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Posts Tagged ‘71歳’


『最悪のシナリオから「知性」思考はこれだ』


   


     4月 3rd, 2020  Posted 1:35 AM

最悪のシナリオです。
毎日、新型コロナウイルス禍が拡大し続けていますが、
私には「覚悟」が出来ました。
阪大の医師たちが「遺書」を書いたのです。
これこそ「知性」でしょう。私はガーンと打たれました。
「もし、生き延びたら、上手い酒を飲もう」というのです。
阪大の循環器系はトップですから、残酷な現実への「知性」的判断でした。
最悪のシナリオ、世界の三分の二の死亡を見据えて、
助かる見込みの高い、未来がある誰かに治療をという命の選別に、
私自身が71歳だから、手を上げようと「覚悟」しています。
多分、日本中が生き延びることこそ大事ですが、
「世界システム」の変革ですから、
「経済」とかサービスは崩れて再構築です。
これこそ、「経済」はつぶれて3〜5年はかかる、
大きな大革新になるでしょう。
最良のシステムと最悪のシステムを両方思考することです。


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『71歳になります』


   


     2月 26th, 2020  Posted 12:00 AM

本日、71歳になりました。
28歳で交通被災し車イスの生活を余儀なくされました。
重傷当時には40歳までが生涯だと言われました。
金沢美術工芸大学を卒業し、東芝からデザイナーになりました。
その後、東芝を辞めて赤坂で独立し、そしてふるさと福井に戻りました。
寿命の40歳を過ぎて、41歳の時に、「毎日デザイン賞」を
故・倉俣史朗先生から推薦を受けて、受賞しました。
そして、気がつけば名古屋と大阪で22年間も大学人でした。
事故や病気の重篤から4回はあの世から戻ってきました。
かなり無茶苦茶な人生を送りながら、デザインには清廉潔白を通し、
デザイン界では、かなり激しい生き方をしてきました。
自分と正反対の思想と行動であれば、
その人を敵というように見なしてきたようです。
私にとっては、敵でも無いのです、
デザイン哲学を最優先してしまいました。
私の父は、70歳で全ての仕事を辞めましたから、
自分もと思っていましたが、そもそも計画を綿密に立てないし、
アクシデントだらけで、私の人生は予定調和ではありません。
「やりたい仕事」として書き残したいことがあります。
ようやく、一冊目を書き始めました。
カーボンファイバーのイスは、今年ドバイで発表します。
次世代のケイ炭素素材も見つかっています。
製品開発をしてきたモノを商品化すること。
いろんなことの引き継ぎとかを終えて
79歳で亡くなった父より、
少し伸ばして80歳の生涯だったらと願います。


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「1964年15歳だった。2020年71歳時に見られるだろうか」


   


     9月 9th, 2013  Posted 12:00 AM

2020年オリンピック・パラリンピック開催地は東京。
真夜中から明け方まで、TV報道を見続けてしまいました。
プレゼンテーションを見届けて発表の瞬間を撮りました。
この国難、福島原発事故は汚染水の大問題を世界の不安材料とし、
開催地国家への不信感を高めていました。
被災地の方が、とてもこの機運とは別世界にいるという発言は、
私には身につまされる思いにさせられました。
それでも、オリンピックが決定したことは本当に幸運でした。
人生にはやはり喜怒哀楽がこれほど巡り巡っていること。
3.11で私たちは哀しみのどん底に落とされ、
しかも、その後の復興では国民の思想も2分されました。
しかし、私は、この開催地決定が明確に「景気」になるでしょう。
プレゼンを成し遂げた、アスリート、高円宮妃、首相、都知事と、
主体者であった委員のチームワークは素晴らしいものでした。
彼らがプレゼンに込めた願望の下敷きには、
3.11以来、アスリートたちやスポーツの効能性が、
「復興」の大きな力になるという認識を共有していたのでしょう。
人間には、「感激・感動・感謝」という感性サイクルがあります。
そして、感激と感動を最も効能を与えるスポーツと、
勝利を獲得するためのアスリートたちが、
必ず、応援に感謝するこのサイクルの効能性を私は、
デザイン・デザイナーにも好ましく・望ましいことだと思います。
私は「価値」というのは、好ましいこと、望ましいこと。
この定義を語ってきましたからこの決定は「価値」だと思います。
少年の頃、オリンピックがあったことを思い出します。
おそらく、自分の人生でもう一度開催されること、
これは、国難の哀しみに対して大きな喜びであり、楽しみです。
今、確かに不確定で不安極まりない時代、その社会にあって、
スポーツが成し遂げる力をこれからの7年間が過程でしょう。
そしてこれからの7年間こそ、国難脱出の機会になるでしょう。
「危」険を体験した「機」会こそ、「危機」でした。
その解決の大きな一つのきっかけの一夜だったと思います。


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