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Posts Tagged ‘放射能’


『性善説価値をAIの導入・進化はデザインが図る』


   


     12月 9th, 2017  Posted 12:00 AM

デザイナーに対しても、AIの将来像、その予測や予知内容の質問があります。
これはもはや現在進行形であり、近未来と考えるスピードで変革しています。
これには、とりあえず三つの方向を私は予測しています。
● 脳科学と神経科学が融合価値
● 電気生理学と神経解剖学の統合価値
● 動物での行動実験からの総合価値
これらがコンピュータでのイメージング・マッピングが須く
「性悪説」に向かっていることだと認識が必要です。
パソコンにウィルスやハッキング、SNSでの人間関係破壊は、
ほとんどパソコン登場時は予知もありませんでした。
苛め、自殺誘導、犯罪仲間募集、殺人教唆などがネット運用の有様です。
AI進化により、特に専門職である医師の問診、アナウンサーなど、
職業が無くなることはあるでしょう。
しかし、私が最もAIと性悪説が結びつけば、
たとえばドローンとAIやロボットとAI、IoTとAIによる殺人までが
必ず可能になり、アシモフのロボット原則破壊は起こるでしょう。
ロボットの戦闘兵士は、AIで殺人は必ず起こると考えます。
そこで、性善説AIロボットと性悪説AIロボット世界が生まれるでしょう。
私はこのAIでの放射能完全防止と防犯AI、防災AIは、
ロボティックスとフォトニクスが絶対に必要になるだろう。
デザインがAIを性善説に向かわせる領域設定が必要です。
これはすでにKAISTの環境デザインはロボット社会環境なのに、
わが国の環境デザインが建築偏向であり、
デザインでの製造・生産による環境デザインならば、
現在の建設中心主義は改められるべきです。
それこそデザイン思考ではAIへの方向性は創造不可能だと思っています。
そういえば、40代でApple本社での開発コンサルタントだった時、
「このプロジェクトは絶対に国務省(軍備や戦争武器)への提案は無視」、
この所信が述べられたことを思い起こします。
デザインがAI誘導を統合性、総合性に向かわせるには、
デザインでの価値は全体価値であり、付加価値支援ではありません。
デザインによる価値は「安心・安全・信頼・信用」が、倫理厳守であり、
性善説構築は性能や機能ではなく、デザインでの効能と思っています。

* 「ロボット・『踊』の意図すること」
* 『漫画・アニメーションにみる日本独自のロボット観』
* 『「ロボット」概念の拡大はデザインで生命体擬化する』
* 『現代芸術が発見している予感をデザインが予見する』
* 『「炊く」を事例に、再度、IoT・AIの美しさを』


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『完全命中の投げる行為がミサイルであるという知識』


   


     10月 2nd, 2017  Posted 12:00 AM

オリンピック種目である、やり投げ・砲丸投げ、この二つは不思議です。
それこそ古代にはやり投げも砲丸投げも対象物への命中技能。
それは狩猟する動物を的にしての体力と狩猟技能を競うこと、
そのゲームに過ぎなかったことです。
それだからこそどこまで遠方に投げられるかということでは無いはずです。
やり投げ・砲丸投げは古代体力の測定ゲームに成り果てたにすぎません。
人間には「投げる」という行為があります。
その最も機械工学的で最先端なモノとコトは、
ミサイルにその最先端技術があるわけです。
まさか自分の生涯に戦争の危機とは思ってもいませんでした。
と同時に、日本という島国国家観で最も欠落しているのは武器という知識。
おそらく世界的に最も無知識な民族が日本人でしょう。
理由はすこぶる簡単です。軍隊では無い自国防衛だけの
自衛隊という軍事集団がいますが、彼らの武器、
いや防衛システム機器については最も無知識な民族だと思います。
これは二度の原爆被災をし、さらに原電事故による放射能からも、
私たち日本人は原子爆弾の怖さはすでに語り継がれている物語性なのです。
だから、私たちはこの国を飛び越していく弾道ミサイルに
今では広島の何十倍もの威力ある水爆、
この怖さも物語性で語られているにすぎません。
したがって、私が今回も最先端のミサイル駆逐艦を差し出せば、
やっぱり川崎は右翼とか言われる始末です。
それならもっとこの危機迫る戦争それも電磁砲からミサイル駆逐艦までを
私は極右として提出します。
なぜなら、ミサイルはやり投げ・砲丸投げから進歩を重ねて来た、
機械工学の最先端の武器であるからです。
そして、こうした知識無きそれもデザイナーなどは、
真のデザイン=幸運で幸福な最先端的な知識無きデザイナーなのです。
最先端であるズムウォルト級ミサイル艦、この形態言語からのそれこそ、
重大なデザイン内容を熟知すべきだと私は考えぬく想像力が必要です。

* 『応答では移染と呼ばれるから真の解答が必要だ』
* 『大物主神から事代主神、このコンテクストの卓球台』
* 「海底資源探査船というわが国の技術は防衛されるべきだ」
* 「ロケットとミサイルはグッドデザインの問題」
* 「H2Aロケット・はやぶさ・しらせ=日本技術の結集象徴」


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『セシウム除染を浄化し浄水が可能となりました』


   


     7月 9th, 2017  Posted 12:00 AM

5月の12/13日と福島県の飯舘村にて、
沼の泥水を採取し、現地にてまだ未発表(赤)ですが、
あるデザイン素材で134Csと137Csを含有している泥水を浄化しました。
その泥水と浄化水を大阪大学院に持ち帰り理学研究科の化学分析室、
専門領域でセシウム含有量を検査してもらいました。
結果、現地でデザイン素材(赤)をいわばフィルターとして浄化水は、
全くセシウム除去が、阪大研究室での実験同様になりました。
3.11での人災である原子力発電所大事故からの放射能、
その目安としてのセシウム除染は成功でした。
実際、東京都内の河川や湖沼はじめ、
それこそ豊洲での浄水装置である機器開発デザインが可能になりました。
これまで、フレコンバッグでの除染は不完全と想像していました。
実際に飯舘村の湖沼はセシウム汚染されている泥水の浄化が可能となり、
今後はデザイン主導によって、セシウム除染だけではなくて、
放射能からトルエンまでの浄化が化学的にも検証されました。
飯舘村のある湖沼、これはおそらく政府発表(環境省HP表示)の、
東京都、静岡県、長野県にまでセシウム汚染は拡大しています。
それこそたとえば、アフリカでデザインされたストローで
泥水を飲み水にしている、そのような紹介がありますが、
私はじめ招聘教授や研究室では、本当に可能であるかどうか、
それはセシウムを含んでいる泥水が浄水出来るかを、
飯舘村でも実験した、その結果を確認したのです。
これで除染はもちろん豊洲地下水の浄水化まで、
その可能性が化学的に立証されました。
急いで、デザイン主導での浄水化と除染システムの製品化を急ぎます。

* 『もう一度美しい国を再興するレジリエンスデザインを』
* 『セシウム除染もデザインが深く関与すべきだ』
* 『サスティナブルであるための原意と欠落点』
* 『ガンマカメラにより放射能は視覚化可能』
* 『除染されていない間伐材へのデザイン開発』


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staffblog 5月12日


   


     5月 12th, 2017  Posted 11:55 PM

5月12日

福島県相馬郡飯舘村にて、
除染の実証実験を行いました。
現在、研究室で開発を進めている、
新素材を用いた実験です。

寄附企業・招聘教授・現地協力者・
ドキュメンタリー撮影企業など
総勢9名にて実施しました。

現地には黒いフレコンバッグに
緑の大きなカバーが被せられています。

空間線量を計測してみると、
場所によっては高い値を示しています。

ただ、放射能の影響を考えなければ、
非常に美しい自然豊かな場所です。

この美しい地を取り戻すため、
企業と研究機関が一体となって、
活動を続けてまいります。

*関連ブログ
『もう一度美しい国を再興するレジリエンスデザインを』


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『サスティナブルであるための原意と欠落点』


   


     10月 22nd, 2016  Posted 12:00 AM

自宅の玄関や一部の壁は石面です。
これは「サスティナブル=sustainable」の原意を思い出すためです。
今では、極めて様々なことばの使用が氾濫していますが、
このことばは、ドイツのある街で発生したことばでした。
その街はいわゆるヨーロッパの建築、その石づくり建築に
酸性雨が降り出して、その雨のために歴史ある石建築が、
破壊されていくことを、1980年代半ばに、地球全体で酸性雨の問題提起が
大きな会議となって、地球環境の国際問題となりました。
たちまち、このことばは経済用語にも応用が始まりました。
その意味が二番目に起こったそれも自国経済を他国経済から保護するため、
その応用事例になりました。
この応用は自国経済の保全というよりも自国経済を防衛することばでした。
そして、最近ではサスティナブルは、
確実に、「地球環境、あるいは自国環境の保全」という意味になっています。
しかし、大きな欠落点があります。
それは人類と地球環境だけではなくて、環境と生命との関係が抜けています。
それどころか、経済用語でのサスティナブルでは、
生命を保全するためには軍事関係あるいはテロリズム、さらには原爆があり、
性悪説への対決がすっぽりと抜け落ちていることです。
それはこのことばの原意にもどれば、
酸性雨というメタファーとして、テロリズムと放射能への徹底的な防衛と保全、
人類の健全な精神的な保全=レジリエンスが欠落していると思っています。

* 「石畳の街、その文明と文化」
* 「『風景』とは天地異変のシグナルだった」
* 「結果原因・原因結果からの予知と予測」
* 「これが最悪か!・・・宗教戦争、語るべきか」
* 『地球環境の変動と株価変動でみる企業意識』


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『セシウム除染もデザインが深く関与すべきだ』


   


     10月 7th, 2016  Posted 12:00 AM

この袋は私のふるさと福井で製造されています。
名前はフレキジブルコンテナバッグ=フレコンバックが通称です。
このバッグには、あの除染された土が詰め込まれています。
放射能でのセシウム除染が行われた結果、これは風景ではなくて光景です。
風景の原意は彗星・雷鳴・日食・月食の気候条件が自然に及ぼす景観です。
光景とは、陽と陰、生と死、乾坤の景観を言います。
ちなみに情景は自然と人間が存在している景観です。
ところであの除染必至の現地では除染ということへの信用は確実に失われ、
除染どころか移染=セシウムを取り除いたのではなくて、セシウム汚染場が
移動されただけという評判があることはもはや周知のことです。が、
デザインでもこの問題解決を絶対テーマにするべきだと考えてきました。
今、ようやく、新しい除染・完璧にセシウムの放射線濃度を
0.2μシーベルト程度にと、その素材と除染パッケージを
フレコンバック、そのモノ・素材と工程の開発を狙っていました。
ようやく、その方法論と素材・梱包・回収・蓄積のデザイン実務が可能かも、
だから、もうこの領域に、デザイナーが取り組んでいることを
ここで明確に発表することにしました。
あの人災でしかなかった原子力発電所の永久封鎖も、
デザイナーとエンジニアがやるべきことだと主張してきました。
絶対にデザインが不可欠です。
確実の○○○○効果を運用した「範原発」のための除染デザインです。

* 『中国の月面着陸ロケットの思惑・範原発を!
* 『意識して見つめたい「光」を』
* 『脱原発などありえない、範原発への期待』
* 「景観への精神状況がそのままファッションに連鎖している」
* 「『風景』とは天地異変のシグナルだった」


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『照明の文化論としての陰翳礼讃』


   


     8月 31st, 2015  Posted 12:00 AM

日本には文化として照明には二つのことばとその結果の漢字があります。
ひかりとあかり、その結果として影があり、影には、陰と翳です。
ひかりとは、見つめられない、まぶしさがあり、
あかりは、見つめることができる炎である焚き火や蝋燭の炎でしょう。
古来、日本人には、まぶしさとあかりそれぞれのコントロールは、
障子の存在であったと私は理解しています。
そして、このひかりとあかりを制御してきた影の存在を体系化した
文化として谷崎潤一郎の「陰翳礼賛」という美学論を持ちました。
この記述は、なんとも廁の美学性まで語られるのです。
私は「陰翳礼讃」こそ、今なお熟読されるべき照明論だと考えます。
「陰翳礼讃」は一言で断言すると、
太陽の光線は朝日、夕焼け、木漏れ日を障子という素材で、
光線=ひかりを見事にあかりとその陰翳効果にしていくのです。
現代技術は、ひかりのコントロールに焦点があたっていますが、
私が最も重要だと考えているのは、陰翳の技術というより手法です。
光はその光度を限りなくアップさせることは可能になってきました。
そのことで、私たちの視覚能力は狂ってきたこともあります。
たとえば、液晶LCDモニターからブルーライト光線が多くて、
ブルーライト削減かカットの眼鏡が最もらしく語られます。
しかしこれは大きな間違いであり,重要なのはドライアイ対策です。
同様に,空間の明るさは、灯りとしての照度が暗がりの制御であり、
それは暗闇に差し込んでくる一条のあかり、木漏れ日のまぶしさまで
人間の視覚能力の対応性を築くことだと私は考えています。
あかりごこちこそ、陰翳礼讃につながっている照明論です。
すなわち、暗がりのなかでの灯りを造形言語=designing languageで
照明のデザインを行い、その結果としての陰翳こそ、
形態言語=designed languageとしての結果認識だと理解します。
照明論は明白にLEDとWifiとIRと電磁波そして放射能の制御に
私はこれからの照明論の統合性=コンシリエンスデザイン現象が
あると言い切ることができます。
それは機能論としてのひかりの安全、規模論としてあかりの安心、
ネットワーク論としての無線化技術、文化論としての陰翳です。


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『脱原発などありえない、範原発への期待』


   


     3月 9th, 2015  Posted 12:00 AM

福島の原電事故で本当に学ぶべきことを混乱させています。
私は原電のプルトニウム発電は即停止すべきだと考えています。
それはウラン239・ウラン240を発生させたことは学ぶべきことでした。
しかし、核分裂・核融合・核変換を学び直す必要があると思います。
原子力の陽子と中性子の核変換と原子力素材を見直すことです。
科学の力を全うに考えれば、ヘリウム3をどう扱うべきかです。
月面に存在するヘリウム3を中国政府は独占化を狙っています。
中国でまさかプルトニウム原電が70基開発などは、
とても不安どころか危険極まりありません。
反原発、これはプルトニウム原電開発には反対です。
半原発、現状の国内原電を確実な安全と安心工学でしばし利用、
それよりも、中性子衝突技術の進化をもっと科学技術化して、
核変換を行うことで、
放射能の無害化を現実化=範原発することです。
だから、脱原発というのは言語学的にも大間違いであり低能です。
私は反原発と範原発をデザインが有害化の低減を図るという
問題解決を行うべきだと考えています。
理想は、ヘリウム3をまず月面から地球に搬送する技術と、
もう一つは中性子衝突を使用済み核燃料でそのデザイン化です。
そうすれば、中性子の衝突で核分裂が起こります。
モリブデン・ヨウ素はそれぞれの半減期でテクネチウムとキセノン、
そうした核変換の技術指導をデザインしていくことで、
放射能無しのルテニウム・セシウムを人類は入手すると考えます。
そのために、マスコミ報道の安易な記事で惑わされてはダメでしょう。
もっとデザイナーとして、謙虚で賢明な発想によって、
核反応での核融合・核分裂、そして、
特に、核変換へのプロダクトデザインの造形言語化が必要だと
私は範原発を考えています。

『中国の月面着陸ロケットの思惑・範原発を!』


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「わが研究室は今年から重要拠点にしていく覚悟あり」


   


     1月 2nd, 2013  Posted 12:00 AM

昨年7月には、防災大臣と大企業の姿勢に大落胆。
私の復興デザインと南海トラフ対策デザインは停止しました。
けれども諦めずに、
8月に「危機管理デザイン賞」を創設しました。
それは、
わが研究室のこれからのミッションを
意識したプライミング体制づくりでした。
わが国は、天災大国です。
そして広島・長崎、そして福島と原子力の大被害国家になりました。
脱原発・卒原発では済ませられない現実と、
我々は対峙していかなければならない国家です。
ならば「公共政策としての危機管理産業の創成」を
国際的に求められています。
私は、脱原発でも卒原発よりは
「範原発」を目指すべきという見識と良識を蓄積してきました。
プルトニウムは、人類が扱える元素ではありません。
U239、U240は自然界には存在していないのに、
今回の福島では確認されてしまいました。
それなら、
原子工学の対象元素をさらに明確にするべきだというのが、
私が提示する「範原発」です。
正月早々、おそらく大きな反感を買うと思っていますが、
それを乗り越えるべき、
新たな「危機管理工学へのデザイン主導」
そして「公共政策グランドデザイン」が必至です。
原子力工学の対象は、原発だけではありません。
放射能への新たな科学的見識や公共政策での
政治的、産業的、経済的、さらに文化的胆識が必要です。
あの「はやぶさ」は放射能の宇宙界で電子機器は確実でした。
JAXAの安全工学的な経験が必要になってきたということです。
3年3ヶ月の政治的悪夢を終焉させるには、
同胞を失ったこの経験を必ず、
日本の復興や危機管理体制づくりを世界に提示していくことが大事です。
活断層の報道だけでは済まされないことは多大にあるはずです。
もう一度、
プライミング・エフェクトを思考見識に取り入れるべきでしょう。
もう家電も、情報も、車輌交通も、
すべからくエネルギーへの依存から解放されないならば、
日本の産業構造を大きく変革すべきでしょう。
私は4月には、デザイナーに立ち戻って、
わが国には
「危機管理産業の創成」を大きなテーマに掲げていくつもりです。
この開設準備室で、春を迎えたいと考えています。


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「1949年生まれにとっての2050年未来は?」


   


     11月 11th, 2012  Posted 12:00 AM

1949年生まれの私にとって2049年は100歳です。
したがって、2050年にはすでに私の生涯は終わっています。
書店で、この本を見つけました。
2050年という未来予測です。
ともかく読んでおこうと思っています。
その時に、地球は、世界は、そしてわが国日本はと、
想像するヒントだけでも知っておきたい。
ワイフは生きているかもしれないし、
甥っ子や姪っ子には人生の中盤になっていることでしょう。
教え子たちには必ずやリーダーとして、
世の中を牽引していてほしいと思います。
まだこの本は読んでいませんが、
まず、同胞である日本人には幸運と幸福であるべきです。
世界で最も理想的な国家になっているべきです。
大学人になって17年ですが、
17年前に私なりに今日のあらゆる領域の脆弱さは想像していました。
そうしたら、なんと3.11という1000年に一度という大天災と、
またもや、
放射能と日本人は向かい合わなければならないことになってしまいました。
私に残された時間を毎日確認しています。
28歳で車椅子になったとき、
ドクターの宣告は40歳までの生涯のはずでした。
だから、せめて体力は衰えようが、気力だけでも健気に社会と向き合い、
私なりのデザインを残したいと願っています。
なぜなら、デザイナーという職能家として生きぬくことが、
私の天命であり、運命であり、宿命であり、だから使命だと思います。
幸運にも、デザイナーゆえに、「夢を創る」仕事で生きぬけるはずです。
読者諸兄にとっても、
2050年をどのように迎えることになるのかは問いかけておきます。
2012年もこれから歳末はすぐにやってきます。
来年、どう生きるか、それは2050年に連続していくことになるでしょう。
私は、学生たちに最近は、次のように伝えています。
「君が中年になって人生に成功している姿を、
私はみることができないことはわかるでしょう、
だからこそ、君の将来は、
君自身で自分の中から紡ぎ出すしかないんだよ」、と。
未来は常に、「夢を抱いて招来すること」、
これが全ての人にとっての使命だと思います。


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