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Posts Tagged ‘デザイン評論’


「ふるさと福井の織物・繊維を世界の標準にデザイン主導する」


   


     9月 11th, 2013  Posted 12:00 AM

私のふるさと福井に「羽二重」があります。
しかし、むしろ羽二重餅の方が認知度ありで、
「羽二重」=はぶたえ、という呼び方自体知られなくなりました。
はぶたえというのは絹の平織りで「光絹」こうきぬは最高品です。
通常の平織り=経糸と緯糸と異なり、経糸を細い二本で緯糸一本。
ゆえに、着物の裏地としては最高品でした。
今では、絹織物より一般化したポリエステルになりましたが、
やはり、ポリエステルは洋服の裏地になりました。
かつて、三宅一生氏の「プリーツプリーツ」を最初に、
デザイン評論は私が取り上げて書きました。
ポリエステルは人類が辿り付いた最高の布地です。
そのときに、ポリエステルの評価軸を出したことがあります。
ところが、織物としてはやはり無機質=呼吸をしない布地です。
最も最近はさらに、ポリエステルの進化は素晴らしいのです。
私の一人の母方伯父や父方祖父も繊維に関わっていましたし、
育った松岡町には学校以上の織物工場もありましたから、
デザイナーとして、繊維に対しても興味はつきません。
したがって、まずは、繊維・織物の品質=性能評価軸を
「情報デザインとして明化」することを目標にしています。
もし、これから、洋服を買うときに、
これまでは、洋服ブランドのみでしたが、一般的にも是非、
「この洋服の裏地は福井産?」とユーザー知識をと思っています。
私はあらためて織物・編物・繊維・ファブリック・テキスタイル、
こうした物=自然素材とモノ=人工素材の「性能」の再評価を
私はプロとして再構築を目指しています。
たとえば、ガーゼ・晒布・タオルから工業用資材、スポーツ資材、
これらすべてにデザインの主導性を、なんといっても、
ふるさと福井でこれらのスタンダードを世界発信させたいのです。
特に、総理・岡・特岡は「手ぬぐい」の平織りです。
これらに、f(x)=ファブリックは、性能からデザインまでを
包括したインクルーシブデザインにしていくつもりです。


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「リアル・アノニマス・デザイン=労作だと思う」


   


     5月 28th, 2013  Posted 12:00 AM

現在、出版界は相当に難しい時代になったようです。
自分のインタビューが掲載されています。
だからというわけでは無いのです。
が、この著作「リアル・アノニマスデザイン」は労作です。
私もこの本の企画の人たちから、ホテルで質問を受けました。
企画者は、次世代のデザイン評論では定評があった人物。
そして、幾度か、校正もさせていただきました。
無論、私の独断は、「発言すれば問題発言、という風潮」には、
きわめて正直にプロとしての受け答えをしています。
私なら、そこまで言うかもしれないということも重々承知です。
そしてあれからの編集時間を思うと、
これだけの専門家、それも次世代、次・次世代ですから、
デザイン・都市・建築・メディアの担い手に、
恩師であった柳宗理氏の「アノニマス」をキーワードにして、
専門家、それぞれの解釈が述べられています。
私などは、インタビューされた最長老の中に入るでしょう。
編集ではきっと気を遣われたのではと思います。
「アノニマス」無名性、あるいは匿名性です。
「ヴァナキュラー」土着的な全く無名性との関わりを同世代、
ある建築家の意見も真っ当でした。
デザイナーや建築家にとって、それぞれの活動、
その成果としての製品・商品、作品にとってはその存在性では、
作り手の社会的な位置を確認するには、
誰もが悩む大きな問題だと私は思っています。
私は、金沢美術工芸大学入学直後に、
柳宗理先生にはこのキーワードは強調された体験があります。
それ以後も数回、「アノニマス」については、
自分でも記述したり、インタビューを受けたり、
「自分が考えるアノニマスデザインのモノ」を提示しました。
だから、私には明確に自分とアノニマスの関係では、
すっかり整理がついています。
それどころか、アノニマスを強調する脆弱さとその反発力も、
理解し終わっている課題にすぎません。
ところが、次世代の専門家の様々な解釈を読めば、
もう一度、「アノニマス」とデザインの関係について、
私の再洞察を要求されました。
再考を教示されるということが、私は「労作」ゆえに、
新たな課題、問題を与えられたと判断したことになります。
この著作の冒頭には、
まだ歩いていた頃の自分の写真が掲載されていました。
それを眺めると、私はもはや、
この世界に二度やってきているという印象があります。
「アノニマスデザイン」はこれからもおそらく、
職能家の社会的な存在性に深く関与していくと思います。


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「デザインを読むという解釈」


   


     7月 15th, 2011  Posted 12:00 AM

デザインされたモノを知ること。
それはデザインを読み取るということ。
デザインの背景、動機、手法、意味などを
読む=解釈するということになります。
ユーザーにとっては、
デザインされたモノと対峙したとき、
その直感で自分との関係を知るだけのことです。
しかし、職能家としてのデザイナーならば、
デザインテーマ、すなわちデザインが問題解決したこと、
そのプロセスを読み取る=解釈することになります。
したがって自分のデザインではない他のデザイナーのモノ=作品ならば、
「解釈」への手続きは次の三つの段階を経ているでしょう。
まずテーマ・問題あるいは課題を解体したり解剖したり溶解します。
これは問題解決の最初の段階です。
ところが、他のデザイナーの問題解決ならば、
読み取り過ぎることが多々あることです。なければなりません。
その問題解決をしたデザイナー以上に深く、
あるいは大げさなほど知り尽くそうとするかも知れません。
それは解釈し過ぎになるでしょう。
けれども、デザインの本質にとっては、
デザインそのものの社会的職能意義を明確にする手続きです。
デザイン手法をさらに明確化する重大性があると私は考えています。
言い直せばデザインの解釈とはまさしくデザイン評論であり,
デザイン評価の根幹はこの解釈段階にあると思います。
問題自体の解体・解剖・溶解・分解を経て、
そのデザイン要素や要因を解釈・解説し直すという作業の重大さこそ、
デザインの本質を突き止める二段階目だということです。
ややもすれば読み取る「解釈」は、本来デザインをしたデザイナー、
その問題把握力を上回っているかもしれません。
しかし、デザイン評論やデザイン評価が必要だというのは、
この深読み解釈が次のデザイン手法をそのものを
拡大・進化させる大きな手かがりだと考えるべきでしょう。
無論、一つの方法論です。
私は、今や「天才」と言われる倉俣史朗の問題解決、
その手法から動機、結果、意味を深読み解釈しました。
私の深読みが彼を天才にならしめているとさえ思っています。
歴史は、後世その解釈によって、
歴史事実を小さな物語から大きな物語にします。
その中心人物こそヒーローでありリーダーであり天才となるのです。
そしてこの歴史記述こそ、
人間が綿々と連鎖させてきた「知恵」の集積という伝統だと考えます。
解釈をし尽くした時、人は「解放」されることになります。
それが問題解決した効果・結果ということでしょう。
今日、私は「「倉俣史朗のデザイン」」を、
デザイン界の形見として私の解釈を語るつもりです。

夢の形見に」講演会


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「デザインは語れるか・デザイン評論の有無」


   


     7月 10th, 2011  Posted 12:00 AM

たかがデザイン。
私はデザイナーとして、
これまで受けてきたある種の侮蔑。
しかし、されどデザインの力。
私の自負心とこの職能ゆえの幸運さです。
デザイナーという職能にも色々あります。
そして、デザイン=外観造形という印象は今なお存続。
したがって、デザイン評論がありうるかということです。
私は、一人のデザイナー・倉俣史朗氏を7年間、
詳細に分析したことがあります。
デザイナーですら、デザインは解釈するものではない、
堂々と言い放つ人がいますが、
そうしたデザイナーの作品は必ず消滅していきます。
私はデザインしたモノには、
やはり、意味することと意味されることがある、
これは記号論的な言い方を借用していますが、
7年間、一人の作品を分析してわかったことは、
本人がそこまで熟慮はしていなかったかも知れないこと、
それが作品の「永続的な存在性」を担保化しています。
したがって、私自身、自分のデザインするモノ、
そのモノが現代性と歴史性を必ず纏わないモノは、
この消費社会では消費どころか、
消滅・消尽すると結論づけています。
たとえば、幸いにも私はオーディオ商品に関わりました。
この世界は、ある意味ではマニアックな世界観や、
製品の存在性が仔細に問われます。
だから、30年前のデザインしたモノが今も残っています。
明らかにそうしたモノは背景となるモノ語りがあります。
モノ語り=物語は、アフォーダンスの持続性、
そう断言してもいいでしょう。
「倉俣史朗デザイン・夢の形見に」を出版しましたから、
私自身が、この著作から三作品を選んで、
プレゼンテーション手法も新たに評論をするつもりです。

夢の形見に」講演会


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「資本主義からの逃走」
 「故倉俣史朗先生、夭逝から20年待つことが啓示だった」


   


     2月 1st, 2011  Posted 12:36 AM

『夢の形見に』
20年、あっという間でした。
世界的インテリアデザイナー・故倉俣史朗先生の20周忌です。
1991年2月1日夭逝されました。
「倉俣という者ですが・・・」と電話を受けました。
「倉俣・・・・さんですか、どちらの・・?」
「倉俣史朗と申します」
「・・・!、エッ、ぁの、倉俣・・・・先生ですか?」
私は本当にもうとてもびっくりしました。
私を毎日デザイン賞の候補に選んだので、
いくつかの写真を送ってほしいという電話を受けたのです。
その年、候補になってそのまま受賞が内定しました。
私は、正式な発表を受けた夜に毛筆でしっかりと手紙を書き、喜びと感謝を述べて送付しました。
今度は、倉俣夫人から電話を受けました。
確かに手紙を受け取りました。
しかし、倉俣は昨日亡くなり、手紙は棺に納めたとのことでした。
おそらく、私の生涯でこれほどまた驚いたことはありませんでした。
私は授賞式で、倉俣先生への感謝を伝えようとしたら、もう胸がいっぱいで大泣き寸前でした。
倉俣夫人から、1本のビデオテープとともに評論を書いてほしいと依頼されました。
デザイン誌「AXIS」にて、20回連載をしました。
正直、3ヶ月かけて準備をしての連載は、
先生の作品から自分が何を学びデザインと結びつける作業は、
全身全霊、肉体と精神をとことん絞りきる作業は20回が限界でした。
『夢の形見に』と題したこの連載をなんとか上梓しようとしましたが、
デザイン評論を引き受けてもらえる出版社はありませんでした。
ところが、昨年、ある出版社から引き受けたいという申し出を受けました。
20年間という啓示
私は20年が必要だったのだと思っています。
あらためて、校正をし直して20周忌に出版できることは、大きな啓示かもしれません。

スタッフ追記
2011年6月4日より、「倉俣史朗のデザイン 夢の形見に」として
ミネルヴァ書房より出版いたしました。
7月15日には出版記念講演を予定しております。
詳しくはこちらよりどうぞ。


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