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『CITY OB BITS』シティ・オブ・ビット


   


     5月 11th, 2020  Posted 3:35 PM

『CITY OB BITS』シティ・オブ・ビット
「情報革命は都市・建築をどうかえるか」
この著作は「建築誌」からの
私が批評をした、数少ない「建築」評論誌でした。
なぜかと言えば、建築家で終わるという、
重要な「新しい都市と建築」の批評であった。
この著作には、各章には、
「2行」の章立てがあった。
そして、特には、この日本では、
この評論の評価は、「建築」も、それこそ、
デザインでも全く時代性を持ち得なかった。


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『ロラン・バルトの言説の断片は章立て連続の時代だ』


   


     9月 12th, 2015  Posted 12:00 AM

fragment=フラグメントというのは、
ラテン語の語源的には「割れたもの」であり、
英仏両語では、断片、さらには断章とも邦訳されます。
私は記号論やあるいは編集というのはことばの世界観で語られます。
だから、ロラン・バルトの「モードの体系」は、
デザイン・建築によっては必読の教科書といって紹介してきました。
そこから「零度のエクルチュール」にでも至ろうものなら、
ことばの日常、書くことと書かれることは、意図と内容やさらには、
言語と会話であり、ラング=辞書的言葉とパロール=会話的言葉に
きっちりと辿り着く思想になると考えてきました。
だから、ロラン・バルトは私が影響を受けた人物にすべきかどうか、
迷いに迷った人物でした。
それはミッシェル・フーコー、ガストン・バシュラールとほぼ同列でした。
学生に教えなかったのは、
ロラン・バルトの「恋愛のディスクール・断章」でした。
実際、恋愛は狂気だと語られてきましたが、
バルトの言説でしかも断片的な殴り書きとしては、明確に語られました。
「恋愛は狂気である。
しかし、狂気だと言い切れる私は狂ってはいない・・・・」
彼のこの断章の書籍を、文章を塊として、全ページをそのままに、
グラフィックパターン化したスカーフの存在を知りました。
この作者がなぜ、バルトを選びバルト著作書籍パターンを選んだのか。
それこそ、バルト自身は「作者とは何か」ということから
「何が作者になるのだろうか」を文章で問いただしていました。
昨夜私は、「現在の特に雑誌はつまらない」と批判しましたが、
そんなことはなくて、これでいいという多分若者もいました。
だとするなら、私はこの批判をもっと強めなければなりません。
それこそ、先般もTVドラマが映画化された作品を観ましたが、
それにも、「観るべき映画は選ぶべき」と言われました。
最も賛同できますが、
私の興味は映画作品の俳優たちだけではありません。
それは作家である原作者から監督、キャスト全般以上に、
今ではCG・SFXから音響システムなどの
膨大なモノづくり支援者や企業存在までです。
ようやく、映画館が7.1ch化してきました。
そんなことも含めると、このスカーフデザインでは、
作家の展覧会をしなければならないほどに、
ロラン・バルトが語り直されて来た現実です。
つまり現代の見事な
デザイン=設計学と編集学の再考が必要だということです。


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