kazuo kawasaki's official blog

Posts Tagged ‘TV’


「3Dプリンターの真実と真贋を見分ける!」


   


     4月 28th, 2013  Posted 12:00 AM

光造形システムを知らないユーザーに警鐘を与えておきます。
安価であろうが高額な装置であろうが、
真実で真贋を見極められる「技」がなんとしても必要です。
この画像を見て、3Dプリンターの機種、
当然ながら市価が区別出来ることが真贋を決定できるでしょう。
光造形システムから3Dプリンターという系譜で、
何が可能になってきたかを知る人以外は、まさかこれが出来るとは・・・、
ということになるでしょう。
これらの現物が出来る人物は、
たった一人しか日本には居ないと思います。
最近、TVや雑誌にしても、この人物だけが真実を成し遂げています。
今日知りました。彼とは面識があったそうですが、
今は個人情報もあることから、Mさんだけが可能ですと断言します。
3Dプリンターがあの「MAKERS」という著者の指摘は当たっています。
ただし、彼の思いが本当はどこから今日にいたったかは
何人かが牽引していく必要があるでしょう。
これからの日本の産業構造を変えるには、
私はYさんとMさんがそのリーダーになると確信しています。
もちろん、私自身も1996年には、
彼らが居てくれたからデザイナーとして出来た経験があります。
一昨日私は、「クラインボトル」の形態と擬似形態、
そして空間論・言語論・形態論の可能性を提示しなければと記載しました。
昨日は、この画像の現物をじっくりと見ながら、
1980年代後半に、
私が、プリンストン大学と共同研究していた「歯車」を米国で再び見た思いです。
今や廉価であっても「技」が必要だから「革新の技術」が必要です。
なんと言っても見ていただきたいのは、
TOKYO Maker」のwebsiteです。
なぜ、3Dプリンターが自宅のキッチンに置いてあるのでしょうか?
私は、名古屋市立大学時代は、
おそらく最高の「光造形システム」がレーザー違いで二台在りました。
しかし、当時はその部屋に入ることは避けていました。
危ないと思っていたからです。
つまり、3Dプリンターが世界を革新することは確実ですが、
それを何としても成し遂げるのは
この日本からに絶対にしたいと思っています。
Mさん、Yさん、これからもよろしくお願いします。
私のノウハウはすべて提供します。


目次を見る

「デザイナーを選んだ理由を再度確認」


   


     4月 23rd, 2013  Posted 12:00 AM

阪大退任の記念に、
作品集・「川崎和男Design」を編集中です。
本来ならば、最終講義日に発刊予定でしたが、
私自身が全く本気ではありませんでした。
そして、ようやく私が本気になってきたら、
レイアウトや写真などが不満足になっています。
そこで本気になって、自分の過去と作品、
その裏付けを調べ始めました。
思い違いを修正することが出来そうです。
「私がデザインを選び、デザイナーになろう!」と決心したことです。
私は大阪で国公立医進コースの予備校で相当に受験勉強をしていました。
ところが、その予備校で最も面白かった授業は「漢文」でした。
講師は京大から若い先生が来ていたことは確かです。
受験勉強の漢文は15分程度で、残りはほとんどが、
「平凡パンチ」と「プレイボーイ」週刊誌への現代批評でした。
(画像上中二枚が創刊号)
そこで、きっと私は社会的な批評眼や職業について学んだと思います。
「イラストレーター」という職業を初めて知りました。
当時すでにスターであった横尾忠則氏を知りました。
多分私はその時に、「デザイン」を知ったのです。
2006年に横尾氏にお目にかかりました。
私が彼のイラストレーション「浅丘ルリ子裸体姿之図」に憧憬。
この場面を横尾氏は運良くTVで観ておられて、
しかも金沢21美術館個展前日に彼と握手をしてもらいました。
多分、若者向け週刊誌はすでに私の高校時代に創刊されていました。
私がデザイナーに絶対成ろうと確信したのは、
1970年の「平凡パンチ増刊号」(画像下)に掲載された、
「浅丘ルリ子裸体姿之図」だったようです。
そろそろ秋になろうとしていた頃、
私は大阪阿倍野筋の古本屋店頭で、
「アトリエ・美大入試鉛筆デッサン集」で、
医学部ではなく美大を選んだことは確かでした。
時折、「どうしてデザイナーに」と尋ねられてきましたが、
「浅丘ルリ子裸体姿之図」は間違いなく、
医学部へ行き、本当は作家志望だった私を、
決定的なdesigner志向にしてくれた作品だったと思います。


目次を見る

「投票後、御堂筋の光の中へそして選挙過程から」


   


     12月 18th, 2012  Posted 12:00 AM

自宅近くの小学校でワイフと投票。
招待されていた
高級ブランド時計展示会に自宅近くのホテルに出かけました。
見たかった、知りたかった、
極めて高価な時計を触ってじっくりと見ました。
価格も提示されましたが、その気は全くなくて購入せず。
けれども、招待客へのフルコースを勧められ、
断りきれないなら、私はわがままに注文し直して楽しみました。
ワイフが運転する車で御堂筋を久しぶりに通りぬけました。
ブルーにライトアップされた、
まもなくクリスマスという通りを抜けて帰宅。
早速、TVでは選挙速報が流れていました。
自民党の圧倒的な勝利です。
民主党を前回選挙で私は「あの政権交代ブーム」は拒否しました。
今回、また「政権交代」です。
民主党の中にも知人・友人から、
政治家としては絶対に認めることのできない人物もいるわけです。
しかし少なからず、政治家をめざす人には、
国家への憂慮があるからこそ、
選挙という手続き=闘争に自分を商品化しているのでしょう。
○○チュードレン、とか○○ベィビィと呼ばれる党首あってこそ、
そのイメージに自分を重ねて
初めて選挙候補になる人たちも膨大にいました。
一万票どころか、数百票の候補者を見るとき、
私はこの人たちの目論見、想像力を疑います。
あくまでも民主主義ゆえに立候補も自由だと言いますが、
このような想像力や目論見の無い人たちは、
政治家には全く向いていないということです。
それどころか、今回、民主党の幹部たちには、
どれほど自分たちが民意をつかんでいなかったのだろうか、
これほど想像力が欠落した政党に
わが国が政治主導できるわけがなかったのです。
私は、御堂筋の青くライトアップされた街路樹の目映さの中で、
候補者はもとより、政治家の基本も、
彼らの「想像力」の大きさ、
その質が
どれほど基本的な能力でなければならないかを思いやることでした。
今日のTV番組では、
選挙報道では候補者たちの当選や敗戦が伝えられていました。
私が最も感じ取ることは、投票率が国難の最中にあるにも関わらず、
前回よりも10%も低下していること。
全国民60%で代議員が決定されることが正しいのだろうか、
小選挙区で落選しても比例代表制で当選になってしまう曖昧さなど、
日本の選挙による民主主義そのものには
大きな懸念が残っていると告白しておきます。


目次を見る

「今なぜ『大奥』なのだろうか、もしも、という幻想・・・」


   


     12月 13th, 2012  Posted 12:00 AM

「大奥」は、日本人にとって、覗き見たい歴史のフィックションです。
映画・TVにおいて、
その物語のプロットは徳川家の存続を女の闘いとして描かれてきました。
新たな物語の切り口として、
将軍が女性だったら、という物語の映画が登場しました。
まず、映画を見ました。
そこでは、若手アイドルが主役で、
漫画的軽度のおもしろさを楽しみました。
そうしたら、今度はTVドラマになり、
その展開にそれなりの恣意性がありました。
TVドラマから連続して映画にも展開されるということで、
ワイフは観たくないと言いますが、
私は結構楽しみにしています。
私なりに力量を認めている男優が主演であり、
将軍が女だったら、
というのは荒唐無稽な話に過ぎないと思っていましたが、
私は、ある深読みをしています。
それは、
「もしも・・・・だったら・・・」という想像力と現実との対比です。
人間は、想像力に潜んでいる荒唐無稽さにも、
なにがしかの真理を見いだしたいという欲求があるのでしょう。
「もしも・・・・だったら・・・」というバーチャル観は、
まさにモルフェー=白日夢に幻想からでも
明確な示唆を得ようとしているのです。
その意義は三つはあるものと判断しています。
 
  ・「もしも」という架空のプロットゆえに
      想像力に無限さを確認できること。 
  ・しかも、男女逆転という役割がもしも現代にもあったなら、
      という想像力には恣意性があるということ。
  ・幻想・想像力の中でこそ、現実意識をより明快にできるということ。

こうしたことが無ければ、
元来、人間は幻想や無限の想像力を
日常的にはすぐに忘れてしまう脆弱な、
あるいは
フラジャイルな存在でしかないのではないだろうかということです。
モルフェーとは、モルフォロジー=形態学を生み出し、
モルヒネという薬剤の原語にもなっています。
私は「もしも、商品世界は終わって、
記号世界が始まるとするなら・・・」を熟考しています。
現実世界は、「もしも・・・」という事が
「事件」として多発しているのです。
それこそ、天と地が逆転したなら、
想像を絶する天災や人災への対策というものはもっと確かな幻想を、
さらにしたたかに私たちの知識から知恵をもって
備えなければなりません。
「大奥」というたかがフィクション映画にも、
それなりの決断の場面では、
されど真理の言葉がちりばめられていることを知るわけです。
TVドラマで、こう聞くのです。
「貴女が守り抜く徳川家とは?」
「それは、平和を永続させる唯一の力だから」
「・・・・・」
このような大事が台詞会話です。
だから、私はきっとこの映画は観ることになるでしょう。


目次を見る

「元気になろう、元気になれるスゴイ写真だ」


   


     8月 24th, 2012  Posted 12:00 AM

8月20日、銀座に50万人だったとか。
ロンドンオリンピックはワクワク感を与えてもらいました。
素直に喜びたいと思います。
アスリートの選手達には敬意と敬服を捧げます。
そうしたら、こんなスゴイ写真が
女子サッカー選手・丸山桂里奈さんが与えてくれました。
本当に、徹底的に悲嘆し哀しむ事態にわが日本は落とし込められています。
領土問題での対決は勿論ですが、未だに拉致問題も、
さらには女性ジャーナリストの殉死です。
1000年に1度とはこれほどまでに
私たちから希望や夢を奪い取っていくのでしょうか。
銀座の光景は、マスコミが与えてくれたものではありません。
スゴイ、良かった、元気をみんなで共有できると私は思っています。
無念ながら私なりに懸命なのですが、
デザイナーとしては何もまだ進めることができません。
デザインも夢を叶える職能です。
しかし、デザイン界も元気になれない状況に追い込まれたままです。
サッカーの香川選手が、「君が夢だ」というCMを観ると、
そうだろうなー、子ども達が憧れていることが良くわかります。
子どもたちに憧れない職能は、
どこかに欠陥があると考え直すべきでしょう。
それにつけても、マスコミ、特にTV番組が、
アスリート選手への無礼な態度を見かけます。
TV界の勘違いは笑止千万です。
彼らはどれだけ夢を与えてくれているのでしょう。
その敬意ない番組は、TV時代の末期症状だと断言せざるをえません。
2020年、オリンピックを誘致することを実現するべきでしょう。
元気になって、未来の幸運を創り出さなければいけません。
領土問題と同時に拉致問題も緊急課題です。
急ぐためにも元気になりましょう。
スゴイこの写真はアスリートが与えてくれているのです。


目次を見る

「オーバー機能であっても、存在価値の美しさ」


   


     8月 18th, 2012  Posted 12:00 AM

プレゼントされたB&OのBeoTimeという目覚まし機器です。
久しぶりに、この機能を自宅内でどこまで可能化を試しました。
時計、アラーム、照明機器の設定、TV、オーディオまでが設定可能です。
しかし、これらを全て使うということはわが自宅ではできません。
アラームでオーディオシステムでアラーム・目覚ましになります。
だから、この機器はほとんどオーバー機能だと思います。
ところが、モノとしての存在感はとても美しい姿をしています。
形態=体と用(ゆう)、これは世阿弥の言葉ですが、
用を「ゆう」と呼びます。
これは体というのは本質を表し、
その本質に対して用=ゆうは、外にあらわれてきている働き、
まさに用途ということですが、用途を超えた姿存在があります。
これは、能における美しさは「体」と「用=ゆう」と呼ぶことで、
優美さが本質からあらわれてくる様のことになります。
この製品の本質に実装されている用途は、
現実的にはオーバー機能になっています。
そのオーバー機能を超えて、
製品存在が優美=用を成しているということになります。
現在、プロダクトデザインで、
ここまでの存在感が有るモノは見かけなくなってきたのが現実です。
私は、眠りの傍らに、このフルートのような形態を置くだけで、
目覚めの用=ゆう=優美さに繋がると思っています。


目次を見る

「たかがリモンコンではありえない」


   


     8月 14th, 2012  Posted 12:00 AM

プロダクトデザインの本質を一言で断言すれば、
「使い勝手と美しい存在性」につきます。
そして、このリモコンが明示している人間と生活への提示は、
企業の社会的存在性を最大限に表示しています。
つまり、この企業が人間としての尊厳確認を自己確認しています。
これらはB&O社のリモコンです。
自宅のオーディオシステムはこのすべてで管理ができます。
すでに廃盤商品になっている20年前のモノ(右端)もまだ使えますが、
これはその当時に、
「いづれ家庭内のTVから照明から電話すべて」を
コントロール可能としていました。
しかし、時代尚早だったために
そのようなシステムまで開発は進化できませんでした。
こうしたB&O商品は、
当時から確実に未来のデザインを誘発させる美学的思想と
ライフスタイルを示唆していました。
しかし、B&Oという企業は現代に至って、
そこまでの経営手法そのものを革新的に出来ませんでした。
明らかに経営者能力が
デザイナーの夢を支えられなかった証明と言っていいでしょう。
翻って、エレクトロニクス関係、情報系、
エネルギー系などへの「デザイン提案」を、
実現するのは「企業経営者の義務」だと明言しておきます。
つまり、デザイナーの夢は「絵に描いた餅」と揶揄されます。
それも経営者という種族が
「たかがデザイン」としか思っていないのが真実です。
私はこうした経営者を喧嘩相手に40余年生き抜いてきました。
こうした経営者が社会的リーダーだというのは大間違いです。
それはほとんど無責任で真善美の人間としての生き様の基軸を、
ひとまずは「仮想の経営者にすぎないこと」にも無自覚で、
とても哀れな存在だと指摘しておきます。
まして、そんな経営者が全世界的に増殖していますから、
これは地球規模的大問題です。
デザイナーは、その専門的職能の真意忠実に、
正道をめざして自分の生涯を
そのような経営者から離脱させるべきでしょう。
「たかがリモコン」ですら、
その存在意義に、世界観のあるべき方向が見えています。
比して、現代の全てのリモコンの醜悪さが、
そのリモコンを社会化した企業、
その企業経営者の何物かの
「あってはならない罪悪性」までを象徴していると考えます。


目次を見る

「カレイドスコープ=万華鏡というレトリック」


   


     5月 13th, 2012  Posted 12:00 AM

間もなく「金環日食」が見られます。
正直、とても期待しています。
TVでこの日食の見方など注意点が報道されています。
大事なことです。
きっと、自分の生涯ではもう見られないでしょう。
そこで気づいたのが、「万華鏡」のことです。
これは、人間の視覚感覚をとてもうまく利用したモノです。
小学校時代には自分で工夫して作った経験があります。
これは知人からプレゼントされたモノです。
中には貴石や宝石が詰め込まれていて、
しかも一点ダイヤモンドがあるということで。
日本のダイヤモンド業界のシンジケートも教えてもらいました。
時折、万華鏡を見つけると収集したいと思ってしまいますが、
コレに勝るモノには出会っていないので、
収集というビョーキには取り憑かれていません。
日本には江戸時代に入ってきたモノと言われています。
私が気に入っているのは、
鏡の利用です。
私は、展覧会手法やインスタレーションに「鏡」を使います。
なぜなら、「鏡の背後には、冥府への階段がある」。
このレトリックに心惹かれています。
そして、万華鏡の組み合わされている鏡は、
冥府世界観をさらに錯視虚像世界に変換していることです。
このヴァーチャル的なリアル感は、
唯一、一回しか見ることができません。
体験というのは、たった一回とか、唯一であることが大事です。
翻って失敗は二度繰り返さないということにもつながりますが、
それがなかなか出来ないものです。
だからこそ、あらためて人生が万華鏡のごとしという、
このレトリックがあてはまるのでしょう。
金環日食、ますます楽しみです。

目次を見る

「マインドマップ的な発想法は全否定です」


   


     4月 20th, 2012  Posted 12:00 AM

ポスト・イット=付箋紙は便利な文具です。
だから、この文具を発想(風)の道具として重用多用。
それは大事なひとつの方法だと私も思っています。
しかし、私自身は、カードや付箋紙の類いは使いますが、
「発想」手段としては、全く認めていません。
発想法は、KJ法やマインドマップなどほとんど知り尽くしています。
こうした発想手法を知り尽くしてしまうことが大切です。
そうすれば、初めて「自分流」がやっと発見できるかもです。
先般もTVで、
「復興計画づくり」のワークショップのドキュメンタリーを観ました。
そして、やっぱりこうした発想(風)ワークショップしかも学生からは
何も創造性溢れるものは絶対皆無だとの結論を確認しました。
まず、「ことば」で考え出すことも一つの方法ですが、
必ず「ことば」の意味に縛られて想像性を抹殺しがちです。
だから、創造性に近接も近傍もできないのです。
創造性は「絵(スケッチ)」で最も生まれます。
ダ・ヴィンチを見れば明白です。
しかし、一般的には絵には得意不得意がありますから、
その場合は「図」にすればいいということです。
そうなると、
スケッチや図は、それ用の文具は決して付箋紙にはなりません。
カードでもそれなりの大きさとか質が必要です。
そして、絵・図というのは、マインドマップではなくて、
全く異なる新たな絵・図になります。
ともかく、マインドマップを作成して、
それをパワーポイントで纏めるというのは、まず、野暮(センス無し)で、
創造性に最も重要な前頭葉を使っていない能(脳)無し、
ということですから私は全否定です。
真逆に、Keynote上に図、
例えば三角形一つに「かたちにことば」を付ければいいのです。
絵と図を使う発想手段は、
「絵図」といって江戸時代からの牢獄隠語です。
「泥棒に入る絵図を描く」というのは、
犯罪ですらそのような企画を発想しているということです。
「絵図を描く」発想法を私は40年培ってきました。
「絵図発想法」という著作を考えています。

目次を見る

「キャナルシティ博多での二つのショップ、二人の経営トップ」


   


     3月 27th, 2012  Posted 12:00 AM

「マクドナルド」と「フランフラン」、二つのショップ。
キャナルシティ博多でも活況を呈しているショップであり、
「今現代」を企業存在・企業活性・企業展開、
この三つを最も体現している超優良企業です。
私自身、街中で散策するということはほとんどありません。
出張先でのショッピングも時間的にはむずかしいのですが、
キャナルシティ博多では、
なんだかワクワクしながらいくつかのお店を見て回り、
ワイフのショッピングに付き合って楽しむことができました。
特に、この二つの店舗とその経営母体については、
両方とも経営者とは知人でしたから、
ことのほか、現実の店舗を実体感できたことは面白かったのです。
マクドナルドの時代共時性ある商品開発での躍進ぶり、
またフランフランの徹底的な豊富な商品アイテムでのブランド展開ぶりは、
TVの経営番組でも必ず紹介されていますが、
自分で店に入り、実体験してみればすべからく納得してしまいます。
この二つの企業、そして経営者は、もう30年ほど前に出会っているだけに、
二人ともスゴイと絶賛評価です。 
マクドナルドのH氏とは、
Apple時代は、営業本部長で本社副社長だったと思います。
その時代にも彼の決心スピード=意思決定度や詳細な行動力には、
何度も何度も感服していました。
だから、現在、彼がリーダーであり、
すべてが成功していることには納得可能です。
彼がアップルからマクドナルド社に変わった直後に、
彼と会って話をしましたがいくつも教えられることがありました。
フランフランのT氏は、なんと同郷です。
しかも彼は福井のある家具製造企業で東京営業所長時代に、
私もこのメーカーで
デザインと企業戦略やスタッフ教育に関わっていました。
当時の彼への印象は、ハンサム無口でしたが、
肝心肝要な発言ぶりで、将来はこの企業を率いると思っていたところ、
起業し現在ではこの領域業界でもリーダーです。
フランフランを知った時、彼が社長だと聞いて驚きましたが、
「なるほど」と一辺に納得しました。
二人に共通していることは、
「デザイン」にとても精通した経営者であること、
「時代把握感覚の鋭敏さ」です。
そして、「デザイン」と「時代感覚」は現在を知り尽くしているからこそ、
「明日を創る」という能力は天分であり、
無論、努力ということがあったとすれば、
彼ら自身の意見を実行していく中では、
様々な障害が他からストレスとなっていたことだと推測します。
しかし、結局は、こうしたストレスは自分自身に突き返し、
自分を常に今日より明日のために「自分自身への修練」、
まさしく精進の成果を連続させるエネルギーだったのだと断言できます。
本当に今は、こうした人物が激減していると私は思っています。
私は、こうした人物たちとも
人生のある時期に懸命になれたことは幸運だったと思っています。

目次を見る