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『柳宗理の造形言語と形態言語としての製品数理記号論』


   


     5月 11th, 2015  Posted 1:06 AM

2015年5月9日、金沢21美術館にて、
金沢美術工芸大学同窓会と同級生からの指名=使命で、
「柳宗理生誕100年記念」講演を私なりに果たしました。
柳宗理先生の直教え子として、先生の理念・哲学、
そして作品概要を語りました。が、作品概要であり、
その詳説を書き残しておきます。
柳先生の作品、その造形にはデザイン意図=造形言語としての
楕円、私はSORI-OVALがあると名辞しています。
それはデザイン意図であることから、問題解決と発明意図が
日常的言語=パロールとしてのオーバル、SORI-OVALがあります。
一方、そのユーザーは柳宗理の形態言語としてのデザイン内容の
これをSORI-ELLIPSE=ラング=辞書的言語を受け取っているという
エリプスの製品数理記号論を論理化しています。
それは、たとえば、数理造形のアルゴリズムゆえに、
デザイン内容からデザイン意図、つまり、形態言語から造形言語、
SORI-ELLIPSEからSORI-OVALを創りだすことは不可能ということです。
つまり、端的に言ってしまえば、デザイン意図からデザイン内容、
パロールからラングは「生まれる」が、
ラングからパロールは「創り出すこと」は出来ないという、
ずばり、製品は無意識に生まれてくるモノだという論理に一致します。
まさに、黄金比的な常数が、柳宗理のスーパー楕円論があります。
工業デザイン創世期の代表である柳宗理のデザイン美学は、
この製品数理記号論があるということです。
現在、造形理論と形態議論は仮説化しておかなければなりません。
先生の「モノは無意識に生まれてくる」=アンコンシャスビューティは、
確実にこの製品数値記号論で語り伝えていくことができると
私は確信しています。


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『「造形思考」はイメージの表現=造形への音楽的理論がある』


   


     12月 2nd, 2014  Posted 12:00 AM

デザインを職能にするには、線を学ばなければなりませんでした。
デザインストロークを美大では徹底的に手で覚えさせられました。
それは手が思考するという訓練だということを教わったのです。
その意味がわかってから、デザインを教える基本の論理は、
パウル・クレーが、壮大な記述を残してくれていました。
私は、オーディオからデザイナーになることができた幸運があり、
なぜ、プラトンが形態と音階を明らかにしたのだろう?とか、
いや、バウハウスで教官だったパウル・クレーは、
さらに音楽?で造形を追い求めるとか、
その分節理論で形態を求めていたことに惹かれました。
したがって、私の美大卒業から30年で、
「プラトンのオルゴール展」が、金沢21世紀美術館に収蔵されました。
パウル・クレーの日記から学んだことが膨大にあり、そのために、
彼へのオマージュを造形化し作品にすることができました。
彼から学んだことは、デザイン=造形=見えることから、
今は、如何にデザインで造形から解放されるべきかに至っています。
それこそ、色彩・音楽・音響・造形は根底で、
そのイメージが、混沌とした闇から、見えないことを、
線描という方法論が、「造形思考」と「無限の造形」にありました。
つまり、美大がデザイナー養成をここまでで停止したことが、
今なお温存されていることに、私は次世紀デザインへの反発があり、
造形と機能に押し込められていることへの対決でした。
ちょうど、私は30代を迎えるときに「記号論」に出逢い、
私の脱構築は、デザインされたから視覚化されただけでない、
まさしく制度デザインにまで、来ることができたことでした。
プラトンは、善悪に迷ったなら、美で決定すべきと言いました。
それは、音階のあり方を見いだし、さらに、音楽の分節化を
パウル・クレーは、造形の基礎にしてくれました。
彼の線描・デッサンだけを受け継いでいる現代のデザイン系大学に、
造形思考を講義できる教員はいないのかもしれません。
だから、デザイン職能が劣化していると指摘しておきます。

「手を頭脳化するトレーニング=デザインストローク」

『プラトンのオルゴール』


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