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「デザインすることの勘違いは大間違い」


   


     9月 19th, 2013  Posted 12:00 AM

私も腕時計はいくつかデザインし商品化してきました。
今でも悔やまれるのは、
自宅マンションに泥棒がバールでドアを壊し、
腕時計などを盗難されたことです。
見事に、腕時計は当時大きな仕事終了が出来だして、
ようやく買い集めた数十万のブランド時計だけでした。
このショックは今も心に残っています。
そして、そのとき時計の価値は知られた時計ブランドのみでした。
スウォッチでも限定モノなどまったく泥棒価値ゼロでした。
中国製の偽ブランド、その超安物も今ではよく出来たモノになり、
あらためて偽時計から、私の偽ブランドモノを考えます。
それはメガネも同じですが、安物はやはり要を欠落しています。
最近デジタルツール、特にスマホのウォッチ化が競合現象です。
しかし、私には、これはカメラデザインが銀塩のスタイルを、
全く一新できなかったデザインの能力不足を再び見る思いです。
・・・デジタルツールで電話なら、
・・・デジタルツールで時計なら
・・・それらが、スタイルとして「腕時計なら」、
最大にぬけおちているのはブレスレット性とファッション性です。
「ブレスレット+ファッション+デジタル」なら、
その「問題解決」がいわゆるデジタルウォッチであったとしても、
根本の再検証と一新されるべき発想の未熟さのまま、
デザイナーはこのウォッチスタイルに逃げています。
そして、メーカー経営者には儲けはあっても文化啓発力は無く、
かつてのブレゲの壮大さには及びません。
すなわち、ガゼットとしてのデザインで終わるでしょう。
しかし、いわゆるデジタルツールを日常化してきた私たちの
「なくてもいい、なければ困る」時代との共時文化での
生きがいツールの「問題発見」が必要です。
ガゼットデザインは勘違いを大誤解に変貌させます。


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「ブランドを語る前に、ブランドマーケッティングの大欠点」


   


     9月 14th, 2013  Posted 12:00 AM

日本のモノづくりが低迷し国際的な敗北の原因のひとつに、
「ブランド」とか「ブランド・マーケッティング」があります。
元々、brandは北欧ゲルマン語系branderであり、
家畜に焼き印=brandを押し当てて、自分の物という目印です。
この原意ですら、今では、写真の牛のごとく、
焼き印=brandは廃止されてプラスチック製タグに変わりました。
焼き印ですら進化しているにも関わらず、
マーケッティングでの「差別化目印」が企業ブランドと呼ぶこと、
これは大間違いです。
地方行政にも商工関連には「ブランド新興」が普及して、
国策にも日本のブランド政策も大企業ブランド政策になりました。
つまり、商品存在を社会的な容認と認識価値の背景に、
「ブランド政策・ブランド戦略・ブランドマーケッティング」は、
日本の企業戦略を大きく歪めてしまったと私は指摘します。
書店にある「儲かるブランド関連・・・」とかの本を見る度に、
この本のままに、大企業の凋落は予想していました。
今や、かつてのbrand=焼き印は、プラスチックタグです。
やがて、色別だけのタグは進展して、電子化されてきています。
罪人が焼き印のごとく入れ墨を入れられましたが、
最近の先進国家では罪人には電子タグが足首などに付けられます。
それなら、brandは大改革されるべきです。
モノづくり背景である企業イメージ表示の変更です。
二つあります。
● 企業イメージ表示表現は企業アイデンティティの再構築
● 企業イメージはデジタル記号化された表示メディアの創造
すなわち、モノづくりによる純利益=プロフィットと
経常利益=ベネフィット=企業イメージ認知性の認識価値です。
私は、デザイナーに成った直後に、企業アイデンティティを
存分にデザインとして訓練されました。
だから、例えば伝統工芸産地や中小企業にC.I.展開しました。
さて、問題はアイデンティティのデジタルメディアを
モノづくりにどのように創造できるかだと提言していきます。


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「『はぶたえ=羽二重』の目立たなかった布の美しさ」


   


     9月 13th, 2013  Posted 12:00 AM

絹織物で着物の裏地として優雅な存在が羽二重です。
今では、この呼び方は布・織物よりも羽二重餅として知られ、
お土産お餅の名称扱いですが、
私のふるさと福井が織物産地として、
かつては人絹取引所までありました。
絹織物で着物の裏地は、人絹=人工的に絹のような繊維、
人工絹糸であり発明者の名前の略号としてスフとも呼ばれました。
最初は、レーヨンから出発した人工繊維モノでした。
そこから、今日の人工繊維は大変に工夫をしながら、
産業の基盤になっていったモノですが、
産業の高度化は織物そのものが時代遅れです。
人絹に対して正絹という自然の絹糸・蚕の糸は、
蚕の糸吐きの観察から、7回に1回、蚕身体の震えから、
人工撚糸されたこれを見破ったスフはイタリアであり、
日本製スカーフが輸出品から敗退した時期もあったほどです。
絹撚糸の経糸を二重にして、緯糸一本は、
今見直されていますが、現状では緯糸を機織り機械で、
シャトルと呼ばれるモノがありましたが、
これは木工技術の製造技術でした。
30年前に、タケフナイフビレッジ=越前打刃物の再興に取り組み、
その時には、シャトル製造工場で刃物のパッケージを製造して、
その精度は、パッケージの端面がまさにナイフで、
そのパッケージの角で指先を切るほどの精度を求めたものでした。
しかし、今ではシャトル自体の製造工場が無くなり、
シャトルで正絹を織る企業は、作り置きをしていると言います。
また、福井に残っているシャトルは、
すべて収集してほしいと伝えています。
福井の裏地人絹産業と正絹産業を共に復活させられると思います。
私は、ともかく「羽二重」=はぶたえを国際化を目指します。
たとえば、晒をデパートで発見する売り場はほとんどありません。
しかし、人絹の進化、正絹での蚕の遺伝子操作自体まで、
私はデザイン対象化ができそうです。
そのとき、「布」の膚触り、手触りは尺度スタンダードが可能。
この可能性をビジュアル化とオーディオ化ができるでしょう。


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「『布』平織りの集積された知恵=晒を見直すこと」


   


     9月 12th, 2013  Posted 12:00 AM

私のふるさとは織物産地です。
「羽二重」の産地として、知れば知るほど、
人類は織物によって文明を生み出しました。
機織りで創られた「布」は、膚にまといつく平らなモノとして、
「寒さ」から身体を護ってもらったわけです。
そして平織りで、麻・綿・葛はやがて絹織物に至ります。
その平織りでの「手ぬぐい」や「帷子」に性質が高度化されます。
総理という平織りは経糸緯糸30番で織られて、
やがてその平織りの網目の細かさで性能から岡や特岡ができます。
私たちはすっかり、絹織物や羽二重、岡があり特岡など忘却です。
私自身は、デザイナーとして、スピーカー設計で、
サランネットからニットなどがデザイン素材であり、
ヘッドホンの回路実装では紗という織物を幸いにして、
亡母方伯父がテキスタイルのエンジニアであり、大手織物企業では、
それなりの地位にあったので、詳細に学ぶことができました。
また和紙に取り組んで、元来、パピルスが織物だったことと、
先祖の図面がまるで絹のようだったことから
そこから布の性能をデザイナー視点で評論や評価軸を作りました。
私は、このところあらためて「晒」を見つめ直しています。
一番の理由は、「手ぬぐい」の基本であり、
医療のガーゼが未だに、最高品質性能なら「晒」が最高です。
「手ぬぐい」は確実に美容素材になることも確認しました。
無論、絹織物も今では蚕は遺伝子操作によって、
格段に性能設計が可能になりましたが、
「布」は平ら=平織りで、膚との呼吸観からも、
この性能表現を追い抜くことの難しさを再見しました。
だから、私のデザイナーとしての狙いは、
「織物」・「布」の知恵の集積は、やっぱり、
「晒」に集約されていると考えています。
ふるさと福井の代表的な織物産業の若手たちには、
デザイナーとして、「布」の根本から、
あらたなポリエステルを超える素材開発を訴求しています。


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「ふるさと福井の織物・繊維を世界の標準にデザイン主導する」


   


     9月 11th, 2013  Posted 12:00 AM

私のふるさと福井に「羽二重」があります。
しかし、むしろ羽二重餅の方が認知度ありで、
「羽二重」=はぶたえ、という呼び方自体知られなくなりました。
はぶたえというのは絹の平織りで「光絹」こうきぬは最高品です。
通常の平織り=経糸と緯糸と異なり、経糸を細い二本で緯糸一本。
ゆえに、着物の裏地としては最高品でした。
今では、絹織物より一般化したポリエステルになりましたが、
やはり、ポリエステルは洋服の裏地になりました。
かつて、三宅一生氏の「プリーツプリーツ」を最初に、
デザイン評論は私が取り上げて書きました。
ポリエステルは人類が辿り付いた最高の布地です。
そのときに、ポリエステルの評価軸を出したことがあります。
ところが、織物としてはやはり無機質=呼吸をしない布地です。
最も最近はさらに、ポリエステルの進化は素晴らしいのです。
私の一人の母方伯父や父方祖父も繊維に関わっていましたし、
育った松岡町には学校以上の織物工場もありましたから、
デザイナーとして、繊維に対しても興味はつきません。
したがって、まずは、繊維・織物の品質=性能評価軸を
「情報デザインとして明化」することを目標にしています。
もし、これから、洋服を買うときに、
これまでは、洋服ブランドのみでしたが、一般的にも是非、
「この洋服の裏地は福井産?」とユーザー知識をと思っています。
私はあらためて織物・編物・繊維・ファブリック・テキスタイル、
こうした物=自然素材とモノ=人工素材の「性能」の再評価を
私はプロとして再構築を目指しています。
たとえば、ガーゼ・晒布・タオルから工業用資材、スポーツ資材、
これらすべてにデザインの主導性を、なんといっても、
ふるさと福井でこれらのスタンダードを世界発信させたいのです。
特に、総理・岡・特岡は「手ぬぐい」の平織りです。
これらに、f(x)=ファブリックは、性能からデザインまでを
包括したインクルーシブデザインにしていくつもりです。


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「国土強靭化計画から次段階へはデザイン手法が必要」


   


     9月 10th, 2013  Posted 12:00 AM

「March 11. 2011」は、私たちが天災と人災を識り尽くしました。
結果、「国土強靭化計画」には、多数の知識が集約しました。
すでにわが国の法整備の中にも知識理念の法律を構成しています。
私は、多分、祖国列島=国土を強靭化することが、
これだけの知の集積と集約は代表的一つの手がかりだと思います。
しかし、今や、明確になったのは、計画時間です。
それはオリンピック・パラリンピックまでの7年間です。
これは、毎年毎年の計画もありますが、私は以下三つを考えます。
・3年+4年計画
・2年+5年計画
・2年+3年+2年計画を私は進行設定計画ができます。
そして、こうした強靭化計画には机上的な論理がすぐに、
確信できますが、具現化手法として、
デザインが必要であるがゆえに、
再度、強靭化するという意味の再考察が求められると考えます。
私は、この計画に関わる法制定、知識・知性の集約から、
強靭化して継承していく方法を探し出していくべきだと考えます。
中心課題は、天災+人災=自然+技術の方向性でしょう。
単なる土木工学や交通工学と、自然放置の大問題が残っています。
この解決案を見いだすことはこれら資料からは不可能でした。
さらにクラウド感覚、空中資産と国土資産が情報で連鎖されます。
私流には、「物質としての国土性と情報性への想像力問題」です。
おそらくこれらの知的集約は物質的な国土性全て認識できますが、
情報性の進化は多分私たちの想像力を超えるものと考えます。
「物質・情報・エネルギー」をこの国家においても、
国土観全容に配置すれば、エネルギー問題では必ず、
大きな行き詰まりになることは明らかです。
時代性はすでに石油文明を終焉していますが、
それがそのままエコロジーで補完されるはずはありません。
この「国土強靭化デザイン」は未だに、
タブラ・ラーサ=白紙の状態でした。
すなわち、この白紙の余白にこそ「デザイン」の実務が
必要かつ充分条件として書き加えられるべきと考えます。
そして、今日は明確に開催地東京決定が、
大きな余白になり、デザインが要求されたと思っています。
デザインが入れば「しなやかさ」と「たおやかさ」になるでしょう。


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「1964年15歳だった。2020年71歳時に見られるだろうか」


   


     9月 9th, 2013  Posted 12:00 AM

2020年オリンピック・パラリンピック開催地は東京。
真夜中から明け方まで、TV報道を見続けてしまいました。
プレゼンテーションを見届けて発表の瞬間を撮りました。
この国難、福島原発事故は汚染水の大問題を世界の不安材料とし、
開催地国家への不信感を高めていました。
被災地の方が、とてもこの機運とは別世界にいるという発言は、
私には身につまされる思いにさせられました。
それでも、オリンピックが決定したことは本当に幸運でした。
人生にはやはり喜怒哀楽がこれほど巡り巡っていること。
3.11で私たちは哀しみのどん底に落とされ、
しかも、その後の復興では国民の思想も2分されました。
しかし、私は、この開催地決定が明確に「景気」になるでしょう。
プレゼンを成し遂げた、アスリート、高円宮妃、首相、都知事と、
主体者であった委員のチームワークは素晴らしいものでした。
彼らがプレゼンに込めた願望の下敷きには、
3.11以来、アスリートたちやスポーツの効能性が、
「復興」の大きな力になるという認識を共有していたのでしょう。
人間には、「感激・感動・感謝」という感性サイクルがあります。
そして、感激と感動を最も効能を与えるスポーツと、
勝利を獲得するためのアスリートたちが、
必ず、応援に感謝するこのサイクルの効能性を私は、
デザイン・デザイナーにも好ましく・望ましいことだと思います。
私は「価値」というのは、好ましいこと、望ましいこと。
この定義を語ってきましたからこの決定は「価値」だと思います。
少年の頃、オリンピックがあったことを思い出します。
おそらく、自分の人生でもう一度開催されること、
これは、国難の哀しみに対して大きな喜びであり、楽しみです。
今、確かに不確定で不安極まりない時代、その社会にあって、
スポーツが成し遂げる力をこれからの7年間が過程でしょう。
そしてこれからの7年間こそ、国難脱出の機会になるでしょう。
「危」険を体験した「機」会こそ、「危機」でした。
その解決の大きな一つのきっかけの一夜だったと思います。


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「『ふだん』・『まさか』安全と安心は相対的でしかない」


   


     9月 8th, 2013  Posted 12:00 AM

大阪のこの自宅にてすでに8年目です。
9月5日の日本列島全体が「ふだん」ではなくなっていました。
3.11以後、この亜熱帯の小さな列島に竜巻と凄まじい雷鳴が轟き、
「まさか」という事態に驚きました。
自宅は大阪市内の上町台地ゆえ裏側には大阪城があります。
少なからず、豊臣秀吉以上の景観を見つめることができます。
しかし、「ふだん」の景色は異様な雲行きでした。
「危機管理工学プロダクトデザイン寄附講座」を開設して、
これまでの危機管理学:国際経済関係論を母体にしてきた学域、
危機管理学にデザイン工学で、机上の論理=Desktop論を、
「産業」に持ち込みたいと考えてきました。
2012年3月29日に石巻市で副市長にプレゼンをしました。
その後の無反応さ、7月2日には中川前防災大臣へのプレゼン、
大臣の意志決定力の無能さを敢えて書き残します。
そこで「危機管理デザイン賞」の設定は8月1日弁護士会館。
私は真剣にプロの覚悟でこの「国難」に対して、
「デザイン工学」+「危機管理学」=新産業の創成でした。
よって、今春退任であった大学にそのまま「寄附講座」として、
自分の人生を行学の士としてやり尽くそうと考えてきました。
したがって、大学時代の同級生達はリタイアしていますが、
私なりの道に入りました。
おそらく、私が自分の人生の「ふだん」は「まさか」に変容です。
ようやく、学域設定の基盤がまとまりました。
「危機」には、「ふだん」起こってしまった危険=CRISISと、
「まさか」と想像と準備していた危険=RISKがあります。
しかし、このふたつの危険を「機会」と捉え成すとき、
CRISISとRISKを包括的=まさにインクルーシブな科学的手法、
それこそ「デザイン工学」で新たな学域と実務手法になりました。
私は、多分、この大阪で海抜120mからの景観を毎日見るでしょう。
もし、私がこの場を離れるときは、明確な諦観で、
この列島を離れる時だと思っています。
だから、私にも「ふだん」と「まさか」を保持しているわけです。


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「『3D-Printer』・『3D-Printing』この風潮の大間違い」


   


     9月 7th, 2013  Posted 12:02 AM

Fablab・RepRap・Makersという米国の流行が、
その本質を見失ったままに、わが国では表面コピーされました。
結果、マスコミはこぞって「未来のモノづくりだ!」と騒ぎ、
廉価なプリンターが量販店でも発売されています。
わが国の代表的な大企業が、
3D-Printerで「金型も造れる」と言い出し、
低迷している国内企業の知ったかぶり代表が現場に指令です。
私は、「現在の3D-Printerで金型は全く不可能」と書きました。
企業現場の方々からお礼のメールを一杯いただきました。
あたかも自社企業の先進性を、3D-Printer導入話は全て嘘です。
まず、3D-Printerと3D-Printingの差異も明確にできていません。
そして、現在流行している米国の風潮は、
DIYに過ぎないモノづくりに終始しているに過ぎません。
この源であった、「光造形」・「Rapid Prototyping」も、
本来はわが国の発明でしたが、特許や当時には知財権など皆無。
だからこそ、何を造るからの3D-Printer自体の設計が必要です。
3D-Printingというモノづくりの新たな技術実務が問題です。
私は、日本から欧米に対して、デザイン主導の3D-Printer開発と、
3D-Printingの新技術がこのデザインに必要を訴求します。
現段階の日本の最も駄目な発想は、
3D-Printerという「パンドラの箱」という考え方です。
米国が拳銃まで造れてしまうというような発想自体が間違いです。
18世紀の武器を造る装置程度の低レベルさを疑うべきです。
日本の真のモノづくりを実現させるには、
私自身、「光造形システムと3D-CAD」で試行してきました。
結論は、この画像=トポロジーボトルを
3D-Printingで実現しましたが、これは技術だったからです。
大阪大学で3D-Printingのコンファレンスをしました。
私は、その時、登壇してもらった講演者に真偽を確認し、
それから日本のどのような産業に持ち込むかを決定企画しました。
来10月から、この3D-Printingデザイン講座を開設します。


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「『まさか』『ふだん』、だからこの寄附講座開設の動機です」


   


     9月 6th, 2013  Posted 12:00 AM

昨日朝に大阪市880万人に非難訓練の速報がスマホに鳴りました。
正直、びっくりしました。
私は今春大学を退任後、3.11でのやり残しもあって残っています。
「危機解決産業創成デザイン重要拠点」として、
「危機管理工学プロダクトデザイン寄附講座」を開設しました。
危機管理学は、
1960年のキューバ危機後に、国際関係論の学域に提示されました。
ところが、私たち日本人は、東日本大震災大津波という天災と、
原発事故という人災によって、大変な「国難」にあります。
この天災=ふだん、という事態と、
人災=まさか、ということを実体験してしまいました。
以来、私のほぼ最終時期に入って、デザイン活動の中心を、
ふだん=CRISISとまさか=RISKに対して、
これまでの危機管理学を危機管理デザイン工学とすべく、
国内の論文で学域設定を行い、超党派での政治への提案事項を
エネルギーをかけて取り組んできました。
私は、なぜ、この国難を自分の生涯で体験したのだろう、と
随分と考え込まざるをえませんでした。
結論は、この事態にこそ、「デザイン」による、
机上の論理と化している制度設計の不備だらけを正し、
危機管理学を形態設計によって産業の創成に向かわせること、と
新たな学域と実務手法を明確にしました。
それは、これまでの大学機関のあり方の一新を取り込みます。
私自身、美術系大学で学び、芸術工学という学域で、
これまでのデザイン対象を拡大してきました。
そうして、デザイン対象領域を拡大するには、
さらに大きな大学院領域での活動を7年間してきました。
その大学人が終わる寸前に、
「ふだん」=CRISISと「まさか」=RISKという事態に
私自身がこの小さな日本列島で対峙しています。
ようやく、来10月から本格的な「デザイン講座」を基幹にして、
「デザイン」実務ゆえの具現化実現に向かわせる覚悟です。


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