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Posts Tagged ‘金沢美大’


富山県高岡市で対談


   


     9月 19th, 2018  Posted 1:42 PM

私は、金沢美大の後輩で、
工芸家・教授の畠山氏と対談します。


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『「キスリング」で夢中の頃から登山用品が進化している』


   


     8月 12th, 2018  Posted 12:00 AM

今ではリュックサックと言えば「縦長」であってその形式に私は驚いています。
高校時代には山岳部にいました。
高校ではまず福井県内の石川県と岐阜県の境の山々はすべて踏破しました。
大学に入ると空手部に入りましたが助手の先生が藝大の山岳部だったので、
ともかく、空手部では退部試合に出て、それは全員から殴られました。
が、それがあるから今でも空手部時代の先輩には、信用があります。
大学ではロッククライミングや縦走が主でしたし、
当時は入山手帳に記入をするなんていうのは臆病者でした。
かっては「岳人」という雑誌が最高でした。
ところが今ではそんな雑誌などはワンダーフォーゲルという連中だけです。
そして、決まって「キスリング」というリュックサックでした。
私は、まず、これには段ボールで形を整えて、
両方には、水とガソリンとお餅を入れていきました。
さらにアルミの背負子はとても良かったと思っています。
大学では、常に剣岳の長二郎谷雪渓と源治郎谷雪渓で、
金沢美大、京都芸大、東京藝大と一緒に4年間は40日余り、
最後には個人個人で縦走でした。私は40日の針ノ木岳から直降すれば、
大町からの鉄道で戻ってきました。
なんといっても、この「キスリング」は非常に危険でした。
それこそ、私も白馬岳から不帰岳では、
リュックに重さをとられて、落ちそうになりました。
しかし宇奈月から早月連峰を4日で剣岳のベースに着くには便利でした。
今や車倚子になっても、
登山ツールやホェブス(知らないでしょう)の進化、
テントやツェルトなど、新しいモノが次々と開発されています。
なんといっても、登山靴などの進化は、
これで夏山はいいかも知れないが冬山では絶対に無理だろうと思います。
それくらい、登山用具の進化は進んでいます。


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『顕微鏡の思い出』


   


     11月 17th, 2017  Posted 12:00 AM

阪大の若いドクターが、こんなことを言いました。
「先生、先ほど患者さんから、お前は!って言われました」と愕然。
かって、ドクターは、
お医者さま、お医者さん、医者の先生、
先生、それが「お前」ってどうなの?
まだ私が幼稚園の頃、かかりつけのお医者さん先生(そういう意識でした)、
その机の上にはガラス製のカバーの中に、
顕微鏡が入っていて、お医者さんっていうのは、
顕微鏡と聴診器を持っている頭のいい人という印象がありました。
福井は足羽川を挟んで嶺南と嶺北になっています。
足羽川の足羽橋、その嶺南にある医院のお医者さん先生の顕微鏡が、
まだ幼稚園児の私には凄い機器であり、その先生に覗かせてもらったことを
今でも鮮明に覚えています。
そして、小学校の理科では準備室から顕微鏡を持ち出し、
パレットに挟めば何でも大きく拡大して見れることを知っていました。
だから、欲しくてたまりませんでした。
祖父に頼んだこともありますが、多分高価だったのか、
Zゲージの鉄道模型と同様に、
「大人になって自分で買いなさい」と言われました。
ところが、なんと、父が警察大学に入った直後に、
私にペン型の望遠鏡でもあり、顕微鏡にもなるモノを買ってもらったのです。
ともかく、それを持ち歩くコトが楽しくてたまりませんでした。
だから、遠足で金沢の兼六園に行った時も、
胸ポケットに差し込んで持って行きました。
ところがなんと、兼六園の池にそれを落としてしまったのです。
もう裸足でズボンを上げて足先で探りましたが、見つかりませんでした。
小学校4年の時でした。もう悲しいやら父に叱られるとかで、
家では、母から「ごめんなさいの手紙」を書きなさいと言われました。
それから、なんと金沢美大に進学して兼六公園は当時入園は無料でした。
その顕微鏡を落とした場所は覚えていたので、
美大生になって本格的に探しました。
公園の管理の方にまで叱られましたが、理由を話すと、
そんな昔のこと、水を入れ替えているから無いよとも言われましたが、
それでも、裸足で沼底にもしかしたらと何度も探したものです。
顕微鏡を見ると、いつもこの二つの思い出があります。
そして、せめてお医者さんが今ではお前になるというのはどうかと思います。

* 『メルクリンの世界も私の憧れのコレクションだ!』
* 『手首測定の電子血圧計はもっと進化が必要だ』
* 『虫メガネでの拡大は絶対に役立つ方法だ』
* 『コンピュータ制御ベッドが示唆していたこと』
* 『防衛戦術は敗戦といえども硫黄島からの寛容慰霊』


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『雑誌・小冊子が消えていく貧しさは日本人知能の低下』


   


     11月 16th, 2017  Posted 12:00 AM

金沢美大の産業美術学科・「工業デザイン専攻」は、
当時、工業デザインというのは先進的だったと思います。
しかし、工業デザイン関連の書籍・雑誌は皆無でした。
まだ「工業意匠学科」とかでグラフィックも「商業デザイン専攻」でした。
だから、洋書・洋雑誌だけで、建築・アートだけが学術的でした。
しかし、私の論理性=思考基軸を支えてくれたのは、数雑誌ありました。
その中で、「遊」と「エピステーメー」、「SD」と,
あとは美術手帖・数理科学・現代思想だけでした。
「遊」は松岡正剛氏に憧れ、工作舎に転職すら考えていました。
後に松岡氏に出会い作品集帯文まで書いていただく仲良しになりました。
「エピステーメー」はとても解読困難で、
ここから哲学や現代思想や宗教論に入りましたが、
終巻号は、いくつかの書店を回って銀色の本を寂しく抱えて帰りました。
「遊」・「エピステーメー」が消えた頃、
「へるめす」で中村雄二郎先生の「知」にのめり込み、
やがて、先生連載にイラストも描くなど随分と親しくさせていただきました。
具体的には建築数誌の雑誌があり、懸賞論文に応募しました。
最優秀論文はその書き出しで、自分の敗北を認めました。
「この都市には記憶がない。・・・」
私は集落として都市論を書きましたが完全に(負けた)と思ったほどです。
やがて、その建築家・彦坂氏に出会い、この話をして彼に仰天されました。
そしてSDの最終号では「ユニバーサルデザイン」の商業主義を非難し、
「ヒューマンセンタードデザイン」を二人で書き上げました。
なぜなら、「ユニバーサルデザイン」を紹介したのも彼と私だったからです。
「へるめす」は哲学・建築・現代音楽ときわめて上品な雑誌でしたが、終了。
ちょうどジョンレノンが射殺されたことで、私は自分の青春を終えて、
福井にもどりましたが、その時に「日本記号学会」に入りました。
まだ大学人になるなんて考えていないときでした。
かなりの数の学会は大学退任とともに脱会しましたが、
日本記号学会は今も会員です。
それは学会誌=書籍が読みたいから、それだけです。
今や、デザインをとりまくこうしたほぼ「記号論的な考察」の雑誌は、
なんと「iichiko」のみかもしれません。
友人であるグラフィックデザイナーであり、東京藝大名誉教授の河北氏が、
スタッフに、哲学者たちも編集までを任せて季刊誌を出してくれています。
結局、こうしたように雑誌や小冊子すら消えていくのは、
日本人の知能レベルが低下しているとさえ私は思っています。
だから、デザインされた形態言語すら読めない、あるいは盗用する、
この風潮から、一刻も早く脱皮すべきでしょう。

* 「ビデオアート・現代音楽・オーディオの統合化をめざす」
* 『ユニバーサルデザイン・バリアフリーはまだ未消化』
* 『公・自・単・情・安・省・空を暗記せよ』
* 『ユニバーサルデザインの原意』
* 『やっと4冊目の作品集が出来上がった!』


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「モノの美しさにあるバランス性が決定要因」


   


     10月 19th, 2017  Posted 12:00 AM

デザインという言葉は至極一般化しました。
デザイナーにとっては嬉しいことですが、大誤解に包まれていると思います。
デザイン賞は、モノのデザインとコトのデザインがあり、これは当然です。
しかし、日本には大物主の神子と事代主の神子とがあり、
すでにモノの美しさがコトを決定しているという伝統性があるにも関わらず、
コトのデザイン優先主義が、センスの大破壊になっているようです。
そんなことを思っていたらしばらく会っていなかった人O氏が逝かれました。
この思い出は私には大きな人生観になっています。
おそらく金沢美大出身ならば、
私たちが鍛えられたレタリング=フリーハンド・デザインストロークでは、
キャスロンとボドニー(右はヘルベチカ)を徹底的に鍛えられました。
その最大が私にはこのアルファベット「X」のサンセリフ体とセリフ体です。
実際はこのクロスする部分には視覚補正がとても厳しい評価が入ります。
それはこのクロス部分が単純なクロスどころか、
ヘアーライン補正とまで言われている繊細詳細なバランス感覚が
何度も何度も求められて身体化するまで鍛えられます。
そのおかげで、後天的な造形におけるバランス感覚が要請されるのです。
最も、自分はデザインの教育者になって、
バランス感覚はすでに先天的なことと思っています。
理由は、造形されたいわゆる造形言語となっている形が意味されている、
その内容にはバランス性は先天的であり、
それが実際にはスケッチや造形訓練で身についていくものと思っています。
身についていくコトではないのです。
それを明確に知りたいのであれば、事代主の神子との存在意義を知れば、
私は全体に理解出来ると思っています。
こうした観点から、昨今のデザイン賞判断では、
審査委員にバランス感覚が全く無い人が増えていると言っておきます。
とりわけ、バランス感覚・センス、そしてモノの美しさは、
偏差値では決定することは絶対に不可能だと思っています。
「たかだかデザインが」、とかを何度言われて来たでしょうか?
それでも私には絶対的な先天性が後天的に、
たとえば、この「X」の訓練があったということです。
コトのデザインは、モノのデザインの美しさが決定しています。

* 「ヘルベチカは文字の結論になっている」
* 「ロゴタイプ書体その基本ルールには伝統がある」
* 『象形の姿形に潜む意味の吟味』
* 「日本語・『情報』はなぜ曖昧になってしまったのか?」
* 『工業デザイン教育での「手」のトレーニング』


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『モーツァルトのピアノ協奏曲で鍛えられたSPデザイン』


   


     9月 5th, 2017  Posted 12:00 AM

金沢美大時代に主任教授故・Yちん教授からの質問は、
「川崎がやりたいのは何か?」と聞かれました。
「音でシンセサイザーが出てきたから、あれと光のデザインです」と回答。
「分かった」という一言で、私は東芝行きが決定しました。
他企業も受ければ受かるだろうが「君は東芝に私が決めた」の一言断言。
東芝では総研に元来は医学博士・医師 故・K先生が音響研究所トップで、
「君か?、どうせクラシックの知識はゼロだな、これから鍛える」、
この一言で、楽譜は読めたので、徹底的にモーツアルトのピアノ協奏曲は、
暗記させられ、ショパンもピアノ曲は、
試聴時にこれは「誰のOpus何番のどこだ?」と一年やられる毎日でした。
今ではすっかり忘れていますが。
それでも「川崎の耳は左右同レベルのdBがいい」とは言われていました。
しかし、Aurexにはスピーカーシステムの不文律が
K先生(聴覚生理学)に、徹底されていましたが、
私はどうしてもこの不文律ではヒットしないと説得に説得をして、
すべてのデザインを任されて商品化したSPがこれ二機種でした。
当然、ボックスの塩ビシートは微細なコンクリート仕上げ風をデザインし、
これも営業を説得、木目調からの脱出を図ったモノでした。
また、SPのサランネットは当時はニットで、それはふるさと福井の
ある繊維メーカーにまで出かけて発注しました。
これは退社時には、チーフにもらっていたので私の愛機であるJBL4343は、
この自分デザインシートに代えました。
だから、当時の銀座セブンや全国のメインショールームは、
提案もインテリア設計からイベントでも、
このスピーカーシステムを壁面に積み上げてデビューさせました。
だからAurexブランドでは一番ヒットさせたSPシステムです。
幸い、一組は今も所有していますから、丁度、自分のデザイナー30年目で、
金沢21世紀現代美術館では「Artificial heart・川崎和男」展では、
副題の「いのち・きもち・かたち」では、一室にこのSPを配置し、
あるいたづらを仕掛けました。いたづらに気づいたのは、3人だけでした。
このSPシステムは今もオークションにマイナーチェンジが出てきます。
オーディオでは現代音楽・ロックからクラシックはK先生に鍛えられました。

* 『医工連携など妄想である!』
* 『私のJBL4343はフリーになってからの私を見てきた』
* 「音からデザイン役割を語る基礎として」
* 「日常性の『闇』から開放させるオーディオ」
* 『オーディオ界で出逢った新技術と二人のエンジニア』


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『青春時代の「熊の岩」、もう一度行きたい』


   


     6月 18th, 2017  Posted 11:50 PM

車椅子生活も40年になります。
最近は、山岳系や登山系の雑誌・マガジンをかなり詳細に覧て読みます。
それこそ車椅子生活になって以来は、
絶対に覧ないことにしてきたのですが、
やはり青春時代に最も熱中していた登山・スキー・ロッククライミングは、
本当に驚いてアルピニズムを読んでいると言って良いでしょう。
ともかくこうしたスポーツの用具が全く変わってきました。
ザイル、リュック、ピッケル、登山靴などは、
(そうだよ、これが正しいはずであり、なぜ、あの頃は・・・)という、
この思いがとても強くなってきています。
キスリング=横幅があり、両サイドには400ccの水とガソリン。
これはどう考えても危険極まり無かったと思います。
不帰の岳などは今ではチェーンが急斜面に取り付けられていますが、
私の頃は、ザックの片面が岩肌にひっかかり落下する寸前もありました。
登山靴も現代のは軽量で柔らかく、ピッケルなどはとても短くて、
あれなら確実に雪面でも停止が出来るはず。
私にとっては長治郎雪渓にある熊の岩です。
おそらく今はあの場所や、剣岳真下の剣コルなどではテントなどの設営は
絶対に出来ないことでしょう。
長治郎雪渓のもう少しで剣岳には、テントを張っていて、
源治郎尾根と八峰尾根のクレオパトラノーズなどでは、
源治郎尾根に登ってアップザイレンや、その尾根からのピッケル操作訓練、
八峰尾根ではロッククライミングで6級の岩面で恐怖だらけだったことは、
熊の岩があればこそできたことです。
長治郎雪渓は剣連峰でも最も大きな雪渓ゆえに、
夏スキーも朝方にはミラーフェイスと言われるほどの氷面を滑走できました。
どうして当時は、早月尾根を3泊四日も宇奈月から登山列車、
そして徒歩で何度か嘔吐するほどのリュック7〜8Kg リュク、
そしてメタルスキーを背負い剣岳連峰に入っていたのだろうと思います。
この嘔吐しながら徒歩登山の度に、もう登山は絶対に辞めようと思いつつ、
熊の岩でのテント設営が楽しくて、食料が無くなると、
立山から剣岳の入り口で観光登山客が残していく食料を
金沢美大・東京藝大・京都市芸大で当番で恵んでもらいに行きました。
熊の岩で母の夢を見て、翌日のトレーニングは体調も悪く参加不可能でした。
そうしたら八峰尾根では大落石事故があり、私が参加していれば、
確実に私が遭難だったと言われました。
熊の岩にヘリコプターで行きたいのです。

* 『歩けた頃=スキーに夢中だった時の写真が届いた』
* 『「岳人」が教科書だった時代を思い出す』
* 「トランスジャパンアルプスレース・過酷さの美学」
* 「やっぱり、なぜこれほど落ち着くのだろう」
* 「冒険、してはいけないことになるかも」


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『土地性と時代性の反映が混在化はどうなのか?』


   


     6月 16th, 2017  Posted 12:00 AM

友禅というのは、日本の染色方法の一つとして大事なものです。
そして、特に加賀友禅と京友禅がありますが、
この差異性が最近は区別が難しくなってきていると私は思います。
私は金沢美大でしたから、加賀友禅の跡継ぎが何人かいました。
九谷焼の跡継ぎもいましたが、最近はどうなのかは知りません。
よく、京友禅は「公家文化」であり、
加賀友禅は「武家文化」、
また江戸友禅(今では東京友禅)は「町人文化」というその反映ありと、
これらの文化の差異性が表現の下敷きになっていると言われますが、
私は間違いだと思っています。
最も、京友禅は扇師であった友禅という人物名であり、
また彼自身が加賀藩に持ちこんだということで加賀友禅が伝承されました。
最近のそれこそ京都で超有名な扇店で、
「アッ、あれデッサンが間違っている」とか、言い出すと、
ワイフに叱られますが、扇での写実性が歪曲しているのは許せません。
いわゆる花鳥風月の表現、
その写実性は加賀友禅が絢爛豪華さを実現しました。
比して京友禅は優美さの強調性のためにぼやかされた表現が生まれました。
ところが最初に断定したように、
この京都、金沢、東京の友禅は区別性が薄まりましたが、
それがかえって友禅という染色方法を進化させたのかもしれません。
これは陶磁器にも同様なことが起こっていると観察しています。
加賀友禅にしても京友禅にしても、
実際は、その当時、最も進化している景観が描かれていましたが、
現代の友禅作家にはそうした表現が観られなくなってしまったのです。
例ならば京都の鴨川に牛車の車輪が冷やされるために川面に描かれました。
それが今なお京友禅というのは、優美で優雅さが伝承されただけであり、
友禅から時代性が失われたことがちょっと残念です。
そういう意味では、喩えですが、
九谷焼では、現代性を持ちこんだ作家=金沢美大の先輩がいました。
ともかく、着物そのものの消費性や使い勝手の伝統が無くなっているのです。
私が、加賀友禅と京友禅を思い起こしたのは、
「DESIGN TOKYO」の二次審査で、
日本製が本当に少なくなってきたためです。
もう一度、土地性や時代性を反映した製造産業が必要だと思ったからでした。

* 『狛犬をまた金沢から連れ帰る』
* 「絢爛な九谷焼・日本陶磁器の将来」
* 『京都というイメージ?、ブランド?、なのです』
* 『祇園祭・祇園と祭りの根源はもう忘れられている・・・」
* 「自然から学んだはずだった・・・のだが?」


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『鄙美人日本論は田舎でしか語れない』


   


     3月 18th, 2017  Posted 12:00 AM

このところ北陸に通っている感があります。
金沢に金沢美大の同期会に帰り、
ふるさと福井では一般向けに久々に講演をし、
そして5年もかけての繊維産業の青年部会を鍛えてきました。
福井駅前の開発は無念ながら、デザイナーのプロとしても
なぜ、このような開発になるのだろうとか、思ってきました。
しかし、金沢市が北陸新幹線が乗り込んで流石に、
北陸の中心地としての賑やかさに圧倒されました。
ところが、金沢市の特産である陶芸や漆芸をしっかりと見詰めると、
文化破壊が確実に起こっていると確かめざるを得ませんでした。
本当にこれほど揺れる鉄道があろうかと思うほどのサンダーバードに乗って、
まったく鄙として、いや田舎さがここまでとはを、
たとえば金沢と比べても相当の差を知りました。
その極めつけが、福井の偉人をなんとか宣伝しようとする駅構内の
この「由利公正」をなんとか、大河ドラマにという、
のぼりを見てつくづく思うことは、
観光都市への県行政の努力をしみじみと感じます。
今では、由利公正って誰?の日本人感があるはずです。
だからなんとしてもNHKの大河ドラマ化の戦略としては、
もっと訴求方法があるはずですが、その手立てすら見つかっていません。
私はつくづく思います。
もはや明治維新は、ほとんど小説での坂本龍馬で語られて、
それがあたかもシンボル化されている日本観が蔓延していますが、
鄙美人論の根幹はこの真実性でいいのではないかとすら思えます。
特に、生糸から絹織物に私はずーっと関わってきました。
絹織物が決して富岡製糸場で語られることではありえないのです。
「五か条のご誓文」が由利公正あってのことであり、
東京府知事の人物が日本の絹織物までに大きな道筋を与えた人物です。
絹織物は輸出品としての「羽二重」を産み出してきたことを
やっと5年でまとめました。
私は「鄙美人日本論」をふるさとから語る所存です。

* 「花綵を断ち切った、都と鄙 けれどもNetwork社会に希望」
* 『アンチテンションはコピーされている福井産の革新技術』
* 「ふるさと福井の偉人たちへの敬愛あるのみ」
* 『布、なぜシルクロード、シルクボイスだったのか』
* 『ふるさと福井で改めて「羽二重」ブランドを講演』


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『私が育った企業の滅亡は日本の産業滅亡に連鎖する』


   


     1月 28th, 2017  Posted 12:00 AM

1972年、私は主任教授の命令で東京芝浦電気株式会社に入社しました。
当時は一人に40社から工業デザイナーには入社が可能な時代でした。
主任教授命令は絶対的でした。もし断れば卒業出来ないと言われてました。
銀座・有楽町に東芝ビルがあり、その7階、「意匠部」が私の職場。
そこから私の社会人デザイナーが始まりました。
今はもう東芝ビルは消滅しています。これが時代変遷なのでしょう。
自分の青春時代が抹消されてしまっていると感じます。
第1志望・オーディオ、第2志望・オーディオ、第3志望・オーディオと書いたら、
「そんなヤツは要らない」とある上司に言われたので、
翌日、辞表を持っていったらディレクター達に、
「君はオーディオのために採用したのだから」と言われ辞表撤回になりました。
「ボストン」という3点セパレートステレオの最後の機種を担当して、
すぐにシステムコンポーネントオーディオの時代が到来。
Aurexのロゴタイプから、Aurex担当になり、それこそ機器デザイン設計から
ショールーム、Aurexコンサート、オーディオフェア、
さらにはTOSHIBA・EMIで録音までを学ぶことができました。
しかし、28歳、私は交通被災で車椅子生活を余儀なくされました。
結局東芝を退職しましたが、どういうわけか、時々講演に戻っていました。
2010年9月末に東芝の原子力研究所で
私は「これなら日本は大丈夫」と思いました。
なぜなら6D-CADがもう実働していたのです。その先進性があったのです。
ところが、2011.3.11東日本大震災と原発の人災事故には、
東芝の顧問としてスマートシティ計画を書きました。
2012.7.2に民主党政権の防災大臣にプレゼをしましたが無駄でした。
その時の東芝社長S氏は同期入社でした。
(彼が社長?このままではこの企業危ない)、この直感は当たりました。
義も善も語れなくなってきた私にとっての企業滅亡がちらつき始め、
義も善も失った企業で美=デザイン提案は全然無駄になったのです。
私がそれこそ、東芝のために鍛え上げた教え子もいます。
私が入社したときにはいわゆる「傘マークToshiba」は、
フリーハンドで書き上げることが出来ました。
なぜなら、金沢美大で鍛えられていたからでした。
東芝、この企業の滅亡は日本の産業の滅亡につながっています。

* 『コンピュータからの離脱がこれからの日本の産業』
* 「わが国の展博・コンベンションデザインは遅れている」
* 『天衣無縫な時代と社会に活気がある』
* 「ビデオアート・現代音楽・オーディオの統合化をめざす」
* 『Aurexブランドで学びながら苦しみながら・・・だから!』


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