kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘有楽町’


『・・・雑誌出版は消えていくのだろうか?、IoMへ』


   


     4月 9th, 2017  Posted 12:00 AM

街からお店が消えていく・・・
今はその過度期にあるのだろうと思わざることが私にもおそっています。
書店で立ち読みをすることは、私にとって大きな喜びでしたから、
書店巡りは街内散歩の大きな楽しみでした。
そして、街内にはコンビニ、ケータイ電話屋さん、100円ショップとなり、
かつての商売店舗が次々と消えていってしまいます。
とりわけ、私が社会人としてスタートした有楽町銀座から東芝ビルが消滅、
これは明確に自分の青春時代を喪失した実感になっています。
さて、次に写真からも分かるように今ではPadで雑誌が読み放題。
もう自宅内に雑誌の整理もいらなくなりました。
なんとか、雑誌を残したいと思うなら、どうしてもこの雑誌は購買をと
思い込まない限り、雑誌も不要だということです。
それは雑誌に限らず、すでに「青空文庫」から「洋書」までは可能な限り、
私自身はすっかりと書棚は不要になっていることは確かです。
書店に限らず図書館もいづれは全く不要にならざるを得ないと予測します。
正直、書籍の香りは大好きですし読書「本を読む」ことは私の生きがいでした。
ところが、最早コレで「読み放題」という雑誌の世界は、
Padの中に収まってしまったのです。
無論スマホでも読むことが可能ですが、雑誌の大きさを考えると、
スマホで読むことは拒絶ですが、やがてこれもプロジェクションともなれば、
この時代が近寄っていることは否めません。
果たして問題は「雑誌読書」の個性的な読書姿勢にあらわれるでしょう。
おそらくこうした読み放題の肝心な記事をスクラップも可能になるでしょう。
果たして、出版産業そのものが産業構造・出版流通方式・読者確保のあり方は
未だに従来の経営手法にあること自体が相当に遅れてしまっていることを
明示しているということです。
これこそ、IoTというよりは、私はIoM=Internet of Magazinというのは、
IoM=Internet of Matterが私たちを取り囲んでいるということなのです。

* 『IoMeTのためのMedical LogとConnect nome』
* 『やっぱりamazon goが登場してしまったようだ』
* 「書店本棚での一般的な『デザイン』認識が残っている」
* 「商店街・地下街は壊れていくのかもしれない」
* 「書店の存亡・バーンズアンドノーブル」


目次を見る

『私が育った企業の滅亡は日本の産業滅亡に連鎖する』


   


     1月 28th, 2017  Posted 12:00 AM

1972年、私は主任教授の命令で東京芝浦電気株式会社に入社しました。
当時は一人に40社から工業デザイナーには入社が可能な時代でした。
主任教授命令は絶対的でした。もし断れば卒業出来ないと言われてました。
銀座・有楽町に東芝ビルがあり、その7階、「意匠部」が私の職場。
そこから私の社会人デザイナーが始まりました。
今はもう東芝ビルは消滅しています。これが時代変遷なのでしょう。
自分の青春時代が抹消されてしまっていると感じます。
第1志望・オーディオ、第2志望・オーディオ、第3志望・オーディオと書いたら、
「そんなヤツは要らない」とある上司に言われたので、
翌日、辞表を持っていったらディレクター達に、
「君はオーディオのために採用したのだから」と言われ辞表撤回になりました。
「ボストン」という3点セパレートステレオの最後の機種を担当して、
すぐにシステムコンポーネントオーディオの時代が到来。
Aurexのロゴタイプから、Aurex担当になり、それこそ機器デザイン設計から
ショールーム、Aurexコンサート、オーディオフェア、
さらにはTOSHIBA・EMIで録音までを学ぶことができました。
しかし、28歳、私は交通被災で車椅子生活を余儀なくされました。
結局東芝を退職しましたが、どういうわけか、時々講演に戻っていました。
2010年9月末に東芝の原子力研究所で
私は「これなら日本は大丈夫」と思いました。
なぜなら6D-CADがもう実働していたのです。その先進性があったのです。
ところが、2011.3.11東日本大震災と原発の人災事故には、
東芝の顧問としてスマートシティ計画を書きました。
2012.7.2に民主党政権の防災大臣にプレゼをしましたが無駄でした。
その時の東芝社長S氏は同期入社でした。
(彼が社長?このままではこの企業危ない)、この直感は当たりました。
義も善も語れなくなってきた私にとっての企業滅亡がちらつき始め、
義も善も失った企業で美=デザイン提案は全然無駄になったのです。
私がそれこそ、東芝のために鍛え上げた教え子もいます。
私が入社したときにはいわゆる「傘マークToshiba」は、
フリーハンドで書き上げることが出来ました。
なぜなら、金沢美大で鍛えられていたからでした。
東芝、この企業の滅亡は日本の産業の滅亡につながっています。

* 『コンピュータからの離脱がこれからの日本の産業』
* 「わが国の展博・コンベンションデザインは遅れている」
* 『天衣無縫な時代と社会に活気がある』
* 「ビデオアート・現代音楽・オーディオの統合化をめざす」
* 『Aurexブランドで学びながら苦しみながら・・・だから!』


目次を見る

『「百貨店の終焉」が始まっていると見ている』


   


     1月 28th, 2014  Posted 12:00 AM

私が社会人としてスタートしたのは銀座でした。
有楽町の阪急ビル7階の東京芝浦電気の意匠部からでした。
だから、銀座7丁目に東芝のショールームデザインも担当でした。
それだけに銀座の変容ぶりは見逃すことができません。
当時の銀座ではほとんど入ったことのない百貨店・松坂屋。
その松坂屋は名古屋時代にその歴史を追いかけたことがあります。
デパートメントストアが欧州でスタート以前に、
呉服屋松坂屋は存在していました。
エレベーターガールやお子様ランチも松坂屋だったと思います。
一度は、Forever21か何かになってワイフと入った程度ですが、
今、2017年開業予定ながらまだ明確な目標の無い建築中が存在。
私は、日本の百貨店がスーパーマーケット、大型店舗、さらには
チェーンストアからコンビニという店舗形式は、
おそらくショッピングがクラウド化とともに、
購買形式の大変革で、現在、大阪に乱立するデパート・大型店舗は
間違い無く、倒産するか購買販売形式の大変動になるでしょう。
ベンチャー企業、飲食店が10年継続不可能なように、
街の景観とともに、この中途半端な建築中かもしれない姿すら
大変革していくものと考えています。
銀座が東京、日本の消費文化の見本だと考えると、
まだ目標も目的も不透明なビル解体と店舗ビルの建築には、
この建設中らしき景観には「何かが欠落していく」情景を見ます。
今やクラウドのネットワークに入り込んでショッピングすることは
大阪が相当に遅れて大店舗がそろいながら、
百貨店販売の失敗事例が、この建設中らしき包装店舗に、
私は、街・シンボルである銀座の一画はとても奇妙な風景です。
つまり、情景には人間がいますが、
風景には想像外の日食・月食・天災がつつまれているのです。


目次を見る