかもしれませんが、
直観」に包まれる自分になる訓練かもしれません。
その「直観」は、
必ず、これまでのデザイン対象としてこなかったことに気づくことだというのが、
今、私の「直観」です。


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