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Posts Tagged ‘学際的’


10月3日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     10月 3rd, 2023  Posted 12:00 AM

10月3日 友引(甲午)

形体論としての点と
形態論としての点との関係は、
これまでほとんど
学際的に論述されてこなかった。
この論述が可能なのはデザインという
フィールドにおいてである。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』11 造形元素としての点


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7月19日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 19th, 2020  Posted 12:00 AM

7月19日 先負(癸亥)

『分別としてのデザイン』

今、
このジレンマが
学際的、職能的課題である。

artificial heart:川崎和男展


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10月20日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     10月 20th, 2019  Posted 12:00 AM

10月20日 赤口(庚寅)

形体論としての点と
形態論としての点との関係は、
これまでほとんど
学際的に論述されてこなかった。
この論述が可能なのはデザインという
フィールドにおいてである。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』11 造形元素としての点


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『サイエンスの限界にある美学性をさらに造語化』


   


     2月 19th, 2016  Posted 12:00 AM

デザインはサイエンスだと公言する人は数多いと思います。
私自身もデザインをサイエンスと考えてきた一人でした。
しかし、それなら、なぜ美大=芸術の一領域で
デザインを徹底的に体で訓練されてきたのかと疑ってきました。
大学を退官して、ようやく、デザインは学際的な一領域に辿りつきました。
それは「Scientist」という職能を決めた人物、
ウィリアム・ヒューエルの存在がありました。
特にサイエンスを定義し、
なおかつその職能を決定した人物がいたことです。
「コンシリエンス」という言葉は彼の造語であり、
この言葉が復活をしてくるのは20世紀でした。
とりわけ彼がサイエンスの限界に美学性を持ち込んだことかもしれません。
私は文理融合とか学術と芸術の統合をconsilienceと断言した彼の造語から
「コンシリエンスデザイン」を再度定義づけています。
無論、彼の造語を再度学術性への芸術化を持ち込んだ人物も精査しますが、
やはり問題は科学では断言仕切れない芸術、特に美学性でした。
しかもcon-silienceとre-silienceに私は注目してきました。
とりわけ、なんでも精神的なストレスを理由にすることへの
いい加減さに辟易していた私には、
レジリエンスにもデザインが適用できると納得したからです。
コンシリエンスとレジリエンスが
対応できる新たなデザイン概念だと決定できたのです。
無論、サイエンス世界にも美はあります。
それどころかサイエンスは究極、美に繋がっています。
それはヒューエル自身もカントに大きな影響を受けたごとく、
カントは感性を極めて大事にし、
「直観の無い概念は空虚であり、概念の無い直観は盲目」とまで
断言を残してくれました。
私はあえて、デザインをサイエンスから分離させて、
むしろ学術+芸術はデザインによる、
すなわち直観による問題解決のヒント・価値創出のサイエンス性、
未来創出の芸術的表現を読み切る力はデザインにあると確信しています。
それだけに教育系や工学系では
デザインは元来つくれ無かったのかも知れません。
私は「芸術工学」での芸術と工学(サイエンス)を母体にしたからこそ、
「コンシリエンスデザイン」に辿り着いたのだと思っています。
したがって安易過ぎる「デザイン思考」などは
何の役にもたたないでしょう。
特にレジリエンスデザインはデザイン思考では解決不可能です。


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『思考無き概念解放無きデザイン手法ありえず』


   


     2月 17th, 2016  Posted 12:00 AM

「デザイン思考」は米国のデザイン会社の商品であり、
それがそのまま大学教育に持ち込まれました。
そのまま、日本は早速、大学教育とビジネス経営論という商品化を実現。
これが今ではすっかり流行になっています。
もちろん、権威づけられたかのような「デザイン思考」も
専門家からみれば、この手法での成功例はまだありません。
私は、「コンシリエンスデザイン」という実際は歴史ある言葉から
「コンシリエンス」と「レジリエンス」を捉え直して、
看医工学の基本概念に「コンシリエンスデザイン看医工学寄附講座」を
大阪大学大学院の医学系研究科に設置しました。
この設置にあたって概念整理の中では、
これまでの大きな概念がすべからく
後退していくことを追いかけてきました。
たとえば、Concept、Communication、IoT などは
やはりまだまだ20世紀を引きずってきた言葉、用語、あるいはすでに
デザインを取り囲むラングになっていると判断評価しています。
特に、Innovationなどは、元来の原意すら押し曲げられていることに
私は明確に気づくことができます。
それは「コンシリエンス」とともに意識されてきた「レジリエンス」に
全く新たなデザイン手法が当てはまりそうです。
確かに、これはまだまだパロールかもしれませんが、
新たな次世代手法の創造になっていると確信しています。
それはいつのまにか、何でもかんでも「ストレス」ゆえに、
健全性を創出する現代性病態は不況因にもつながっています。
「ストレス」に十二分に対抗出来うる強靱さは「レジリエンス」であり、
そのデザインこそ「コンシリエンスデザイン」が果たしていくこと。
これがより明快になることを「KK塾」で一般化してきました。
「コンシリエンスデザイン」はConceptでは語らずに、
これはLineで統合的かつ学際的な概念化が可能になります。
ストレスの呪縛から解放されることはWired offの情況を配置し、
まさにMagic Balletであり、No Brainerなデザイン、
つまり、「思考」=Thinkingという浅薄さではありません。
問題解決を成し、価値=望ましさと好ましさを創出し、
そして、未来を創成していくデザインの本質を手法化することこそ
「コンシリエンスデザイン」が明確に浮かび上がってくるわけです。
少なからず、Concept、Communication、Innovationからの解放こそ、
GroovyでCoolな次世代デザイン手法であり、
それは経済を超えた文化の体系創造に直結していることです。


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『音楽が終わった宣言は現代最も明確なデジタル改革論』


   


     8月 5th, 2015  Posted 12:00 AM

1980年、ジョンレノンが暗殺されました。
私は自分の青春を終えて福井に帰郷することを決めた一つの原因でした。
その時まだ大学人でもなかった私は新設された「日本記号学会」に入会。
以後大学人になってから色々と学会員になりましたが、
一旦、阪大退官時にはできる限りの学会員を辞めました。
しかし、今なお「日本記号学会」には入っています。
記号論・記号学は「意味すること」・「意味されること」を
あらゆる学問領域で扱われているおそらく最も学際的な学会です。
この学会誌が、とうとうこの結論を出してしまいました。
それはデジタル表現での大きな結論です。
「音楽が終わった」というのはセンセーショナルな問題ではなく、
それこそ、音楽という表現がデジタルで、
表現物を作品=内実的概要と、表現物の作家=外実的概要を、
「音楽」に喩えただけのことです。
それこそ、オリンピックとアスリート、スタジアム建築の問題、
さらには背景がすっかりギルド化された中での稚拙なエンブレムなど、
デザイン作品の内実性とデザイナーという外実性も同様です。
要は、21世紀に完結=終わってしまっているから、
単なる商売的なギルド感覚での資本主義体制にも決着が必要なのです。
この結論から、新たな21世紀の音楽から、スポーツと商売も、
デザインと商売、この商売感覚からの離脱決意を促しているのです。
この論理思考を記号学では「音楽」に喩えただけのことだと考えます。
要は、デジタルという文明は、
もはやこれまでの音楽・美術・芸術・スポーツ、そしてデザインも
デジタルで大変革しなければその解答はまだまだ不明だということです。
オリンピックをデザイン・建築で演出することの時代が、
まだ、商業主義的見栄の国家表現を停止すべきです。
明言すれば、もう音楽は作品も音楽家も不要なのです。
同様に商業主義に包まれたアスリートもオリンピックも不要、
さすれば、デザインもこれまでからの脱却論を開始すべきなのです。  


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「博士号学位取得論文が一段落」


   


     9月 20th, 2012  Posted 12:00 AM

昨日、いつものICD(除細動器)の定期検診を受けました。
エピソードと言われている心臓への機器異常は皆無でした。
良かった、というよりも、
今年度から博士論文指導では、
特に、Skypeで二人の学生はもとより、
研究室の学生までを罵詈雑言の限りでした。
「バカモン、何をやってる!」何度、怒鳴っていたでしょうか。
しかし、何も心臓異常は起こっていませんでした。
「パワーハラスメントでもなんでも構わん、
ヤレと言ったらやり通せ、その資料も読んでないのか」、
これをどれほど言うかというより叫んできたかわかりません。
『造形言語と形態言語によるデザイン造形の数理的解釈論の考察』。
『糖尿病を対象とした医工連携の問題解決による先端的デザインの研究』。
この二つが二人の学生それぞれのテーマでした。
デザインと言語的な解析を記号論と数理科学的な分析を試み、
もう一方では、
480万人の糖尿病患者はやがて2000万人と言われる健康問題へ、
医工連携への現実的な解決から未来的な解決のデザイン提案研究でした。
ようやく、私の研究室テーマである、
先端的かつ学際的なデザイン手法と医療系との融合を
二人の学生が専門家として、博士号学位論文にまとめました。
まだ、これからは博士前期課程の学生、その修士論文指導が始まります。
夜中であろうが、常に、
Skypeは繋ぎぱなしで私の怒号を彼らに与えてきました。
少なからず、私のデザイン活動はそろそろ幕を下ろす季節になりました。
私の社会的・教育的役割は、
これまでの知識と経験をできる限り語り尽くすことになっています。
これからこの準備原稿は
3名の副査教授のこれまた厳しい検閲が始まります。
それは主査である私自身が詰問されることです。


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『資本主義からの逃走』
      「情報のトポロジーへ・1」  


   


     9月 24th, 2010  Posted 12:00 AM

トポロジーからの造形発想
「トポロジー」という言葉は、本来の数学術語から、
レトリックとして、意味の拡張があります。
それは、現代社会・現代時代、情報化の根幹に関わっていると私は判断しています。
高校時代に出会った言葉にいまなおとらわれている次第です。
私が大学人の道に入っていっていくとき、恩師と相談した要の用語でした。
いくつかの理由がありますが、代表的には次のようなきっかけでした。
■ プリンストン大とALIAS社で開発されていた光造形システムに出会ったこと
■ 光造形で点・線・面の数学的定義が特に造形思考が大転換という直感・これは現実になりました。
■ デザインもトポロジーのように意味の拡大や拡張していくという平行例示となる。
■これこそ、社会的学識・知識・意識への学際的な社会的職能性を変革すること、これも現実化。
などなどです。以上の例示は私だけのデザイン作品にとどまっていません。
受け止められる才能や資質、特にセンスは限定されています。
大学人になることを後押ししていただいた
哲学者中村雄二郎先生に示唆されたこととが根本にあります。
それは、学際化を臨床的、つまり学際性を最も端的に表すデザインこそ、
情報とトポロジーの接合部があるかもしれない、ということでした。
具体的に見つかったのは、「人工臓器・原子力エネルギー・ロボット」であり、
現在はその統合的・根源的なコンピューターとロボティックス医療機器です。
情報とトポロジーの学際思考の具現化
そして、不思議なことは、「十牛図」に出会いました。
これが今私に、「情報とトポロジー」を結び付けようとしてくれています。
昨日、舞踊家・西川千麗さんと京都大学名誉教授・上田閑照先生と対談することができました。
対談後に、「情報とトポロジー」は、さらに私の中で強力に結びつきました。
私のトポロジー思考のデザイン化は、
海外でいわば応用というより「オーガニック空間論」とかで、模倣されています。
これはあまりに大きな誤解があるために、米仏中心に活動を開始しています。
これは情報とトポロジーが遮断されたデザイナー思考に偏向し過ぎているからでしょう。
私は、格別に「情報としてのトポロジー」と「トポロジーとしての情報」、
この四句分別は昨夜、上田先生に講演控え室で個人教授していただきました。
なぜ、「色即是空」があり、「空即是色」、
さらには「身心脱落」があり「脱落身心」があるかという、現成公案手法でした。
私は、「トポロジー」が歴史的には、
無論、数学的発想だったことが形態に連合していたことに最も興味があります。
しかし以後、社会学などにこの術語の引用や転用が起こり、意味が拡張しました。
この拡張化に心惹かれることはなく、いわば数学的な発想が形態化していたことです。
数学がコンピューター運用、つまり情報学での数学解析が再構造化されてきたコンテクストから、
私は、光造形システムで、「トポロジーのような形態」造形を試みてきました。
これは明らかに、これからの「情報」が「トポロジー」なる数学思考そのものを、
学際的に、さらに進化を形態的、形態論に新たな核心をする証左になるものと私は断言できます。
しかも、この「情報とトポロジー」は具現化されていくことが次第に明確になってきました。
象徴的には、「エネルギー思考」や「情報伝達手法」の計画がすでに手元に届いています。


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