12月 4th, 2017 Posted 12:00 AM
今年、日本の特に女性・女の子にブームを与えたカラーは「ピンク」でした。
ピンク色ではありません。
色という概念ではなくて、観念としてのピンクにこそ、
実際はもう一つ別の全く思い込んでもいない「かわいい」という感覚的な、
まだたどり着いたばかりの美意識のその入り口に佇んでいると私は思います。
最も自分デザインは、女性受けがほとんどありません。
かつて大手の化粧品メーカーでの講演会ゆえに、女性が多いと考えて、
講演内容もやや女性向けを準備したところ半数どころか、7割が男性でした。
私の講演会は、長渕剛的な男性臭があると言われます。
しかし、多分、化粧品や香水などについては、プロとしての綺麗さから、
その美学的な観念評価が、おそらくワイフよりもはるかに得意です。
だから、このピンク観念が2017年のかわいい・きれい・好ましさと、
さらには望ましさという価値感を見事に日本の美的観念どころか、
先進国家での突き詰めれば、生活からの非日常性をも包み込んだのだと、
私はそうした観念が応答的なデザインとデコレーションになっています。
そうして、来年はピンクが発光的なグリーンになっていくものと思います。
しかもそれは私自身が予期していた、素晴らしい技術成果です。
遺伝子勾配による「繭」が、最初から蛍光色であり、
その繭からそのまま蚕さんが蛍光色のグリーンやイエロウを紬出せるのです。
来年の流行色、私はそうしたカラーを市場的に自分デザインには、
ほとんど意識したことはありませんが、この人工勾配技術による繭は、
3年前に大学の科学研究費配分では申し出を強力にしただけに当然です。
今では、これまで存在していた繊維工学が、たった一つしかありません。
国公立私立大学の組織は、もっと時代を読み込むべきです。
この繭が過去の自然勾配から、人工勾配、さらに遺伝子操作こそ、
もう一度再考すべき重大な研究対象として、
デザインだから、提案ができるのです。
「ピンク」という時代観念は、明らかに今度は、
「発光グリーン」観念へと変貌していくものと私は感じています。
なぜなら、ピンク観念からの美意識へ発光グリーンが現実化すると、
私は確信しています、
* 『デザインでの形態論・空間論は知見の極めつけである』
* 雑誌付録の誤った感覚が拡大しているのだろう』
* 『歴史的な条項言説を正しく使用しなければならない』
* 「芸術という技法が引用したことから」
* 「『SILK』Projectが示唆している重大さ」
Tags: カラー, かわいい, きれい, グリーン, デコレーション, ピンク, ピンク色, プロ, 予期, 価値感, 先進国家, 入り口, 化粧品, 化粧品メーカー, 国公立私立大学, 女の子, 女性, 女性受け, 女性向け, 好ましさ, 工勾配, 市場的, 強力, 得意, 時代観念, 望ましさ, 流行色, 男性臭, 発光, 科学研究費, 組織, 綺麗, 繊維工学, 繭, 美学的, 美意識, 美的観念, 蛍光, 観念評価, 講演会, 遺伝子勾配, 遺伝子操作, 配分, 長渕剛, 非日常性, 香水
Posted in ConsilienceDesign, 企望を「までい」具現へ, 祈望から企望へ
目次を見る
1月 30th, 2017 Posted 12:00 AM
本来ならケータイは日本の産業の核心であったはずです。
もはや公に出来る始末になってしまいましたから、
私の体験を伝えておきたいと思います。
ある企業でコンサルタントとして、製品分類をしました。
この一群は「商品化OK」です。しかしこれらは全て駄目と伝えたら、
商品化OKは海外のみで、国内は電話業者のキャリア達条件が厳しく
このデザインですと回答を受けました。
このとき、ケータイの国内市場は滅亡し始めていました。
教え子も、修士卒業は全てケータイグループに配属。
彼らからすでに国内の閉鎖した市場ではケータイデザイン困難と聞きました。
私自身、大手電話企業とまず、操作基準をキャリア達に提案、
その後、丁度、FOMA開発でのエージェントインターフェイス提案を
その企業トップへのプレゼで、彼らに呆れかえってこの企業滅亡と、
プレゼを切り上げて日本は敗北すると言い放ちました。
その後、最後のプレゼはiPhone対抗をある企業に提案しましたが、
結局、メーカーは電話企業のキャリア達の条件に敗北しました。
それは明確に企業ブランドマークの改変とその停止とともに、
日本からのケータイはガラケーと呼ばれ、
スマホ仕様はApple追随になって負けました。
このケータイからスマホでの新たなデザイン提案が否定された時こそ、
典型的に日本の産業基盤を失ってきた代表例だと思います。
今年念頭に日本の経済界は企業合併を推奨したという報道を聞いたとき、
私は日本の基盤産業である、家電・情報・精密などのメーカー企業が
とうとう終焉し始めてきたと認識しなければならなくなりました。
経済界にリーダー=伯楽が全くいなくなったのです。
日本の企業名が、銀行はじめやたらメーカー名を長々とし始めたとき、
日本の基幹産業、その基盤は崩壊してしまったのです。
日本の企業ブランド、あるいはブランディングという言葉は残っても、
日本の「企業らしさ」は義と善と美に成立していたはずです。
とりわけ美はデザインそのものであったはずです。
そのデザイン評価に「かわいい商品」というモノづくり姿勢こそ、
日本の産業基盤から義を売り渡し善という企業倫理も失ってしまったのです。
「かわいいデザイン」などあるわけが無いのです。
義も善も「きれい」である形容動詞の世界観が基本です。
義も善も失った美=デザインを取り戻さなければなりません。
私自身のデザインには「かわいさ」など求めるつもりは全くありません。
* 『藝と醫を略字化したことは本質を見間違える!』
* 「 何がMedia Integrationとなるのか・2」
* 『柳宗理作品の軽薄で見識不足な批評は叱られる!』
* 「独裁されてきたケータイからの解放」
* 『スマホのアイコンはインフラ的な高品位性が不可欠である』
Tags: apple, FORMA, iPhone, エージェントインターフェイス, ガラケー, かわいい商品, かわいさ, キャリア, きれい, ケータイ, ケータイデザイン, コンサルタント, ブランディング, ブランド, モノづくり, リーダー, 企業トップ, 企業ブランドマーク, 企業らしさ, 企業倫理, 伯楽, 商品化, 善, 回答, 国内市場, 家電, 情報, 核心, 業合併, 海外, 滅亡, 産業基盤, 精密, 経済界, 美, 義, 製品分類, 追随, 電話業者
Posted in ConsilienceDesign, 企望を「までい」具現へ, 未分類, 祈望から企望へ
目次を見る
7月 15th, 2016 Posted 12:00 AM
「手あるいは掌」をきれいにすること。
手を洗うことは外出したら必ず、これは感染症を防止する日常的な常識です。
ここ数年で、病院はもちろんのこと公の場所や店舗などでも手の消毒剤を
どこでも目にすることができます。
しかし、病院ですら、これを常に使っているのは、
医療従事者、医師や看護師さんは当然ですが、来院者が使っている、
その現場は、自分は常に意識して見てきましたが、ゼロです。
企業の入り口にも必ず設置されていますが、これを使用している人を
全くみたことがありません。
理由は、面倒なこともありますが、何と言っても「手が濡れる」という
この印象が強いからかも知れません。
自分自身は、こうした手の消毒剤を全て使ってきましたが、
高級な消毒剤は、直ぐに乾燥してしまいますが、これではまた、
手を洗うコトと手を消毒するという日常性には大きな隔たりがあります。
自分にとっては、やはり、自動的に手をかざせば、消毒剤が掌に乗り、
それでも水でしっかりと洗い流すことが「手洗い」になります。
わが研究室は「コンシリエンスデザイン看医工学寄附講座」であり、
基本は「完全無菌と抗体保健」をデザイン対象にしています。
無菌に拘れば、身体は弱体化するというこの矛盾への難問解決が、
コンシリエンスデザイン・レジリエンスデザインを実務化する目標と目的です。
したがって、この「手洗い」の革新をこの3年狙って、
「全く新しい日常的な手・掌の清潔」を目指してきました。
この実装は7月28日に正式に記者発表をすることになりました。
これまでも多少、このブログで紹介してきた「動物実験」でのエビデンス、
これは医療関係での学術的な証左事実の確認です。
そしてこれを学術論文として発表をデザイナー自身がやります。
このデザイン実務は明白な「ビジネスデザインモデル」になるでしょう。
そして、こうしたことに次世代デザイナーが向かってほしいと願っています。
*『看医工学へのレジリエンスからコンシリエンスデザイン』
*『デザインはすでにここまでが必然となっている』
*『「パラシリエンスデザイン」でのプライミング効果予測』
*『IoMeTのためのMedical LogとConnect nome』
*『コンシリエンスデザイン看医工学の危機解決対象・MERS』
Tags: 7月28日, エビデンス, きれい, コンシリエンスデザイン, コンシリエンスデザイン看医工学寄附講座, ゼロ, デザイナー自身, デザイン実務, デザイン対象, ビジネスデザインモデル, ブログ, レジリエンスデザイン, 事実, 使用, 入り口, 公, 動物実験, 医師, 医療従事者, 医療関係, 印象, 場所, 外出, 学術, 学術論文, 完全無菌, 実務, 実装, 常識, 店舗, 意識, 感染症, 手, 手が濡れる, 手を洗う, 手を消毒, 抗体保健, 掌, 日常, 来院, 来院者, 次世代デザイナー, 正式, 洗う, 消毒, 消毒剤, 清潔, 理由, 病院, 発表, 目標, 目的, 看護師, 研究室, 確認, 紹介, 自動的, 記者発表, 設置, 証左, 防止, 隔たり, 面倒, 革新, 高級
Posted in ConsilienceDesign, 企望を「までい」具現へ, 祈望から企望へ
目次を見る
6月 17th, 2015 Posted 12:00 AM
藝と醫、この二つの漢字が芸と医という略字になってから、
工藝をさらに読み解いた民藝と醫学は変質しました。
私は工芸と医学それぞれに本質を軽んじる傾向があると思ってきました。
醫には明らかに薬の瓶が含まれ、
藝には草冠と執行するという深度がありました。
したがって、私は芸と医の両方の世界にあって、
藝と醫であった本質論を必ず、
職能観と工芸と医学が喪失したことに言及することを護り抜くこと、
こうしたことには命がけの姿勢が必要だと考えてきました。
運良く、私は柳宗理から薫陶を受け、柳宗玄から西洋美術史、
特に、「美・義・善」を徹底的に叩きこまれました。
正直今頃になってあの時もっとあれを聞いておけばと思い出しています。
そして、先般私は「柳宗理生誕100年記念」の講演という大役を、
先輩と同輩から命ぜられて、
私なりに、先生との思い出は学生時代だけではなく、
東芝新人時代を語りました。
さらに車椅子になって非常勤で母校・金沢美大時代との思い出から、
もう一度、先生の作品から学んできたことを整理できました。
また、何よりも、先生のご子息氏とすっかり意気投合して、
学生運動の頃の金沢美大での先生のことから、
私が相当先生には鬱陶しい存在の学生であったかを話し合いました。
彼から、本当に懐かしき現代の「民藝」という雑誌をいただきました。
そして、私は大きな危機感を持ってしまいました。
現代、民藝を語るにあたってこのような評論や言説が行われていては、
あの「民藝論」の本質は確実に抹消されてしまいます。
それこそ、
NHK番組で「見立て」の軽薄過ぎる低能力性と余りにも同一だと
私は指摘しておきます。
柳宗悦の「民藝論」を
確実に読み取った評論言説が無残に排除されています。
私はまず、デザイナーとして、
また柳宗理の直系の弟子として見逃すことはできません。
私は勿論、柳宗悦の「民藝」全てを理解しているわけではありませんが、
柳宗悦を父としてモダンデザインの先駆者だった柳先生が
きっと当時は押しつぶされまいとされたデザイン姿勢を思い出します。
少なからず、民藝を愛くるしいと言い切ること(その軽さ)も、
私には許しがたき言説です。軽薄であっても重力感が必要です。
まして「かわいい民藝」などは、「民藝」ではありえないのです。
世界中馬鹿騒ぎで「kawaiiが売れる」ならそうすればいいでしょう。
kawaiiという軽やかさも現代は必要かも知れません。
でも柳宗理先生はカンカンに怒っているでしょう。
しかし、その国際性には重力感は残存させるべきことです。
もっと知るべきは「かわいい」と「美しい」という形容詞には、
「きれい」という形容動詞が介在しているのです。
柳宗悦が形容詞の扱いにどれほど慎重であり、
それだけに、柳宗玄先生は「美と義と善」を語り、
柳宗理先生がどこまで徹底して、民藝とデザインを対決させ、
学生だった私には「用と美」へ、私は引き受けた5つの言葉があります。
自分のデザインを決定されていたかを私は語り次ぎます。
それは、現代の「民藝」は、「民芸」=土産物ではなくて、
日本美学の先陣で、デザインから語らなければならないからです。
5つの言葉で、デザインが用と美を民藝に差し向けた詳説を
私は講義していくつもりです。
Tags: 5つの言, かわいい民藝, きれい, 医, 土産物, 存在、キャラクターデザイン、かわいい女、美しい女、きれい、形容動詞、形容詞、うつくしい、かわいい=kawaii、スター、ヒーロー、レジャーラン、テーマパーク、ディズニー、かわいさ、シンボル、キャラクター、「ゆるキャラ」、, 工藝, 形容動詞, 形容詞, 慎重, 本質、民藝、醫学, 柳宗悦, 柳宗玄, 柳宗理, 柳宗理生誕100年記念, 民芸, 民藝論, 用と美, 略字, 美・義・善, 芸, 藝, 西洋美術史, 見立て, 詳説, 醫
Posted in ConsilienceDesign, 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務
目次を見る
6月 9th, 2011 Posted 2:46 PM
6月9日 赤口(乙未)
私には、
「可愛さ」「きれい」「美しい」という
流れ、文脈でなんとかモノの美しさ、
デザインによって生み出される美しさを
語りきりたいという、強い思いがある。
『デザインという先手』十分なる「先手」
目次を見る
5月 4th, 2010 Posted 12:01 AM
形容
「容」。
かたち、としたのは立原正秋でした。
彼の文体は、まさに形体でした。
形体とは、立方体や四角錐といった規定ある形態です。
したがって、文体は、作者の規定という思念定義があるのです。
立原作品には、女性・庭・能・作庭・樹木・陶磁器・刀剣などへの造詣、
彼のの著作深度は、学者以上であったと思っています。
私が、樹木や作庭については、幼心に祖父の一言一言があり、
陶磁器・刀剣は、父に連れられていった道具商の市でした。
しかし、当時私はそうしたモノは傍観していただけです。
「きれいだな」と思う程度でした。
それから、美大を出てようやく気づきました。
伝統工芸の産地と先祖の書き残してあった図面で、
私は、これらのモノと日本人について考えることになったのです。
それは年齢とともに、蓄積されてきた知識や感受性に深みが
やっと出てくれたのだと思いたいわけです。
綺麗
そして、ひとまず、日本的そうしたモノが「きれいだ」と思うこと。
この「きれい」という言葉と「美しい」との距離感に私が放置されたのです。
それは絶対に一直線上にあるものではないということです。
なぜならば、
● きれい・・・形容動詞
● 美しい・・・・形容詞
すでに、言葉の領域、その次元がいわば異次元だということです。
しかし、たとえば女性たちが望む「きれいになりたい」欲望は、
「きれい」になることから「うつくしい」、
あるいは「かわいい」次元に
ワープ=超光速航法を切望するということです。
はかない夢想だと、私は思います。無論大切なことですが。
トランスレート
むしろ、「綺麗」から「美」へトランスレートすることが論理性があります。
なぜなら、綺麗という形容動詞はネットワーク層があるのです。
ところが、その層からトランスレートすれば、
「綺麗になる・綺麗にする」動作の蓄積が
「美」という層へ運びこんでくれるでしょう。
「形容動詞が形容詞になる=綺麗が美になる」述語解です。
私のこのまなざしでは、決して、日本の伝統ですら、
「綺麗」なモノやコトで終わっているのは、
「美しい」とは言い切れません。
Media Integrationへは、形容動詞から形容詞として、
「形容」の世界観を、私はめざしたいと考えています。
Tags: 「形容」の世界観, KazuoKawasaki, media integration, かたち, かわいい, きれい, トランスレート, ネットワーク層, まなざし, モノ, ワープ, 伝統工芸, 作庭, 先祖, 刀剣, 切望, 動作の蓄積, 四角錐, 図面, 夢想, 女性, 容, 川崎和男, 年齢, 庭, 形体, 形容動詞, 形容詞, 形態, 思念定義, 感受性, 文体, 日本人, 樹木, 次元, 欲望, 深度, 異次元, 知識, 祖父, 立原正秋, 立方体, 綺麗, 美しい, 能, 規定, 言葉の領域, 論理性, 資本主義からの逃走, 超光速航法, 述語解, 造詣, 道具商, 陶磁器
Posted in 025「Media Integration」, 資本主義から逃走せよ!
目次を見る
3月 13th, 2010 Posted 1:20 AM
最適解
一般解と特殊解がデザイン応答・回答・解答にはあります。
デザイン解というのは、一般解であれ特殊解であれ、
「最適解」を求めなければ、それはデザイン解ではありません。
私もすでに40年もデザインと向き合ってきて、
常に、それこそ1日たりとも「デザイン」が体中にあります。
血液にデザインが入っているという感覚に襲われます。
準
水面に風が吹けば、波立ちます。
その波立ちが大きく揺れているのがまったく穏やかになる、
それを「準」と言うそうです。
基準・水準・標準
基準・水準・標準がその準の状態を定義しています。
そこで、私は「準解」という言葉を自作して、
「最適解」はこの「準解」、
三つのどれなのかと再考することにしています。
「最適解」は、基準解・水準界・標準解になっているだろうか、
自分に突きつけるのです。
● 基準解というのは、もうこれで基準=basisは成果だろうか。
● 水準解は、たとえ特殊解でもaverage /levelは保っているだろうか。
● 標準界は、とりわけ一般解では、これがstandardだろうか。
特殊解なら、必ず標準解として一般解へと展開してくれるだろうか。
こうしたことを考えぬいています。
ところが、最近の日本のデザインには「最適解」がありません。
デザイン解が「かわいい」とか「きれい」とかだけに、
寄りかかっていたり、単なるパロディやギャグは、
ガジェットだからそれでいい、なんていうことが目立っています。
これを「デザインの多様性」だということは大間違いです。
だから、日本のデザイン、その質が低下してきたのです。
経験を積んできたデザイナーとして、
警告をしておかなければなりません。
デザインの本質=最適解
デザインの本質=問題解決の解答=最適解は、
本当に「難問中の難問」を解いていく作業であり、手続きです。
頭脳、頭の中に汗をいっぱいかくほどの作業です。
だから、川崎和男のデザインは好きになれないとも言われます。
それは、形態の好き嫌いはあるでしょう。
好き・嫌いでの判断は第一段階であり、
自分の価値観に、最適解を判断力を欠如している疾病があるのです。
多分、数理的判断が大欠落していると最近は診断しています。
最適解には、「清潔」・「簡素」・「簡潔」・「明快」・「快適」が
ふさわしいと思っています。
かわいくても不潔であり、
きれいでも不明感があり、
かっこよくても、「不快感」があるデザインが増えています。
Tags: 40年, average, basis, level, satandard, ガゼット, かわいい, ギャグ, きれい, デザイン応答, デザイン解, パロディ, 不快感, 不潔, 体中, 作業, 価値観, 判断力, 回答, 基準, 多様性, 大欠落, 大間違い, 好き嫌い, 川崎和男, 形態, 快適, 成果, 手続き, 日本, 明快, 最適解, 標準, 水準, 清潔, 準, 特殊解, 疾病, 第一段階, 簡潔, 簡素, 自分, 解答, 診断, 警告, 資本主義からの逃走, 質, 難問, 難問中, 頭, 頭脳
Posted in 016「デザインと答」, 資本主義から逃走せよ!
目次を見る