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Posts Tagged ‘実物’


『日本のデザインアーカイブ 今年は』


   


     5月 1st, 2022  Posted 9:00 PM

元のAXIS編集長の関庸子氏の石橋財団のプロジェクト、
「日本のデザインアーカイブ」がウェブサイトと冊子なのです。
彼女からの依頼で、二回目に私もインタビューされました。
2018年のことでした。そこからデザインアーカイブは継続され
海外からのアクセスに対応して英訳の確認がありました。
CNNでのウクライナ報道では、
もはや言語は「英語」だけでは駄目だ、
ドイツ語が必要ということを言っていました。
翻訳のニュアンスの違いもあり、
大切な部分もしっかりと多くに伝わらなければなりません。
「デザインアーカイブ」が残り、
継承され広く知られることもとても必要になってきています。
例えば私の実物の作品は人間である
限られた命の私より長くあり続け、
そして考えやデータや記憶は
さらに長くこの世に存在するかもしれません。
モノが語ってくれる物語りでひとつひとつに歴史があるのです。
ようやくふるさとの福井県立美術館に作品を収蔵しましたが、
これまでにも世界のいくつかの美術館に収蔵作品があり、
管理され継承されることをモノづくりに関わる人たちが
認められ価値づけられたと感謝し誇りに感じます。
そしてデザイン「アーカイブ」が記述、編集、保持、
管理されるのも、担当の「彼女だから」できたようです。
取り上げていただき、とても感謝しています。
今回届いた冊子は、森正洋、宮城壮太郎、杉本貴史
そして梅田正徳でした。
梅田氏はブラウン賞のコンペのグランプリ作品が
私の美学生時代に記憶に残っており
とてもキッチン周辺のデザインに惹かれました。
彼の「美術館に収蔵されれば、
自分が死んでもずっと残るわけですから」
私も同意見です。
ちゃんと美術芸術とデザイン、あるいは美術館でのデザイン
ふるさと福井県立美術館・福井市立美術館でのデザイン
その仕組みも変えたいなと思っています。
私の美術館が必要かとも、憧れています。

https://npo-plat.org


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『「鉄ちゃん」にもどろうか?、と思う』


   


     12月 27th, 2018  Posted 12:00 AM

一応、私もいわゆる「鉄ちゃん」=鉄道模型マニアです。
子どもの頃、どうしても欲しいモノがありました。
当時、私はおじいちゃんに言えば、
買ってもらえると思っていたのでおねだりしたところ、
祖父が私に言いました、
「これは自分が働き出したら買いなさい」。
これはとても高かったのではないだろうか?と思います。
鉄道模型は、6.5mmのZゲージ=今もとても高額で、
16、5mmのHOゲージよりもとても比べものになりませんでした。
東芝で社会人としてスタートし、
在籍していたHi-Fi部門のAurexチームでは、
チーフが、そのZ ゲージ(6.5mm)でジオラマを造っていました。
それこそ、子どもの頃の鉄道熱が再燃しました。
出張にもジオラマが仕込まれたアタッシュケースを持っていく、
そのスタイルに私にはとても憧れました。
蒸気機関車の最終には北海道で
Aurexで生ロクまでしてレコードにしました。
Zゲージのメルクリン社には会員制のファンクラブがあり
そのインサイダー会員になりました。
フリーランスになってからは、
1年ごとにテーマを決めてZゲージの収集を続けました。
私はまず、Zゲージのヒットラー時代の列車や、ガソリンタンク、
それから戦時中の赤十字ラインなどが私自慢の収集歴があります。
ようやく、私ももう一度「鉄ちゃん」にもどろうと思っています。
そういえば、新大阪駅には「D-58」の実物があり、
スタッフには「これ、欲しいんだ」とか言ってます。
来年の抱負として、そろそろZゲージを楽しみたいと考えています。


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『デザインでの形態論・空間論は知見の極めつけである』


   


     10月 12th, 2017  Posted 12:25 AM

先般、AM社の新車が大阪にも運ばれてきて、AM車オーナーほぼ30名ほどが
副社長・デザインディレクター・Marek Reichman (マレック・ライヒマン)氏から
直接のプレゼンテーションとともに、
世界販売150台、日本販売10台の実物を触って見ることができました。
おそらくガソリン車では、これが多分最終になる車だと思います。
私はカーデザイナーを育成もしてきましたし、教え子は国内メーカーで、
ほぼ、デザインマネージャーにもなっています。
こうして、カバーで覆われた新車がもたらすデザイン事例を見ました。
そして思い返してみると、現在、デザインを取り囲んでいる言葉、
イノベーション、クリエーションなどを強く意識してきたのは最近です。
美大時代に、君たちはクリエーションの世界にいる、とか、
あるいは、イノベーションが必要と言われ出したのは、
いわゆるデザイン解釈が一般的にはほとんど間違っているからです。
デザイン=問題解決というのは、私はすでに美大時代には、
手の訓練で自然と身についたことです。
そして東芝に就職が決定しても、それはポスターでも描くのかと、
これは本当に良く言われたものでしたが、
改めてデザイン=問題解決とは言いませんでした。
未だにデザインとデコレーションの区別がついていません。
まして芸術工学部が新設された1996年でも
他学部にはデザイン=デコレーションでした。
ようやく旧帝大のほんの一部にだけ、
デザインの本質である問題解決や価値創出の理解が生まれてきました。
とりわけ日本は、服飾からデザインという言葉が一般化したからでしょう。
呆れかえる馬鹿さやセンス無しをどれだけ多く見てきたでしょうか!
そこにまたデザイン思考=design thinking が経営論として蔓延しています。
改めてクリエーションとイノベーションは語り直さなければなりません。
私は、形態論・空間論を知見で語ってきましたが
その理解まではまだまだあるようです。
極めつけで断言すれば「センス」で語るイノベーションが間違っているのです。
しかも、美しいというよりも「かわいい=kawaii」とかが蔓延っています。
イノベーションとはコンバイネーションであり、
イノベーションを技術革新と邦訳したときから間違いが発生していたのです。
そういう意味でも、この新車プレゼンテーションは面白い体験でした。

* 『製品記号論で語り直す時代がやっと訪れた』
* 『AM社のヴァブキュリーを見る夕食会に和服で参加』
* 『美しいデザイン成果が減少している気がする』
* 『「KK適塾」は日本からのデザイン思想と実務の発信』
* 「光造形から3Dプリンター時代に来ただろうか」


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『SLKからSL500に、そして人生最期の車所有と使用に』


   


     9月 17th, 2017  Posted 12:00 AM

デザイン賞の審査で面白いことは、雑誌などでは知っているけれども、
新製品実物に触って見ることが出来ることです。
大学人になって、Gマークの審査会場で、知ってはいましたが、
ベンツのSLK-230実物そのルーフ形態とその稼働収納を実体験しました。
えっ、ここまでのことが可能になってきたんだと思い、
名古屋に帰るとすぐにSLKを発注しました。私には教材にも・・・?
大学に通学するなら2シーターであるべきという先輩教授の教え、
その意味が、そうだったのかと分かったからでした。
丁度その頃、名市大だけでは無くて、
大阪大学の特任教授の指名も受けていたのです。
そこには特任准教授(現在・九州大学)もいました。
彼と京都での日本デザイン学会に、この車で行き、帰宅途中に、
「後にパトカーが・・・」
「うん、これなら超スピードで逃げるか?」と言いつつ、
「立場があるから、駄目ですよ」、
という会話をしていたら、なんと、そのパトカーはサイレンを鳴らし、
(この車に続け)が表示、
「おい、何でだ?」「スピード出しすぎかも・・・」
サービスエリアで、「スピード違反、ならびに車線変更違反」この2件で、
ゴールドカードのライセンス取り上げになりました。
なんでスピード違反? なんで車線変更のし過ぎ?、でした。
確かにSLKは気づかずに速度アップになり、
それゆえに、前車をすべて追い越して運転していました。
それならSLKは辞めて、もっと確かな車ということになりました。
SL500使用と所有が始まりました。
もっともSL500では曲線よりも直線構成の方が好きでした。
そしてなるべくオープンで乗ることになったのです。
結局、名古屋市大から大阪大学に移籍が決まると、リムジンを手放し、
S320とSL500を大阪に持っていくことになったのです。
身障者で運転OKは「駐車禁止解除」が警察で発行を受けます。
ところが、大阪は本人が出向いて「生きているかどうか」を再確認なのです。
これは大阪では、誤魔化しがあるのでしょう。日本ではここだけです。
また、車イス駐車OKの場所には、平然と市販の車イスマークで駐車する、
そんな状況に何度も出会うのです。ヤクザさんと喧嘩にもなりました。
そこで提案したのが、「四つ葉のクローバーマーク」と法規制でした。
このデザインは私が中心で行うことができました。
ところが、とあることが身障者団体の納得出来ない言い争いが起こって、
私はとうとう相手に喧嘩を売りました。
そうしたら、「警察庁の中で喧嘩はしないでほしい」と言われる始末。
もはや、車、自家用車を所有し使用するのが、人生最期になっています。

* 『ユニバーサルデザイン・バリアフリーはまだ未消化』
* 「自宅近くに・・・桜と大阪城に」
* 『新製品のモニターとして万年筆を試す』
* 「機械工学とデザインの学際化を・・・大学人としての願い」
* 『リムジンはただ乗って使用してるのに所有している』


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『センスの有無が判断できる椅子と曲の選択』


   


     8月 27th, 2017  Posted 12:00 AM

もはや興味がつきなくて、絶対収集して、実物を生活の傍らに。
最近、この癖を止めようと自分に言い聞かせている私です。
が、Z-Chairは、本当は6脚並べたいと思っているぐらいともかく好きです。
Z-Chairはあのリートフェルトが果たしたZIGZAG Chairです。
時折TV番組で観る土曜朝に「サワコの朝」というインタビュー番組。
この番組に田中泯氏が登場しました。
この番組には登場者が椅子を選びます。
そして、田中泯氏はこの椅子を選びました。
正直、あの番組ではこの椅子の選定で私は「センス」を推し量るのです。
プロのデザイナーとして、私は絶対的に「センスを決定」するのです。
若い頃、新人の東芝マンであった頃、Aurexの自分デザインを
秋葉原のオーディオショップを持ち回っていたら、
激しい批判いや非難をしばしば受けていました。
そのショップオーナーが、自分のカフスボタンを見せながら、
「デザイナーなら、この程度の仕上げをしろ」とか言われて、
「貴方のセンスがその程度なら結構です」と反論して、怒らせました。
営業からは、「相手を怒らせるな」と忠告されましたが、
「あんなセンス無しの店には置かない」と言い放し、
川崎は営業で随行させるべきではないと言うことにもなりましたが、
私は平気でデザイン部長からの説教も聞き流していました。
さて、田中泯氏がこの椅子を即決で選んだと
パートナーの石原淋さんとのメール交換で分かりました。
そして、彼の曲の選定でもびっくりしたのです。
それは阪大同僚の石黒教授と全く一致していたのです。
石黒教授はアンドロイドロボット学者です。
彼とは「こんなん見つかったぜ」とかで、
彼からは「こんなんどう?」とかやりとりする仲です。
要は「センス」の問題には、実は、機能も性能も効能も超えて、
「センスゆえの美学」があるのです。
こうしたことを超えて、Z-Chair=zigzag chairが存在しているのです。
ですから、なんとかレプリカでも本物はやっぱり私生活に必要です。
それは、この椅子の造形を超えているだろうか?
この椅子の側で自分デザインが存在するか?なのです。

* 『場踊りと言語舞台・「影向」によって』
* 『この男に惹かれる・舞踊と舞踏がテーマになってきた』
* 『男に嫉妬あり、田中泯と松岡正剛の間に割り込む』
* 『Red & Blue 生誕が来年で100年になる』
* 「誤謬へのシンボライゼーションプロトタイプ」


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『開学70周年「金の美」展の自分デザイン作品展示』


   


     9月 13th, 2016  Posted 12:00 AM

秋には、東京・金沢・ニューヨークで、
銀座の全ての画廊は金沢美術工芸大学卒業生の美術・工芸・デザイン
それらの作品による展示会で埋めつくされます。
今年度は開学70周年ということで、日本各地、関西地区は、
京都市美術館で関西在住の卒業生が作品を展示します。
自分は毎年の参加は見送ることたびたびでしたが、
恩師から電話をいただき、「展示しなさい」とのことで、
後輩に締め切り後に展示の了解をもらいました。
作品は、今、開発中の「デジタルアッサンブラージュ」です。
展示のためには、もう一度、先輩・同輩・後輩すべてがプロですから、
実働モデルは再度、丁寧に磨きをかけ直しました。
正直なところ、デジタルアッサンブラージュゆえに、
32インチ液晶モニターが仕組まれていてセンサー稼働は外しました。
自分の作品はすべて映像が作品集として流れます。
工業デザインにとって、いつもやっかいなことは、
実物やスモールモックアップモデルは、その展示が大変ですが、
作品集として映像展示は、そのコンテンツ次第でした。
実際、自宅玄関には埋め込まれた55インチ縦のアッサンブラージュが
現在は、夏画面で、水・金魚・くらげ・花火・大阪城が、来訪者毎に
センサーキャッチし、しかもそれは照明をも変えてくれます。
これは今、自分デザインの代表作、
デジタルサイネージの限界を打ち破る
新たな社会提案をめざしています。
今回の「金の美」展には参加をしました。観てください。

* 『介護看護環境のためのデジタルアッサンブラージュ』
* 『自宅玄関には涼しさを「デジタルアッサンブラージュ」』
* 『改めて自宅玄関のデジタルアッサンブラージュ』
* 『風神雷神図=風景から情景のアッサンブラージュ』
* 『デジタルアッサンブラージュでの映像音場照明空間』


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『宝飾品を実際に確かめていた頃を思い出す』


   


     5月 18th, 2016  Posted 12:00 AM

オーディオデザインに懸命だった若き日に、
アンプのツマミ設計で「ガラス」素材を試行していた時代がありました。
ちょうど後輩がガラスメーカーのデザイン室にいて
いくつか試作を現場=工場につめて取り組んでいたことがあります。
ツマミと部品、ボリュームなどの取り付けに苦しんでいました。
ようやく、3個ほどの試作を持ち帰りましたが、
技術側も営業側もまだまだ入社間も無い私は両方から苛められていました。
若いときから「売られた喧嘩」と考える私は、
なんとしても実現したくて、「30代以上は口出すな」という気迫でした。
しかし、チーフに説得された生産コストで納得しました。
ガラスを使うという私の狙いが、今、私の車AMに適用されています。
なんとも、素晴らしい仕上がりであり、透明ガラスと機構とは、
透明ガラスの底にはエンブレムロゴが入っていて、
「そうか、ここまでの仕上げが出来るんだ」と思い、
この製造方法を聞くと、これは宝石加工メーカーに別注らしいのです。
その他のキーホルダーや、ジッポーライターのエンブレムも
すべてそのメーカー製ならではの仕上げが出来ています。
工業デザイナーは「高級品の仕上げを知らないから、
覚えてきなさい」と、上司に言われて、
銀座の和光に連日通ったことがあります。
そこでは、若者などがいる場所ではないために、
支配人に別室に呼ばれましたが、事情を話すと、
お店の方々に命令していただき、白い手袋をはめて、
高級時計やライター、そして宝飾品を実物で確かめました。
その支配人は、私のもう一人の師匠だったと思っています。

*『高級店での思い出・銀座で学ぶ』
*『インターラクションデザインの基本は可変抵抗器と指先』
*『物欲によるモノの美と美あるコトへの自分』
*『SZ-1000・私のオーディオ最終作だから』
*『万年筆メインテナンスから見えている現実』


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『改めて自宅玄関のデジタルアッサンブラージュ』


   


     5月 15th, 2016  Posted 12:00 AM

何度か、自分は自宅玄関を紹介してきましたが、
完成状態を初めてアップします。
しかし、提案は単なる流行の「デジタルサイネージ」では、
全く意味が無いということを主張してきました。
「デジタルアッサンブラージュ」という新しい名辞をしてきたのです。
これは日本デザイン保護協会にて、仮の意匠権登録をし、
「KK塾」でその実働モデルを紹介してしまいました。
この名辞には、松岡正剛氏も充分に納得してもらいました。
「デジタルサイネージ」を超えて、最先端なことは
映像表示とデジタル照明の制御まで可能だということです。
なにしろ、
これを応用したショールームはもうすでに人気を集めていますが、
もっと、もっと、というのは自宅玄関で、
映像コンテンツを、さらにデジタル照明と一致させていることです。
自宅玄関を知った企業は、採用が増えてきていますが、
具現化する企業には
「デジタルサイネージ事業部」系が未だに残っています。
だから実物を見れば「デジタルサイネージ」では、絶対に異なる
「アッサンブラージュ」という美術用語との関連性が明確になります。
今では玄関の静的な設置を超えて、どこにでも機器設備として設置が
きわめて簡易になることを実現しています。
阪大に設置することも、ある事業との関連で根回しをしています。
ともかく映像コンテンツと照明、
さらには未来のある方向が見えてきています。
「デジタルアッサンブラージュ」でこそ、なぜ、アート分野で
この「アッサンブラージュ」が
未来=現代を見通していたかということです。

*『鏡の背後を熟知するため、あるいは解放をめざす』
*『ジッポーのあかりをデジタルアッサンブラージュ』
*『LEDの点・線・面光源では陰影制御のデザインが必要』
*『風神雷神図=風景から情景のアッサンブラージュ』
*『デジタルアッサンブラージュでの映像音場照明空間』


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『鏡の背後を熟知するため、あるいは解放をめざす』


   


     8月 25th, 2015  Posted 12:00 AM

私が「鏡」に最も興味を抱くことになったのは、
宮川淳の現代美術評論によってでした。
具体的には最初、「プラトンのオルゴール」で、
曲面鏡を組み合わせて、空中に物の虚像を展示計画の核心にしました。
以後、私にとって鏡面は実像と虚像で、
確かに「鏡の背後には冥府がある」というほぼ虚像的な実感があります。
もちろん、金沢21世紀美術館の展示計画には、鏡を多用しました。
が、展示撤収では鏡を割って、と聞いたときに、震えがきました。
そのためかどうか思いすごしでしょうが、
敗血症・多臓器不全死に陥り、重篤状態までを経験しました。
それ以来も鏡面にこだわっていて、鏡面のキーボードを商品化しました。
そのことでは相当にノウハウを積み上げてきたと自負しています。
今はデジタルサイネージでの鏡面とLED照明の組み合わせで、
それこそ「陰影礼賛」にまで届かないだろうかというテーマを発見。
これを自宅にまで設置してWiFiコントロールを狙っています。
丁度、まもなく照明学会全国大会で、この紹介というより提案をと
その図解制作をしながら、多分、このデザイン意図では
必ず限界があることもこれまでの経験で解ります。
それは、かつてアクリルミラーを受験生に与えて入学試験をし、
その時もシミュレーションをしたところ、
それは想像を超えた印象を与えてしまっていることを確認しました。
この印象は金沢でも床面と天井面そして壁面に実物を展示したところ
実際には天井と床は永遠かと思えるほどの高低差を見せました。
まさしく、
視点は「どこを見ているか」という虚像の連続性を生み出します。
もうひとつの視点「どこから見るか」という自分の存在を消します。
鏡・鏡面・鏡面の立体化はとても怖い存在になるだけに、
鏡の魅力は果てしなく、まさに冥府なのかもしれません。
自宅にはなるだけ鏡を存在させずに、
もし鏡面があるとしたらという制御、コントロールが、
日常環境で自在になれば、映像という虚像と、
自分の関係から、冥府を知り尽くすか、解放されるだろう。


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『象と蟻、その表現法はまったく変わってしまった』


   


     8月 3rd, 2015  Posted 12:00 AM

「ガリヴァー旅行記」を書いたジョナサン・スウィフト、
彼の書いた言葉に、
「象は実物より小さく描かれ、蟻は実物より大きく画かれる」という
的確な指摘があります。
なるほど、この写真も象は実物より小さく蟻は実物より大きいのです。
美大時代も、精密な鉛筆デッサンの訓練は、ほぼ実寸、
もしくは1.1倍で描かされたものです。
プロのデザイナーになってからは、小さなモノの図面は5倍図で、
できる限りモックアップモデルは実物大で制作してきました。
現在もモデルは実物大です。
デザインするモノは実物大を守っています。
しかし建築は縮小モデルが当たり前になっています。
絨毯などの下図は実物大であり、スウィフトの指摘は文明で
人間が人工化していくときに、人間という大きさから、
人工物の設計表現のあり方を指示していることを認識すべきです。
図面作成では二つの発見を書き残す必要があると私は考えています。
かつて私の祖先は、宮大工図面は縮小図であっても、発想のままに
用紙を継ぎ足して描いていました。
それは設計の想像力が用紙の大きさに囚われない考え方でした。
またCADシステムでは、それこそどんなに大きな建造物であっても、
拡大と縮小は自由自在になっていることです。
今、私は設計=デザインは、実物をコンピューター画面の中では
自由自在であり、3D-CADであれば、自在に描くことができれば、
それは今では3Dプリンティングや光造形で自在に実物の拡大化も縮小化も
極めて簡単になっているということです。
頭蓋骨を光造形で制作したときに2倍の大きさで制作して、
それを見た瞬間に、あらたな想像力を刺激されました。
また、同様にマイクロ光造形では、血小板サイズのロボット化も
可能になっています。
すなわち、私たちはコンピューター・デジタル設計で、
象は実物大以上が制作可能となり、蟻はマイクロ光造形まで
設計=デザインとモックアップモデルが可能になっていることです。


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