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Posts Tagged ‘仏教’


『四句分別にある明解な「的」は曖昧性を強化する』


   


     11月 15th, 2016  Posted 12:00 AM

「やさしい」という日本語には観自在性があります。
それは「優しい」と「易しい」であり、
この峻別が曖昧にされていた時代がありました。
これは道元的な「四句分別」が必要と行き着いたことがありました。
観自在=思考闊達な想いと思いに、ある意味ではYesかNoかについて、
日本人にはどちらか明確にという世界的な風潮がのりかかりました。
しかし、私はこれを日本の仏教、特に禅宗的な道元思想の中で、
観自在に潜む曖昧性への積極化を「的」という表現に込めたことがありました。
その当時には、思想界においてもこの論理を中村雄二郎先生に
徹底的教えていただいたという幸運がありました。
安全だけども安心はできないことと安心だけど安全だとはいえないこと。
信頼はできるけど信用はできないことと信用はできるけど信頼はできないこと。
主観的だけど客観性があること、客観的だけど主観性が入り込むこと。
私は日本の、YesだけどNoでもあることは、NoではあるがYesということ。
おそらく、日本独自の哲学だから、白か黒かと迫られても、
グレーが存在すること。
こうしたことから、「やさしい」ということにおいては、
優美という決して目立ってはならない優しさある美と、
容易だから易しいだけで美も無視されていることにおいても、
日本人にはこの思考思潮、この重要性を見つけました。
自分の生涯での思考だと、未だに迷っていると言わざるをえません。
けれども「四句分別」で乾坤の生と死を見詰めていると判断しています。

* 『ロボットという玩具?・ロボットはおもちゃか?』
* 『わが哲学の恩師・中村雄二郎先生』
* 『デジタルな火と水を傍らに置く重大さ』
* 『思考の「考」は思うことを経験が判断する』
* 『コンセプトから逃走してほしい・・・』


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『少子化は雑誌の世界をすでに破壊していた』


   


     10月 6th, 2016  Posted 12:00 AM

2300年には4700万人ともいう推定統計、
いや、日本民族は消滅しているのではとかも言われています。
所詮、もう老齢期の自分にはオリンピックがみられるかなー、
いや、日本にオリンピックはもう要らない事態かも。
待機児童問題?、「少子化」?という正直現実味はありませんでした。
「エッ、あの雑誌が?」、これはとてもショックでした。
「小学一年生」しか残らない、「小学二年生」も休刊、
もの凄く驚きました。
自分は幼稚園も、キリスト教関係から仏教系に、
理由は、大きくなって知ったのはキリスト教関連の幼稚園を退園だったとか。
小学校も二つ、中学校も二つ、高校は結局予備校も、これが生徒時代。
さて、この「小学一年生」しか残らない雑誌って、
今の子供たちの情報量と情報の質に耐えていくのでしょうか?
おそらく、TV-CMなんて、信じるワケがないでしょう。
彼らの情報は、決して紙媒体の上の情報など、どうでもいいのでしょう。
そういえば、3.11直後の子供たちの憧れの職業は?
まず、アスリートたち、サッカー、野球それもメジャリーガー、
次にアイドル、そして歌手であり、消防隊員、自衛隊員です。
残念ながらデザイナーも建築家も3.11の悲惨さを
大きな夢に変える職能はゼロでした。
「小学一年生」という雑誌もきっと休刊になったときに、
新たな「少子化」と老人社会の情報はどうなっているのでしょうか?
この大問題にデザインは先鞭をつけなければなりません。

* 『人口ピラミッド視覚化で明確な高齢社会の重石』
* 「TV番組の役割は終わっていることを再確認!」
* 「2018年=日本の大学制度は崩壊するかもしれない」
* 「今なぜ『大奥』なのだろうか、もしも、という幻想・・・」
* 「初音ミクが象徴している近未来はアンドロイドなんだ!」


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『負のサイクルを即刻停止させるデザイン』


   


     11月 21st, 2015  Posted 12:00 AM

11日、日本を発ち、12日には「森田恭通個展」オープニングに参加。
13日、教え子が英国からパリに来てくれました。
昼食を森田氏グループと教え子も一緒にすることが出来、
教え子は英国へ日帰り、その直前に森田氏個展を見て仏英間特急で帰宅。
「森田恭通氏」個展会場から200m先の劇場から、
突然女性がギャラリーに逃げ込んできてから事態は一変したのです。
シャッターを下ろして全員が息を潜めていたと聞きました。
同時テロリスト達の乱射で亡くなった方々には、
ひたすら不運への「祈り・鎮魂」がありました。
が、翌日にはこの近辺で銃撃や爆発で、鎮魂の人々が折り重なって、
一斉に逃げ出す場面が放映されていました。
そして、私にはこれが現実という、テロリスト容疑者を拳銃とマシンガンが、
警官や軍隊が取り囲んで、その余りに「怒りいっぱい」の場面を見ました。
日本でここまで暴力的とも思える容疑者確保は無理です。
8世紀に生まれた銃武器が、
21世紀にまでまだまだ人殺し武器ということには大違和感があります。
フランスは「やられたらやりかえす」という空爆を即実行。
これはまた負のサイクルに立ち戻って鎮魂=PRAY FOR PARISは
見ている側の平和希求というeye-point だけの報道です。
この報道では永久に平和は来ないこと明らかです。
しかし、現場は見られてview-pointゆえに「怒り」一杯です。
この怒りからも平和は決して来ません。
CNNもBBC(World News)も報道機関という視座からの情報に過ぎません。
現地パリには「恐怖と激怒」、これがview-pointであり、
eye-pointとview-pointという二つの視点があってこそ、
視線=眼差しがあったはずですが、CNNもBBCも完全に欠落していました。
そして、「やられたらやりかえす」このサイクルを何としても
辞める決断の武器が必要だと私は確信しました。
日本には日本刀がありましたが、
この武器記号がどうやって300年間の平和を歴史に持ち得たのでしょうか。
私は、威嚇防衛の武器デザインこそ必要必至だというメールを
トップエンジニア・トップテクノロジストに送付しました。
「これが現代の真のイノベーション」という返事がきました。
戦争の形式を根本で変えること、戦争=最悪の事態にデザインが果たすこと。
この大問題解決こそ、最重大なデザイン解答だと認識できました。
G20はほとんどがキリスト教思想です。
中国は宗教思想否定ですが、このデザイン解答は不可能です。
ならば、自己を見詰める仏教と神道にこそ、
この役割が出来るのではないでしょうか。
キリスト教とイスラム教は宗教イデオロギーの対決という負のサイクル、
これを停止決着つけるデザインがあるはずです。


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『英文の日本文化百科辞典も見つかった、その思い出』


   


     9月 9th, 2015  Posted 12:00 AM

書庫からはなんとしても見つけたかった
英文での日本のいわば百科事典も見つかりました。
これをなんとしても手に入れようと思っていたのは、
米国でApple社での仕事、
そのプレゼのために必要だと思っていたからでした。
ところが、どうしても2巻が見つからずに
探しまわりました。
それは一番なんとしても調べあげて、
徹底的に知りたかった項目がその2巻にありました。
すっかり忘れていた項目には、
ポストイットが色褪せて張り付いていました。
それは明確に、仏教、道元、曼荼羅には、
確かにその当時には「Mind Top」というネーミングであり、
3×3で9つの金剛界曼荼羅がデザイン表現意図でした。
まだ、Appleがノートタイプの開発に入ったという
そんな噂しか知りませんでした。
私の提案の骨子は曼荼羅であり、その曼荼羅の仏教と、
さらには自分のふるさと永平寺と道元を
デザインの背景だと絶対にCEOであったジョン・スカーリー氏に
話さなければと思い込んでいました。
スカーリー氏は実際にはCEOではなくて、Chief Listenerであり、
この理由を知っていた私は
Dream Designerという名刺を作成までしていました。
そして、英文での曼荼羅の大きな図鑑も持参しお土産にしました。
なんとか下手くそな英語で曼荼羅を伝えて、その図鑑を差し出したら、
彼の社長室の本棚でも際だったところに同じ曼荼羅図鑑がありました。
ノートブックPCは、デスクトップ、ラップトップ、ハンドトップから、
最終的にはマインドトップが私の狙いで、その裏側の仏教、
特に道元そして曼荼羅を懸命に話した思い出が
すぐにこの百科事典で浮かびました。
そうしたらなんのことも無くスカーリー氏は、仏教、そして曼荼羅、
いずれにも詳しかったことを後に知りました。
そして、プレゼが終わると時間が延長になり、
スカーリーが呼び出してくれた人物はアラン・ケイでした。
私が夢かと思う出会いで、
同じ内容、仏教、道元、曼荼羅の話でプレゼしました。
丁度Apple社はコードネーム「ASAHI」開発の現物を見せてもらって、
「なぜ君はキーボードが奥にあって
手前がスクロールボールになるのですか」と聞かれました。
この英文の日本文化の百科事典も、やっと書庫で10年ぶりに出会い、
そして自宅に持ち込んでいます。
これで、英語での日本文化紹介には最適な百科事典です。


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『神仏像をもっと知っておきたいと考える』


   


     2月 10th, 2014  Posted 12:00 AM

久しぶりに「新TV見仏記」をテレビで観ました。
私が宗教を知ろうと思ったのは、
ふるさと福井でこの二つが不明だったことです。
生まれた里には永平寺曹洞宗がありました。
しかし葬式では浄土真宗があり仏教に種類がある不思議さでした。
一時期、宗教という思考領域とは無関係で生きたいと思いました。
土門拳の写真で仏像や神仏混合のアイコンを見て、
その美しさに惚れ込んで以来、仏教神道に興味がありました。
仏像や観音像などのいわゆる歴史的なフィギュアに潜むこと、
これを徹底的に知りたいと思うようになったのは、
これにも私が車椅子生活を余儀なくされたことがあります。
ぞっこんこのフィギュアアイコンのかたちに惹かれたのは、
ロボットデザインでの「身体論」と「形態論」でした。
しかも今年は森政弘先生から、改めて「華厳経」を教えてもらい、
松岡正剛氏は「維摩経」で年末を過ごしたことや、
いとうせいこう氏とたまたま出会って「不気味の谷」の話や、
彼とみうらじゅん氏の「TV見仏記」が今年から大阪でも放映とか、
彼にはロボットと仏像の話を希望している次第です。
いづれにしても、宗教を表現する神仏像については、
これからさらに興味を持つものと考えています。
宗教といえば、信教、信仰、信心を自分の中で再確認の対象です。
正直、宗教における経典はきっと心の物語りなのでしょう。
私はともかく神仏像の「かたち」に徹底的に入り込みたいのです。
多分その「かたち」には具体的にはロボットの「かたち」があり、
象徴的には、心が期待し確認する何かがあるものだと想像します。
いづれにしても、仏教にはその他の宗教よりも興味があります。
そして「新TV見仏記」の次のテーマが楽しみです。
少なからず、仏教の「かたち」には何かがあるものと考えます。

【ブログの関連記事】
『華厳経に入ろうと思う・森政弘先生の講義から』
『「舞の霊性」出版とともに思い知る』
『今年早々、最高の講義を受ける・森政弘先生の仏教論』


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『「舞の霊性」出版とともに思い知る』


   


     1月 20th, 2014  Posted 12:00 AM

日本舞踊家・西川千麗女史のご逝去記念誌は、
彼女の舞のごとく、とても美しい装丁で届きました。
私も彼女への一文を記述しました。
私と彼女は「十牛図」で充分に論議し、二人で講演までしました。
彼女は癌と自然対峙のままに生涯を閉じられました。
「舞の霊性」は千麗會のみなさんによってまとめられました。
このいわば記念誌は「十牛図」をひとしお再考したものでした。
ところが、今年早々にロボット学創設者である森政弘先生から
重大な講義を拝聴しました。
そして私がこれから「華厳経」を学び直そうとしていることで、
先生自らのメールでご指導を受けました。
重要経典は全255巻を教えていただきました。その起点、
1歓喜地・悟の喜びにあふれている境地
2離垢地(りくじ)・道徳的に洗練された境地
3発光地・智慧の光が現れる
4焔慧地(えんえじ)・その智慧がさらに増大する
5難勝地・他のいかなるものにも支配されない
6現前地・一切は虚妄でそれは心のハタラキに他ならぬと知る
7遠行地(おんぎょうじ)・涅槃にも生死にも自由に出入する
8不動地・目的にとらわれず、心のハタラキが自然に湧き出す
9善慧地・仏の秘密の法蔵に入り不思議な大力を得る
10法雲地・無数の仏が大法の雨を降らしても受け止めることが可能
そして、十地全体を通して、菩薩は、自己の悟と同時に、
他を悟に向かわせるという利他行を修すべき。
以上を教えていただきました。
そして、この10項目は、まさに「十牛図」と所記能記しています。
私はあらためて仏教の奥義の繋がりを知らされました。


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『華厳経に入ろうと思う・森政弘先生の講義から』


   


     1月 12th, 2014  Posted 12:00 AM

私が仏教関係の書籍を最も読みあさったのは29歳でした。
それは車倚子生活を余儀なくされたので、
「なぜ、自分にこのような生涯が・・・」という疑問からでした。
したがって、仏教関連の書籍は相当に持っていますが、
先般、森政弘先生の講義を受けて、
すぐに先生の「仏教新論」とともに、
講義の核心であった「華厳経」はこれから徹底的に読破を決定。
届いた「華厳経」の口語全訳は上下二巻でこの厚さがあります。
少なからず教養的に知っている程度では森先生の講義本質には、
私はとても到達はできないと考えました。
「華厳経」は、様々な仏様同士の会話であり、
この経典が仏教の骨格であり、あの道元もこの引用がありました。
森先生は、坊さんが葬式で読むあの「お経」の意味に興味があり、
この「お経」から哲学的な思考とその結論を知ったという話です。
いわゆる「般若心経」の解説本のいい加減さも批判されました。
私にとって「読書する」ということは、
一人っ子で育ったこともあってか、とても好きな領域です。
私は常に思います。
「読書」が何よりも好きだったことが、
そういう家庭でそだったことがとても幸運だったと思います。
「大学人の間は持っていなさい」と恩師に言われて、
名古屋から大阪にほとんどの書籍を移しました。
もう書籍などいらないとすら思っていましたが、
結局、自宅の寝室は常に書籍だらけになってしまいました。
ともかく、整理をし直して、
これからこの「華厳経」の世界にどっぷりと入ってみます。
最近は、電子本であれば読書も簡単ですが、
この上下二巻は、本の香りがします。
これを読み終えたなら、また私の活動の何かが変わるでしょう。


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「これが最悪か!・・・宗教戦争、語るべきか」


   


     4月 21st, 2013  Posted 12:00 AM

この画像は、イスラム教建築のドームと、キリスト教建築のドームです。
私は、人類、人間界を善悪に二分しているのは、
決定的に「宗教」が成せる人間の心の分解だと思っています。
すべてを記述することは憚れますが、
私の知性と感性を性善真っ当に告白すればいいのだろうと理解しています。
しかし、憚れてしまうことをあくまでも仏教的思想、これも宗教観ですが、
現在、この世界動向を決定している元凶には、
「宗教戦争」に完全掌握されています。
明確には、キリスト教世界観が世界の経済から軍事支配までを掌握し、
その対抗馬はイスラム教だということは明白です。
まず、「ボストンマラソン爆破」は、
安易すぎるテロリズムの真似事とも思える事件で、世界を震撼させました。
キリスト教とイスラム教のこの二つの対立は、
たとえばG8を見ても、
本来は、キリスト教支配力の確認にすぎないでしょう。
だから、・・・
ここからは私は自分の講演会では述べていく所存ですが、
この小さな本来は「仏教」支配国家も、汚されています。
したがって、
仏教国家がキリスト教に対峙する力量は根本的に失っています。
地球環境も、新たなウィルスも、天災と思われることも、
ともすれば、経済圏確立も、
私はすべからく、二つの宗教、
それらの対立が戦争・テロリズムに連関しています。
ここで、私は明確さを押しとどめますが、
この小さな日本国家の美しさが失われるとするならば、
宗教観の卑劣な歪みを仕掛ける人々の謀なのかもしれません。
かつて、軽薄な新興宗教は、
本来の「命」への敬愛よりも「国家支配」に向けられました。
私が、最も嫌悪し排撃すべきは、これをまず断絶してから、
キリスト教とイスラム教、この二つの「宗教観」の吟味だと思います。
人間たかだか80年の生命の無限さを宗教に向けることは、
すでに大きな人類の「過ち」だということは明言します。
「ボストンマラソン爆破」は、その軽薄な事件ですが、
失われた善良な、それも幼気な命は奪われています。
これが、二つの宗教の対立現況であることは間違いありません。


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「モノづくり・コトづくり=デザインの源流でもう一度メモ」


   


     4月 10th, 2013  Posted 12:00 AM

最近ある雑誌のインタビュー記事を校正しました。
そこで、これはもう一度メモとして残そうと思いました。
モノ=物の歴史、
それはわが国では歴史的には神の存在として語られます。
コト=情報も同様です。
モノは「大物主の命」とコトは「事代主の命」です。
そして、このことを仏教伝来に照らし合わせると、
二人の人物が登場してきます。
最澄と空海です。
生年月日説としては766年説と遣唐使説も804年に唐に渡っています。
ところが、最澄は今で言う、国費留学生ですから、
徹底的に理論を学んで帰朝してきました。
空海は、最澄の留学を知って私費留学したと言われています。
しかも、彼は仏教を学ぶとともに、いち早く帰朝します。
ここで、両者の大きな違いが芽生えることになります。
最澄は論理=コトを学んで来ますが、
空海は論理=コトとその実務道具器具=モノを、
留学費用を使い果たし持ち帰ります。
これが、以後、
天台宗と真言宗を大きく生活観を変貌させたことになります。
つまり、仏教の実務、たとえばある儀式を行うにあたって、
空海はモノを使ってコトの重大さを庶民に伝えることが可能になりますが、
最澄にはそのモノが無いために、
あらためて空海にモノの使いかたとコト=論理の表現を、
学びなおさねばなりません。
つまり、
大物主の命はモノの管理に徹しますが、
事代主の命はコト=情報操作の頂点です。
デザインは、モノの造形だけではありません。
デザインは、モノづくりとコトづくりを「かたち」化する実務です。
そういう意味では、
まさにデザインは空海のごとくでなければならないのです。
最澄のごとく、コトづくりでは世界も日常も動きません。
世界観でのコトづくりとは「制度設計」ですが、
日常感でのモノづくりとは「形態設計」にあたりますから、
デザインの真の役割は、
「制度設計=コトづくり」+「形態設計=モノづくり」です。
つまり、あくまでもモノづくりとコトづくりは、
デザイナーが空海のごとくでなければならないということになります。


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「誤謬へのシンボライゼーションプロトタイプ」


   


     2月 9th, 2012  Posted 12:00 AM

日本のインテリア界には大誤謬があります。
日本には「倚子」の歴史が無かった。
だから、イスを「椅子」と表記します。
私は徹底的に調べ抜いたことがあります。
きっかけは、ニューヨークのメトロポリタン美術館で、
ギリシア時代のイス=石で作られていたスツールと
中国の古代倚子を見てからでした。
日本では仏教伝来とともに、「倚子」が入ってきていました。
「禅家所乗物」・「高座」・「説教台」・「独榻」(トクタツ)・
「凳子」(テンス)、
このような呼称のイスがありました。
凳子は現在も中国語に残っています。
にもかかわらず、国内家具メーカーも、
イスの輸入商社も、日本にはイスの歴史が無かったと宣伝しています。
全く間違っています。
その結果が、「倚子」=人が寄りかかるではなくて、
「椅子」=素材である木に寄りかかるという表記になってしまったのです。
私の評論著作「倉俣史朗のデザイン・夢の形見」では、
彼の作品をイスとし、イス全般を「倚子」と表記すことに拘り、
編集担当の方にもこの歴史的事実を了解してもらいました。
そして、イスのデザインにおいては商品化が相当に難しい領域ですから、
あくまでも展覧会での招待作品として、
こうした日本の歴史性とともにプロトタイプを発表してきました。
とりわけ、イスのデザイン表現では、
彫刻的なまでの象徴性=シンボライゼーション=効能性が求められます。
したがって、イスにおいてはすでに、
歴史的評価デザインでインテリアが決定されています。
リートフェルト、ミース、コルビジェ、ジオポンティなど、
作家的なイス存在が空間の質を決定します。
「一脚のイスは一つの建築空間設計より難しい」と言われる所以です。
これが私のインテリア空間への基本的な造形デザインへの姿勢と態度です。
赤いイスは機能性表現であり、
その他は効能的な存在性の造形表現です。

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