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Posts Tagged ‘車イス’


『権威が権力として誤った選別を告知へ、に反抗』


   


     6月 3rd, 2016  Posted 12:00 AM

日本だけでなく、世界中の人間のコミュニティ、集団や●●界には
いわゆる政治的な強迫的とも思える支配構造が必ずあります。
美大時代には少なからずデザインの世界は純粋美術のような会派が無く、
きっと自由だと思い込んでいました。
けれども、社会人としてデザイナーになると、学閥がはびこり、
さらには「デザイナー風情が・・・」(これは今も)に包囲されていました。
フリーランスになると、「田舎のデザイナーが・・・」がありました。
したがって、敢然とデザイン界内部では闘い、なおかつ外部でも、
「デザイナーは喧嘩師であれ」を出版したことで、
これはドエライ、ブーメラン効果にもなっています。
しかし、敢然と、正眼の構えは崩さないことを明言しています。
これはあるデパートでしかもデザインを中軸にして正当さを守っていた
日本の代表的な売り場でもあり、ミュージアム的なデザインの良さや
ここを運営する日本では最大最良のデザイン団体があります。
ところが、展示作品には無知識さがあるようになりました。
私もそこの会員に若いときに推薦されましたが、
その権威のようなことが嫌で会員にはなりませんでしたが、
作品は展示され売られてもいました。
ところがある時期から、ここの団体なのか店の商売感覚で、
私の作品どころか、書籍などもまったく置かれてもいません。
私はその反発心を表現しようということなどはどうでもいいのです。
上京すると結構、ここでの企画展・作品展も見ますし、
会員の知り合いに会えば率直に意見をいいます。
今回も若い作家には漆のあるべきことを言いました。
展示は車イスの私には全く見えず、
書籍コーナーにあるデザイン批評やデザイン関連歴史書には、
許すべきではない偏見甚だしいというか、
権威ある団体公認は見逃せません。
敢えて書き残します。
これこそ新しい権威を超えた権力行使だと自白もしておきます。

*『喧嘩道には制度的なサンクションが作動する』
*『色見本・素材見本よりも重要なある規範を変えたい!』
*『本物に出会う「漆器」にもささやかな未来が見えた』
*『出版を「モノのデザイン」にしていくために』
*『デジタルな火と水を傍らに置く重大さ』


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『座姿勢の複合制御性能とその機能化からのIoMeT』


   


     5月 31st, 2016  Posted 12:00 AM

身障者用具をおそらく日本で一番にデザインし、
造り続けてきている美大時代の同級生親友がいます。
工業デザイナーをベースにいくつもの実務を実施。
それぞれの要求を聞き出し、
デザイン・製作製造し、なおかつ社会運動でも
大きな実績を積み上げてきたM氏はこの世界では著名です。
現在も身障者向けの車イス製造、輸入、
さらには彼ら達の様々な倚子のオーダーメイドを続けています。
ほとんど商売にはなっていませんが、最近では人間工学を超え、
彼の実務理論とその実現性から、彼はシーティングエンジニアです。
以前から私自身の体型変形を指摘し、先月、測定をしました。
測定結果での座面、それの再検討と同時に、
車イスによる体幹保持として、
最もその制御製造をしている工房「輪」を紹介されました。
もはや、電動車イスを利用していますが、
改めて座姿勢の様々な複合姿勢、
伸展・側屈・回旋・リクライニング・チルトを基本とし、
使用者にとって複合的な機能として実現されていることを
自分自身がその車イスに乗って体験をしてきました。
まだ若いエンジニアやその周囲の若者たちの懸命な取り組みに、
さらに新しい素材開発やその提供、改善から革新をこなし、
その社会制度までが、自分のテーマになってしまいました。
M氏のねらいは、こんな若者集団をなんとかしろよ、と、
命じているのでしょう。そしてそれがもはや役割になってきているのでしょう。
大きな宿題を預かったようです。
おそらく、モービル産業の変革が最近めざましくなっています。
しかし、それらをIoTで語ることでは解決にはなりません。
IoMeT=Internet of Medical Thingsを実体験しました。

*『「座る」・人間工学からシーティングエンジニアリング』
*『電動車イスの効能的制度設計からの性能・機能デザイン』
*『温故知新から不易流行の「IoMeT」へ』
*『賢明で懸命であることから始めた=社会人最初の実習で』
*『柳宗理作品の軽薄で見識不足な批評は叱られる!』


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『「学芸員の父」が母校の初代学長・森田亀之助でした』


   


     5月 20th, 2016  Posted 12:00 AM

この肖像はだれでしょうか?、といっても
一般的には有名ではありませんが、母校・金沢美術工芸大学の
初代学長・森田亀之助先生です。
終戦直後、金沢市には疎開していた画家や芸術家がいたのです。
敗戦直後の展覧会は行列になるほど、人は美術・工藝に癒やされたのです。
そこで美術学校を創ろうという話は議会テーマとなりました。
敗戦直後、何を無駄なことをするのか、と大議論になりました。
金沢市の判断は決まってこういう具合なのです。
「もし、前田の殿様が居たら、市民があれほど展覧会を喜んでいる、
 無駄だからというなら無駄でいい、今のこの敗戦時に不可欠だ」となり、
その初代学長の「美術・工藝そしてデザイン」という方針が決定。
専門学校、短大、美大の伝統理念になりました。
私はこの話を、Yちんという主任教授から聞かされました。
Yちんは光風会の画家でしたが金が無くなると先生宅で夕食を頂きました。
無論、先生への手伝いは色紙に描いた絵に落款を押していました。
絵が下手だったことで辞めようとしたときにも随分はげまされ、
他企業が受かっても卒業はさせないから東芝に行けという命令でした。
先生が倒れたと聞いた私は上司にお金を借り飛行機で金沢に帰りました。
もう暗くなった病室で、「来てくれたのか大丈夫だ、大丈夫」と言われ、
病院の玄関まで逆に先生に送られたのです。
ほぼ一週間後に、先生は逝きました。それを会社で聞きました。
だから東京で一晩泣きに泣きましたが葬儀には行きませんでした。
車イスになって 母校の非常勤講師を命ぜられた時に、
Y教授からの伝言をM教授から聞かされて
ビックリしてその命令に今も従っています。
が、その伝言に、M教授の前ではばからずにまた大泣きしました。
出逢わなかった初代・森田学長は「学芸員の父」と呼ばれています。
母校開設70年です。
その最初からを史実記録にしなければなりません。

下落合がずいぶん長い森田亀之助

*『オーディオ界で出逢った新技術と二人のエンジニア』
*『毎夏、再自覚決心の日』
*『やっぱり、なぜこれほど落ち着くのだろう』
*『終戦間際の消された歴史・亜細亜の中の日本』
*『天衣無縫な時代と社会に活気がある』


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『非常事態の準備は再考しなければならない』


   


     5月 10th, 2016  Posted 12:00 AM

March 11. 2011ー「3.11」の天災人災からすでに5年が過ぎました。
ところが熊本では、地震予測4%にすぎなかったにもかかわらず、
それも未だにすでに2000回を超える地震が連続しています。
かつて歴史的にも熊本から発生した地震は北上して、
京都の秀吉が都づくりをねらっていた伏見城下まで連鎖したそうです。
3.11以後の地震予測では、確かに、雲の形では予測可能ですが、
次には、駿河湾、首都直下、南海トラフと言われています。
ともかく熊本では崇城大学・九州大学がレジリエンスデザインチーム」
現地での災害対策をしていますが、研究室でもチーム支援をしています。
「レジリエンスデザインチーム」はすでに約20大学がデザイン・建築系で
防災デザインのカリキュラム化を試みてもらっています。
では、わが家では、ということになり、
非常用の準備を確認しましたが、あらためて電池の入れ替えや、
不足分などを付加したり、早急に備えて置いたりなど確認しました。
今回の熊本地震は、3.11での経験とは全く別の準備が必要なようです。
たとえば3日あれば、というのも熊本のように未だに連続しているのでは、
根本からの対策を見直さなければなりません。
特に、私は、車イス使用でありほとんど行動は不能になります。
とりわけ、火災や高層からの脱出は不可能です。
研究室ではその場合をなんとしても、
新しいデザインアイディアを具現化したいと考えています。

*『自然との喧嘩・調和などありえない』
*『スイス政府防災マニュアルは憲法の具体解説』
*『サバイバルの方法・手段を軍事から語る限界』
*『天災・人災の日本こそ地球保全と人類存続をデザイン』
*『ヘルメットとヘッドライト、デザインの見直し』


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『「座る」・人間工学からシーティングエンジニアリング』


   


     5月 1st, 2016  Posted 12:00 AM

28歳時に交通被災、車イス使用者として生きてきました。
車イスそのものを自分でデザインしました。
しかしこのブログでは一度もそのことを書いたことはありません。
もう最近は電動車イスでの移動の身体になりました。
しかも、身体には加齢もあるのか体型変化が起こってきています。
幸いに美大時代の同級生M氏は
シーティングエンジニアとしても高名であり、
彼から早く直すべきと忠告されていました。
確かに体型の変形は内臓にも影響を与えている実感があります。
そこで、彼は身体障害者向けの様々な製品開発や商品化もしていて、
その事業での「でく工房」社長T女史まで測定支援してもらいました。
いつか電動車イスは二人で組まないと素人判断のモノが出てきています。
私の体型診断と測定、
身体保持シートの再設計のために来学してくれました。
とてもいい機会なので、医学系研究科の教授や他大学の教授、
そして学生にすでに「座る」という行為の時代遅れの人間工学から
シーティングエンジニアリングのワークショップになりました。
なぜ、人間は二足歩行で、「座る」という行為の世界的なイスの系譜から
私がモデルになって体型変形の矯正方法や車イスがどうあるべきかを
もはや使えない人間工学を超えたシーティングエンジニアリングを
新たな研究ターゲット発見課題などを私の研究室で行いました。
そして、
今や間違いだらけの電動車イスの欠点から二人の狙いを語りあいました。
彼を私の講座の特別研究員にすることにしました。

*「音を求めて『闇『歴史的作品からの刺激をどう受け止めるか』
*『誤謬へのシンボライゼーションプロトタイプ』
*『「闇に座す」=土・立、修辞学的な造形の込めた願い』
*「デザインは『付加』するものではないということ・2」
*「関西海事教育アライアンス・6年目の演習課題プレゼン」


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『レジリエンスデザインチームで少しでも支援を』


   


     4月 19th, 2016  Posted 12:00 AM

熊本の地震状況は日毎に悲惨さを増してきました。
正直、何も出来ません。
自分のような車イス使用者は活動停止を強いられます。
九州の障がい者の知人たちからも実情が届きます。
現地の崇城大学で教員の後輩、九州大学の元私の准教授が
中心になって「レジリエンスデザイン」活動をしています。
そこで、大阪大学で中核整理をしたwebsiteに、
いくつかのデザイン系、建築系の大学からも支援を受けて
「レジリエンスデザインチーム」をつくっています。
何が出来るかといわれても、デザイン・建築の教員とその学生で、
少しでも「レジリエンスデザイン」の知恵を集めることが出来るはずです。
レジリエンスとは、ストレスやプレッシャーに、
身体的・精神的に克てること、それをデザインできうると考えるからです。
自分はコンシリエンスデザインを提唱して、
その対象の一つにレジリエンスデザインがあると主張してきました。
しかし、「まさか」ということが熊本、九州で発生してしまいました。
九州大学では丁度、「レジリエンスデザイン」がデザインテーマだけに、
即、実務活動でその実績を上げていってもらいたいと願っています。
改めて「レジリエンス」がデザイン・建築で再補強されると思っています。
自然、その天災は、とてつもなく人間を活動停止させてくるものです。
しかし、人間は天災のストレス・プレッシャーに克たなければなりません。
そんなチームになってほしいと素直に期待しています。

*『コンシリエンスデザイン看医工学の学際化』
*『あれから20年・・・阪神淡路大震災のこと』
*『コンクリートから解放されること・今世紀のテーマ』
*『Consilience Design Phenomenaの形態・制度設計の効用』
*『「土地の記憶」は鳥居の位置その変遷にある』


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『電動車イスの効能的制度設計からの性能・機能デザイン』


   


     4月 9th, 2016  Posted 12:00 AM

車イス生活を余儀なくされて、僕は車イスをデザインしました。
結果、その車イスはMoMAはじめ美術館やデザインセンターに
永久収蔵され、自分が最も必要とする自助具を自分でデザインし、
しかも車イスデザインのあり方を二つ決定しました。
一つは、走行性能と身体保持性能の両立です。
もう一つは性能決定による必要重量の機能化です。
しかし、すでに僕の障害では「電動車イス」が必要な事態になっています。
最近の車イスの技術進化は様々な性能・機能のモノが登場していますが、
僕には車イスデザイン設計での大間違いを発見しています。
健常者が「腰」で運転しても無意味です。
さらに、重量は20kgが限度です。重量設計を間違えれば、
性能は勿論、効能=社会的存在の意義がありません。
現在の僕の電動車イスは、ワイフによってカーボンファイバー風と
シートをやり直しています。が、まだ不満足です。
そして何よりも電動車イスは社会的な制度上の問題が山積しています。
僕の経験では、飛行機搭載の問題がありますが、
これは米国では1990年「障害をもつアメリカ人法」=
(Americans with Disabilities Act of 1990 ADA):
包括的障害者差別禁止法という
効能的制度が不整備という問題があるからです。
したがって、コンシリエンスデザインによって、
この対象である「看医工学」の実務形態設計と
制度設計があるということで、一つの代表目的にしています。

*『最近はリチウム急速充電の電動車椅子に乗っている』
*『これは最適ではない・誤った車椅子対応車輌デザイン』
*『チュッパチャプス武器論・戦術結果は「効能」成果#3』
*『あらためて自転車を!、車倚子の私から』
*『車イスデザインのための文脈づくりに気づく』


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「美術館・博物館という空間建築アイテムは終わった」


   


     3月 23rd, 2016  Posted 12:00 AM

初めて「国立新美術館」に出かけました。
それもイベントのオープニングにちょうど東京にいることもあり、
出かけることにしました。
おそらく同じデザイン界の人物に会うことになるだろうと覚悟しました。
正直、僕はひっそりとじっくりと観ることが好きなのですが
出かけました。
もう、その美術館の入り口から知人たちに会い始めました。
「三宅一生展」は、観ておくべき展覧会であることは間違いありません。
車イスゆえ優先的に最初に会場に入ることができました。
いきなり、建築家・安藤忠雄氏に出会い、そのまま三宅一生氏、
そして会場構成の吉岡徳仁氏と
グラフィック総括の佐藤卓氏に会いました。
佐藤卓氏とは、東京では結構思いがけない店で出会っています。
「よく会うね」とか、
「あの店大好きだから、今度一緒に」と会話しました。
三宅一生氏の仕事は、いわゆるファッションデザイナーを超越しています。
「プリーツプリーズ」の評論は、私が最初に書いたと思います。
その時にはポリエステル繊維から、布特性の7段階を知りました。
これは今ようやく「羽二重」ブランドの骨子になっています。
さて、問題はこの「国立新美術館」の建築設備でした。
遠慮無く断言すれば、美術館という空間建築とその設備は
もはやとても時代遅れはなはだしく、
私には美術館ではなくて「博物館」でした。
三宅一生氏の仕事の集大成は、もはや美術館を超えていたはずです。
明確に言い切ればデジタル表現の設備が全く考慮されていない空間でした。
これは、未だにプロジェクタースクリーンが4:3であることです。
すでに画面表示は16:9にも関わらず、日本全国の公的場所は4:3です。
しかも一画面でしかありません。
投影アプリがPowerPointばかりと同等です。
たとえばデジタルというとすぐに「デジタルサイネージ」が喧噪ですが、
その実態には何も新鮮さがないことに等しいのです。
IoT=Internet of Thingsというデジタル表現もこの漠然さに日本は呪縛され、
本来のIoTの、その将来がみえていないことに等しいのです。
僕は「デジタルアッサンブラージュ」を提案していますが、
おそらくこれが理解されるにはまだ当分時間がかかりそうです。
もはや、美術館も博物館も、そうなると街角のギャラリーですら
「デジタルとアナログ」、「アナログとデジタル」、
この相関関係のインターラクションが必要です。
しかし、
インターラクションの定義はもっと時代で研磨されるべきでしょう。


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『自分の車遍歴とカーデザイナー養成は同次元』


   


     1月 5th, 2016  Posted 12:00 AM

僕の自動車遍歴は運転免許証を手に入れるところから始まります。
最近はカーデザイナーを目指しながら免許証も持っていない学生には
驚くばかりですが、それ以上に、
「車が欲しい」という欲求が皆無という若者が増えてきています。
僕も大学に入ったその年の夏休みには自動車学校に行きました。
しかし、当時の学校の教官はとても品格が無く、
言葉遣いも命令調でありその指導態度は我慢出来ないほどでした。
若さの余りに私はその自動車学校で事件を起こして、
しかも父は警察官、その学校の校長は父の元上司ということで
即刻、退学させられましたから免許証はありませんでした。
ところが、交通被災直前に私は実施試験とペーパーテストで合格して
免許証を手に入れていました。
美大は、なんといっても全国からカーデザイナー希望者が集まる
それこそ当時は数少ない工業デザイン専攻でしたから、
カーデザインのレンダリングが学生時代から、みんながとても上手くて、
僕は理由を聞いて、カーデザインという言葉すら知りませんでした。
車イスになって退院と同時に車は左ハンドルであるべきと、
シボレーのモンザ・モンテカルロ・カマロと乗ってきました。
カマロもベルリネッタ8気筒で、
それこそ、福井・東京間を競ったくらいでした。
それをデザイン企業支援者たちから見かねて、
僕は運転手付きでボルボのステーションワゴンに5年間乗りました。
それでも、僕の車遍歴がとどまらずに僕仕様の車を求めました。
一時は5台もあった時代があります。
BMWもベンツの時代もありました。それも数台乗っていました。
ワゴン車でスタッフ移動に使っていた頃もありました。
キャディラックのロングリムジンは、ある経営者から突然プレゼント。
流石に、全長7mのリムジンは名古屋から大阪に来るときに辞めました。
ベンツの時代には、6万kmで乗り換えてきたぐらいです。
正直、工業デザイナーですが、それほどの興味対象ではありません。
最も、カーデザイナーをめざす学生には
徹底した教育=レンダリング訓練を厳しくしてきたと思います。
カーデザイナーや車関係は、全ての教え子を企業留学させています。
従って僕には車仕様は「障害者対応の仕様」とその「部品デザイン」、
これにはメーカー本社と日本の制度を一致させていくことが目安です。
車遍歴は常に「障害者対応」が僕には基盤になっています。


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『わが人生最期の車は美しいデザインを』


   


     1月 4th, 2016  Posted 12:00 AM

ベンツSL500を10余年乗って使ってきました。
車を10年以上も乗るなんてことはありませんでした。
なんとかワイフを口説いて、私の人生最期の車を選びました。
私にとって前提は、車イス対応ゆえに、二つの大きな条件があります。
車イス収納と両手だけでハンドル操作とブレーキ・アクセルを、です。
ともかくAMには、男の子としての背景に007がありました。
選び抜いた車は、4ドアスポーツタイプ「ラピードS」。
注文後7ヶ月、途中直接ディーラーがAM英国本社で、
車イスユーザー用のアタッチメントを検討してもらって、
国内での取り付け工事。これさえ最初のことのようでした。
アタッチメントは全く進化していないことをFBでぼやくと、
いくつかの提案をいただき、ディーラーが工事企業を調査し、
英国本社ともコンピュータ制御と取り付け検討で部品決定。
その間のやりとりはこれまでに未体験多くて、
モノづくりの根本で新しいやり方を知りました。
こっそりと1/12サイズモデルを探し出してワイフに叱られました。
ところがなんと本社対応では、
全ての注文仕様で素材も同等の1/8が注文可能だと知りました。
しかも、そのモデルで軽自動車2台は購入可能を知りました。
ナンバープレート番号入りの写真と、
左の取説を今はじっくり読破中ですが、
エェッという機能はこれからの自動車のあり方、
それはデジタルとアナログの使い分けがとても明快でした。
結局、自動と手動の使い分けで、
絶対コンピュータ制御を避けて、マニュアル制御を護り抜く、
この考え方には大きく同意しました。
私には、車とオーディオ、そしてカメラには、
これからのアナログとデジタルの
インターラクションの決定手法があります。
それは特に、車とオーディオには共通項が多いことでした。
それこそ、カーオーディオは自宅で使用のB&Oが仕込まれていました。
しかも現代流のBluetoothで制御が可能になっていました。
ある時、ワイフが、
「あの車とても美しい」と初めて言いました。すかさず私は、
「あれがアストンマーチンだから、どーお?」
「・・・・・」、妻の完全沈黙、あれからの説得でした。
ともかく、徹底的な美しさだけを最期の車に求める結果が選んだ理由です。
本当はSL500を手放すことは随分とためらいました。
私は自分の人生は、すべて左ハンドルでした。
車イスには絶対、左ハンドルでなければ、通行上にも問題があります。
さて、これから3年かけて自分用にしていくというのがポリシーです。
なるほど、自分の身体との整合性を求めていく過程を楽しむということ。
67歳になって最期の車を、ゴールドカードの免許証のまま、
私が最期に乗っていた車にするつもりです。


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