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『デザイン=designareということばの源流のために』


   


     8月 2nd, 2014  Posted 12:00 AM

紀元前1世紀?、私にはそんな時代は本の中にしかありません。
弥生時代の頃と言われれば、縄文時代よりも稲作が始まったとか、
その時代の方が私には、モダンデザインの始まりを感じています。
しかし、これも私には本の中で辿るより手立てがありません。
その時代に、ラテン語が生まれ、それを成した人々は、
エトルリア人だと学術的には解釈されています。
しかし、私は、そのエトルリア人がどこからイタリアの
ラテニウム地方にやってきてそこでラテン語が生まれたのかです。
そのエトルリア人がでは、どこからやってきたのかも、
確かめなければ、その言語すら、生まれてきた背景が不明です。
学術的な歴史観では、アナトリア半島=現在のトルコであり、
その文化は最初に硬貨=コイン=エレクトロン貨を発明した人です。
私はそこで、あとは紀元前の時代にまで戻って、
想像力で、その人たちがなぜ、イタリアにやってきて、
ラテン語を創出したかを考えることになります。
実際は、現代の紛争もこの時代から綿々と民族対立になっています。
とりあえず、ラテン語は、現代にまで「始めに言葉ありき」を
私たちに与えた言葉だからこそ、ずーっと昔の昔にまで
自分の想像力と遺物と地図で、彼らが国家をつくって滅亡を
見届けなければなりません。
私にとって、ラテン語である「designare」をラテン語から
拾い出して、その言葉がde+siginからdo+siginになる過程、
designという言葉の源流を、Lydia=リディアという国家に求めます。
おそらく、私がデザインという言葉から、その本質に迫るためには、
リディアという国家からイタリアに住み着いて、
欧州の言語の基本、ラテン語であり、
その語彙のデザインというたった一つの源流=designareを
明白にしていくきわめて歴史観からの唯一の方法だと思うからです。


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『3D-Printingでクラインボトル形態がここまで可能に』


   


     8月 1st, 2014  Posted 12:00 AM

阪大で3D-Printerに関わっているメンバー全てが集結し、
これからの3D-Printerの真偽についてフォーラムをやりました。
そして、それ以後に、図面通りにトライをしてもらってきました。
それは可能で有り、実際ワークが出来る人を限定しました。
結果、現在の出来るだけ廉価版でもここまで可能な形態が完成。
つまり、本当に出来る人間は限られているということです。
これが作成出来ないのは3D-Printing・技術がないのです。
そこで、本来のクラインボトルは数学であるトポロジーの形態の一つから、
3D-Printerで造形を出来るという人だけに依頼しました。
いづれこの人たちだけを紹介します。以外は「出来ない」人です。
トポロジーの形態自体、本来、厚みは無い形態にすぎませんから、
これだと、クラインボトル様とか擬似クラインボトルが
数学的には正しい呼称ですが、
私は造形形態をそのままの呼称にしています。
3D-CADでは点に大きさがあり線に太さがあり面に厚さが設定可能。
これは、カンデンスキーが彼の著作でいみじくも想像していた、
点についての想像力がコンピュータ画面上で実現されたことになり、
私が光造形に飛びついたのもそれがきっかけでした。
カンデンスキーの想像力は、点はいつの日か、必ず正方形に近づく。
この想像力の見解は、コンピュータ画面ピクセルの形状が正方形で、
結局この正方形を一つの点とみなすことで、線、面に繋がりました。
3D-Printingは、ノズルから素材を線状態=ある太さで出して、
それが面を構成していきますが、それは乾燥と、さらに重量が存在。
そこで、サポートということでなんらかの中空状態を作成すること、
これが技術=3D-Printingの基礎技能・技術と考えています。
このトポロジー形態を現実に在る状態にまで出来うる人間は、
これで確定されてきたということになります。
そして、この形態を造形できるなんらかの技能が、
3D-Printerで造形していく私なりに考えてきた基礎力だと思います。
果たして、このクラインボトル形態から次の形態が、
必ず未来の形態づくりの発想を与えてくれると私は確信しています。


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『新たなOSに慣れている・HP Chrome 11 with Google』


   


     7月 31st, 2014  Posted 12:00 AM

私の日常生活では常にMacがあり、今ではMacOSXとiOS7が中心です。
しかし、ようやくPadでも18インチがASUSから出てきて、
これを使いこなすためにAndroidを初めて使いましたがとても困難。
丸一日かかって、このサイズ上でSketchbook Proを始めました。
そうしたら、with GoogleのパソコンHP Chrome11が出てきました。
以前からとても気になっていて、Mac上にChromeOSを使用しましたが
Chrome11の評判を聞いていただけに、早速使っています。
ようやく、このOSの構造が分かり始めてきました。
確実に、Cloud上を意識したパソコンであり、11インチ画面ですが、
Macbook Air11よりも軽量ですし、このOS構造は単純明快です。
出張でも持ち運んできたのはMacbook Air11で、
講演ではできる限り、iPadも使えるようになりましたが、
まだ不安感があるためには、Air11を使ってきました。
今取り組んでいるのは、なんとかKeynoteがこのパソコン上で、
もし使えるのなら最適なパソコンになるかもしれません。
ChromeOSでは、PowerPoint的なアプリがありますが、
まずは、映像や音響がどこまで動くかを試用しています。
このパッケージや取説などは全くありませんから将来があるようです。
電源がUSB-Microはとても新しい電源のあり方であり、
データ管理がCloud上というのは、とても明快なPCのあり方です。
ようやく、自分がこなせるアプリはほとんどが無料であり、
これらの使い方は大分使えるようになったと思っています。
なんといっても、この軽量感と使用感なら携帯は楽になりそうです
いづれこのFB上で試用感と使用状況を書き残していきたいと思います。
おそらく、このOSはPCとの関係はすべて「見えない」設計です。
したがって、ここまでPCがブラックボックス化とクラウド化が、
果たして有効になってくれば、MacOSXは取り囲まれるかも・・です。
グーグルが他分野産業をクラウド化する最初のあり方ならば、
未来を決定するOSになるかも知れません。


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『「羽二重」ブランドの発表を決定する!』


   


     7月 30th, 2014  Posted 12:00 AM

私は福井県織物組合の青年部会と新ブランドを考えてきました。
28年前にも取り組みましたが、上部からは公認されずに、
私自身は悔しい思いをしてきました。
ところが、当時の提案をある企業は実現して話題になっています。
デザイナーとしてこの天職にありながら、
どれほど悔しいことを何度もしてきたでしょうか。
だからそうしたことが、私にとっての対人関係の決定要素です。
「自分の職能・能力に素直に実践実働をすること」。
そして「その実現出来たことに感謝すること」が最も大事です。
今回、福井県が繊維産地として、私自身が幼少の頃からの想いと、
プロのデザイナーとして、「絹」からポリエステル繊維、
さらには新素材までをターゲットに新ブランドは「羽二重」に決定。
これは幕末の殖産興業に関わった先達へのオマージュです。
今や「羽二重」=HUBTAEと呼ぶことさえ忘れられているでしょう。
かって、福井は第二次大戦で爆撃を受け街は消滅しました。
理由はパラシュート・当時は絹製の産地であったからです。
このパラシュートを再現して見てみたいと真剣に思っています。
この青年部会でも「絹織物」企業は僅かであり、ほとんどが、
ポリエステルが中心になっていますが、私には新素材イメージがあり
新ブランド発表後は新素材開発を促していきたいと狙っています。
絹は蚕から布を織機で紡いで織り出していく人類の智恵であり、
その結果としての絹には「しなやかさ」が最上の自然産物です。
そして、人工化して人絹はポリエステルという布として最高のモノ、
問題点は、肌の呼吸とはまだ不一致なことです。
私がデザイナーとして取り組み、繊維の若手プロたちがその実現を、
この背景には、織物の歴史を追いかけ、布にある感性評価は、
未だに決定されていないがゆえに、学術的な決定を試みました。
感性評価は提案であり、これこそ日本だから出来ることを見せます。
その結果としての目的に、新製品開発の事例を発表するつもりです。
「織ることから創る」産地に繊維・布=羽二重があること、
この証明と世界への発信を試みるつもりです。
私たちは確約たる織物づくりで世界でトップの布を情報化します。

「『はぶたえ=羽二重』の目立たなかった布の美しさ」


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『日本の繊維産業、その先鞭をつけた人たちの偉業に続け』


   


     7月 29th, 2014  Posted 12:00 AM

福井にいる頃、すでに私は当時の織物組合の青年部会で、
新ブランドと製品開発をし、部品すら、すでに開発をしていました。
しかし、まだ若かった私は信頼されることもなくて、
そのデザイン企画は発表出来ませんでした。もう27年前です。
が、最近日本のあるとても話題企業の商品は過去の私の提案でした。
青年部会長は、現在、この企業団体の理事長になって再度、
私には重大な新ブランドづくりと製品開発指導を委ねられました。
そこで、私は日本の繊維産業の歴史性から、これだけの人物、
彼らの足跡を求めて、日本の繊維が「絹織物」からの出発を知り
起点は、由利公正(五箇条の御誓文)の仕掛けから始まりました。
「絹織物」を欧州から学べと指示した由利公正は、
京都から三名の人間が欧州の織物を学んで帰国し、彼らによって、
今年大きな話題となった「富岡製糸場」も指導をしていくわけです。
近代産業化をしていく織物産業は次第にその精緻さを求めます。
1870年には「富岡製糸場」が企画され、三人が帰国して指導し、
彼らは京都にもどって西陣織りにつながり、
福井には4名の先達によって、「羽二重」が生まれてきます。
1893年には人絹取引所までがこの産業を確約たる輸出産業になります。
私は、なぜ由利公正が殖産興業の手立てを政策に持ち込んだ理由は、
橋本左内などに学んだことが連綿としていく歴史性を辿りました。
このことを教科書の副読本にしていこうと考えています。
私はこの先達たちの先鞭性を継承してさらに再活性化を考えました。
新ブランドは、布の基本=絹からポリエステルまでを感性評価し、
その学術的な整理から、新製品発表を目指してきました。
歴史性・感性評価・織るから創るまでを発表していくつもりです。
日本の絹織物ゆえに、先達たちが「何を大事にてきたか」を
私は新ブランドと新製品アイテム開発をデザインしていきます。

『「織物・布の感性的評価軸=オノマトペ」産地福井から発信』


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『幼児たちの布感覚=感性評価実験から最学習』


   


     7月 28th, 2014  Posted 12:49 AM

ここ3年にわたって、繊維・布の「感性評価」をまとめてきました。
すでに、この取り組みは27年、思いついてからのデザイン企画です。
三宅一生氏「プリーツプリーツ」のデザイン評を私が書いたときには、
すでに布には7つの評価軸があることを知りそこから評論しました。
いつの日か、この評価軸を「感性評価」として、学術的にまとめ、
その評価軸から、産業的な応用を行い、製品開発の目標指標をと
デザイナーとして、しかもふるさと福井の繊維産地で、
私の経験、それは幼児期から織機の音と伯父は繊維のエンジニア、
聞き及んでいたのは、父方の祖父は今もある大手繊維企業、
その創立メンバーの一人でしたから、なんとしても繊維を!と、
私のデザイン対象にしてきました。
これまでも繊維・布の7つの評価を「大人の感性」で確かめました。
しかし、私が最も気がかりだったのは、子ども、しかも幼児の感覚、
多分彼らは言葉、語彙も少なくて感じたことを表現も出来ないはず。
それだからこそ、布に触った感覚が必要でした。
ようやく、5歳の幼児たちに厳選した66枚の布の感覚を、
学術的に検証をしてもらいました。
それも、擬音語・オノマトペを表現用語にしてもらいました。
「さらさら」・「ざらざら」・「すべすべ」・「きらきら」と、
彼らの語彙数はやはり限定されたものでしたが、
たった5年間の彼らの感性に布の分別は明らかになりました。
そして、私がこの実験で知った重要なことは、
言葉・語彙をもっと彼らに与えることだと明確になりました。
「ふくらみ」・「はり」・「こし」・「ぬめり」・「しゃり」
「きしみ」、そして「しなやかさ」は、私たちが与える言葉です。
しかし、彼らのたった5年間の感性では、限定語彙に対して、
私たちが思いもしなかった「痛い布」があるということでした。
小学生たちにも、この実験をするつもりです。
私は、繊維での若手専門家たちに、この秋には新ブランドのもと、
新製品発表を、この「感性評価」とともに行います。


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『ロボット学者第一人者・森政弘先生の講義 その2』


   


     7月 27th, 2014  Posted 12:17 AM

森先生自作の講義演出用の回路模型は二つあり、
その一つは、シャープペンシルの芯に電流が流れて煌めきました。
聴衆からは会場が光輝きを見て、全ての人たちは感動しました。
とても繊細なワーキングモデルだけに、
先生が怪我をされないようにとみんなが思っていた雰囲気でした。
そして、私にとっても強烈な「臨済録」の一節が提示されました。
・・・仏に逢えば仏を殺し
・・・父母に逢えば父母を殺し
・・・祖師に逢えば祖師を殺し
この講義で私はこれまでの大疑問が理会に達するのでは・・・
そのシャープペンシルの芯が光輝くのを見て、
先生に質問をしました。
その芯が燃えて光輝く一瞬が「生きていることですか?」と。
先生は、そのシャープペンシルが燃え尽きて、芯がより細くなり、
そして折れる実物を私に見せていただき、
「違うよ、光輝いて燃え尽いているここも人生なんだよ」。
私は、3度も冥府への道に行ったことを話しました。
最初は、交通被災で、もし放置しておいても体力があれば、
手術をということで、真っ暗闇の道に佇んだことがあります。
2度目は、草月会館で講演をして会場が真っ暗になり、
講演終了ですぐに羽田から小松空港、そしてそのまま入院、
やはり冥府らしき真っ暗闇にいました。
3度目は、「重篤ゆえ」という敗血症・多臓器不全死直前でした。
祖父が私の作品集を持って、「もう来てもいいだろう」、
「まだですよ」と母の声を聞いて現世に戻る苦しみを受けました。
だから、無神論を最近は確信していたのですが、
もし、仏に逢えば仏を殺し・・とは妄想と対峙することでした。
そんな話を先生に質問に交えて先生の講義を聴きました。
二元性一原論が語られて、先生は言われました。
「最近のモノは全く壊れないモノばかりになり、
壊れるモノを技術者はつくってならない風潮です。
モノは頑丈で壊れないから、今度は、
人間が壊れる存在になってしまいましたね」。
この講義の核心が今も鋭く私に突き刺さったままです。


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『ロボット学者第一人者・森政弘先生の講義 その1』


   


     7月 26th, 2014  Posted 12:00 AM

会場は、いつものごとく、東大先端研4号館の一室に、
いつものごとく、ロボット学者の偉い先生方の了解で私も聴講生。
前回から、先生のロボット学、その根源的な宗教論は
単なる宗教講話を超越した講義が、先生自作の回路設計によって、
宗教哲学はその回路の実験で具体的な例証がなされました。
正直、先生の講義メモは7頁びっしりに及ぶほどの分量で有り、
特に「安全ロボット」のあり方は、
「モノの世界観」と「精神世界観」で繰り広げられました。
私は大学人になって最初に思ったことは、講義をするよりも、
大学の講義を聴講したい気持ちが強くありました。
そして、私自身はすでにもう大学は退官していますが、
こうした第一人者の先生から講義を受けるチャンスは大幸運です。
なんといっても、「なぜ、ネジは締まるのか?」という命題から、
その講義は始まりました。
聴講する先生方も、一流大学の一流の大学教授たちと、
その先生方の一部の学生達だけが受けることが可能ででした。
白板には、仏典の重要箇所が抜き書きされて、その意味から、
私たちはそれらの意味を、今回は、先生自作の回路実働モデルで
教わっていくのです。
先生の自作セットの簡単な回路図から、「七仏通戒偈」を
実働モデルから、絶対成るモノに任せ切るということを学びます。
まだまだ、先生から教えられた経典を私は読み切ってはいません。
何しろ、先生からは、私にシリーズ書籍260冊を教えられました。
それは先生がすでに読破し、そこから学んでしかも自作回路で、
その具体化を見せられてしまうわけです。
先生の講義後は先生を囲んでの夕食会がありますが、
どうしても私はその日に京都まで戻らざるを得ずに帰りました。
帰ってから、ワイフに先生からの話や自作回路の面白さを
語り尽くさんばかりに興奮していたそうです。
今、私は、先生の講義から学んだノートのメモを整理しています。
すべてを語り尽くせないとは思いますが、
ずっと懸案だったことが見事に先生から「理会」出来そうです。

『今年早々、最高の講義を受ける・森政弘先生の仏教論』


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『デザインには発明が必要だということを学んだ作品』


   


     7月 25th, 2014  Posted 12:00 AM

大学時代、デザインと造形の関係において、
造形によって、問題解決の解答を造形で答えることを学びました。
「発明がない!」と、故・柳宗理先生はよく言っていました。
私は東芝で最初にびっくりしたのはチューナーのデザインでした。
ST-910(左上)は、まだFM局が日本には2局しかないのに、
ガラス面にセンサー技術での選局システムが上司のデザインで、
すでに完成していくデザイン進化を技術とデザインで見ました。
そして、上司の指導というよりも、
「思い切った発明で選局」のシステムST-720(左中)づくりを
アシスタントデザイナーとして詳細な設計を技術指導できました。
そして全面的には、通常なら選局パネルがすべて上を真下に提案、
ST-420(左下)、上司は大賛成で、それなら、メータも変えなさい、
もう毎日が楽しくて、事細かにデザインで生きている実感でした。
そして、最も普及タイプのデザイン ST-220については、
パネルに、選局名を入れ、鏡面に針を映し出すことで、
普及タイプを仕上げて、ヒット作にすることができました。
しかし、これには深い思い出があります。
この製品企画で数枚の会議用のレンダリングを仕上げてから、
秋葉原に行きました、
そうしたら、すでに、チューナーは激戦状態で、
新製品を見て、大驚愕したのです。
すでに、レンダリング(完成予想図)で準備していたモノが
他メーカーから新商品で、秋葉原の大店舗では、
そのキャンペーンが始まっていました。
私は、すぐに会社にもどり、徹夜で、あらためて新商品企画を
やり直しながら、気づいたことは「どこにも発明」が皆無でした。
決して、他メーカーでは不可能なことをやり遂げるという想い、
会議前日に、必死で取り組んでいました。
私は、今でも、その頃の思い出を抱いています。
「このデザインには、発明があるだろうか」という自問自答です。
今ではチューナーはインターネットラジオになってしまいましたが
チューナーでのこの代表機種全てに「デザインによる発明」です。
だから、あきらかに言えることは、
「デザイン=造形が必ず発明」は必要十分条件だと思っています。

「ヘッドホンにはヘッドホンアンプ必要なり」


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『パリには車イス対応が最初から叶っていた!』


   


     7月 24th, 2014  Posted 12:00 AM

車イスで海外に出てからは様々な対応を体験してきました。
これは、パリでも有名なホテルですが、
この車イスで、ある壁面を押すとこの小部屋がありました。
それこそ、30代後半の頃に、この対応に驚いたことがあります。
まだ、バリアフリーとかユニバーサルデザインなどが未登場でした。
ヨーロッパゆえに、自動ドアや自動昇降もゆっくりでした。
しかし、この小部屋があることは知る人ぞ知る、そんな雰囲気で、
私は、この小部屋から突然、ホテルの鏡面の壁面ドアから
飛び出すことにとても快感だったことを思い出します。
そして、このホテルに限らず、有名ブランドショップには、
ほぼこれに似た仕掛けが、壁面、柱などが必ず鏡面になっていて、
そこを開けると、このエレベーターが仕掛けられていました。
あれからもそれほど変化はしていませんが、
残念なことに、海外の有名ブランドショップにはこれだけの設備、
にもかかわらず同ブランドの国内ショップには全く無設備でした。
今なお、国内のショップにはこの展開はなされていません。
有名ホテルなどでは、従業員通路やキッチンを通り抜けます。
私には、こうしたいわゆる裏道的な抜け道が面白いのですが、
私一人なら、この裏道は面白いでしょうが、大勢になったら?
と、心配になってしまいます。
したがって、私が車イスになって、空港、飛行機、ホテル、ブチック
などなどのこうした設備や設備無く裏道は随分体験してきました。
今でこそ、成田にしても、新幹線にしても裏道は無くなりました。
しかし、私が満足している設備は不十分です。
最近は、急速充電の電動車椅子への対応が、航空機や鉄道については
全く考慮されていないと判断しています。
だから、もし私がデザイナーだと知られれば、必ず、嫌がられようが、
私は真正面化からコメントをそのお店や企業にメールします。
なぜならやがて、街中に車イス使用者が増加することは明らかです。
だから、今から準備してほしいのです。

 「車イスデザインのための文脈づくりに気づく」


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