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Posts Tagged ‘カリグラフィー’


『今年のTVドラマ=学芸会ではありません』


   


     5月 21st, 2017  Posted 12:00 AM

私はTVが大好きな人間です。
だから4KTVでおそらWiFiでサラウンド環境は最高だと自負しています。
7.1chをワイヤレス環境にしてから、特に洋画・音楽視聴は満足しています。
民放TVドラマディレクターには金沢美大後輩がディレクターが各局にいます。
脚本がマンガの場合もマンガ家が後輩にいます。
おそらく、現在、今年のTVドラマは
輸出も出来ないモノが格段に増えていていると判断しています。
大手のアイドル事務所からの主役などは学芸会にすぎません。
日本のTVドラマがつまらないのは歌舞伎や宝塚出身でも、
脇役が確実であっても歌舞伎役者も宝塚出身者の演技が劣化しています。
最もプロではないので極めてアマチュア的な判断評価ですが、
たとえば、これまでNHK-Eテレで、誰も見ていないだろう舞台にしても
TVメディア表現者の能力は落ちていると思います。
折角4Kというほど液晶技術にありながら、無論、液晶TVそのもの、
これは私デザインもありますがもはや売られていないのですが、
現状のTVデザインも最悪になっています。
売られていないオーストラリアのTVデザインで凄いのが登場しています。
オーディオ環境では、
私のオーディオの恩師は「レコード演奏家」と名辞したのです。
だから「TVドラマ視聴家」存在があってもいいわけです。
ともかくTVドラマは面白くありません。
私のデザイン領域で判断出来るのは、ドラマタイトルのレタリング構成です。
つまり、タイトルロゴがドラマ内容を決定づけています。
確実にロゴタイプ・カリグラフィー表現を見比べると
正直、まともなのは2点で「上手い」というのは1点です。
どれかということを明言はしません。が、それは書籍タイトルも、
最近は出版産業が駄目になるにも関わらず残念。
4Kがやがて8K液晶技術と有機大画面も出てきますが、
ソフトであるTVドラマの劣化は、
見事にわが国の輸出産業や、マスコミメディアに衰退と比例しています。
ともかく、TVドラマのデザイン価値は
主幹産業化には無関心な表れだと言わざるをえません。
海外ドラマの親展は確実に「輸出産業」になっています。

* 『技術革新以前の問題解決=デザインがある!』
* 『対決が明白なTVドラマの効能性の評価』
* 『サラウンド形式ゆえに3.3chと呼びます』
* 『私のJBL4343はフリーになってからの私を見てきた』
* 『整理したTVオーディオ環境のスピーカーシステム』


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『万年筆のミュージックタイプとインクで筆跡品格が可能』


   


     1月 5th, 2017  Posted 12:00 AM

今年最初のモノ、随分と悩みました。
なぜなら、ここで語りたいのはどうしても趣味やコレクション。
文具やオーディオや鉄道模型などもはやコレクションもここまでなのです。
となると、もう通常最も使用していて、それも最近の時流が進化しているモノ。
こうなると、万年筆もまずその典型はモンブランとペリカン。
しかもいわゆるミュージックタイプと言われている、
本来は楽譜記述用になってしまいます。
これでカリグラフィーが可能というのは私には理解できません。
なぜならカリグラフィーならこれは絶対にペンであるべきというのが、
自分流の決定事項なのです。それはペンと身体のトレーニングに
最も自分なりの訓練が身体化しているべきだと思うからです。
この典型的で日常的な万年筆ならば、
モンブランとペリカンという選択には全く冒険心はないのです。
そこでディポンの「ベルサイユ宮殿」ともなれば、
これを差し出せば、万年筆コレクターとは深い話が出来ることになります。
そしていよいよ最近は一段と進化しているインクになります。
このインクは日本の伝統色が基本になっていて、
知る人ぞ知るインクだと断言できます。実はこれは友人からのプレゼントです。
さて毛筆タッチとカリグラフィーの関係は絶対に身体化された訓練が必要だと
私は絶対に主張しておきたいと思います。
カリグラフィーであれ、毛筆であれ、
このトレーニングをマスターしたモノは
まだ見たことがありませんが、毛筆、いわゆる書道とカリグラフィー、
この訓練こそ今は絶対に必要であり、それを成し遂げるインク、
この会話が出来ることほど、古風と言われようが、
実は筆跡の品格だと私は確信しています。

* 『黒板を集団の発想道具としての未来ボードデザインへ』
* 『毛筆も万年筆も細軸だから可能になる運筆がある』
* 『硯箱を整理しながら・・・』
* 『イコン=アイコンが明解なモンブランとペリカン』
* 『ペンホルダーある組み合わせの筆記具は自分表現』


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『黒板を集団の発想道具としての未来ボードデザインへ』


   


     9月 29th, 2016  Posted 12:00 AM

「黒板アート」本当に凄いと思います。
「黒板」というのは自分らが高校時代ごろから「グリーン色」になったようです。
福井大学で非常勤講師になったとき、新品のチョークを受け取り、
なんだか緊張(普段緊張しないが)して、非常勤なれど伝えるべき事を伝え、
学生に建築家への意欲を持ってほしいと思いました。
数人の個性が建築に向かい、若手建築家も生まれました。
ところが、ホワイトボードがすっかりビジネス場面で用いられ、
さらに大学でもとなったとき車イスでもOKな
特別仕様を造ったぐらいでした。(中央)
なんといっても、いわゆる黒板とチョークは、
カリグラフィーを書くときはとってもしっくりします。
NHKの「ようこそ先輩」では、黒板にしっかりとカリグラフィーで、
デザイナーって流石だろう(うぬぼれにすぎず)と、
名前をいわゆる英文字ゴシック体アルファベットで描いてみせました。
今ではホワイトボードで書道が可能な筆や顔料墨ボトルセットが生まれ、
審査委員会では大絶賛し「日本文具大賞」で優秀賞の表彰をしたほどです。
今、明確に「未来の黒板」が見えています。
すでにデザインモデルは出来上がっています。
絶対にこの時代になると思っています。
黒板、ホワイトボード、未来の黒板、このコンテクストは、
大きな皆で考え合う大切な集団的な発想道具だと思っています。
Back to the Futureの真の意味があるのです。
背中に未来を背負っているのです。

* 『石ころとスタイラス』
* 『黒板メーカー・馬印が実現してくれた「価値」』
* 『商品のシリーズ化』は大きさの性能が全体機能である
* 『毛筆も万年筆も細軸だから可能になる運筆がある』
* 『Macの進化と自分の進化は使い分けるべきでしょう』


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『毛筆も万年筆も細軸だから可能になる運筆がある』


   


     8月 25th, 2016  Posted 12:00 AM

今、自分が細字とそのためのペン・筆はこれだ、というのがあります。
そして、紙だけではなくてiPad Proでの「書」で、
訓練をしているのがApple Pencilです。
筆と言っても、これはいわゆる面相筆ですが、
この毛筆の長さ一杯を使えば、中文字=Mまでも可能です。
これで自分は手紙を書いています。
宛先も毛筆で書くことが可能なほどですが、直径は4.5mm程度です。
万年筆はおそらくこれより細字=EEFといってもいいほど、
0.03という文字であり、システム手帳や日記帳も可能です。
面倒なのはインク切れになると、これ用のカートリッジに
インクはシリンジでしか入れることができません。
この万年筆も毛筆も軸は5mmもありませんから、
絶対にトレーニングが必要だと思っています。
通常のペン軸は、人間工学的には14mmで、
Apple Pencilは鉛筆の太さを意識したデザインになっていますが、
毛筆での漢字やアラビア文字には不適合だと指摘することができます。
したがって、カリグラフィーを意識したペンにはなっていません。
東京美術学校を創設した岡倉天心は
横山大観などへの訓練では「運筆」が基本でした。
この運筆は美大時代に徹底的に教えられたデザインストローク。
当時のトレーニングでは丸ペン・烏口を使っていました。
美大卒業間際にロットリングが登場して0.6mmと0.3mmだけが可能でした。
今では、0.03mm〜0.01までがすでに出来上がってきています。
スティーブジョップスがデザイン優先であった基本は、
カリグラフィーの素養があったからに他なりません。
運筆はデザイナーにとってはデザインストロークですが、
これでレタリングがセリフ体とサンセリフ体は、
定規なしで描き出すことが基本でした。
アルファベットでもスクリプト体になれば、毛筆になりますが、
今はパソコンで簡単に済ませている下手くそな文字やロゴタイプばかりです。
文字間隔にカーニングはとてもいい加減だということです。
書くことと描くことのためには、細字は毛筆では垂直にもちますから、
Apple Pencilも垂直持つことで、実際的にPad上での書が書けます。

* 『硯箱を整理しながら・・・』
* 「手を頭脳化するトレーニング=デザインストローク」
* 「スタイラスペンは、まだまだ進化が必要」
* 「ビジュアルC.I.ロゴタイプの基本はレタリング技能」
* 「デザイン基礎力の一つから現代社名ロゴをみると」


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『黒板メーカー・馬印が実現してくれた「価値」』


   


     7月 17th, 2016  Posted 12:00 AM

書道というのは学校教育であり好きではありませんでした。
自分にとっては「書」であり、これは父・祖父から徹底的に訓練を受けました。
何と言っても禅寺・吉峰寺(永平寺第一道場)に、
中学・高校と夏には預けられて禅宗での書を訓練させられたことがあります。
まあ、この寺になぜ預けられたのかとか、自らが望んでということも
自分と書の関係は抜群の訓練を受けられたという幸運さがあります。
よって、文房四宝と言われるともうたまらなく大興味です。
たまたま、馬印:なんとも言えない古式な企業名に驚くとともに
日本文具大賞に応募された硯と筆と、このインクは、
ホワイトボードでの書道教具として登場してきました。
これまで、ホワイトボード上では、
絶対に不可能であった書が見事に可能です。
確かにこれは書道のある国々だけの商品ではありますが、
この素晴らしさを評価しないわけにはいかない商品性能を有し、
書道教育を確実に支援するモノ=商品になってきました。
いわゆる「とめはねはらい」をホワイトボード上で可能にしたわけです。
実際、もし自分が書体やカリグラフィーを教えるとなると、
これまでは、書はほとんど不可能でした。
特に、草書体は困難であり、楷書体や行書体よりも自分にとっての書ゆえに、
これをやるには黒板とチョークでした。
馬印とは、なんと黒板メーカーからの屋号からのブランドでした。
願わくば、これを筆頭にして「カリグラフィー」を可能にする教具に進歩を
自分自身最も期待をしています。
確かに最近では、書道アプリでパッド表現も少しだけ可能になっていますが、
あくまでもアナログ=手からの、
その筆記具そのものでのこうしたモノが望まれます。
望むこと、好むこと、
これが実質の「価値」だとこのモノは教えてくれています。

* 『硯箱を整理しながら・・・』
* 「デザイン基礎力の一つから現代社名ロゴをみると」
& 『石ころとスタイラス』
* 「曹洞宗第一道場・吉峰寺での『薪』割り」
* 「文房四宝の進化に沿わせる自分の幸運さ」


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『硯箱を整理しながら・・・』


   


     10月 21st, 2015  Posted 12:00 AM

硯箱を整理しています。
硯石も私の収集物の重大な一つですが、
そろそろ、いくつかに分けて使おうかということです。
これは自宅用ですが、硯や硯箱、文鎮や和紙刀は
江戸時代から使われてきたものであり、
手入れはどこまで出来るかですが、和紙刀は象牙製です。
和紙刀の素材で象牙は、
ワシントン条約で今は象牙素材を使用不可能です。
この硯箱はほとんど手紙用ですが、巻紙で書面をいただく人は
今では数人になってしまいました。
和紙は、雁皮、楮は越前和紙を自分用に発注出来ることは幸運なことです。
最近、和紙は三つの産地、それも 1300 年前の産地が選ばれたことには、
福井県選出の参議院議員と文科省の担当者から経緯を聞きました。
私は全く理解していません。
三つの産地に限定されたユネスコ認定は何か変です。
そういう意味では文化関連をユネスコが認定することは間違っています。
この硯はじめ文房四宝という文化が失われて逝くと同時に、
なぜ、ユネスコが遺跡や文化、さらにはデザイン都市まで認定するのかは
もはや時代遅れだと言わざるをえません。
さて、もう一度、硯箱に話をもどせば、手紙を毛筆で書面を作ること、
これはとても重大なことですから、
私は伝統工芸産地にはうるさく、特に若手を教条的に説得しています。
私はこの硯箱を手本にして、あと三つを自分使用に作り出したいのです。
一つは祖父の遺品の硯、硯石、水差しです。
また、もう今では作者もいなくなってしまった鳳足石の硯石です。
これは福井県小浜市の若狭塗りを支えた硯石であり、
鳳足石とは水戸光圀が名付けた赤系と青系の二種があります。
もう一つは、出張用というか、最も小さな硯箱がありますが、
これに最適な硯石を探しています。
書は、まさにカリグラフィーです。
つまり、文字を美しく書く行為ゆえに、この文化を日常化すること。
この大切さを護りぬくことで、硯石、硯箱、和紙刀、毛筆、水差しは
日本の文化、その根幹だと思っています。
それだけに和紙文化の中心であるユネスコの文化認定権は、
何か変だと私は思っています。
そして、文筆での書面手紙が再興してくれることを
心から願っています。


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『偉大な死は小賢しさで一時無視される、が、必ず残る』


   


     7月 20th, 2015  Posted 12:00 AM

死はこともなげに奪う、ということを現実的に知らされるものです。
揺るぎなくある人が亡くなれば、
後継者はそこそこの能力があるがゆえに、
目の上のタンコブ的存在を追い越して、
あたかも後継の権威づけを簡単に示そうとするものです。
しかし、オリジナリティの天分的な能力がねじ曲げられた瞬間に、
その死ゆえに「失われたこと」の悲しみを再確認してしまいます。
私にとってApple社の存在は
コンピューターへの夢をすっかり無くしていたときに、
Apple ?で見直し、1984年Macintosh 128Kで決定的になりました。
そして思いがけずも私はクパチーノのApple社で、
ジョンスカリーやアランケイと仕事をするチャンスがありました。
それだけに、私のパソコン生活はすべてAppleであり、
パソコンもパッドもスマホもAppleでした。
しかし、最近、大きな違和感を感じるのは、
Apple-WATCHとApple-MUSICのロゴタイプを見たときに、
ジョッブスの最期の置き土産だったiOSと同時に成し遂げられていた
あのレタリング形式がすっかり失われていることから、
WATCHもMUSICも、Apple理念が消滅していると感じてしまいました。
しかし、このことを胸にしまっていました。
ともかくあらためてこのロゴタイプを見詰め直してみても、
カリグラフィーからモノの美しさ、
特にあるべき終着点を知り尽くして決して妥協をしなかったことが
ジョッブスの死とともに抹消されていました。
このことを世界的なコンサルタントであるH氏と話をしていて、
さらに大確認をしました。
「そうですよ。ジョッブスが生きていたら絶対に許さなかったことが
安易にプログラミングされていますよ」
そのアプリケーションも教えてもらいました。
Apple社の後継者達はまだましかもしれません。
おそらく、日本では「デザイン」は未だに政治的にも装飾に過ぎず、
設計=デザインと言っていた中国がデザイン=策略からも
デザインは大きく後退しているだけに。
Apple-MUSIC、Apple-WATCH、
このロゴタイプをもっと注視すべきだと思います。


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『Macの進化と自分の進化は使い分けるべきでしょう』


   


     6月 5th, 2014  Posted 12:00 AM

iOS7はジョブス氏の置き土産だったと思っています。
私はこれが画面表示技術の進歩が裏付けであり、
それこそカリグラフィーに表れていたことを言ってきました。
MacOS Xも進化してきましたが、
この二つのOSには棲み分けはもともとありません。
iPhoneとiPad、そうしてMacbookそれぞれの使い勝手でした。が、
私の期待はiOS8で進化したかも知れませんが革新は起こらずです。
折角、米国から最新状況を届けてもらえる方々には、
この評価と判断の基盤は知りつくされているのでしょうか?
無論、マイクロソフトには無関心であればあるほど、実際は、
iOSとMacOS Xがなぜこれら二つのOSが必然であったのかは
分かっていると私は判断しています。
基本は、XcodeでのJohn the Ripperを読み解く能力を
果たしてどれほど進化させているかが私は問題だと思っています。
根本は遠隔操作とその回線、パスワードファイル管理です。
私は次世代デザイナーによって不可欠なこととして、
Mac上でのプログラミング能力養成を言い続けてきました。
しかし、プログラミング能力はデザイン能力にはなりません。
これだけは強調しておきます。
なぜなら、このことを勘違いしている輩をやたら見かけるのです。
プログラマーはデザイナーには決して成り得ません。
デザイナーがプログラマーを基盤にしたところで、そんな輩には
決して、コンピュータの中に美を創出することは不可能です。
私が主張していることは、デザイナー能力にプログラミング能力、
この教育養成が必要だということです。
したがって、iOS8と新たなMacOS Xから革新的なディバイスと、
ネットワーク、特にパスワードファイルが生まれることです。
それが果たしてApple社からかどうかはまだ未明なことでした。
まず、MacユーザーもiPadユーザーもKeynoteを使うことです。
それをiOS8が支えてくれることを私は評価しています。
なぜなら、それが遠隔操作の表示インターフェイスでは、
この想像力がこれからもMaxと自分を分別していくでしょう。

『1984年からMacintoshとの付き合いが私の重大経験』
『Programmingが整ってきたのはMacの世界になったから』


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『「iPad Air」で講演が可能になりました!』


   


     12月 20th, 2013  Posted 12:00 AM

フランスでのキーノートスピーチで、iPad AirとiPad mini、
これで講演映像をと考えましたが、ちょっと不安でした。
しかし国内でiPadで講演映像と画像、音響を使いながら、
iPad miniでコントロールをしながら講演をしました。
スタッフも不安ゆえに、MacBook Airを準備しつつも、
思い切ってやってみました。出来ました。
これは、私自身の一つの決断でした。
それは、もうノートPCでのプレゼンをやめることであり、
ノートPCから解放される時期がきたと言い聞かせるためでした。
観客の人には知らせませんでしたが、
私はiOS7でのプレゼンが確実にできるという自信になりました。
まだ、音響を自分で変えるとか、
PCなら慣れきっているというわけにはいきませんでしたが、
プレゼンスタイルを変更できることを確認できました。
結局は、会場全体までをPadでも可能にするノウハウやチップス、
こうしたことの自分のやり方を見つける発見になりました。
私自身はPowerPointから離れることをいつも言ってきました。
特に、私は音楽と映像を多重に組み合わせてますから、
絶対に特殊なプレゼンを開発してきたと思っています。
それこそ、PowerPoint白黒時代を知っているだけに、
あのジョッブス氏自身が、「カリグラフィー 」から学び取り、
今、彼が置き土産にしてしまったレタリングの詳細までを
本当に理解している人はほとんどいないとさえ思っています。
iPad Airなら、多分、iPhoneでコントロールも可能です。
そして、このプレゼンの映像・画像を本当に美しくするには、
まだまだプロジェクターやスクリーンも変える必要があります。
やがては、三次元で空中に浮かぶ映像と画像、
そして美しい音響が欲しいと思っています。
このところ毎日多忙ですが、
自宅のシアター関係をまた新たにしました。


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「デザイン基礎力の一つから現代社名ロゴをみると」


   


     8月 18th, 2013  Posted 12:00 AM

戦後のデザイン教育は私の恩師・平野拓夫先生から始まりました。
私の役割は「平野メソッド」を後世に伝えることです。
デザイン系大学で教授になっている後輩たちも、
この訓練は厳しく先生からOKが出るまで受けています。
「カーペンターペンシルで欧文書体を書き順で描く」方法です。
私は、自分の手が鈍ってきたらその一つの手法に戻ります。
欧文書体の書き順は、アルファベットの構造を熟知します。
かつて欧州で「君は書き順を知っているから信用できる」とまで、
私は言われて、社名ロゴタイプのデザインを信頼されました。
阪大では、カーペンターペンシルで書体構造を教えました。
なぜなら、ディレクターになる技法知識だと考えたからです。
そこで、現代企業の社名ロゴタイプを見ると、
余りにも醜いモノを数多く発見します。
まず、デザイナーにその基本が欠落し、
経営者の歴史性認識力や知識不足を確認するわけです。
したがって、たとえ大企業のロゴタイプを見るだけで、
この企業の存続寿命は歴然と分かってしまいます。
「この企業は必ず潰れる」と思うと、結果そうなるのです。
大学人を辞めたら、そうした企業名を書き残すつもりです。
だから、今も、「あぁ!、この企業は駄目になる・・・」。
それは欧文書体で、すっきりと理解することができます。
一般的には、ヘルベチカとかオプティマが基礎でした。
特に、おそらく全世界は、標識から看板までヘルベチカでした。
ところが最近、「置き土産だったのか!」という書体があります。
レタリングからカリグラフィー=文字を美しく表現する、
この技法で自分の美学を形成した一人の男がいました。
しかも、この美学性がデジタル表現と結びついています。
だからこそ、デザイナーは今一度、レタリング、ロゴタイプ、
これらを再検証するべきだと私は提案しておきます。
そういう意味でも、私は「戦後のデザイン専門教育」を、
しっかりと残したいと考えています。
それは、「手の訓練」と「発想」が、
美学性を獲得する職能デザイナーの根本だからです。
デザイン教育でこの根幹が失われないことを歴史に残すためです。


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