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Posts Tagged ‘パロール’


2月21日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     2月 21st, 2021  Posted 12:00 AM

2月21日 仏滅(庚子)

『基層としてのデザイン』

愛用するという、
いわば単純で
プライベートなパロールを、
実は、
人生のそして人格の
ラングに収めモノとの
対話の日常語に
しておかなければならない。

artificial heart:川崎和男展


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『眼球は「目の差し金」でリンパ系はないのです』


   


     11月 12th, 2019  Posted 12:00 AM

メガネの専門デザイナーは、眼球について
その生理の詳細を知らな過ぎると私はずーっと思ってきました。
「メガネ」というのは「目の差し金」が、私は諸説の中でも、
これがまともなパロールではないかと思っています。
幸いにして私は眼球にも解剖学をやってきたので生理学をよく見ます。
そして、まぶたをあげれば、眼球という臓器の表面が体外に表れます。
この小さな臓器はむき出しの臓器なのです。
たとえば、血管系、筋肉系、神経系が走っていますが、
リンパ系が走っていないので、リンパを介在する癌は起こりにくいのです。
よって、筋肉系では、メガネの部品になっている「テンプル」は、
命を縮める重要な名称も引き継いでいます。
メガネのデザイン依頼を引き受けた当初、まずは1年間、
時間の猶予をもらいました。そして企業への提案として、
目で生きていくことの思いを「角膜移植の提供」の
意志表示をするというテーマをつきつけ、衝撃を与えました。
あれから、2020年にはメガネの私ブランドは35年を迎えます。
私には、メガネのデザインでは、たった一社だけが目を引いています。
次世代には私の「目の差し金」を伝えていこうと思っています。


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『「広辞苑」は生活の中でのパロールがラング化』


   


     1月 18th, 2018  Posted 12:00 AM

物心がついた頃に、自宅にあった一番厚い本・多分初版・でした。
それからは父はこの本が改訂されると必ず買ってきて生活の中にありました。
自分で買ったのは多分四版だった気がします。
私自身、いわゆる事典や辞典は大好きです。
今では、パソコンですぐに検索ができますが、
一つの言葉を追いかけていると、辞書の中で道草ができます。これが大事!
いわゆる辞典は、パロール(会話語)がラング(辞書語)になるわけです。
私がとても注目し追いかけてきた言葉には、
「プライバシー」があります。
これは時代的な会話語がラング化した典型ではないかと思っています。
改訂版毎に意味は複雑化してきました。
「誰からも観察されない状況」は、
今では複雑になっています。
「自分が勝手に発する情報や状況が、他人からの観察を阻むこと」なのです。
私は、博士学位の論文を書けるかという英語の試験時に、
受験者の半分が、英語や医学の辞典や辞書だけでなく、
「広辞苑」が持参されていたことです。
(エッ、この医学基礎知識が英語なのになぜ?)と驚愕しました。
辞書づくりの映画「舟を編む」は労作で大変感動しましたから、
今回の第七版発売は、じっくりと見ることができました。
が、せめてこの展示は「モノの素晴らしさ」を打ち消していると思います。
すでに、スマホのアプリ(とても高額ですが)、
今やアプリもこの辞書も持つべきかと思っています。
広辞苑第七版は、パロールがラングとなったことを証明しています。
広辞苑は父から日常生活の中で学んできたことです。


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01月18日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     1月 18th, 2018  Posted 12:00 AM

01月18日 先勝(庚戌)

ラング(辞書的)的知識は
常に会話的=パロール的な知識に
喧嘩を売られていて、
必ず負けるものだ。

しかし、勝ち残っている知識で
パロール的知識を叩きのめすこと
これがイノベーションという喧嘩だ。

川崎和男「喧嘩道」


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11月02日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 2nd, 2017  Posted 12:00 AM

11月02日 仏滅(癸巳)

「センスを磨く」、
このパロールは
基本的に大きな間違いである。
センス:ほぼ感性は、
磨いて、進展や進歩は
絶対にしない。

川崎和男の発想表現手法


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『思考無き概念解放無きデザイン手法ありえず』


   


     2月 17th, 2016  Posted 12:00 AM

「デザイン思考」は米国のデザイン会社の商品であり、
それがそのまま大学教育に持ち込まれました。
そのまま、日本は早速、大学教育とビジネス経営論という商品化を実現。
これが今ではすっかり流行になっています。
もちろん、権威づけられたかのような「デザイン思考」も
専門家からみれば、この手法での成功例はまだありません。
私は、「コンシリエンスデザイン」という実際は歴史ある言葉から
「コンシリエンス」と「レジリエンス」を捉え直して、
看医工学の基本概念に「コンシリエンスデザイン看医工学寄附講座」を
大阪大学大学院の医学系研究科に設置しました。
この設置にあたって概念整理の中では、
これまでの大きな概念がすべからく
後退していくことを追いかけてきました。
たとえば、Concept、Communication、IoT などは
やはりまだまだ20世紀を引きずってきた言葉、用語、あるいはすでに
デザインを取り囲むラングになっていると判断評価しています。
特に、Innovationなどは、元来の原意すら押し曲げられていることに
私は明確に気づくことができます。
それは「コンシリエンス」とともに意識されてきた「レジリエンス」に
全く新たなデザイン手法が当てはまりそうです。
確かに、これはまだまだパロールかもしれませんが、
新たな次世代手法の創造になっていると確信しています。
それはいつのまにか、何でもかんでも「ストレス」ゆえに、
健全性を創出する現代性病態は不況因にもつながっています。
「ストレス」に十二分に対抗出来うる強靱さは「レジリエンス」であり、
そのデザインこそ「コンシリエンスデザイン」が果たしていくこと。
これがより明快になることを「KK塾」で一般化してきました。
「コンシリエンスデザイン」はConceptでは語らずに、
これはLineで統合的かつ学際的な概念化が可能になります。
ストレスの呪縛から解放されることはWired offの情況を配置し、
まさにMagic Balletであり、No Brainerなデザイン、
つまり、「思考」=Thinkingという浅薄さではありません。
問題解決を成し、価値=望ましさと好ましさを創出し、
そして、未来を創成していくデザインの本質を手法化することこそ
「コンシリエンスデザイン」が明確に浮かび上がってくるわけです。
少なからず、Concept、Communication、Innovationからの解放こそ、
GroovyでCoolな次世代デザイン手法であり、
それは経済を超えた文化の体系創造に直結していることです。


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『ロラン・バルトの言説の断片は章立て連続の時代だ』


   


     9月 12th, 2015  Posted 12:00 AM

fragment=フラグメントというのは、
ラテン語の語源的には「割れたもの」であり、
英仏両語では、断片、さらには断章とも邦訳されます。
私は記号論やあるいは編集というのはことばの世界観で語られます。
だから、ロラン・バルトの「モードの体系」は、
デザイン・建築によっては必読の教科書といって紹介してきました。
そこから「零度のエクルチュール」にでも至ろうものなら、
ことばの日常、書くことと書かれることは、意図と内容やさらには、
言語と会話であり、ラング=辞書的言葉とパロール=会話的言葉に
きっちりと辿り着く思想になると考えてきました。
だから、ロラン・バルトは私が影響を受けた人物にすべきかどうか、
迷いに迷った人物でした。
それはミッシェル・フーコー、ガストン・バシュラールとほぼ同列でした。
学生に教えなかったのは、
ロラン・バルトの「恋愛のディスクール・断章」でした。
実際、恋愛は狂気だと語られてきましたが、
バルトの言説でしかも断片的な殴り書きとしては、明確に語られました。
「恋愛は狂気である。
しかし、狂気だと言い切れる私は狂ってはいない・・・・」
彼のこの断章の書籍を、文章を塊として、全ページをそのままに、
グラフィックパターン化したスカーフの存在を知りました。
この作者がなぜ、バルトを選びバルト著作書籍パターンを選んだのか。
それこそ、バルト自身は「作者とは何か」ということから
「何が作者になるのだろうか」を文章で問いただしていました。
昨夜私は、「現在の特に雑誌はつまらない」と批判しましたが、
そんなことはなくて、これでいいという多分若者もいました。
だとするなら、私はこの批判をもっと強めなければなりません。
それこそ、先般もTVドラマが映画化された作品を観ましたが、
それにも、「観るべき映画は選ぶべき」と言われました。
最も賛同できますが、
私の興味は映画作品の俳優たちだけではありません。
それは作家である原作者から監督、キャスト全般以上に、
今ではCG・SFXから音響システムなどの
膨大なモノづくり支援者や企業存在までです。
ようやく、映画館が7.1ch化してきました。
そんなことも含めると、このスカーフデザインでは、
作家の展覧会をしなければならないほどに、
ロラン・バルトが語り直されて来た現実です。
つまり現代の見事な
デザイン=設計学と編集学の再考が必要だということです。


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7月27日川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 27th, 2015  Posted 12:00 AM

7月27日 大安(甲辰)

ラング(辞書的)的知識は
常に会話的=パロール的な知識に
喧嘩を売られていて、
必ず負けるものだ。

しかし、勝ち残っている知識で
パロール的知識を叩きのめすこと
これがイノベーションという喧嘩だ。

川崎和男「喧嘩道」


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『柳宗理のオーバルとエリプス製品数理記号的な造形論理』


   


     5月 12th, 2015  Posted 12:00 AM

ラングからパロールは「創り出すこと」は出来ない。
エリプス=楕円は形態言語であるが、オーバル=楕円は造形言語。
私はこれを柳宗理のスーパー楕円論だと仮説定義化しています。
この論理からは、
「モノは無意識に生まれてくる」=アンコンシャスビューティであり、
しかもアノニマスデザインとなる実際例の一つは関越道のトンネルです。
ほとんどの人がまさか、このトンネルデザインには
土木工法を決定している造形言語があること自体が無意識です。
丹下健三の建築、亀倉雄策のポスター、
そして柳宗理のトーチホルダーは東京オリンピックを
おそらく世界で最初にデザインが引導しました。
そして今日のオリンピックデザインが日本から始まっているのです。
建築家もグラフィックデザイナーも有名ですが、
もっとその美意識の根底では、柳宗理の存在は無名の受け入れがあり、
特に、金沢美大の私たち弟子には、
なぜ、勝美勝氏がディレクションしなければいけなかったのか、
その理由が分かります。建築とグラフィックと工業デザインは
当然のこと激しい美学的な闘争・大喧嘩があり、
三人の闘いの調和は急務だったのでしょう。
私はその話を聞かされてデザインを学びました。
柳宗理には、彼の父親・柳宗悦の強烈な民藝論が立ちはだかり、
さらに祖父・柳楢悦(数学者・海図開発)へのライバル心があり、
血縁関係からのゲマインシャフト性への信頼があったのでしょう。
私はあらためて、
工業デザインは最近は私も含めデザイナーとしての明記が公知されますが、
結局、具体的にはこのトンネルのごとく、
アノニマスなモノとして、社会一般に溶け込んでいくのです。
つまり、パロールであるオーバルをデザイン意図とし、
エリプスというラングによってデザイン内容は受け取られています。
「デザインは意識活動である。
?しかし、自然に逆らった意識活動は醜くなる。?
なるたけ自然の摂理に従うという意識である。
?この意識はデザインする行為の中で、究極のところ無意識となる。
この無意識に到達したところより美が始まる。」
柳宗理が我々デザイナーに書き残していただいたメッセージです。


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『柳宗理の造形言語と形態言語としての製品数理記号論』


   


     5月 11th, 2015  Posted 1:06 AM

2015年5月9日、金沢21美術館にて、
金沢美術工芸大学同窓会と同級生からの指名=使命で、
「柳宗理生誕100年記念」講演を私なりに果たしました。
柳宗理先生の直教え子として、先生の理念・哲学、
そして作品概要を語りました。が、作品概要であり、
その詳説を書き残しておきます。
柳先生の作品、その造形にはデザイン意図=造形言語としての
楕円、私はSORI-OVALがあると名辞しています。
それはデザイン意図であることから、問題解決と発明意図が
日常的言語=パロールとしてのオーバル、SORI-OVALがあります。
一方、そのユーザーは柳宗理の形態言語としてのデザイン内容の
これをSORI-ELLIPSE=ラング=辞書的言語を受け取っているという
エリプスの製品数理記号論を論理化しています。
それは、たとえば、数理造形のアルゴリズムゆえに、
デザイン内容からデザイン意図、つまり、形態言語から造形言語、
SORI-ELLIPSEからSORI-OVALを創りだすことは不可能ということです。
つまり、端的に言ってしまえば、デザイン意図からデザイン内容、
パロールからラングは「生まれる」が、
ラングからパロールは「創り出すこと」は出来ないという、
ずばり、製品は無意識に生まれてくるモノだという論理に一致します。
まさに、黄金比的な常数が、柳宗理のスーパー楕円論があります。
工業デザイン創世期の代表である柳宗理のデザイン美学は、
この製品数理記号論があるということです。
現在、造形理論と形態議論は仮説化しておかなければなりません。
先生の「モノは無意識に生まれてくる」=アンコンシャスビューティは、
確実にこの製品数値記号論で語り伝えていくことができると
私は確信しています。


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