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Posts Tagged ‘日本人’


2月22日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     2月 22nd, 2012  Posted 10:00 AM

2月22日 友引(癸丑)

日本人の特徴をよく表す言葉として、
「以心伝心」というのがある。

つまり、言葉を交わさなくても、
たとえば目を見れば
相手の考えていることが
理解できるということだ。

会話がなくてもそこにいる皆が
共通して同じ考えを持ちあえる
というわけだ。

『プレゼンテーションの極意』「わがまま」と「誠実さ」


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2月20日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     2月 20th, 2012  Posted 12:25 PM

2月20日 大安(辛亥)

目上の人を敬うこと、
あるいは男尊女卑
(これは現代では通用しない、
が、根本的な男女差
という思想は大事である)、
強い家父長制(現在は失っているが)など、
いい意味でも悪い意味でも、
儒教は、ある種の制約と日常規範を、
日本人の倫理観として根付かせた。

『プレゼンテーションの極意』「わがまま」と「誠実さ」


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2月19日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     2月 18th, 2012  Posted 10:00 AM

2月19日 仏滅(庚戌)

日本人の、
わがままであることを表に出さない習性が、
いまだに残存している。

その背景には、
長い歴史の中で培われてきた
日本人特有の習慣が見え隠れしている。

『プレゼンテーションの極意』「わがまま」と「誠実さ」


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「ウェリントンタイプ眼鏡など忘却すべし」


   


     2月 5th, 2012  Posted 12:00 AM

眼鏡には定番のスタイルがあります。
そして、流行的なファッションとして繰り返しています。
その代表が「ロイド眼鏡」=正円レンズと、
「ウェリントンタイプ」=上辺長・下短辺の台形レンズです。
おそらく最も安心できる定番スタイルです。
これを不易流行のモノと私は思っていません。
メガネフレームは時代との共時性があり、
こうした定番は、顔表示を古くさくする野暮さが、
時代的な流行時と共時しない限り、
そのまま自分のセンス放棄を顕示します。
だから不易流行のモノにはなりきっていないのです。
ウェリントンは日本人に似合っているというのは、全くの大間違いです。
顔幅の細さと鼻の高さが無ければ決して似合いません。
しかもそのリーダー的な映画スターたちに
現代性は無いとすら私は思います。
そして最もメガネフレームの
性能・効能・機能は「かけごこち」に終局します。
「ロイド」も「ウェリントン」も結局は、
フレーム自重を軽減不可能の構造であって進化することも不可能です。
我田引水ながら、
私の発明した「アンチテンション」は、すでに定番になってきました。
テンプルを広げても、レンズに応力はかかりません。
だから、瞳孔距離を変えませんので、乱視になることを防止できます。
このタイプ構造は真似られていますけれど基本的なかけごこちを失えば、
意味ありません。そのようなモノも氾濫しています。
2000年にシルモ・グランプリを受賞したモノとしては、
その軽量さ、体感重量、かけごこち、
そしてファッションの不易流行性は確約できます。
「アンチグラビティ」、『アンチテンション」、エアストリーム性など
表面的、装飾的な類似品を多く出ることで、本物が浸透するでしょう。
新たな素材開発と新たなフレーム構造構成を
さらに発明的な革新を狙い続けていくつもりです。

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「ここまで粘り、あきらめないこと・・・」


   


     1月 24th, 2012  Posted 12:00 AM

オーディオの話ばかりで申し訳ありません。
やはり、私なりの根性の話は、
東芝時代から育まれたのだと思います。
インハウスデザイナーは、アノニマスでなければなりません。
これが嫌だったのです。
それは金沢美大入学直後に言われたことにつながります。
「君たちは芸大に入ったわけではない。だから無名で、
雑草のごときデザイナーになれ」
即刻、反論しました。
「昭和天皇は、雑草という草は無い、
雑木林というのも間違っている。すべてに “名前がある”」と。
結局、この反撃で4年間にらまれました。
だからインハウスデザイナーだけれど、
「自分の発想、オリジナリティは必ず実現!」。
したがって、バイノーラルLP、45回転LPを、
第一家庭電器で実現させたところ大ヒットしました。
したがって結局は、私のデザインしたSZ-1000、
エレクトレットコンデンサーのイコライザーAMPやカートリッジPRに、
45回転でバイノーラルLPは、東芝から出されることになりました。
車椅子になって、「諦めて=resign 生きる」=「諦観」を知りましたが、
自分の発想で、必ずオリジナリティを込めたことは、
絶対に「あきらめ=abandom」ないことです。
特に、次世代のデザイナー、
インハウスデザイナーには強調して伝えておきたいことです。
日本人には「あきらめる」美学があります。
それは「諦観」であり、
もう一つのあきらめは、投げ捨ててしまう怠惰さにすぎません。
この怠惰=なまけ心は、デザインを完成させません。
怠惰心でデザインに向かう性分があるなら、
デザイナーになってはいけない、
私が学んだのは、
この怠惰心からどれだけ距離を取るだけの真剣さを身につけることです。
と言いつつも、やはり怠惰心と諦観が、
私の精神の中ではまだまだこの闘争が続いています。
「喧嘩師であれ」とは、
自分自身に喧嘩を売ることです。
「やる!」と決めたら、
絶対に自分の怠惰心に
まず勝つことだと死ぬまで言い聞かせているでしょう。

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「仏・アルビの街のデモ騒動を思い出す」


   


     1月 19th, 2012  Posted 12:00 AM

失業率4.5%と聞くと思い出すことがあります。
1998年、「フランスにおける『日本年』」で、
私は公務講演として「経済と文化・デザインの役割」で
トゥールーズに行かされました。
パリからすぐにトゥールーズに飛び、連日強行な視察の連続、
スタッフがこの強行さに文句をかなり言ってくれました。
しかし、私はアルビという街で倒れて入院しましたが、
アルビのロートレック美術館・知事公舎(中世の城)・
国立鉱山大学を観ました。
ロートレック美術館では、私がデザイナーということで、
ロートレックのシルクスクリーン原版も
収蔵庫から出して触ることまでできました。
知事公舎では「デザイン貢献賞」をいただきました。
ところがパーティー晩餐会も終わり頃に、
知事公舎はデモ隊に取り囲まれて大変な騒動になりました。
屈強なガードマン二人が城の地下道を車椅子の私を運んでくれました。
そして地上に出るとなんとそこは朝市の市場に通じていました。
なるほどこれはすごい、ちょっとした冒険気分を味わいましたが、
その夜、連日の疲れで救急搬送され入院しました。
フランスの病院は看護婦さんが美人で毎朝ハグされるのですが、
症状が治まったとき、彼女たちの体臭とフケ頭髪で愕然としました。
入院しつつも途中では医師団から猛反対でしたが、
なんとしてもトゥールーズでの講演が渡仏してきた公的義務、
出来ないなら、「日本人だから切腹するんだ」と言って出かけました。
そしてなんといっても、その市民デモの凄まじかったことです。
それは「失業率が4%」という事態に対しての猛烈な抗議活動でした。
すでに、日本の就業形態は大きく変貌してしまいました。
派遣社員の拡大と完全失業率が4.5%、生活保護手当がパート収入以上です。
日本の社会就職システムは崩壊しています。
それでも日本人は、抵抗も抗議もせずに大人しい限りです。
政治が「さらなる消費税アップ」を
政策化することはとても容易いことです。
なぜなら、政治家の積極性はこの方向を選択し施行しようというだけです。
それ以前に、少なからず、
議員定数の削減と行政改革と拉致問題があります。
しかも、沖縄問題はもとより
大震災復旧とエネルギー問題も抱え込んでいます。
私は4%でのフランスのローカルな街での
デモ騒動のすさまじさを思い出します。
そんなデモ隊の街なれど、病院は素晴らしく美しい環境で、
ここなら死んでもと思いました。しかも、病院の隣が大墓地でした。

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「東日本大震災のNHKジャーナリスト講演から」


   


     12月 24th, 2011  Posted 12:00 AM

震災直後のNHK取材は3D撮影であり、
監督されたNHKメディアテクノロジーの智片通博氏に
阪大で特別講演をしてもらいました。
依頼後時間が経ちましたが、
かえって「風化しそうな」記憶を再確認できました。
私自身は震災直後から東芝で
「復興計画デザイン」に関与してきました。
ほぼ10ヶ月かけて「全計画」を書き上げ、
来年早々、東芝トッププレゼンします。
デザイナーとして40年の実務経験からの発想です。
講演では、取材編集はあの日の参議院予算委員会から始まります。
時間経過にそったNHKの天災時対応の詳細や、
そうした放送台本が放送直前の修正まで見ることができました。
私はメモを相当に取りました。
講演を見聞し、幾つか私の心に残り書きとどめたことです。
●震災の歴史的記念は
これは残すべきかは被災された方の気持ちが大事で記念館など不要。
●市町村合併によって町名に何ら東北地方性が失われていた。
●1000年に一度の天災でこそ
「役立たない技術」などはまったく人類に不要。
●NHKは日本人全員の生命と財産を守るマスコミとして
相当の日常的準備訓練があったこと。
●「みちのく」を復旧し復興することが政治で可能だろうか。
●マスコミとしてのNHKに対して、
ミニコミの必要性がもとめられますが、そのあり方。
●箱根を境界として、
日本が二分されてしまった現状から国力再建の可能性。
私は、あらためて国難の中にたたずんでしまっている
自分を客観視しました。
講義後、講座担当教授としてこのような話でまとめました。
1860年、日米修好通商条約提携に向け、
勝海舟・福沢諭吉が乗った咸臨丸が出航。
1854年から1859年は「安政時代」、社会不安に天災続き、
特に大阪も安政南海地震で大津波、
結果、難波(津波災害から)、梅田(埋め田)という地名が生まれるほど。
NHKでも若い取材者は、精神的ショックが相当だと聞きました。
現実、大学生にもボランティアに行きつつも、
そのやりきれなさで自殺者が出ています。
私たち日本人にとって、この震災・津波・原電事故は、
日本を「壊滅」させました。
それ以上にタイでの洪水は、産業的海外基盤を失っている状況です。
祖父や父世代が、日本を敗戦ながらも「楽園国家」にしてくれました。
その楽園環境に麻痺していたのかもしれませんが、
現実、まだまだ復旧さえ進まないわが国は
本当に「絆」をもって再興すべきだと再決意しました。

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「講演会でも感じ取ってしまう近頃!」


   


     11月 30th, 2011  Posted 12:00 AM

先日の市長選、そのTVドキュメントを見て、
最もビックリしたのは、元府知事がトイレ使用を
ある場所で拒絶されていたシーンでした。
「独裁者に!、トイレなど貸せるか!!!」、
この横暴な選挙民になり果てた一部の大阪人は情けない存在です。
今回の選挙戦での幼稚な闘争を見ると、
本当に潔い日本人が居なくなったようです。
同様なことを最近、講演会や講習会で感じます。
特に「サラリーマン」しかも大企業の社員たちです。
比べて地方や中小企業、
さらに海外の中国や韓国には礼節と熱心さがあります。
遠慮無く質問は多様にわたり、時には講演時間以上になります。
大企業の社員に限って、
日常的な学習と自己修練が欠落し始めているのか「質問無し」。
最も大企業の経営者能力が日本人らしさを失っているから、
社員に日本人の無礼節さが伝染しているのでしょう。
地方や中小企業では、講演が終われば「質問攻め」です。
大企業の社員は、仲間内の手前もあってか照れ故か「質問無し」です。
もっともそれは私の講演内容に問題があったものと自己反省します。
が、少なからず2画面で16:9、PinPスタイルなど、万全を期しますから、
「質問無し」はショックです。
けれども最近は、
大企業の社員のレベルが低いのだと判断することにしました。
そして正社員しかそうした講演に出席出来ない、
この企業組織問題に連関しているのかもしれません。
企業で、当然ながら専門知識があるはずなのに、
ある質問では、私は本当に驚いてしまいました。
その程度の知識を知らずになぜ「商品化」しているのだろうか、
こんな思いにかられました。
経営者の利益独占に感染しているのでしょう。
これまで、大企業での講演やコンサルを経験してきました。
大学人から解放されたら地方行政から、商店街、
中小企業、宗教界、そして大企業、大学まで、
私が生きた証として、能力性・倫理性・美学性、
さらに礼節性を書き残したいと思っています。
そういえば、大阪市主催の講演会は本当にわずかです。
大阪市活性化を懸命に訴求してきましたが、
「具現化プラン」に向かったことは、
この6年、一度もありませんでした。
大阪市役所も大企業なので、
サラリーマン的症状に冒されていたことは明白です。
福井時代も市や県に向けて批判すれば、
必ず「仕打ち」にあってきましたが、今はまったくなくなり、
よく私の提案やアイディアを受け入れてもらえます。
さて、このブログでの大企業サラリーマン向け発言も、
「トイレは貸さない」というようなしっぺ返しにあうかも?です。
構いません、それは大企業のサラリーマンとして、
「生きていない」ことを自己証明しているのです。
まったく、東北の市町村にはリーダーがいっぱいおられます。
ところが、東京の政治集団はもちろんのこと、
政府・官僚・経財界にリーダーは皆無です。
これが日本の現状です。
地方、中小企業が、日本を再生することは間違いないでしょう。

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「歳末を感じる頃になった・・・」


   


     11月 9th, 2011  Posted 12:00 AM

「喪中につき・・・」、
このはがきが届いてしみじみともう歳末か、
こんな想いになりました。
母の親友だった小母様が逝かれた報でした。
91歳ですが無念でありながらもならば大往生でしょうが、
子供の時から、そして金沢での個展にも来ていただき、
お小遣いをもらってしまい、
断る私を親友が「もらっとけよ」と声をかけてくれました。
「母が生きていたら」と時折電話をくれる大切な小母様でした。
また私にとって大事な人が逝ってしまいました。
ことさらに自分の年齢と遺された時間を思います。
雑誌やwebsiteでも、「手帳やカレンダー」の広告、
そして先日は金沢で「干支・龍」の九谷焼置物をいっぱい観ました。
来年は「辰年」です。

あらためて、大好きな龍のブレスレットを出して、
磨こうかと想い始めています。
昨日、手術後最初のICDチェックをしてもらいました。
無論ながら順調ですが、
ドクターと、留学から一時帰国のドクターと
「日本人のためのペースメーカーやICDが当然必要」、
そんな会話をしました。
人工臓器学会からは「補助人工心臓について」の案内が
届いていました。日本製ICD開発は国内生産困難です。
なぜ?誰が駄目にしているのだろう?
そんな連中に「ご政道」はありえません。
今、私の生命を監視し、万一の場合の緊急処理機器には、
デザイナーとしてものすごく不満があります。
私にとって、先般2台目となったICDも守り神ですが、
来年は「辰年」なら、
龍のブレスレットも大事な守り神になるでしょう。
3.11で私たちは多くの同胞を失いました。
哀しみいっぱいの年でした。
もう歳末に入りますが、オーロラがあったりの異常性、
タイでの大洪水などとんでもなく自然驚異に包囲です。
おそらく来年への備えに今年は早く入るべきでしょう。
母の親友の逝去の報にあらためて歳末の感があります。


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「手描きスケッチのツール」


   


     10月 30th, 2011  Posted 12:00 AM

私のデザインは「スケッチ」で始まります。
「スケッチ」は、手描きに終始しますが、
「手」で発想しているという感覚は身体化しています。
手が「脳」になっているという感覚です。
そして、iPadでのスケッチもほとんど身体化しました。
ソフトはSketch Book Proですが、
これまで鉛筆・ボールペンの感覚がスタイラスに届かず、
スタイラスの自作から、ほとんどのスタイラスを試し、
さらに改良をしてきました。
デジタルペンも市販されているすべてを試しました。
最近、WacomのInklingとO-Stylusで、
iPodとMacbook Air 11″がすべて連動して、
「スケッチ」は手書きからデジタルにほぼ連動しました。
ともかく自分の持ち物すべてに幼稚園児のごとく名前を入れ、
「青色病」とワイフに言われるほど、
持ち物は青色に拘っています。しかも名前を入れます。
スタイラスとデジタルペンについては、
さらに深く伝えたいことがあります。
「スケッチ」と「草書」をほぼ、私の身体感覚で、
手から平面に移行させるには、様々に工夫と訓練もしてきました。
書道は父の指導でそれなりに草書もマスターしています。
本格的な「草書体」で手紙を書いても読むことがすでに困難です。
しかし、「ひらがな草書」は「スケッチライン」に、
確実に繋がっていると私は思っています。
しかも、Inklingは、デザイナーが最も望んでいたツールです。
紙に描いたラインの「カスレ」が見事に反映します。
タブレットより、ともかく紙にボールペン感覚で、
確実にそのスケッチは、パソコンソフトにリンクします。
これなら、老後は「スケッチ三昧」で過ごせそうです。
しかも、書道も、スタイラスでほぼ確実に、
身体化している筆先とiPadに再現が可能になりました。
「草書」は子供の時に父が、
とても厳しく指導してくれたおかげです。感謝しています。
ジョブズ氏が「カリグラフィ」を学んだことが、
彼の美学的感覚を磨いたのだろうと思います。
私もカリグラフィは、美大時代に鍛えられました。
ともかく、カリグラフィとは「美しい文字を描く」ことです。
よって、日本人にとって書道での「草書」を書く行為、
それは「スケッチ」でのライン描きにぴったりと連結しているのです。
ともかく、「スケッチ」や「書道」などのツールは、
すべて収集しなおかつ、
すべからく使いこなしてしまいたいほどです。

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