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Posts Tagged ‘物’


6月21日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 21st, 2023  Posted 12:00 AM

6月21日友引(庚戌)

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物・もの・モノを
語るときには、必ずや、
物性・物質・物理という分科学性の
厳密性=エグザクトサイエンスを
デザインは語り切らなければならない。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』5アクリルの生涯連鎖


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3月23日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 23rd, 2023  Posted 12:00 AM

3月23日 先負(庚辰)

物・もの・モノを
語るときには、必ずや、
物性・物質・物理という分科学性の
厳密性=エグザクトサイエンスを
デザインは語り切らなければならない。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』5アクリルの生涯連鎖


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6月18日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 18th, 2022  Posted 12:00 AM

6月18日 赤口(壬寅)

物・もの・モノを
語るときには、必ずや、
物性・物質・物理という分科学性の
厳密性=エグザクトサイエンスを
デザインは語り切らなければならない。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』5アクリルの生涯連鎖


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5月5日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     5月 5th, 2019  Posted 12:00 AM

5月5日 仏滅(壬寅)

物・もの・モノを
語るときには、必ずや、
物性・物質・物理という分科学性の
厳密性=エグザクトサイエンスを
デザインは語り切らなければならない。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』5アクリルの生涯連鎖


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『ミルクは物であり、物は原意的には牛である』


   


     3月 29th, 2019  Posted 12:00 AM

牛乳=milkは、人類が5500から6000年前に乳汁として飲んできました。
日本では「日本書紀」に搾乳が書かれています。
牛はともかく、ミルクを飲んだら牛のようになるとかで、
織田信長が「牛になるかどうかを試した」という話もあります。
それこそ「種痘をすれば、牛になる」という
流言飛語にも人々は惑わされました。
ミルクは100gあたり87.4gが水分であり、
いつでも、脂肪やタンパク質、ビタミン、ミネラルが
体に良いと思っています。
しかも、低脂肪であり、ミネラルがいいと私は思っています。
乳製品は貴重で、軍隊から帰ってきた伯父さんは
家族のためにチーズを持って帰ってきました。
祖母はそれを石鹸と間違えて「まったく泡立たない」と
言っていたことを思い出します。
ミルクで私が子どもの頃、最初につくったのはアイスクリームで、
食欲のないときは、これに頼ったり、
またチーズはどんなモノも試しています。
瓶に入ったミルクは、
懐かしさとともに一層美味しそうに感じてしまいます。
「物=モノ・ブツ」が原意で、もとはいろいろな牛を表す漢字でした。
牛とモノ、そして牛年の私は欠かさずミルクを飲んでいます。


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01月15日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     1月 15th, 2018  Posted 12:00 AM

01月15日 先負(丁未)

決して、
「形」という
月並みな感じで
形態を表現しないことを守っている。

「ことば」や
「モノ」というのも、
決まって
「言葉」とか
「物」という
具合には表現しない。

『デザインは言語道断』容姿


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『日本の伝統遊戯である折り紙には「綺麗さ」がある』


   


     1月 10th, 2018  Posted 12:00 AM

折り紙=ORIGAMIは、日本の伝統的な子どもの遊びを超えています。
それどころか、海外ではもはや鉄板ネタと言ってもいいでしょう。
Macintoshを最初に使った自分デザイン展=越前若狭展NewYorkには、
MacDrawだけで「ORIGAMI」をソフトとしてデザインして持ちこみました。
ワイフがかなりなんでも折れるようで、子どもとの大きなコミュニケーション、
そのツールになっているようです。
折り紙素材は、100円ショップから高級ブランドからも商品になっています。
私が注目しているのは、昨年の文具大賞にも応募がありました。
とても素晴らしい折り紙専用紙でしたが、
高価過ぎると思っていたところ、さらに、
高級ブランドから日本ならではの素材が登場し始めています。
正直、私が創れるのは、折り鶴とカブトぐらいです。
ともかく海外で子どもたちにヒットするのは折り紙です。
折り紙で作られる動物、植物、物などは、その「かたち」=形態言語は、
決してOrigamiとkawaiiが連鎖していないことに注視すべきです。
私の判断では、Origamiは「綺麗な物」になるのです。
折り紙作家の作品は芸術的とも思えますが「綺麗さ」を表現しています。
私はOrigami:kawaiiよりも、折り紙と綺麗さに美学的な繋がり。
この連鎖性を見つけられるのではないかと思っています。
それは、kawaiiという形容詞ではなくて、
折り紙での形が形態言語(デザイン内容)として形容動詞での「綺麗さ」、
それはモノづくりに直接関わる行為=動作が
形容動詞になっていることをデザイン美学の
一つの大きな手がかりにしたいと考えています。


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『出版システムそのものまで「デザイン」されたこと』


   


     8月 26th, 2017  Posted 12:00 AM

半年で二冊の書籍が出版されました。
これは出版システムの「デザイン」でもあると指摘することができます。
それは私たち工業デザイン界の
大御所である黒川雅之先生からの著作でした。
「野生の衝動」がこの2月に出版され、
先般は「PARADOX」も私にも贈本していただきました。
黒川先生は、元来は建築出身ですが、GKデザインでIDの世界観が入り、
数多くのデザインを成し遂げられました。
私が赤坂でフリー直後に、いわゆるファンレターを初めて書き、
返信をいただき感激しました。
以後、照明器具のデザインチームにも参加、先生監督で作品化。
bio賞とICSID(国際インダストリアルデザイナーズ協議会)特別賞、
この二つを私が授賞しましたが、会議は海外であったために、
出席されておられた先生が私に代わって受け取っていただきました。
「ギャラリー・間」、私の個展開催も先生が監修者でもありました。
しかし、先生からも喧嘩師を自称する私には
時折、論理背景づけでは叱責されることもあります。
この二冊の著作は確実に「物」と「空間」に喜怒哀楽「美しさ」がある、
この一文を持ってしても私はまだまだ鍛えられることがあると自省します。
おそらく、言語空間自体の使い方を再度自問させらる内容であったことです。
また先生は母校・金沢美術工芸大学・大学院スタート時に大学院教授でした。
よって、民藝という正確な表記とともにアノニマスの功罪論がありました。
かつて、SD誌に「カタストロフィー」のデザイン論が掲載されていて、
当時美大生であった私は「カタストロフィーがデザインに与える影響」が、
見事に美しいイラストレーションとともに掲載され、
そこから、私は先生の「物」を「モノ」と表現すると共に、
理論と存在が、私の中で醸成されたいったのだと思っています。
今般の出版はすべからくアジア人としてデザイン要因が8つ、
そして72の文章ゆえ、根本に九つの金剛界曼荼羅が、
明確に私たちデザイナーはイメージを要求されていると読み取りました。
おそらく、これからの私なりのモノから空間は、
先生からの提示である空間と物との「逆説」ゆえに生まれる「美しさ」を
私も生涯かけて取り組むことを指示された想いで一杯になりました。

#「野生の衝動」
#「PARADOX

* 『正しいデザイン手法としてのオマージュを熟知せよ』
* 『「場のちから」の「ば」と「ち」にあるデザイン』
* 『光陰へはただ祈るだけだと思い想っています
* 『アライアンスとして語るべきアンビエント』
* 「わが日常の仏様と幸と合掌と」


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02月07日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     2月 7th, 2017  Posted 12:00 AM

02月07日 大安(乙丑)

私は物。もの、モノと
それらを製品・商品に
使い分けています。
それは
やがて、AI、ロボット、
それらを超越する
想像力が必要という宣言です。

川崎和男の発想表現手法


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『最高級品=最高価格であるべき万年筆の登場の意義』


   


     8月 7th, 2016  Posted 12:00 AM

「弘法筆を選ばず」という有名な言葉が残っています。
素直には、弘法という達筆者は筆という道具などはどれでも構わない、
という、拘りなどには屈していないという意味です。
「拘る」ということなどは、両刃の剣だという解釈が成立しています。
しかし、自分は「拘る」ということではなくて、「こだわる」ことには、
大きな意義を見いだしています。
その最大のことは人か物か自然かということへの哲学性かも知れません。
とりわけデザイナー、デザインというモノと対峙して生きる人間にとっては、
「こだわり」=「木垂れ」からの原意ある伝統的なモノづくり観は不変です。
自分自身も筆記具その集大成である万年筆はコレクションの対象。
国内の万年筆メーカーのモノは世界的にも素晴らしいのですが、
どうしても海外の万年筆ブランドに「価格で負けています。」
文具大賞の審査委員長もさせられていますから、ことさらに日本の文具は、
世界で最高のモノにしてがほしいという日本人としての拘りがあります。
そう思っていたら、日本で最高、それは最高価格であるということ、
この単純ないわば公式ですが、見事な提案がありました。
自分にとってはようやく日本の万年筆の存在をアピールしてきた勇気でした。
如何せん、こうした万年筆にとっても、高額製品としてはどうしても
日本の伝統、蒔絵あるいは真珠という加飾性が必要です。
確かに海外の有名ブランドも漆芸や蒔絵、螺鈿、真珠などは見事で、
商品価値を向上させる装飾性に優れています。
しかし、とりあえず万年筆で、誰しもが「エッ!」っと驚く、
それほどの万年筆が日本にあるということです。
かつて、洞爺湖サミットでは伝統工芸を使った万年筆が採用されましたが、
万年筆コレクターから見ればその伝統工芸そのものが駄目なのに、
「なぜ?」と、モノそのものが最悪だと言うことになります。
今回のこの商品化は、しかもわがふるさとの文具屋さんの提案でした。

@ Kadobun

* 『ずばり、自分ぴったしのモノ世界のモノマガだ』
* 『勘違いディフォルメ写生は伝統では無い』
* 「パーカー『5th』という筆記具の進化」
* 『「機能」と「デザイン」=日本文具大賞の審査基準』
* 『クリスマスプレゼントは万年筆を語れる少女から』


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