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「瓦礫と化した自動車が問題ではない」


   


     12月 30th, 2011  Posted 12:00 AM

安政の津波時には「舟で逃げるな」と語り継がれました。
3.11大津波では映像の中の自動車は、
押し浪で車は津波とともに凶器となり、
引き浪で行方不明者を巻き込んで海に引き込んで行きました。
そうして陸上では、津波で破壊された自動車車体が瓦礫になりました。
20世紀から自動車こそ、人類の智恵技術の結晶でした。
しかし、自動車が凶器となることを万人が知り尽くしています。
私も交通被災者ですから、
車という存在にはデザイナーとしての想いも重なります。
車は大好きなモノでもあるのです。
しかし、もはやハイブリッドだのEV車が車産業の目標ではありません。
「その車内に居れば生命が完全保全」、
そんなカーデザインが必至だと考えます。
私はプロダクトデザイナーとして、
エレベーターと車は根本的徹底的に技術開発目標を再設定すべきです。
ともかく、天災時に「逃げ込んで命を護る空間」、
それがエレベーターと自動車です。
車デザインについて具体的に表現すれば、
「車に乗って海に飛び込み自殺は絶対に不可能」という
車体空間と非常時船舶となるデザインです。
このあたかもSF的発想が、
「天災・人災」への対策デザインであるべきです。
今回の震災では、凶器となる自動車、
自動車が無ければ救急救命もできない、
この矛盾こそ問題設定であり、その問題解決対象に、
カーデザイン、本来の人智的デザイン設計が希求されています。
3.11の津波映像で、大量の車がメチャクチャになっていく様子、
瓦礫記録写真での、考えられない自動車の破損状況は、
デザイナー・技術者・設計者の魂に焼き付けておかなければなりません。
そして、自動車はガソリンが無ければ走りません。
けれども発火すれば爆発します。
電気自動車になったとしても、その車体空間は、
私たちの肉体と生命を護りうるモノにすることです。
これが復興テーマの大きな一つです。

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「東日本大震災のNHKジャーナリスト講演から」


   


     12月 24th, 2011  Posted 12:00 AM

震災直後のNHK取材は3D撮影であり、
監督されたNHKメディアテクノロジーの智片通博氏に
阪大で特別講演をしてもらいました。
依頼後時間が経ちましたが、
かえって「風化しそうな」記憶を再確認できました。
私自身は震災直後から東芝で
「復興計画デザイン」に関与してきました。
ほぼ10ヶ月かけて「全計画」を書き上げ、
来年早々、東芝トッププレゼンします。
デザイナーとして40年の実務経験からの発想です。
講演では、取材編集はあの日の参議院予算委員会から始まります。
時間経過にそったNHKの天災時対応の詳細や、
そうした放送台本が放送直前の修正まで見ることができました。
私はメモを相当に取りました。
講演を見聞し、幾つか私の心に残り書きとどめたことです。
●震災の歴史的記念は
これは残すべきかは被災された方の気持ちが大事で記念館など不要。
●市町村合併によって町名に何ら東北地方性が失われていた。
●1000年に一度の天災でこそ
「役立たない技術」などはまったく人類に不要。
●NHKは日本人全員の生命と財産を守るマスコミとして
相当の日常的準備訓練があったこと。
●「みちのく」を復旧し復興することが政治で可能だろうか。
●マスコミとしてのNHKに対して、
ミニコミの必要性がもとめられますが、そのあり方。
●箱根を境界として、
日本が二分されてしまった現状から国力再建の可能性。
私は、あらためて国難の中にたたずんでしまっている
自分を客観視しました。
講義後、講座担当教授としてこのような話でまとめました。
1860年、日米修好通商条約提携に向け、
勝海舟・福沢諭吉が乗った咸臨丸が出航。
1854年から1859年は「安政時代」、社会不安に天災続き、
特に大阪も安政南海地震で大津波、
結果、難波(津波災害から)、梅田(埋め田)という地名が生まれるほど。
NHKでも若い取材者は、精神的ショックが相当だと聞きました。
現実、大学生にもボランティアに行きつつも、
そのやりきれなさで自殺者が出ています。
私たち日本人にとって、この震災・津波・原電事故は、
日本を「壊滅」させました。
それ以上にタイでの洪水は、産業的海外基盤を失っている状況です。
祖父や父世代が、日本を敗戦ながらも「楽園国家」にしてくれました。
その楽園環境に麻痺していたのかもしれませんが、
現実、まだまだ復旧さえ進まないわが国は
本当に「絆」をもって再興すべきだと再決意しました。

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「日本システムが壊れた理由のひとつ」


   


     8月 22nd, 2011  Posted 12:00 AM

敗戦後懸命だった日本。
それからの日本システム。
それは日常性が確約されていた、
今となってはパラダイス国家でした。
大震災と原発事故はこのパラダイスを破壊しました。
しかし、それ以前、政権交代を希求に至ったのは、
すでに崩壊していたと思います。
格差社会とか「勝ち組・負け組」とかという言葉が象徴でした。
日本システムは中産階級がほとんど日本流システムの中核。
それは企業の家族的な情緒性と完全雇用体制の完備でした。
現在は正社員と派遣社員という企業構造が、
企業中心の日本システムを失いました。
しかも、正社員より派遣社員の方が企業機能を果たしています。
雇用体制での差別社会、リストラと呼ばれる「解雇」、
これは日本システムの根幹=骨抜きにしています。
無論、この方向に追い詰められた原因は少なくとも、
五つあるでしょう。
◆ 政治能力・政治的リーダーがいないこと。
◆ 国際的経済破綻の連続とその政治対応無策性。
◆ 企業法人税はじめ税制度の無策性。
◆ 未来不安が次世代の精神性を低能力化。
◆ 教育システムー小学から大学までの教育者能力不足。
理由はまだまだありますが、無策性と能力不足が、
あらゆる局面、あらゆるコミュニティ、
そして高密度情報社会での情報格差が覆い被っています。
たとえば、コールセンターなども外注であったり、
サービス性だのCRM、ISOだの、さらにはブランド化だの
この喧騒性の中で、肝心のことが見失われています。
私は 47歳で大学人になりました。
すでに16年になります。大学環境と世間との隔離を見ています。
新設される公立大学の学長候補になったこともあります。
そして辞退したこともあります。
すべからく、日本システムの崩壊が見えていたからです。
一方では、現役のデザイナーですが、
それゆえに、企業と大学の断絶性や、
法人化大学から公益法人までがまったく「革新性」皆無を
毎日体験しています。
ある予測には2300年には「日本人」という人類は滅亡、
これは「少子化」や今回の日本列島・放射能汚染からも
かなり想像可能になってきています。
だとするなら、東日本の復興ではなくて、
日本列島全体の復興という名の「新生日本システム」化です。
無策性と能力不足への対策は、想像性と創造性、
懸命さと賢明さ、精神性・日本人としての意識改革、
これらを各個人意識とそれを先導するリーダーが不可欠です。


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『資本主義からの逃走』
?*緊急考察!・人類の存続は家畜とともにある!*


   


     5月 23rd, 2010  Posted 12:01 AM

動物疫病
21世紀に入って、いきなり、家畜を襲ったのは、
「狂牛病・BSE」=牛海綿状脳症でした。
私はこの事件をLANCET(英国の医学専門誌)で読んだときには、
何らその後、日本でも大変な事態になるとは思いもつきませんでした。
以後、LANCETの予測は的中していきます。
鳥インフルエンザが、
万一、マラリアとの間で突然変異が起これば、という予測も知りました。
人類の滅亡が予測されていました。
そして、日本の「温暖化」が予想以上のスピードで、熱帯にいるべき蜘蛛の出現です。
とうとう鳥インフルエンザが襲ってきました。
インフルエンザがとてつもなく強力で多種になりました。
思いもよらぬ「豚インフルエンザ」が起こりました。
これは人類が豚を差別していたことの結末だと私は思いました。 
「馬インフルエンザ」もあるのです。
しかし、馬へのワクチンは相当に万全だったと思います。
なぜなら、馬はサラブレッドという競走馬という存在があるために、
防疫と治療方法があったと聞きます。
しかし豚は食用家畜という産物扱いだったわけです。
さらに鳥インフルエンザにはまだまだ不確定要素があります。
口蹄疫
ラングがパロールになる制度
そうしたら、「口蹄疫」です。
私たちは、病名とか疫病名というラング=術語が、
会話=パロールの中に入ってきて怖さを知るのです。
これはラングがパロールになることは「危険」であり、
「安全破壊」があるという実例です。
会話=日常生活に入ってくる言葉の重要さを、
持って知るべきひとつの制度だと判断します。
日本列島は、島国ゆえに、
これまで世界的な疫病の流行からは遮断されてきました。
しかし、鳥インフルエンザはもとより、
国際的な流通往来、グローバル化は、
疫病流行は巨大な安全崩壊を招き入れています。
宮崎県で起こってしまった「口蹄疫」は、
ある種の細菌兵器のようなものです。
毎日、宮崎県の苦しみを見聞し、
国家的対策の後手後手を知るとき、
わが国に国家防衛は確実に欠落した制度であることを
再確認させられているだけです。
国家防衛
政府という機関、政治家という職能、
この権力義務と権力判断力、権力知識、権力戦略の無力さは、
「和牛」と「和牛の伝統文化」が喪失されていく報道、
そのジャーナリズムの批判性が、いかに無力であるかを知ります。
家畜
家畜というのは、「畜」という漢字には、
「好」という漢字と同列の意味性があります。
つまり、母が赤子を大事にする形象がこめられています。
だから「家畜」なのです。
「家畜」は、人類の家族だと考えることができます。
よって、家畜にここまで頻発する疫病は、
人類の存続性に連鎖しています。
細菌兵器
緊急に、
「疫病」は細菌兵器です。
ある意味ではテロだと判断対処するべきです。
その国家防衛・危機管理・安全維持制度が、
デザインされるべきでしょう。
そしてこのデザインには強靱なリーダーシップが不可欠です。


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『資本主義からの逃走』
 「# チュッパチャプス武器論・効能考察です #4」


   


     3月 23rd, 2010  Posted 12:01 AM


効能=結果考察
戦術結果というのは「効能」ですから、
チュッパチャプスの効能を考察することに集中します。
論文の文体プロット的に、私が題材とした映画の武器結果から、
チュッパチャプスが武器だと思ったことへの考察・熟考を
試みてみたいと考えます。
ジェネラルルージュの凱旋
ジェネラルルージュの凱旋」というのは、
映画テーマとして現代救急医療制度、
その問題点をとらえた物語性としては面白く、
エンターテイメント性を、社会正義とするための反正義性、
贈収賄を二重構造として、主人公の横柄さや権力への反抗が
よく表現できていたと私は評価しています。
その演出小道具が、チュッパチャプスであったということ。
しかもチュッパチャプスも贈収賄物品だったというオチに、
「武器」なるものの、威嚇性・抑止性がどれほど実際的には、
滑稽さがあるかという批評性が基盤であり、演出でした。
この映画の演出結果、それは演出効果であり、
チュッパチャプスの武器効能に直結していると考えます。

無論、ジェネラル=提督たる緊急医療時の指揮官の話です。
緊急かつ救急医療に立ち向かうときの指揮官の決意には、
青ざめる唇に口紅を塗ってまで自己を奮い立たせるという
口紅と凱旋光景があるという題名があっても、
全編では、主人公が自己選出にはチュッパチャプスの存在、
私はその存在物を「武器」だと感じ取り、
この武器を演出にとどまらず、
自分の武器にしようとさえ思いついてしまったわけです。
そして、明らかに、この武器論を書くまでには、
武器として使用し、武器なるモノのあり方を確認しました。
実験というより実施した体験からの考察です。
モノの体系は武器の体系
だから、結論は結果・効果は効能、
すなわち、現代のモノ、そのすべからく体系には、
ツール性とメディア性の分別も述べてきました。
結局、ツールやメディアも、武器なのです。
だから「モノの体系」論として、
たかだか、舐め舐めする飴にすぎないチュッパチャプスすら、
使い方では「武器」になる!ということです。
武器デザイン
したがって、文明が人類に人工物としてモノ全てが、
武器であるというのは、決して言い過ぎではないと考えます。
デザイナーとして、
モノのデザインは「武器デザイン」を常に意識することです。
欧米のデザイナーが、拳銃デザインに関わっていることは、
あまり知られていませんが、
私は毎年、新製品が登場する拳銃デザインは、
誰が、どのデザインスタジオがデザインしているかを、
「造形言語」から読み取ることができると自負しています。


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2月24日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     2月 24th, 2010  Posted 11:22 PM

2月24日 大安(乙巳)

コンピューターは
「ことば」でモノの機能を変えてしまう、
人類が初めて出会った道具だという定義が
私にとりついたからだった。

『プラトンのオルゴール』
コンピューターによるデザインへ


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『資本主義からの逃走』
  「i-Bitのeとiとπの意味を求めて・6」


   


     1月 13th, 2010  Posted 1:00 AM

e・i・π

e・i・π、この三つに、デジタル社会があります。
あるのではないだろうか、というのが私の推論です。
「e-冠詞」と「i-冠詞」に私は何かを見ています。
exponent・Napier’s-e・internetにπです。
この一つ一つは、直喩性から隠喩性で、
現代の「情報時代・情報社会」の意味論へと、
その思索と思考を深めていくことができるでしょう。
たとえば、πは、円球だとするなら、
それはまさにwebsiteです。
πに対して、人類が追い求めてきた歴史は、
もうビックリするばかりです。
e-management5果たして、
デザイン、デザイナーの「感性」・「感覚」が、
見えているデジタルには、明らかにAtom資本は、
包み込まれています。
さて問題は、
iという虚数はバーチャルへの想像力が創造しました。
リアルとバーチャルも、
すでに、すっかりと、
これらのe・i・πにシンボル化されています。
だから、これらの意味論は記号論・構造論となって、
実は「造形」に結びついている、
というのが私が追い求め始めている「造形基礎論」、
すなわち「デザイン数理学」なのです。


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『資本主義からの逃走』
  「資本主義構造化の破壊装置」


   


     12月 19th, 2009  Posted 10:00 AM

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デザインは付加価値ではありません。
私は「全体価値」と言い続けてきました。
「欲望の刺激装置」=デザインを破壊するなら、
その新たな革新的な装置化を提出することになります。
上記の図解が私の提示している「装置」です。
その装置は「AparatousからDevice」に変更します。
これにも意味があります。
創出・代謝・循環・交代
おそらく、「空間」・「情報」・「エネルギー」も同じです。
そして、この対峙しあう「価値」と「存在」は、
創出・代謝・循環・交代というサイクルに配置します。

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すなわち、サイクルと言ってもヘリカルなサイクルです。
実は、この背景・基盤には、
私が実体験を余儀なくされた、幾たびかの入院や手術、
それらを通して、「生」と「死」への想いがあります。
もはや人類の生存と存続が問われているという問題には、
ヘリカルなサイクルに、最も問われるのは「存在」です。
と言っても、
「実存」というやや古典的な思考からは離れた客観性に
「デザインの創出」が「存在」した「価値」だからです。
この提示した、ダイアグラムには、
明確に、「物質・情報・エネルギー」という
「時空間」性をイメージして、
感じ取ってもらいたいと望んでいます。
そのイメージを拡大してください。
世界の人口は、やがて70億人を超えるでしょう。
しかし、毎日、
10機のジャンボジェット機が墜落しています。
その機上に、
乳幼児から小児・子供たちが5000人乗っています。
地球・人間・世代交代に対して、
経済思想や資本主義では解決不可能の事態に、
価値」と「存在」の「装置」そのものを
デザインしなければならないのです。
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