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11月19日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 19th, 2017  Posted 12:00 AM

11月19日 大安(庚戌)

画面は4:3はもう終わっている。
先進的な講演なら、
絶対に、16:9であるべきだ。
だから、PowerPointでのプレゼなど、
既に「遅れている」。

川崎和男の発想表現手法


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『先進的なデザインの場は512Kで可能だった』


   


     9月 23rd, 2017  Posted 12:00 AM

Macintosh512Kは全く新しいデザインツールになるという確信がありました。
全スタッフにこれをデザインツールにして、最も先進的な場を福井で実現。
デザインスタジオは、福井駅前にあり、
すでにプレゼンテーションも512Kで4:3画面で行うことができました。
そしてここには福井大学の建築学科の学生たちには、自由に使わせ、
デザインコンペへの応募をさせていました。いつも入賞は果たしていました。
その中の一人は今では国立大学の准教授になっています。
プレゼンテーションルームには巨大な壁画がありました。
それは親友がすべて鉛筆で描いたほとんど写真かと思える絵画でした。
これだけの才能はある私立大学で彼の存在が消される事件に巻き込まれ、
彼は日本を捨てて今はオーストラリアに居ます。
それこそ、3.11が起こった直後、
彼は私に、もうこちらに来るべきとそんなメールをくれました。
またここで、伝統工芸の職人さん達と打ち合わせをすると、NHKには、
「絵にならない、伝統工芸らしく」とか言われる有様でした。
私はNHKに対して、伝統工芸が近代的になるためには、
最も先進的なアトリエが当然という私の思いはほとんど通りませんでした。
伝統工芸は裸電球の薄暗いそういう場、
言い換えれば伝統工芸らしさは文学的な場が求められていたのです。
これを打ち破るにも、このプレゼンルームは重要でした。
現在も私は、デザインは絶対に最も先進的な場が必要と考えています。
そういう意味では、私のプレゼンや講演では16:9を重要視していますが、
とてもそこまでのことは叶っていません。
なぜデザインの場が先進的であるべきなのかは、
未だにデザイン界自体も気づいていないと私は判断しています。
私があくまでもMacintoshに拘っているのも、
絶対にWindowsでは無理なのです。
だからMacオンリー主義ではないことも付け加えておきます。
ともかく、ふるさと福井で私はまだまだ先が見えていない512Kに、
デザインの先進的な「場」づくりの根柢を求めていたのです。
そして、今となると、この認識による実際行動は
全くデザイナーには正解であったと思っています。

* 『リトルコンピュータピープルの顔色は人工知能要素かも』
* 「現代の道具・LSIのやり直し」
* 「もう一つの言語を教えていた昔・ロゴレゴのこと」
* 『「場のちから」の「ば」と「ち」にあるデザイン』
* 『前頭葉で「ち」と「は」=形と言語が制御されている』


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「美術館・博物館という空間建築アイテムは終わった」


   


     3月 23rd, 2016  Posted 12:00 AM

初めて「国立新美術館」に出かけました。
それもイベントのオープニングにちょうど東京にいることもあり、
出かけることにしました。
おそらく同じデザイン界の人物に会うことになるだろうと覚悟しました。
正直、僕はひっそりとじっくりと観ることが好きなのですが
出かけました。
もう、その美術館の入り口から知人たちに会い始めました。
「三宅一生展」は、観ておくべき展覧会であることは間違いありません。
車イスゆえ優先的に最初に会場に入ることができました。
いきなり、建築家・安藤忠雄氏に出会い、そのまま三宅一生氏、
そして会場構成の吉岡徳仁氏と
グラフィック総括の佐藤卓氏に会いました。
佐藤卓氏とは、東京では結構思いがけない店で出会っています。
「よく会うね」とか、
「あの店大好きだから、今度一緒に」と会話しました。
三宅一生氏の仕事は、いわゆるファッションデザイナーを超越しています。
「プリーツプリーズ」の評論は、私が最初に書いたと思います。
その時にはポリエステル繊維から、布特性の7段階を知りました。
これは今ようやく「羽二重」ブランドの骨子になっています。
さて、問題はこの「国立新美術館」の建築設備でした。
遠慮無く断言すれば、美術館という空間建築とその設備は
もはやとても時代遅れはなはだしく、
私には美術館ではなくて「博物館」でした。
三宅一生氏の仕事の集大成は、もはや美術館を超えていたはずです。
明確に言い切ればデジタル表現の設備が全く考慮されていない空間でした。
これは、未だにプロジェクタースクリーンが4:3であることです。
すでに画面表示は16:9にも関わらず、日本全国の公的場所は4:3です。
しかも一画面でしかありません。
投影アプリがPowerPointばかりと同等です。
たとえばデジタルというとすぐに「デジタルサイネージ」が喧噪ですが、
その実態には何も新鮮さがないことに等しいのです。
IoT=Internet of Thingsというデジタル表現もこの漠然さに日本は呪縛され、
本来のIoTの、その将来がみえていないことに等しいのです。
僕は「デジタルアッサンブラージュ」を提案していますが、
おそらくこれが理解されるにはまだ当分時間がかかりそうです。
もはや、美術館も博物館も、そうなると街角のギャラリーですら
「デジタルとアナログ」、「アナログとデジタル」、
この相関関係のインターラクションが必要です。
しかし、
インターラクションの定義はもっと時代で研磨されるべきでしょう。


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『画面プレゼンテーションを再考せよ』


   


     11月 5th, 2013  Posted 12:00 AM

「パワポ」という言葉が一般化していますが、
このソフトでのプレゼンテーションでは「発想」は起こりません。
それは、PowerPoint1.0=白黒からPowerPoint2.0=カラーを
日本で最初に使ってきた一人として断定することができます。
私自身はKeynoteになって以来本来はLightShowからの系譜こそ、
思考し、レイアウトし、プレゼンでの視聴者への訴求は、
Keynote以外は無理だと結論づけています。
実際PowerPointでの講義は眠くなってしまう傾向が起きています。
そして、私が拘ってきたのは、常に画角を4:3ではなく、
16:9でのプレゼンをいつでも要請してきました。
しかし、これはほとんど無理ですが、舞台上のスクリーンなら、
可能で有り、しかも私はメイン画面とサブ画面を使い、
さらに、正面のバックにはPinP=Picture in PictureでVideoで
背景を流したその上に画面を二つ入れます。
この構成にすると、プレゼンテーションの背景・メイン・サブを
立体的に構成しなければなりません。
したがって、この構成にしていくには、発想・表現・伝達には、
相当に熟考を余儀なくされます。
この熟考こそ、発想から表現の立体的な思考で、
特に、複数画面の構成を構造化していくことになります。
私は、音楽も入れますし、動画を使います。
かつて、「先生は講義に音楽を使われるそうで・・・」と、
この嫌味平然の教授のパワポなど見るに堪えない汚さでした。
ただ最近は、説明していくことも面倒ゆえに、
会場の設備に応じた画面構成をしています。
正面に背景・メイン・サブ、
そして会場左右に3画面ずつ
となればプロジェクターは9台です。
私は、これを構成してこそ本来のプレゼンテーションが出来る!、
発想から表現の多重化による伝達は、熟考するには、
脳内での構成構造能力には、これだけの思考回路が必要です。


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