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Posts Tagged ‘ポスター’


4月24日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     4月 24th, 2023  Posted 12:00 AM

4月24日 先勝(壬子)

デザイナー展の企画としては、
グラフィック分野が「ポスター」ならば、
プロダクトは「時計」という
常套的な形式も普遍化した時代に入ったわけだ。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』16 時の経過と瞬間


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12月29日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     12月 29th, 2022  Posted 12:00 AM

12月29日 赤口(丙辰)

デザイナー展の企画としては、
グラフィック分野が「ポスター」ならば、
プロダクトは「時計」という
常套的な形式も普遍化した時代に入ったわけだ。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』16 時の経過と瞬間


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4月14日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     4月 14th, 2020  Posted 12:00 AM

4月14日 赤口(丁亥)

デザイナー展の企画としては、
グラフィック分野が「ポスター」ならば、
プロダクトは「時計」という
常套的な形式も普遍化した時代に入ったわけだ。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』16 時の経過と瞬間


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『サイトウマコトのポスターが来た』


   


     12月 3rd, 2018  Posted 12:00 AM

先般、盟友のサイトウマコトから、
「お前の奥さんに頼まれているポスターを送る」と言われた。
サイトウマコトには、動物的で野生的な勘があります。
人の才能を直感で見分け、レベルとラベルが違うと一刀両断。
サイトウマコトと私は、名古屋の私と東京の彼と、
9.11のテロをライブ映像でみて、「とんでも無い世界が始まるな」と、
そんな会話をしたことがあります。
もう、グラフィックデザインでは、ポスターが終焉することを
彼はつかんでいたのです。
21世紀美術館における私の個展開催時、人が主役の時には行きたくないと
断ってきた乾杯の音頭を、「やっぱり、行く」と来てくれたのですが、
その場で作品もなく、館長を「画家としての個展をやりたい」と
口説き落としたのです。もはやグラフィックデザイナーから
サザビーズで評価される画家になりました。
さて、彼はワイフの気に入ったポスターを覚えていたのです、
女子への気遣いは流石です。
かなり前に銀座gggでの個展見たこの作品は、
ワルシャワビエンナーレで金賞を受賞しています。
ポスターが来て、早速京都の額縁屋に額装の手配をしたのですが、
手こずりました。
「これ商品か?」というような仕事のモノが1ヶ月かかって納品され、
再度の納品で結局2ヶ月ほどかかりました。
ポスターの取り扱いまでこのようになってしましました。
「画家としてサイトウマコト」は世界的にも一流になっていますが
源流のデザイナーとしての作品も、
圧倒的な存在感を空間に放っています。


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『富山県立美術館の企画展は近未来の日本の創出成果』


   


     12月 5th, 2017  Posted 12:10 AM

昨夜、「ピンク」と「発光繭」をカラーではなくて、
概念のことをブログアップしました。
そして久しぶりに富山市に講演で、北陸新幹線で金沢から20分で富山市。
午前中は新設の富山県立美術館に行きました。
そうしたらなんと「アートやデザインのための素材展」を観ました。
その中で、ヤッパリということで発光の繭とその絹糸素材と、
ガラスに積層されたライティングでの新素材を確認。
もちろん、この企画展だけではなくて、常設展示では、
ポスターとアーカイブされたこれこそデジタルアッサンブラージュは、
私の教え子も創立者(全員東大院卒7名)のチームラボ設営が展示、
デザインに集約した新しい美術館が出来上がっていました。
ともかく、新素材である繭とガラスは特筆しなければなりません。
繭は先日記述したばかりが取り上げてありました。
これは流石につきます。なぜなら、これなり世界にやがて貿易出来うる
まさにデザインでの新素材になることが絶対に可能だからです。
その他の素材、カーボン、くもの糸、照明でテキスタイル表現が見事に変化、
これはやがてファッションも離れ、日本の重大な輸出産業になるでしょう。
そして私が最も注目したのはガラスです。
富山市には多くのガラス作家、ガラス工芸家がいますが、
ガラスの技術進化は、器系と板ガラス系はそれほどの進化がありません。
具体的には陶器・磁器・ガラスは温度設定で全てが分離しています。
だから私が注目してきたことは、ガラスに積層されるそれこそ、
液晶であり、有機系素材でした。
何しろ、液晶は18世紀にすでに200点が発見されていますが、
なんと20世紀後半になってようやくコンピュータモニターになった程度です。
自分デザインでもすでに液晶積層の透明ガラスは製品開発途中ですが、
それだけに富山美術家がこの素材展に取り上げたのは、
懐中電灯で、照らし出せば明確な陰影事態が表現されることです。
この技術によって、おそらく光照明は革新することは明らかです。
この美術館の企画展示を終えて講演をしました。

* 『花嫁と独身者たちへのデジタルアッサンブラージュ』
* 『アートの主観性とデザインの客観性、明確な分別』
* 「美術館・博物館という空間建築アイテムは終わった」
* 「若手芸術家の紹介から学ぶ『範・感性』の確認」
* 「蚕が平面繭をひたすら吐き続けた『SILK』」
* 「蚕・繭・絹・・・観察が『技』を決める」


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『日本民族の傍らにあった飲み物』


   


     8月 19th, 2017  Posted 12:00 AM

ワインのことをもっと知りたいと思ってまず赤玉ポートワインを買ってみました。
そうして気づいたことは、
日本人いや日本民族には、歴史的に絶対的な「飲み物」として、
この赤玉ポートワインと養命酒があるということです。
当初、スペインからのワインは不評だったらしく、
それならいわゆる「滋養強壮剤」として、
この二つが日本人の傍らにずーっと在ったということです。
したがって、なんらかの思い出に残っているのではないかと思います。
私にとっては、幼少の頃は身体が弱くて、偏食は今も変わらずですが、
祖母からもよくこの二つは飲まされていたとうっすらと思い出します。
それこそ、養命酒にいたっては江戸時代からだったとか、
ヌード写真でのポスターが日本最初だったということなど、
おそらくほとんどが忘れられていくのでしょう。
最も2300年には日本民族はケルト人のごとく存在しなくなる統計結果です。
地球自体があるかどうかもわかりません。
養命酒はおそらく日本人家庭には、必ず一本はあるのかも知れません。
そうして、その効用が素晴らしかったということもなく、
どういうわけか超ロングライフ商品になっています。
今ではワインはファッション性ある飲み物になりました。
もはや滋養強壮剤ではありません。
しかし、養命酒で癌が治ったという話もありません。
ともかく、この二つの飲料が日本民族に与えてきた影響や市場性は
もっと語られることがあっても良いように思っています。
私なりには、赤玉ポートワインも養命酒も私たちの遺伝子には
入っていない気がします。
そして、品格性には、んーっと考えてしまいます。
品位などがあっては残らないのかもしれません。
しかし、こうした民族とともに存在してきた歴史性は、
それが生み出されてからの系譜はもっと語られるべきでしょう。

* 「マルチツールナイフをワインスクリューから検分」
* 「日本が貧乏になっていく、と思うのは・・・」
* 『商業主義の貧しさは経営から離脱した盗作である』
* 『ふるさと納税に私デザインのカートリッジを発見』
* 「製品が商品となって、愛用されるまで」


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07月31日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     7月 31st, 2017  Posted 12:00 AM

07月31日 友引(己未)

デザイナー展の企画としては、
グラフィック分野が「ポスター」ならば、
プロダクトは「時計」という
常套的な形式も普遍化した時代に入ったわけだ。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』16 時の経過と瞬間


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『長友啓典追悼記念展にてデザイン進化を教えられたこと』


   


     7月 30th, 2017  Posted 12:10 AM

最期に私は先達に教えていただいたと、とても感謝しています。
デザインへの不信が、盗作やイベント事故などで、一般化が困難ゆえ、
グラフィックD界とインダストリアルD界、それぞれの問題を
たった一回会ったにも関わらず長友啓典氏の追悼記念展で教えられました。
それこそ。グラフィックDでのポスターというメディアは終焉する気配、
彼の作品は美術館収蔵ではないことです。
が、私は工学院大学(工手学校)であったことを絶賛します。
おそらく、ポスターの源流が情報伝達メディアとしての
ロシアン・アバンギャルドでのロシア鉄道その列車、
車体ボディだったことはほとんど知られていませんが原点です。
そうして、その遺作展で最も輝いていた彼と相棒・黒田征太?氏と、
さらには、作家・伊集院静氏との作品。
また、おそらく旅行や気がかりな物事への自筆イラストレーションの数々。
私が金沢21世紀現代美術館での個展の時も、作品の原画を求められて、
「あぁ、そういうのは破ってます」、
もの凄く叱られましたが、
幸いスタッフが一部残してくれていたので助かりまいした。
今さらながら、実は自分デザインのグラフィックD作品集はありませんが、
まとめてC.I.デザインなどマーク、新聞挿絵(東京新聞)やスケッチを
出版しようと思い直し確認しました。
ポスターは列車から、B倍全作品などは著名なデザイナーからもらいました。
おそらく情報化メディアは、websiteでの静止画から動画になりました。
デザインは確実に情報化技術の一つとなり、デザイン自体の進化そのものを
デザインする時代に突入しています。

* 『ポケットブックになる「造形思考」が出版』
* 『毎日デザイン賞・同時受賞の佐藤晃一氏が逝去した。』
* 『存分なデザイナー能力が性能・効能・機能を編集表現』
* 『乳牛は決して美味しいミルクを絞り出すわけではない』
* 「デザインはその発祥から政治的な政策思想だった」」


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『あの街から知識が近づいてきていた』


   


     4月 10th, 2017  Posted 12:00 AM

アルビというフランスの田舎街に行ったことがあります。
トゥルーズから車で1時間半の街。
「フランスにおける日本年」1997年頃でした。
そのアルビではいくつかの人生経験をしたことがあります。
まずは、ロ-トレック美術館が古城の中にあって、
私は彼のポスターの石版に触ることも出来ました。
その州知事から表彰も受けましたが、知事公舎も古城跡であり、
古城を取り囲むデモ(無職率4%)があり、
その古城からの地下道を通るとロートレック美術館前の市場に出ました。
そして出来たばかりの鉱山学系の大学院を訪ねました。
フランスでは鉱山学が日本の工学部と同様の入学困難さがありました。
この街で私は倒れて入院を余儀なくされ、フランスの病院での入院日々を
およそ2週間経験までしたことがあります。
そしてなんとなくフランスでの鉱山学が理科系学術の中心だと知ったのです。
これが次第に私が欧州では、鉱山学が学術の中心であって、
「コンシリエンス」という造語に近づくことになりました。
William Whewellを明確に知り、
しかも彼が次の金言を残していたことも知ったのです。
それは、
「失敗を重ねるコトは成功するための積み重ね」であると。
私がフランス・アルビの街で、もっと彼のコトを知っていれば、
あの出来たばかりの大学をもっと隅々まで見ていたでしょう。
アルビはもう一度行って見たい街です。

* 『無駄な投機だった医工学の廃止が証明できている』
* 「仏・アルビの街のデモ騒動を思い出す」
* 『デザイン都市・Saint-Etienne市での基調講演準備』
* 「このポスターに見たデザイン界の「差別」」
* 『血圧・心拍数・脈圧の関係の見詰め直し』


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『柳宗理のオーバルとエリプス製品数理記号的な造形論理』


   


     5月 12th, 2015  Posted 12:00 AM

ラングからパロールは「創り出すこと」は出来ない。
エリプス=楕円は形態言語であるが、オーバル=楕円は造形言語。
私はこれを柳宗理のスーパー楕円論だと仮説定義化しています。
この論理からは、
「モノは無意識に生まれてくる」=アンコンシャスビューティであり、
しかもアノニマスデザインとなる実際例の一つは関越道のトンネルです。
ほとんどの人がまさか、このトンネルデザインには
土木工法を決定している造形言語があること自体が無意識です。
丹下健三の建築、亀倉雄策のポスター、
そして柳宗理のトーチホルダーは東京オリンピックを
おそらく世界で最初にデザインが引導しました。
そして今日のオリンピックデザインが日本から始まっているのです。
建築家もグラフィックデザイナーも有名ですが、
もっとその美意識の根底では、柳宗理の存在は無名の受け入れがあり、
特に、金沢美大の私たち弟子には、
なぜ、勝美勝氏がディレクションしなければいけなかったのか、
その理由が分かります。建築とグラフィックと工業デザインは
当然のこと激しい美学的な闘争・大喧嘩があり、
三人の闘いの調和は急務だったのでしょう。
私はその話を聞かされてデザインを学びました。
柳宗理には、彼の父親・柳宗悦の強烈な民藝論が立ちはだかり、
さらに祖父・柳楢悦(数学者・海図開発)へのライバル心があり、
血縁関係からのゲマインシャフト性への信頼があったのでしょう。
私はあらためて、
工業デザインは最近は私も含めデザイナーとしての明記が公知されますが、
結局、具体的にはこのトンネルのごとく、
アノニマスなモノとして、社会一般に溶け込んでいくのです。
つまり、パロールであるオーバルをデザイン意図とし、
エリプスというラングによってデザイン内容は受け取られています。
「デザインは意識活動である。
?しかし、自然に逆らった意識活動は醜くなる。?
なるたけ自然の摂理に従うという意識である。
?この意識はデザインする行為の中で、究極のところ無意識となる。
この無意識に到達したところより美が始まる。」
柳宗理が我々デザイナーに書き残していただいたメッセージです。


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