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Posts Tagged ‘経験則’


「悪夢は醒めたのだろうか・・・・・」


   


     12月 20th, 2012  Posted 12:00 AM

前回の政権交代は、確かに一つの期待だったと思います。
しかし、この3年3ヶ月は悪夢だったのです。
とんでもない天災で同胞を失い、
神話が崩れて以後の反原発も卒原発も一つの決着案に入りましたが、
まだ悪夢さめやらずが連続しているのかもしれません。
この選挙戦で敗北した人々の顔つきは悪面が多い気がします。
そして、政権また交代です。
日毎の希望と期待感は、まさしく景気に連鎖しています。
日経平均株価8800円は10000円台にまで復活してきました。
私は「景気」というのは現代経済論理事例としては、
一つの指標だとは思っていますが、
その事例を特に「モノづくり」に直結した確信材料にはしていません。
「モノづくり」は、経済動向以前に、
さらに「夢現実」の世界観があってほしいと思うからです。
ただ経験則的には、日本の国家体制が最低でも、
13000円を常に維持していることは原則かもしれないと考えます。
新たなリーダーの言葉はそのまま市場環境の景気感を変動させています。
無論、大きなグローバリズム=これが幻想の景気観の中では、
世界、特に欧州のギリシア破綻への対応観と
米国の景気観がわが国との構造を決定しているものと
判断している次第です。
従って、
本当に私たちは天災を受ける列島の民族であることは確かな事です。
まもなく、2012年が終わろうとしています。
私たちは、新しい年を迎えるならば、
いつも幸運で幸福でありたい、
生きていくということの終末も理解しているだけに、
現実での悪夢だけはなんとしても避けなければなりません。
3.11という決定的な悪夢をなんとしてもはねのける必要があります。
その先行指標がもし、この日経平均株価であるとするなら、
ようやく悪夢から解放されつつあるのかも知れません。
解放されたいとつくづく願うばかりです。
私の人生において、
その時々に、悪夢は襲ってきていました。
ひょっとすれば、
これほど悪夢にうなされる生涯を生きなければならないのが
「人間」なのかもしれません。
だからこそ、「夢」の世界に飛び出していく価値、
その価値づくりの一つがデザインだと思わざるをえません。


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「音からデザイン役割を語る基礎として」


   


     2月 23rd, 2012  Posted 12:00 AM

通称「ロクハン」と呼ばれるスピーカーユニットがあります。
口径16cmのフルレンジ=音響再生領域が満遍なく
フラットなスピーカーユニットのことです。
人間が聞こえる可聴領域があります。
可視光線の領域のようなものですが、
最低音f0が40Hzあたりから高音域20kHzまでがあれば十分なわけです。
そしてこの領域の音圧がすべてフラットな音の再生が重要と言われてます。
しかしマニアックには、このフラットさに、
それぞれの音楽領域、ジャズとクラッシックを再生するとなれば、
フラットではなく、ある再生音響領域にだけピーク値や谷を求めます。
それがスピーカーメーカーの特色になります。
ジャズならJBLで、
クラッシックならタンノイという迷信があります。
私は迷信だと思っていますしそれはアナログ時代のことです。
今はデジタル再生ですからこの考え方はもう時代遅れです。
そして、フルレンジそれも「ロクハン」ともなれば、
卒業研究と卒業制作ではコーラルのロクハンからスタートした私が、
東芝時代にこのロクハンをデザインで追いかけていました。
つまり、フルレンジではf0=80Hzですら再生は難しいのですが、
基音の倍音ということで、耳はあたかも低音を再現してくれるのです。
ハーモニクスな状態で身体を包んでくれる心地よさです。
私は、基音が適えば=基礎が全うなら、
すべてをフル稼働=フル機能化実現につながると考えています。
それは自分がロクハンというフルレンジスピーカー、
そのもののデザインを素材選定から構造化してきた経験があるからです。
日本は1970年代から80年代に蓄積してきた音響設計経験を失いました。
この経験則をさらに積み上げてきた欧米は、
今、映像と音響の新たな世界観を商品化しています。
その製造生産技術を中国も積み上げてきました。
それでも、日本ならではのある素材運用技術はまだ残っています。
基音と倍音の関係でのフル稼働機能性に最適な素材設計技術です。
この技術復権もデザイン主導すればという想いが私にはあります。
「ロクハン」という小っちゃなスピーカーユニットだからこそ、
その凝縮技術の応用に日本技術の復権が可能です。
それを主導する役割がデザインだと確信しています。

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9月21日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     9月 21st, 2010  Posted 10:00 AM

9月21日 先負(甲戌)

結局は、「美しいよね!」って、
感覚を共有できるように、
知識を重ね合わせることが
人を説得するには有効だというのが、
私のデザイナーとしての経験則である。

それでも、
このやり方には決定的な致命傷がある。
重ね合わせるだけの知識が
共有されていなければならない
ということである。

『デザインは言語道断』知行


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