9月5日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design
9月 5th, 2021 Posted 12:00 AM
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4月 30th, 2016 Posted 12:00 AM
編集者としてのデザイン、デザイナーとしての編集、
あるいは、デザイナーという編集者には
いわゆる
写真・イラスト・グラフィック・タイポグラフィ・レイアウトという
あらゆる表現手法が、デザイン発想を支援する性能があります。
これは小誌の性能を感性刺激としてくれるもう一つのデザイン能力です。
その代表誌は、いわゆる一般的なデザイン誌ではありません。
つまり、表現者がデザイナーであるという効能性を担保している小誌です。
これは著名であるデザイナーN氏の才能が可能にしている
デザイン戦略です。
したがってN氏と自分との年齢差は丁度10年という大先輩ゆえに、
これからの10年を指示してもらうと同時に
やはりデザイナーになるためのトレーニング時代はほとんど同一でした。
とてつもない厳しさに耐えてこそ、デザイン能力が鍛えられてきました。
この同一な体験があるからこそ
この小誌が訴求している全てを受容できます。
デザイン表現がデザインの性能をしつらえ、
デザイン効果がデザインの効能を仕組んでいることを知ってこそ、
初めてデザインが常に機能性で語られる一般性を拒否出来ます。
これからの自分の10年、その大きなヒントを得ています。
編集者でありデザイナーであるからこそ仕上がっている小誌には
デザインの性能と効能があるからこそ、
デザインと機能の関係が明白です。
*『ハーバート・バイヤーを忘れた「デザイン風」の闘争』
*『ようやく出版されたDEO=デザイナーのあるべき職能観』
*『ロゴタイプ書体その基本ルールには伝統がある』
*『誤解されたデザイン=デザインは意匠とともに問題解決』
*『デザインは機能美ではありえない』
Tags: 10年, N氏, イラスト, グラフィック, タイポグラフィ, デザイナー, デザイン, デザイン効果, デザイン戦略, デザイン発想, デザイン能力, デザイン表現, デザイン誌, トレーニング, トレーニング時代, ヒント, レイアウト, 一般性, 一般的, 代表誌, 体験, 写真, 刺激, 効能, 効能性, 厳しさ, 受容, 可能, 同一, 大先輩, 小誌, 年齢差, 性能, 感性, 感性刺激, 才能, 担保, 拒否, 支援, 明白, 時代, 機能性, 編集, 編集者, 能力, 著名, 表現手法, 表現者, 訴求, 関係
Posted in ConsilienceDesign, 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務
6月 10th, 2013 Posted 12:00 AM
美術学校には入ったけれど、油絵を描く力もなく、
まして、美術といえば、セザンヌは好きだけど、ピカソはなぜ?、
という私には、「現代美術」?、美術がなぜ表現手法?でした。
その私に「ことば」で、心から美術・建築・音楽までを
最も理解させていただいた人、それは「宮川淳」でした。
もし、世界で最も最高の出版物は、彼の「遺作全集」です。
そして、この著作を読んでも分からないとするなら、
もう一度、自分の知性そのものを疑うべきだと今なら言えます。
だから、私がデザインという世界への道筋は、
彼によって形成されたと確信さえしています。
当然、私の「プラトンのオルゴール」の一人であり、一台です。
私はこの作品には、回る円錐形と赤いLEDとを使いました。
音楽・ビートルズは「MOTHER」でした。
彼は客死しました。
そのニュースを聞いたときに、私の体が沈んでいく感覚でした。
彼自身のデザインに対する一節は、
私には冷徹で空々しさしかありません。
その空々しさを打ち消そうとして生きてきた気がします。
彼の客死を評論した文章はほとんど読んだと思っています。
私は「ことば」の評論が、網膜に映る美術あるいは芸術を
これほど明快にした人物はいなかったとさえ思っています。
私が、敬愛する倉俣史朗氏を評論しようとしたとき、
そのテキストは彼の著作を何度も読み返しました。
私は、自分のデザインの評論は、
必ず彼の網膜が紡ぎ出す「ことば」だったら、
どのように評論されていただろうと思うことにしています。
それは、他のデザイナーの作品・製品・商品、
そしてそのモノが日常生活で位置することも、ことばになります。
だから、形態はまさに「言語」になりうると考えるのです。
おそらく、この抽象的な文章は理解してもらえないでしょう。
それなら、はっきりと言い切れば、
デザイン・建築・美術・音楽などに対する、
あなたの知性の再考を私は求めます。
デザイナーなら、なおのこと、
あなたにデザインの才能などあるわけがありません。
Tags: Mother, ことば, セザンヌ, テキスト, デザイン, ビートルズ, ピカソ, プラトンのオルゴール, 作品, 倉俣史朗, 円錐形, 出版物, 商品, 宮川淳, 建築, 形態, 抽象的, 日常生活, 油絵, 現代美術, 知性, 網膜, 美術, 美術学校, 芸術, 著作, 表現手法, 製品, 言語, 評論, 遺作全集, 音楽
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2月 21st, 2012 Posted 12:00 AM
Tags: アート, アートへの近傍, アート作品, インダストリアルデザイン, オマージュ, オルゴール, ことば, デザイン, プラトン, プラトンのオルゴール, モノ, もの語り, 世界, 主張作品, 原点回帰, 実像, 実装, 幸運, 恣意性, 技法, 拒絶, 昇華, 構造, 機械的, 永久収蔵, 永遠性, 消費対象, 痕跡, 立方体, 筐体造形, 経年変化, 虚像, 表現手法, 言葉的, 設計, 説明, 起点, 造形言語, 量産, 金沢, 金沢21世紀美術館, 音
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7月 21st, 2010 Posted 12:00 AM
外観化の思想
私は、デザインを「付加価値」だと考えたことはまったくありません。
理由は簡単です。
当然、デザイン職能は「外観づくり=形態化」に集約された営為です。
しかし、「外観」は単なるハリボテを纏わせているわけではありません。
特に、機器であれば、筐体・基盤・機構などを「実装」します。
そして、それぞれの「素材」を熟慮しなければなりません。
ソファやイスなど、ほとんど「構成」された形態といえども、
内部の構成部品や構造から製造工程、流通・運搬工程に、本来のデザインは関わります。
「本来のデザイン」と改めて記述しました。
「デザイン」=形態化というのは、私自身、美大では産業美術学科であり、
まさしく産業のために美術を応用しようという時代を通過しました。
しかし、それはデザインを「制度」として日本に位置づけた官僚的な判断だったと考えます。
未だに大学教員の専門が「デザイン」は「美術」に配属されています。
結局わが国の文化的醸成度が大きく欠落していたからでしょう。
確かに、大学では産業美術としてのインダストリアルデザインを学びましたが、
美術的なテクニックはあくまでも「表現手法」として訓練されただけでした。
むしろ、「デザインの本質」としては、
「社会的・Socio・デザイン」と「革新的・発明を念頭・デザイン」や
「少数派のためのデザイン(現代的に言うユニバーサルデザイン)」など、
考え方や思想面を徹底的に仕込まれました。
企業内インハウスデザイナーになってからは、
さらに「発明や革新性や社会性、文化性」をデザイン部門は常に追いかけていました。
デザイン=意匠=外観化の基盤や背景・思想であり、
単純な「商品価値を強化する付加的要素としてのデザイン」は、私の経験の中では皆無でした。この私の体験は、決定的に「付加価値否定論」者です。
物語=モノ語り
私がデザインは「全体価値」と言うことを「物語」=モノ語りに焦点化させたのは、
次のような考え方がありました。
まず、「モデル化」;
すなわちデザインモデルは「数理的モデル化」に近似しているということと、
見本ではなくて手本、つまりサンプル思考では無くてテキスト思考だということです。
そして、いづれの「モデル化」にも共通しているのは、「構造主義的な思考」です。
これは、70年代からの社会科学に数理モデルの適用や、
文化人類学からエソノメソドロジーやセマンティックスが混在化しつつ、
「学際性」により専門性の解体が始まろうとしていた時期と共時できた幸運でした。
「物語」への構造主義的な論理に私は心惹かれるとともに、
自らのデザイン背景、「論理から形態と形態から論理」のインターラクション性、
ことばとかたち:かたちとことばを意識するようになりました。
結果、「付加価値というデザインはあり得ない」ことへの自覚と自信が、
私のデザインにも表れる様になったものと自負しています。
Tags: インダストリアルデザイン, 付加価値, 制度, 加価値否定論, 基盤, 外観化, 実装, 形態化, 思想, 意匠, 文化性, 構成, 機構, 流通, 産業美術学科, 発明, 社会性, 筐体, 素材, 表現手法, 製造工程, 運搬工程, 革新性
Posted in 039「デザインは全体価値」, 資本主義から逃走せよ!
5月 1st, 2010 Posted 2:51 AM
スーザン・ソンタグ
Media Integrationの内容と形式について考えています。
いつも、デザイン表現の「内容と形式」に引き戻される感覚があります。
私に、「内容と形式」を徹底的に意識させてくれたのは、
スーザン・ソンタグだったのではないかと思います。
彼女の解釈性や隠喩性の著作から離れられなくなっているのかもしれません。
いや、呪縛されたままなのかもしれません。
歌舞伎という形式
今、歌舞伎座が最終公演を行っていました。
ちょうど、親友の撮影監督が張り付いて記録撮影をしていました。
彼から、「歌舞伎」と「オペラ」の対比した話や、
最終演題「助六」が、いかに凄かったかなどを聞かされました。
つまり、「歌舞伎という形式」は、
演じる役者でその「内容」は格段の違いを見せるわけです。
「クラッシックやオペラの定番という形式」も、
「内容」は、その主体者によって、まったく異なった感動を与えるものです。
デザイン対象としての「形式」と「内容」
私は、デザインするモノが、「形式」としてMedia、
あるいはToolになることを記してきました。
Mediaであるべきモノが、Toolとなり、
Toolというモノが、Mediaになる時代を私たちが引き込んだのか、
または、科学や技術が、
そうした時代に私たちを生かしてくれているのかということです。
本来、Mediaという形式であっても、
その内容はということになります。
Toolという形式においても、同様のことが起こっていると解釈するわけです。
私は、自分がデザインという表現手法を、
職能にできたことはとても幸運だったと思います。
そして、デザイナーとして製品開発で終わったモノ、
商品化して、それなりの評価や投資効果を、
成功ならしめたコトも幸運だったと考えます。
そこで、自分がデザインしようとするとき、
常に意識してきたことは「形式」を変貌させてしまいたい、
欲張って言えば、
「形式」の革新を起こしたいと考えて続けてきたことです。
伝統工芸では、包丁という「形式」をこれが「キッチンナイフ」とか、
液晶TVでも「形式」の変更は無理であっても、
「内容」は変えることができる、という具合でした。
求・思考停止からの解放
今、懸命になっているのは、
すべからくMedia要素という「形式」化を、
「形態」という内容変異ができないかということです。
そのために、「述語命題」については、
10余年前に中村雄二郎先生に直接師事することができました。
先生の新聞連載でイラストを担当し、その都度、教えられてきました。
岩波新書の「正念場」を読んでいただきたいと思います。
しかし、まだまだとても、自分が講義できるまでには至っていません。
それは、特にデザインでは、「コンセプト」を命題としてか、
述語としてか、さらには形式としてか、内容としてか、を
自分につきつけているからです。
そして、正直、
ここで思考停止していることを告白しておきます。
この思考停止を解放してくれる唯一の手段は、
スケッチだということには気づいているつもりです。
Tags: Media, media integration, Tool, イラスト, オペラ, キッチンナイフ, クラッシック, コンセプト, スーザン・ソンタグ, スケッチ, デザイン, デザイン対象, デザイン表現, モノ, 中村雄二郎先生, 主体者, 伝統工芸, 内容, 内容変異, 助六, 包丁, 命題, 唯一の手段, 商品化, 変貌, 定番, 岩波新書, 幸運, 形式, 形態, 思考停止, 思考停止からの解放, 意識, 成功, 技術, 投資効果, 担当, 新聞連載, 歌舞伎, 正念場, 異なった感動, 科学, 職能, 表現手法, 製品開発, 解釈性, 評価, 講義, 述語命題, 隠喩性, 革新
Posted in 025「Media Integration」, 資本主義から逃走せよ!