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Posts Tagged ‘日常’


9月29日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     9月 29th, 2023  Posted 12:00 AM

9月29日 仏滅(庚寅)

イスとテーブルがあるという日常風景は、
常套的な造形言語での本体で終わるはずだ。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』10 輪郭線での記述手法


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『4K8K、そして16Kからカメラのフォーカスを』


   


     1月 6th, 2021  Posted 7:42 PM

「デジタル×5G」の時代が到来しました。
私はもはや日常に、4K・8Kから16Kに上がると思っています。
画素数がここまで伸びたのは、ジョッブスの置き土産です。
しかも、総務省によると4K・8Kは昨年には2800万台まで普及しています。
ですが、4K・8Kは「デジタル」ゆえに、すべて二次元です。
そのため私たちのまなざしでは遠近法の表現を正確に受け取れず
「物とモノ」の距離感が感じとれないのです。
ここで、「デジタル」の意義が変わります。
私は、「Io T」は人間を深く読み込んでいないとすら、
読んでいますから、AIも、HUSATがいるのです。
16Kには、私はデザイナーとしてカメラのフォーカスを
ここまでやるかという
画面づくりを望んでいます。
これには、再度、人間工学を超えた発想が必要となります。
さて、今年の正月は、
新たな視聴環境を整えネット配信を種々選択しています。


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8月29日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 29th, 2020  Posted 12:00 AM

8月29日 大安(甲辰)

『提訴としてのデザイン』

いうなれば、
生体である肉体機能の
衰え、
廃失、
そして死と直面する日常を、
社会がどう支えていくか、
この議論をスタートさせるべき
段階が訪れたということであろう。

artificial heart:川崎和男展


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8月9日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 9th, 2020  Posted 12:00 AM

8月9日 先勝(甲申)

『位相としてのデザイン』

よって、
怠惰な日常が
構造化されてしまうことに
なるのかもしれない。

artificial heart:川崎和男展


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『西部劇の絵を描くのが大好きでした』


   


     12月 20th, 2019  Posted 12:00 AM

西部劇が大好きでした。
そこでの3人といえば、ビリー・ザ・キッドから
ドク・ホリデイ、ワイアット・アープでした。
「荒野の決闘」を久々に見ました。
こうなってくると、「OK牧場の決斗」も見なければいけません。
この3人を、子どもの頃よく絵で描いて、
クレヨンから鉛筆までで、馬、拳銃を細かく描写しました。
ウィンチェスターライフル、ピースメーカー、特に、
ドク・ホリデイには、長い銃身のピストルが大好きでしたから、
それこそピースメーカーを随分と私のアイディアで描きました。
いまでは、リボルバーを趣味にしていますが、
スプリングフィールドはどうみてもウィンチェスターには負けました。
当然、テンガロンハットも描きました。
当時は、まだブルージーンズではなかったと思います。
ゴールドの採掘を掘る前には、カウボーイの日常があり、
蹄鉄の野鍛冶がはやっていました。
西部劇がはやっていたのは、仮想敵にはインディアンであり、
今では、全く流行らいのでしょう。
でも子供の頃を思い出しますから、その世界観を見たいのです。


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10月16日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     10月 16th, 2019  Posted 12:00 AM

10月16日 友引(丙戌)

イスとテーブルがあるという日常風景は、
常套的な造形言語での本体で終わるはずだ。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』10 輪郭線での記述手法


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『日本人の常備薬としていまなお傍らにあります』


   


     8月 20th, 2017  Posted 12:00 AM

赤坂でフリーランスのデザイナーにならざるをえなかった私は、
40歳までの寿命と告げられてもレコード針メーカー・ナガオカでは
ジュエルトーンブランドをディレクションしていました。
が、企業方針と合わずにスタジオも辞め、福井に帰りました。
身体も相当に悪化していましたが、治癒も兼ねて
よく県内を車(カマロベルリネッタ)でドライブしていました。
福井のさらに田舎街で、古びた仁丹の看板の横に
私デザインの「Aurex」看板があって(そうか、こんな所まであったんだ)
とても感激して仁丹の看板を見た思い出が今もくっきりと残っています。
そして幼少の頃には、おじさんたちがそれこそみんな
仁丹を現代のフリスクのように、口に含んでいました。
これも日本人、日本民族とともに仁丹がありました。
そうすると、「正露丸」も思い出します。
そしてこの「正露丸」は商標権での問題視は知られていますが、
日清戦争時での下痢や脚気に対して、森鴎外なども企画した
日露戦争に向けて腸チフスや脚気問題解決の医学的で大変な発明でした。
が、「征露丸」だったことは忘れられていると思います。
そして腸チフスに対して、
私は福井県出身である藤野恒三郎大阪大学名誉教授を思い出します。
彼は腸ビブリオ炎の発見者でした。
そうして「征露丸」から「正露丸」は、今なお有効だと思います。
New Yorkで一度、日本人旅行者の3人女性グループが、
見ず知らずでしたが、深夜に私のホテルルームをノックしてきたのです。
友人の下痢が止まらないということで、
海外では常に私は携行していた「正露丸」を渡しました。
翌朝、そのグループに感謝されました。
それほど「正露丸」は今も日本人には大切な日常の常備薬になっています。
また仁丹はああした銀粒状の薬剤は、多種、民間療法的に生まれたのです。
仁丹、正露丸は日本民族の常備薬だと思っています。

* 『静電気、あたかもスタンガンでレコード盤から塵を取る』
* 「ヘッドホンにはヘッドホンアンプ必要なり」
* 『医薬品業界の誤った市場認識と経営方針・大錯誤』
* 「大阪大学の歴史の一つに、藤野恒三郎の存在」
* 「相当困難だと思う」


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『泡=うたかたの機能性には確約がある』


   


     6月 2nd, 2017  Posted 12:00 AM

「流れに浮かぶうたかたの・・・」という、
人生の「うたかた」を鴨長明は、
「方丈記」で無常観の最たるレトリックに使っています。
このレトリックは、人生その生涯は「泡のごとく」守られているようで
一瞬に消えていくことを表現しています。
もはや私も方丈記が身に染みていく実感の日常です。
先般、飯舘村にて、除染の現実を直視してきました。
それは「セルロース戦略」の基幹産業化を考慮した一つの現場実験でした。
私の研究室ではこの実験や飯舘村検証のために招聘教授も一人参画。
私の直感では、泡フォームでの除染剤はある新素材での可能性を確信。
私のほぼこの確信性は確約事項になりました。
ここ10年程度でしょうか?
美肌のための洗顔は泡フォームの石鹸剤です。
泡については以前、洗剤とウレタンフォームでの台所用品で、
泡をいくつか実験をしその結果を商品化もしましたが、
母体企業が乗っ取られて商品化継続は中止されました。
一つは中国での100円ショップ商品でのコピーに敗北したからです。
これには知財権の問題が絡んでいます。
結局、中国のモノづくりは、全く知財権は不要とされています。
正直、「契約」による業務やデザイン対価の契約は、
日本人の商い慣習には見合っていませんが、
いわゆるグローバル化貿易では、知財権は重要課題です。
私自身、知財権には公的にも2008年頃から取り組んできました。
それは、無体財産権である著作権と、工業意匠権が中心です。
そういう意味ではこの世界にいわゆる今流行の忖度は無関係ですが、
私自身はパブリックドメイン、地球人の対価という一つの権力です。
最近は権力と行学の関係が狂っています。
しかし、日本人の生き方としては、
「夢のまた夢なり」とこの「うたかた」だと再認識しています。
それでも美白保持が洗顔フォームのごとく、
泡フォームの性能性は大きな機能性があります。

* 「泡・バブルって、やっぱり凄いんだって思います」
* 『100円ショップの明晰さと確実に連鎖する美知らず』
* 『知財権は意匠権によってコンシリエンスデザインとなる』
* 「知財権・意匠権改変の対象となった商品開発」
* 「未構築・非構築な『知財権』と制度設計」


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『非在性の市松模様、TV背景のデザインはむずかしい』


   


     7月 28th, 2016  Posted 12:00 AM

TVでのコメント場面、その背景です。
実際は、個人的にはもっと新たな背景があるはずと思っています。
しかし、なかなか思いつかず、それでも、プロジェクター投影との
コンビネーションと三つの専門領域を集合させた背景にしました。
これは本日「記者発表の広報」で使用する会場のTV背景デザインです。
最近は大学でのマスコミ発表には、典型的な背景になっています。
TV報道の背景デザインもデザイナーとしては、最も気がかりなことです。
福井でデザインスタジオをやっていた頃は、地元放送局の背景デザインは
日常デザイン業務だったこともありました。
が、とても難しい仕事であったと今も思い出します。
いわゆる舞台背景やそのデザイン表現は、
一時的であっても重大な仕事だったと考えています。
そういう意味ではデザイン対象として完全な裏方仕事だけに難しい仕事です。
自分にとっては、壁面使用へのいくつかのアイディアがあります。
これは展示関連、いわゆるShow-up Methodへのデジタルデザイン、
その展開が考えられます。
自分には、新たな壁面素材とデジタル技術での新しい造形言語になる、
デジタルアッサンブラージュが用途拡大すると思っています。
しかし、このデザインも市松模様です。
別名は市松格子とも呼ばれています。
最近話題のオリンピック・パラリンピックのマークも
市松模様と呼ばれていますが、
このデザインの是非はここでは述べませんが、
この市松模様を立体化する発想はとても新しい発見であったと思います。
市松模様、チェッカーと呼ばれる意味が、こうしたTV背景でも、
現代のある意味づけを確実にラング化したことは間違いありません。
背景という、非在性を明確にする困難なデザイン対象だと思っています。

* 『新素材ブランドの確立をめざす・「羽二重 HUBTAE」から』
* 『TV番組の役割は終わっていることを再確認!』
* 『デジタルアッサンブラージュでの映像音場照明空間』
* 『東日本大震災のNHKジャーナリスト講演から』
* 「たとえ『市松模様でも』デザイン戦略の妙技」


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『「手・掌を清潔に」するモノとコトのデザイン実務』


   


     7月 15th, 2016  Posted 12:00 AM

「手あるいは掌」をきれいにすること。
手を洗うことは外出したら必ず、これは感染症を防止する日常的な常識です。
ここ数年で、病院はもちろんのこと公の場所や店舗などでも手の消毒剤を
どこでも目にすることができます。
しかし、病院ですら、これを常に使っているのは、
医療従事者、医師や看護師さんは当然ですが、来院者が使っている、
その現場は、自分は常に意識して見てきましたが、ゼロです。
企業の入り口にも必ず設置されていますが、これを使用している人を
全くみたことがありません。
理由は、面倒なこともありますが、何と言っても「手が濡れる」という
この印象が強いからかも知れません。
自分自身は、こうした手の消毒剤を全て使ってきましたが、
高級な消毒剤は、直ぐに乾燥してしまいますが、これではまた、
手を洗うコトと手を消毒するという日常性には大きな隔たりがあります。
自分にとっては、やはり、自動的に手をかざせば、消毒剤が掌に乗り、
それでも水でしっかりと洗い流すことが「手洗い」になります。
わが研究室は「コンシリエンスデザイン看医工学寄附講座」であり、
基本は「完全無菌と抗体保健」をデザイン対象にしています。
無菌に拘れば、身体は弱体化するというこの矛盾への難問解決が、
コンシリエンスデザイン・レジリエンスデザインを実務化する目標と目的です。
したがって、この「手洗い」の革新をこの3年狙って、
「全く新しい日常的な手・掌の清潔」を目指してきました。
この実装は7月28日に正式に記者発表をすることになりました。
これまでも多少、このブログで紹介してきた「動物実験」でのエビデンス、
これは医療関係での学術的な証左事実の確認です。
そしてこれを学術論文として発表をデザイナー自身がやります。
このデザイン実務は明白な「ビジネスデザインモデル」になるでしょう。
そして、こうしたことに次世代デザイナーが向かってほしいと願っています。

*『看医工学へのレジリエンスからコンシリエンスデザイン』
*『デザインはすでにここまでが必然となっている』
*『「パラシリエンスデザイン」でのプライミング効果予測』
*『IoMeTのためのMedical LogとConnect nome』
*『コンシリエンスデザイン看医工学の危機解決対象・MERS』


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