kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘評論’


『CITY OB BITS』シティ・オブ・ビット


   


     5月 11th, 2020  Posted 3:35 PM

『CITY OB BITS』シティ・オブ・ビット
「情報革命は都市・建築をどうかえるか」
この著作は「建築誌」からの
私が批評をした、数少ない「建築」評論誌でした。
なぜかと言えば、建築家で終わるという、
重要な「新しい都市と建築」の批評であった。
この著作には、各章には、
「2行」の章立てがあった。
そして、特には、この日本では、
この評論の評価は、「建築」も、それこそ、
デザインでも全く時代性を持ち得なかった。


目次を見る

『倉俣史朗氏の「夢の形見に」は必読本である』


   


     5月 5th, 2020  Posted 1:10 AM

倉俣史朗氏は、敬愛するデザイナーです。
何よりも彼が、私を「毎日デザイン賞」に推挙いただいたことを
ずっと「誇り」に思っています。
彼の逝去後に、AXIS誌で「倉俣史朗のデザイン」として
奥様から指名いただき、「夢の形見に」を20回の連載としました。
彼のデザインについての評論に没頭するあまりに、
毎回、身体的に追い詰めらて書き上げていました。
そこで私なりには、彼のデザインを語り継ぎたいとの
思いから読み解き、解説し、燃焼した評論とも言えます。
そしていくつかの彼の作品は自宅にもあります。
私は学生に、友達を作ろう、
この世にいない友達も作ろう、と言ってきました。
本の中に、多くの友達や師を作ることができるのです。
現在はまだ「新型コロナウイルス」感染拡大のため
「学校」が再開されていません。
私はやっと、新たな世紀だと思っています。
私は、大学人の時には、自分の本を授業の参考文献として
あげることはしませんでしたが、今は「デザイナー」なら必読本です。
今はぜひデザイン系大学では、この本に書かれていることぐらい、
「教えてほしい」、「読んでもらいたい」のです。
今なら課題:読書した彼の所感をA4で提出、
私なら1200字以上は求めたいところです。
大学もこれまでは潰れたのです。新たな「能力」の「場」です。


目次を見る

『松岡正剛という世界で最大の編集工学師』


   


     7月 25th, 2018  Posted 12:00 AM

書籍というより「本」です。これはまだ書けません。
私もかなりの読書家・読書屋と思い込んでいました。
しかし、とっても彼には叶いません。松岡正剛です。
彼が「1000夜1000冊」というのが始まってから、
もうとっても彼には叶わないと考えています。
それが今では1650冊です。
おそらく、読書では無いのです。
彼が一度、「千夜千冊・松岡正剛」をまとめましたが、
今度は文庫本なのです。
「本から本へ」と「デザイン知」が出版なのです。
ともかく彼は熟読してその評論までをまとめるわけです。
よく「読書」というのとは、全く違います。
私は「読書?」と言うと、千夜千冊は?と聞き返しますが、
それも読まないで、読書とは何を言っている、本?好き?
私の大説教が始まります。
彼が「編集工学」という考察、そして「遊」・「遊学」を始め、
これほどの本の書き手が世界でもいないと思っています。
幸いにして、「デザイン知」では私も取り上げらています。
私の作品集・「川崎和男Design」では、帯分もしていただきました。
彼との出逢いはまたこの上なく一緒に生きられたという思いがあります。

「デザイン知」・924夜「デザインは喧嘩師であれ」
        


目次を見る

「美術館・博物館という空間建築アイテムは終わった」


   


     3月 23rd, 2016  Posted 12:00 AM

初めて「国立新美術館」に出かけました。
それもイベントのオープニングにちょうど東京にいることもあり、
出かけることにしました。
おそらく同じデザイン界の人物に会うことになるだろうと覚悟しました。
正直、僕はひっそりとじっくりと観ることが好きなのですが
出かけました。
もう、その美術館の入り口から知人たちに会い始めました。
「三宅一生展」は、観ておくべき展覧会であることは間違いありません。
車イスゆえ優先的に最初に会場に入ることができました。
いきなり、建築家・安藤忠雄氏に出会い、そのまま三宅一生氏、
そして会場構成の吉岡徳仁氏と
グラフィック総括の佐藤卓氏に会いました。
佐藤卓氏とは、東京では結構思いがけない店で出会っています。
「よく会うね」とか、
「あの店大好きだから、今度一緒に」と会話しました。
三宅一生氏の仕事は、いわゆるファッションデザイナーを超越しています。
「プリーツプリーズ」の評論は、私が最初に書いたと思います。
その時にはポリエステル繊維から、布特性の7段階を知りました。
これは今ようやく「羽二重」ブランドの骨子になっています。
さて、問題はこの「国立新美術館」の建築設備でした。
遠慮無く断言すれば、美術館という空間建築とその設備は
もはやとても時代遅れはなはだしく、
私には美術館ではなくて「博物館」でした。
三宅一生氏の仕事の集大成は、もはや美術館を超えていたはずです。
明確に言い切ればデジタル表現の設備が全く考慮されていない空間でした。
これは、未だにプロジェクタースクリーンが4:3であることです。
すでに画面表示は16:9にも関わらず、日本全国の公的場所は4:3です。
しかも一画面でしかありません。
投影アプリがPowerPointばかりと同等です。
たとえばデジタルというとすぐに「デジタルサイネージ」が喧噪ですが、
その実態には何も新鮮さがないことに等しいのです。
IoT=Internet of Thingsというデジタル表現もこの漠然さに日本は呪縛され、
本来のIoTの、その将来がみえていないことに等しいのです。
僕は「デジタルアッサンブラージュ」を提案していますが、
おそらくこれが理解されるにはまだ当分時間がかかりそうです。
もはや、美術館も博物館も、そうなると街角のギャラリーですら
「デジタルとアナログ」、「アナログとデジタル」、
この相関関係のインターラクションが必要です。
しかし、
インターラクションの定義はもっと時代で研磨されるべきでしょう。


目次を見る

『映像と音像を変えるHDMIケーブルの進化』


   


     8月 4th, 2015  Posted 12:00 AM

HDMIケーブルの進化は着実に進んでいます。
しかし、このことを詳細に検証したレポートを私は知りません。
自宅のTVが4Kになり、おそらくありえない配線を駆使して、
7.1chを実現しています。
そこで、HDMIケーブルも試しに4K用に代えてみたところ、
画像と音質が変わりました。
当然、現在のプレゼンテーションはMacからHDMIケーブルを使用。
そこで、このケーブルも替えてみましたところ、
画質は向上し、音質もよくなってきています。
オーディオ育ちの私には、スピーカーシステム用のコードも
それなりに選んでいますが、無論、否定派もいますが、
それはスピーカーでも何をつかっているかということになります。
当然、RCAコードもそれなりの品質が要求されていることは
試聴してみればすぐにわかることです。
正直、実際は老化により、左右耳聴覚には差が出てきていますが、
それは機械式の腕時計の音で簡単に確かめることができます。
そして最近はHDMIコードがどれほど良くなっているかということが
評論されていませんが、すでにWiFi環境では、
スピーカーコードも不要になってきていますが、
むしろ、ホームシアターとして、オーディオビジュアルをと考えれば、
TV映像は音楽コンサートとムービーは絶対にコントロールアンプで
音質を変えるべきだと思っています。
今では安易なスピーカーは、単なる拡大器でしかないモノもあり、
スピーカーシステムで周波数特性表も無いモノが氾濫しています。
それだけに、HDMIケーブルで映像と音像が変わるという事実は
見逃されていることは確かです。
多分、私も自宅での4K映像とオーディオシステムは、
スピーカーシステムも、さらにプリアンプ、メインアンプだけから
コントロールアンプ自体の新しい考え方が、次の三つで変革が必要です。
USB HDMI WiFi、この三つは確実に進化しています。


目次を見る

『「知とちの急行」松岡正剛氏と大阪で対談講演』


   


     10月 25th, 2013  Posted 12:00 AM

私が知の巨人として最も敬愛してやまない松岡正剛氏と対談。
彼が京阪電鉄と阪大企画での「鉄道祭」プロデューサーとして、
一つの対談講演に私を指名してもらいました。
ところが、講演会場にはエスカレーターということで、
スタッフたちから「危険」とのことでしたが、
久しぶりの対談ゆえに私から強硬に納得をしてもらいました。
まず、私が大阪で何を感じ、
かつて上方と呼ばれた大阪の低迷さは彼も同様というスタート。
私は大阪弁で失われた言葉を指摘しましたし、
昨今の大阪が全国ベストでトップ項目は「犯罪ばかり」を伝達。
彼も大阪の低迷さや、上方文化がここまで破壊されていることを
きわめて論理的、彼らしい鋭い指摘を受けました。
彼との出会いは90年代からの付き合いゆえに、体調のことも、
これまでお互いが出会ってきた重要人物のことも理解済み。
さらに彼はデザインから建築、そして歴史観・現代感までを、
彼の言葉では、私との異質性と同質性がきわめて明快な間柄です。
彼には、来春出版予定の私の作品集では、
筆頭に評論を書いてもらっています。
私は、彼こそ「芸術の知識を知性で、科学の知識を感性」可能な
代表的かつ見習うべき巨人としています。
彼と対談に限らず、会話をする度に私は大きな刺激を受けます。
おそらく、対談時間があれば話は止めどなく続く相手の一人です。
新たで大きなヒントを短時間ながら一杯いただき、
私は、大阪からふるさと福井に行きました。
今、関わっている「ふくいの織物」を国際化するためです。
そして、今日は私が主宰していく「KK塾」の第一回目。
看護学の第一人者である大野ゆう子教授にお願いをしました。
「未病先防」と「冒険伝説」を頂いています。
私はまた大きな刺激をうけるでしょう。
大野ゆう子教授ともすでに長い付き合いをしています。


目次を見る

「デザインから『ちの理想主義』は創出できるだろうか」


   


     9月 25th, 2013  Posted 12:00 AM

3.11は天災と人災で多くの同胞を失いました。
打ちひしがれた私たちに、オリンピック・パラリンピック、
この東京開催は、目標と時間設定を確認させてくれました。
多分、プロのデザイナーとしての人生も、
この東京開催まで、自分を支えられるかが最大目標です。
私は、一方で大学人ですが、それは先導と主導が可能だろうか、
これが一番の課題になっています。
デザイナーゆえ、ビジュアルでその理念や手法をまとめます。
三つあります。
 ● デザインは形態設計を制度設計にデザイン対象の拡大
 ● 「原資」獲得の具体的手法を先導
 ● なんといって「モノづくり」主体者の意識改革主導
これら三つは、現代の資本主義と民主主義への疑問の整理。
しかし、疑問を溶解するには、
新たな「理想主義」を私は「かたち」で生み出す必要があります。
資本主義の拡大は、歴史的には常に批判され、
その根本は評論以上にはなりきれません。
民主主義への最大抵抗は宗教主義での認識心情を変えるだけ。
私は、この二ついづれも疑ってきました。
4月に「危機解決産業創成デザイン重要拠点」として、
私は、「デザイン講座」と「プロジェクト」を立ち上げました。
あくまでも、「かたち」から入っていきます。
それは、「かたち」が「きもち」を動かし、
「きもち」は「いのち」を絶対に護ることになるでしょう。
それを言語と空間に造形化すれば、
「とち」の「つち」を見直し、「まち」の「かたち」になります。
すべからく、私の理念は「ち」一語に集約するのです。


目次を見る

「『布』平織りの集積された知恵=晒を見直すこと」


   


     9月 12th, 2013  Posted 12:00 AM

私のふるさとは織物産地です。
「羽二重」の産地として、知れば知るほど、
人類は織物によって文明を生み出しました。
機織りで創られた「布」は、膚にまといつく平らなモノとして、
「寒さ」から身体を護ってもらったわけです。
そして平織りで、麻・綿・葛はやがて絹織物に至ります。
その平織りでの「手ぬぐい」や「帷子」に性質が高度化されます。
総理という平織りは経糸緯糸30番で織られて、
やがてその平織りの網目の細かさで性能から岡や特岡ができます。
私たちはすっかり、絹織物や羽二重、岡があり特岡など忘却です。
私自身は、デザイナーとして、スピーカー設計で、
サランネットからニットなどがデザイン素材であり、
ヘッドホンの回路実装では紗という織物を幸いにして、
亡母方伯父がテキスタイルのエンジニアであり、大手織物企業では、
それなりの地位にあったので、詳細に学ぶことができました。
また和紙に取り組んで、元来、パピルスが織物だったことと、
先祖の図面がまるで絹のようだったことから
そこから布の性能をデザイナー視点で評論や評価軸を作りました。
私は、このところあらためて「晒」を見つめ直しています。
一番の理由は、「手ぬぐい」の基本であり、
医療のガーゼが未だに、最高品質性能なら「晒」が最高です。
「手ぬぐい」は確実に美容素材になることも確認しました。
無論、絹織物も今では蚕は遺伝子操作によって、
格段に性能設計が可能になりましたが、
「布」は平ら=平織りで、膚との呼吸観からも、
この性能表現を追い抜くことの難しさを再見しました。
だから、私のデザイナーとしての狙いは、
「織物」・「布」の知恵の集積は、やっぱり、
「晒」に集約されていると考えています。
ふるさと福井の代表的な織物産業の若手たちには、
デザイナーとして、「布」の根本から、
あらたなポリエステルを超える素材開発を訴求しています。


目次を見る

「表現としての美術とは?、教えられた宮川淳」


   


     6月 10th, 2013  Posted 12:00 AM

美術学校には入ったけれど、油絵を描く力もなく、
まして、美術といえば、セザンヌは好きだけど、ピカソはなぜ?、
という私には、「現代美術」?、美術がなぜ表現手法?でした。
その私に「ことば」で、心から美術・建築・音楽までを
最も理解させていただいた人、それは「宮川淳」でした。
もし、世界で最も最高の出版物は、彼の「遺作全集」です。
そして、この著作を読んでも分からないとするなら、
もう一度、自分の知性そのものを疑うべきだと今なら言えます。
だから、私がデザインという世界への道筋は、
彼によって形成されたと確信さえしています。
当然、私の「プラトンのオルゴール」の一人であり、一台です。
私はこの作品には、回る円錐形と赤いLEDとを使いました。
音楽・ビートルズは「MOTHER」でした。
彼は客死しました。
そのニュースを聞いたときに、私の体が沈んでいく感覚でした。
彼自身のデザインに対する一節は、
私には冷徹で空々しさしかありません。
その空々しさを打ち消そうとして生きてきた気がします。
彼の客死を評論した文章はほとんど読んだと思っています。
私は「ことば」の評論が、網膜に映る美術あるいは芸術を
これほど明快にした人物はいなかったとさえ思っています。
私が、敬愛する倉俣史朗氏を評論しようとしたとき、
そのテキストは彼の著作を何度も読み返しました。
私は、自分のデザインの評論は、
必ず彼の網膜が紡ぎ出す「ことば」だったら、
どのように評論されていただろうと思うことにしています。
それは、他のデザイナーの作品・製品・商品、
そしてそのモノが日常生活で位置することも、ことばになります。
だから、形態はまさに「言語」になりうると考えるのです。
おそらく、この抽象的な文章は理解してもらえないでしょう。
それなら、はっきりと言い切れば、
デザイン・建築・美術・音楽などに対する、
あなたの知性の再考を私は求めます。
デザイナーなら、なおのこと、
あなたにデザインの才能などあるわけがありません。


目次を見る

「デザインが根付かないままに・・・」


   


     4月 8th, 2013  Posted 12:00 AM

最近わが国でも流行りだしていることには空しさがあります。
まして、それが欧米で流行っているから、とか聞くと、
私は悲しくなります。
歴史連鎖性の大きな読み違えが明白です。
確かに、パリの街に「人力の何とか」がありました。
日本でも、観光地と言われる乞食(こつじき)街に出没し、
これが今後のエコロジーとかの発言や評論を見かけました。
誰もが乗れる電気自動車も街角の風景になっていました。
電気自転車もありましたが、
カメラを向ける気にもなりませんでした。
おそらく、勘違いのエコ・プロダクトとして語られるのでしょうが、
存在に、デザインの重大な三つが欠落しているのです。
機能性から美しさはありませんでした。
性能性も慌て過ぎですから、それがデザインにつながっていません。
無論、街の景観に溶け込むほどの効能性はまだ育っていません。
おそらく、行政の成せる未来性への道程であることだけは認めておきます。
だから、根本のプロダクトデザインが大欠落しているのです。
この傾向は、全世界のきわめて先進国に見かけられる現象です。
プロダクトデザイン・インダストリアルデザインが、
悲しいかな、ほんの一部のデザイナーにしか伝わっていません。
かつて、「フランスにおける日本年」1997年に、
私はフランス在日大使館の紹介で、
フランス・トゥールーズにて、「経済と文化でのデザイン」に招かれ、
作品展示と講演をしたことがあります。
その時には、デザインの役割について話をしましたが、
あるフランス商工会の偉いさんと、結局喧嘩してしまいました。
彼らの中では、まだまだ、デザインをアート扱いしていました。
それが、残存しているのでしょう。
しかし、フランスの「デザイン都市宣言」の街や、
フランス芸術大学には、「デザインでアルツハイマー病の関係」までが、
すでに論議され、その実務活動も始まっています。
デザインがこの大都市パリに根付くにはまだ歳月が必要です。
まして、パリでも流行していたから、なんてのが出てきたら、
私は見逃さずに、喧嘩師になるでしょう。


目次を見る