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Posts Tagged ‘企業トップ’


『NeXTSTEP・OpenSTEPそしてMacOS Xと進化は無い』


   


     8月 24th, 2017  Posted 1:25 AM

人間の、いや私の記憶、そのいい加減さを思い切り知りました。
自宅にあるNeXT Station(1991)に電源を入れて使ってみましたが、
まず、名前、パスワードなどは全く記憶はありません。
しかし、UNIXマシンゆえにProgramで入り込み、もう感激と大驚嘆しました。
なんとかすかに思い起こすと、名古屋の自宅書斎では、Macではなくて、
NeXTを使っていたことがいっぱい入っていたのです。
名古屋市立大学、新設の芸術工学部では、最初の入学生60名全員に、
MacをEthernet対応機種を特別仕様として発注しアップルジャパンに、
その対応機種をお願いしましたが、
文科省から公立大学は8万円以上の教材禁止でしたが乗り越えました。
第一期生(入試倍率40倍)には、Ethernetケーブルも自作させました。
そして私自身は、自宅では、 メールもこれでやりとりをしていたのです。
そして、いくつかの重要な文章も見つかりました。
右はNeXTSTEPを使うことへのスティーブ・ジョブスからの「ありがとう」、
そのメッセージが感動ものでした。
そして、平成9年に、私はGマークの受賞テーマ決定委員として、
三つの賞「ユニバーサルデザイン賞」・「インターラクションデザイン賞」、
さらに「エコロジーデザイン賞」の提案文章案がありました。
当時は「エコロジカル・デザイン」か「エコロジー・デザイン」の大議論。
しかし、エコロジカルというすでに決定している形容詞表現は辞めました。
さらに驚いたのは、Light Showが白黒画面なれど使うことができました。
そして、最も驚いたのはまだまだこのコンピュータはUNIXマシンだけれども
十分に使うことが可能だということでした。
と、同時に、Idea Processorが、
こうしたプレゼ画面づくりの裏側にあるということでした。
これこそ、実は現代のMacintoshは何も進化していないということです。
確かに、マルチタスク方式を随分とパソコンユーザーは望んでいましたが、
このMeXTSTEPで使用可能になったことです。
それこそ、Macのゴミ箱アイコンは、
最初はブラックホールでしたが、
このNeXTではリサイクルマークのアイコンになっていました。
当時、名市大の芸術工学部では、SunのNetworkコンピュータが、
おそらく日本で最初に動いていて、訪問する企業トップたちに、
ビックリされるほど、SunやSGIはすでのスパコンがサーバーでした。
未だに使えるNeXTSTEPがOpenSTEPになり、
それが現代のMacOS Xにつながっていることから、
「何も進化はしていない」、と言うべきなのか?、
「NeXTSTEP で現在のMacOS Xが決定」されていたのです。
学生への課題試案までもこのNeXTには入っていました。

* 「Power Pointで創造性は破壊されていきます、なぜなら系譜から」
* 『前頭葉での発想ソフト使用は無能さを露呈する』
* 『ワイフのたったこれだけの授業講義プレゼン道具』
* 『Programmingが整ってきたのはMacの世界になったから』
* 「 Media Integrationへのプレゼンテーションツール・4」


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『「企」とは、つま先立ちして目標を見定めている』


   


     4月 8th, 2017  Posted 12:00 AM

企業というのは何か?、
これを忘れた企業があふれていると言っても過言ではありません。
すでに日本では、かつての商あきないのルールが忘れられ、
企業ガバナンスなるなんともある意味では、
商倫理が反狂した制度だけが温存してしまったようです。
よって、製品も商品も分からず、ましてや企画も計画も区別できない、
そんな企業内日本語が氾濫しています。
「KK適塾」、この最終回で私は、「企画」「計画」を説明しました。
本来、商品をもって企業はその活動を社会化するべきです。
しかし、商品も製品も区別されないモノ販売とその経営の行き詰まりは、
見事にわが国の基幹産業を台無しにしてきました。
私がこの兆候に気づいたのはバブルど真ん中でした。
幸いにして私はApple本社のコンサルタントとして、
米国クパチーノと福井を往来している最中でした。
日本がおかしいし、もはや日本の経済はますます低迷どころか、
やがて基盤産業も失うであろうと予測しました。
一時、リーマンショックがあって、さらに3.11で日本は国土的にも
大惨事を迎え、それは今も南海トラフ、首都直下、竜巻と気候変動に、
日本の自然環境そのものが狂いだし、同時に家電から自動車産業すら、
最早危うくて基盤産業を失ってしまったと言わざるをえません。
果たして、改めて私は「企」について意味と定義を書き残します。
「止」=足跡が屋根印の下にあります。
これは明確に「立ち止まって背伸び=つま先立ち」をしているのです。
ということは、立ち止まって遠くに目標を定めているのです。
つまり、「企」とは未来に目標を定めているのです。
ということは「企業」とは常に
つま先立ちをして未来の目標を見定めているのです。
ということは、企業トップがマスコミ:大衆に向かってお辞儀をして
あやまっている段階でこの企業は
企業の社会的な存在を失っているということです。

* 『GRiD社キーボード位置をどう乗り越えるかだった』
* 『開発コードネーム・Popeyeからの拡大』
* 『メセナフィランソロピーが「ジン」酒造企業ではどうか』
* 「希望を企望に」
*  *産・官・学などありえない!・・・*


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『日本の経済界には「伯楽」がいなくなった』


   


     1月 30th, 2017  Posted 12:00 AM

本来ならケータイは日本の産業の核心であったはずです。
もはや公に出来る始末になってしまいましたから、
私の体験を伝えておきたいと思います。
ある企業でコンサルタントとして、製品分類をしました。
この一群は「商品化OK」です。しかしこれらは全て駄目と伝えたら、
商品化OKは海外のみで、国内は電話業者のキャリア達条件が厳しく
このデザインですと回答を受けました。
このとき、ケータイの国内市場は滅亡し始めていました。
教え子も、修士卒業は全てケータイグループに配属。
彼らからすでに国内の閉鎖した市場ではケータイデザイン困難と聞きました。
私自身、大手電話企業とまず、操作基準をキャリア達に提案、
その後、丁度、FOMA開発でのエージェントインターフェイス提案を
その企業トップへのプレゼで、彼らに呆れかえってこの企業滅亡と、
プレゼを切り上げて日本は敗北すると言い放ちました。
その後、最後のプレゼはiPhone対抗をある企業に提案しましたが、
結局、メーカーは電話企業のキャリア達の条件に敗北しました。
それは明確に企業ブランドマークの改変とその停止とともに、
日本からのケータイはガラケーと呼ばれ、
スマホ仕様はApple追随になって負けました。
このケータイからスマホでの新たなデザイン提案が否定された時こそ、
典型的に日本の産業基盤を失ってきた代表例だと思います。
今年念頭に日本の経済界は企業合併を推奨したという報道を聞いたとき、
私は日本の基盤産業である、家電・情報・精密などのメーカー企業が
とうとう終焉し始めてきたと認識しなければならなくなりました。
経済界にリーダー=伯楽が全くいなくなったのです。
日本の企業名が、銀行はじめやたらメーカー名を長々とし始めたとき、
日本の基幹産業、その基盤は崩壊してしまったのです。
日本の企業ブランド、あるいはブランディングという言葉は残っても、
日本の「企業らしさ」は義と善と美に成立していたはずです。
とりわけ美はデザインそのものであったはずです。
そのデザイン評価に「かわいい商品」というモノづくり姿勢こそ、
日本の産業基盤から義を売り渡し善という企業倫理も失ってしまったのです。
「かわいいデザイン」などあるわけが無いのです。
義も善も「きれい」である形容動詞の世界観が基本です。
義も善も失った美=デザインを取り戻さなければなりません。
私自身のデザインには「かわいさ」など求めるつもりは全くありません。

* 『藝と醫を略字化したことは本質を見間違える!』
* 「 何がMedia Integrationとなるのか・2」
* 『柳宗理作品の軽薄で見識不足な批評は叱られる!』
* 「独裁されてきたケータイからの解放」
* 『スマホのアイコンはインフラ的な高品位性が不可欠である』


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『物真似を超えデザイン評価をグローバル化すること』


   


     4月 15th, 2016  Posted 12:00 AM

この領域では仕方の無いことですが、真似されています。
しかし、2003年に公表して、地元ではすぐに物真似され、
真似た企業トップ直々に、真似たと言われるありさまです。
自分にとっては、物真似されても、
自分の造形を超えてほしいと思っています。
けれども「不細工な造形」が多いのが実情です。
特に、メガネ、ナイフ、時計などは根本を変えても
すぐに真似られます。
物真似から盗作ともなれば、ここには法的知財権の問題、
最近はSNSで、真似られた本人が糾弾されるという馬鹿な話になります。
もっと大きな問題は、無名の日本人デザイナーが「カモ」にされている、
海外のデザイン見本市があります。
無論、成功しているデザイナーは成功物語になりますが、
そうならないデザイナーは「カモ」であり、
多額の出品料、展示料、渡航費でほとんどが失敗していることです。
このことに気づいている海外は出品せずに「海外進出」で別戦略なのです。
教え子や元スタッフでこの失敗例を随分見てきました。
デザイン作品の発表でたとえ授賞しても、それは次回の「カモ」です。
そして、そのデザイナーはかえって「能力無し」になっているのです。
正当なデザイン評価を受ける真の方法を熟知してほしいと願います。
そして、デザインの物真似あるいは盗作があっても、
本当のクリエーターなら、そのデザイン評価は定例的な方法があることを
私は伝えたいと思っています。
物真似であっても「アプロプリエーション」という確実な歴史的な
記録性があるまでの「能力向上」を次世代に求めます。

*『プラチナ・ミラーリングのティーカップ』
*『正しいデザイン手法としてのオマージュを熟知せよ』
*『低レベルな能力でデザイン評価はしないでほしい』
*『GRiD社キーボード位置をどう乗り越えるかだった』
*『DESIGN TOKYOのPROTO LABから次世代デザイナー出でよ! 』


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『持ち歩いてるペンたちが語っている文房四宝』


   


     5月 18th, 2015  Posted 12:18 AM

おそらく、私が持ち歩いているペン、
ボールペン・万年筆・スタイラス、これらが最も進化のシンボル。
私自身、文房四宝=ぶんぼうしほうや文房四友という言葉も、
すでに忘れられていますが、硯・墨・紙・筆は、
友のごとく知性のための道具でありそれこそ知的生産の術でした。
この二つのボールペンにここまで進化してきたスタイラスは、
常に私とともにあります。しかも万年筆やボールペンについては
デザイナーとしても最大限の知見を持っていたいと考えてきました。
すでに、
かつての筆には墨も硯も無く、紙はデジタル紙=Padです。
私にとっての文房四宝は自分の頭脳的な能力を表現する道具ですが、
人はこの進化に多分自分の生涯を委ねて生きてきていることです。
だから、私は無意識なままのペン一つには、
とても耐えられない性分ですから、それこそファッションとしての
ペンからそれこそ現代のパソコン、スマホにまで私は気がかりです。
かつてある企業トップと食事をしていたときに、
そのトップの部下が取り出したボールペンを見て、
腕時計を見せなさい、靴を見せなさいという現場に立ち会いました。
そして、ケータイを変える、腕時計を変える、靴を変えると、
そんな命令場面を見ました。
またある企業トップは私の持ち物をチェックされたこともあります。
なぜ、中国の古典には文房四宝の中でも、硯と紙については
徹底した古典が今も現存しています。
焚書坑儒=政権がその権力を保全するために書籍を焼いて無くした
そんな時代をもこうした古典だけは政権とは無関係に残りました。
結局、知性を表現する道具論はいつの時代も重要だということです。
しかし、この文房四宝などどうでもいいという知的職能家は
すべからく私の喧嘩相手だということは間違いありません。
現代の文房四宝には、まったく新たなデジタルが入っています。


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『自宅地下の駐車スペースは?!』


   


     3月 19th, 2015  Posted 12:00 AM

元々、ある大手企業の大阪本社ビル跡に、
私の自宅集合アパートがあり、地下4階までに各家別に自宅所有の
地下駐車場があります。
おそらく高層の集合アパートにこれだけの地下駐車場は建設困難。
私は車イスで車移動をする場合に、雨天の日などは、
屋外駐車場では、ずぶ濡れになってしまいます。そこで、
大阪では地下駐車場の完備しているところを探していました。
運良く、この地下4階までが自宅所有あるいは賃貸の駐車場、
これらが完備している所を見つけました。
しかもそれは耐震構造がどこまで整備されているかです。
地下4階まで掘り下げていることと、この建物は32階建てゆえに、
建設許可は国土交通省大臣許可が法的に必要とされています。
正直、これは稼働的な耐震構造ではありません。
構造材としての柱構造材はこの地下4階すべてで一応確認できました。
3.11以後には、可動式の耐震構造が商品化されていますが、
今回ゴム材製造大手企業のデータ改ざんを見ると情けなくなります。
わが国はいつ大地震が発生するかは全く不明です。
そこにつけ込んだこの構造素材のデータ改ざんはまさに儲け主義。
この企業トップがTV報道で、
自社企業社員の個人的作業とは言い訳にすぎません。
私は、最近、5000億企業志向と2兆企業志向へのデザイン導入を
図っていますが、企業トップの力量を存分に知ってしまいます。
つまり企業トップにしてしっかり、それぞれの企業社員にしての差異を
明確に見抜いてしまいますから、
耐震構造体でのデータ改ざんは正しく企業オーラがあるとするなら、
誤魔化しだらけの儲け主義企業の顔=イメージがあまりに明快です。
ところで、私の自宅はこのビルの32階トップにありますが、
もし、南海トラフになれば8階まで大津波が来るという予測です。
そうなると地下4階も水没します。
どうすれば?、というのも私のデザインテーマです。

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「この日からの再出発、再認識」


   


     1月 3rd, 2013  Posted 12:00 AM

年末年始、多分、大学人としては最終の論文作成をしています。
国外向けは、いつもながら英文の文字数調整に苦しみました。
国内向けは、なんとしてもこの正月休みに書き上げたいと念じるほどです。
国外向けも、アブスト査読は昨年夏に合格しましたが、
やはり、3.11が及ぼしていることについての論説が求められました。
今世紀に入って、
経済的には多大なグローバルな変動に人類すべてが翻弄されていますが、
とりわけ、私たち日本人にとっては、多くの同胞を失いました。
そして、政権交代によっての政治的な指導力の欠如は甚だしいものでした。
私自身、被災地や内閣、
大企業の復興姿勢には怒りと落胆と情けなさを存分に味わいました。
よって、今度の自民党政権には大きな期待を持っています。
公共投資の方向性など決して間違わないでほしい限りです。
大企業の被災地支援も間近で体験しましたが、
企業トップの指導力や理念など大疑問ばかりでした。
たかが、デザイナーに何が出来るのか、という声が明確に聞こえています。
しかし、私は、来春阪大を退官と同時に、
自分のミッションは決定しています。
私は、2011年1月から5月までの、この映像を見る度に、
日本列島のコンニャクのような脆弱さを再認識させられます。
したがって、今年の4月からの活動こそ、
わが人生、その最期の「行学の実践」にしたいと意気込んでいます。
3.11直後に、大きな活動をしながらも、
ほとんど匿名的な活動も紹介していくつもりです。
それは、昨年8月に創設した「危機管理デザイン賞」の対象にしています。
私たち日本人は、すぐに醒めきってしまう民族性が残っていますが、
もし、自分たちが、この時代との共時性を共有するには、
どこまで、復興と再興に、
自分のプロフェッションを差し出せるかということでしょう。
そんな気持ちに、
この画像は決定的なプライミング・エフェクトを与えてくれています。


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