1月 15th, 2010 Posted 10:00 AM
iMac to iTunes
i-Atomとはimaginary Emptinessであり、
websiteに連鎖しているのかもしれません。
e・i・πは、デジタルなバーチャルの象徴です。
バーチャル=Virtualとは、仮想世界観です。
Virtualは「人間のイメージと生命」だと
だれかが言ってました。
その人物は常にAtom世界からの離脱を試みました。
すなわち「イメージ世界」から、
現実世界を傍観していたのかもしれません。
e・i・π
e・i・π、
この三つのArticleに人間は誘導されたのでしょうか。
ここが一つのポイントだったと考えます。
そこであらためて私にはその基準として、
「虚数」というイメージが思い浮かぶのです。
その「虚数的な発見」が導いてきた現在を、
私たちは無意識に取り込み見ているのでしょう。
e-Businessがなぜ、
「i-冠詞」世界表現へ連鎖していったのかと考えます。
具体的にはiMac・iPod・iPhoneがAtom世界です。
それならiTunesは、
明らかにTunning世界観=imaginary Worldです。
imaginary Worldをまさしくコントロールすること、
この重大さは、「空」=emptinessだと、
東洋的には考えることができます。
今や人類のイメージ、
その象徴がe・i・πだったとして、
この三つのデジタル社会資本は、
「雲の中」に配置されようとしているのだと
私は想像し、理解し、だからデザイナーとして、
デジタル社会資本にe・i・πを配置するつもりです。
これがデジタル社会での資本づくり、
つまり、「モノづくり」だと確信しているからです。
Tags: 「資本主義からの逃走」, Article, Atom, e, Emptiness, i, i-Atom, iMac, imaginary, imaginary World, iPhone, iPod, iTunes, Tunning, Virtual, website, π, イメージ, イメージ世界, コントロール, デザイナー, デジタル, デジタル社会資本, バーチャル, モノづくり, 人間, 仮想世界観, 傍観, 想像, 意図, 東洋, 現実世界, 理解, 生命, 空, 表現, 象徴, 連鎖, 配置, 離脱, 雲の中
Posted in 010「AtomとBIt」, 資本主義から逃走せよ!
目次を見る
1月 14th, 2010 Posted 1:00 AM
e-JAPAN から i-Japan へ
すでにデジタル社会になった時から、
たとえば、Junetがすでに動き出した時にも、
わが国の政治は無関心でした。
その後、私はほとんどのパソコンからスパコンまで、
当時の政治が何を重要視し、
「遅れながらも追随」しようとしたか知っています。
中でも「出来るかも」と思ったのは、「Σ-Project」、
そして「e-JAPAN」がありましたが、
これはもうネーミングで大きな間違いがありました。
すでに、i-Macが、ある種のブームになっていました。
つまり、「e-冠詞」の時代から「i-冠詞」へと、
時代は志向して、社会は「i-冠詞」を希求する、
ということが見え始めていました。
「i-Article」の時代と社会がwebになっていたのです。
すなわちi=虚数=imaginary numberのように、
難しい表現では「フェーザ表示」が起動したのです。
私は、「i-冠詞」=虚数というバーチャル語彙表示、
だと言いたいのです。
だから、「i-Japan」構想が不可欠だったのです。
「e-JAPAN」から、日本の携帯電話、
その技術は「世界から取り残されました」。
ちょうどDoCoMoがFOMAを世界基準にという、
そんな企画に、私も参画したことがありました。
私の発想は、多分、理解されなかったのでしょうが、
プレゼンテーション中断し、その仕事を放棄しました。
以後、ケータイは日本だけの「特殊な文化」に育成。
政治ー産業ー消費ー制度ー風俗
私は、それはそれでいいと思っていますが、
私自身は、政治ー産業ー消費ー制度ー風俗を傍観です。
結局、もはや日本では、「スマートフォン」さえ、
技術開発とデザインは不可能産業になっています。
その発端は、政治政策「e-JAPAN」のかけ声だ!
と思っています。
e から i へ
なぜ「eからi」だったのかは、重大な課題です。
Tags: 「資本主義からの逃走」, DoCoMo, e-JAPAN, e-冠詞, eからi, FOMA, i, i-Article, i-Japan, i-Mac, i-冠詞, imaginary number, Junet, web, Σ-Project, ケータイ, スパコン, スマートフォン, デザイン, デジタル, ネーミング, バーチャル, パソコン, ブーム, フェーザ表示, プレゼンテーション, 不可能, 世界基準, 企画, 傍観, 制度, 参画, 希求, 志向, 技術開発, 携帯電話, 政治, 政策, 時代, 消費, 無関心, 理解, 産業, 発想, 社会, 育成, 虚数, 語彙 バーチャル, 課題, 追随, 間違い, 風俗
Posted in 010「AtomとBIt」, 資本主義から逃走せよ!
目次を見る
1月 13th, 2010 Posted 1:00 AM
e・i・π
e・i・π、この三つに、デジタル社会があります。
あるのではないだろうか、というのが私の推論です。
「e-冠詞」と「i-冠詞」に私は何かを見ています。
exponent・Napier’s-e・internetにπです。
この一つ一つは、直喩性から隠喩性で、
現代の「情報時代・情報社会」の意味論へと、
その思索と思考を深めていくことができるでしょう。
たとえば、πは、円球だとするなら、
それはまさにwebsiteです。
πに対して、人類が追い求めてきた歴史は、
もうビックリするばかりです。
果たして、
デザイン、デザイナーの「感性」・「感覚」が、
見えているデジタルには、明らかにAtom資本は、
包み込まれています。
さて問題は、
iという虚数はバーチャルへの想像力が創造しました。
リアルとバーチャルも、
すでに、すっかりと、
これらのe・i・πにシンボル化されています。
だから、これらの意味論は記号論・構造論となって、
実は「造形」に結びついている、
というのが私が追い求め始めている「造形基礎論」、
すなわち「デザイン数理学」なのです。
Tags: 「資本主義からの逃走」, Atom, e, e-冠詞, exponent, i, i-冠詞, internet, Napier's-e, website, π, シンボル, デザイナー, デザイン, デザイン数理学, デジタル, デジタル社会, リアル, 人類, 円球, 創造, 思索, 思考, 情報時代, 情報社会, 想像力, 意味論, 感性, 感覚, 構造論, 歴史, 直喩, 虚数 バーチャル, 記号論, 資本, 造形, 造形基礎論, 隠喩
Posted in 010「AtomとBIt」, 資本主義から逃走せよ!
目次を見る
1月 12th, 2010 Posted 1:00 AM
e-articleからi-articleへ
「e-冠詞(article)」がBit社会資本ではないか、
という判断は、私はしていません。
「e-」はelectoronicsからinternetの冠詞です。
明らかに、
e-articleはBit資本になるかも知れません。
そして、私が数学的な思考に遡及してみると、
その原意として明確になってくることがあります。
exponentとNapier’s constantという公式的な
思考方法が見えてきます。
私はあらためて、このdigital資本=Bit資本を
Atom資本からの大きな変革になるものと
評価判断をせざるをえません。
急いで結論を断言してしまいたいと思っています。
それは、「オイラーの公式」にまで至っているのです。
私は、この公式が「人生・生涯」を表していると
考えてきました。
だからこの公式に、
「デザイン」が入り込み、
「デザイン」が取り囲み、
「デザイン」で証明できるという確信を持っています。
そんな確信を、今は評価されないかもしれませんが、
必ず、評価される「時」が来るでしょう。
目次を見る
1月 11th, 2010 Posted 1:00 AM
exponent to Napier’s constant
私の高校時代は、物理と数学が同次元の授業でした。
受験数学・受験物理で無かったことは幸運でした。
eネピア数という授業は今も私の数学的思考原点です。
だから、私がふるさとでデザインスタジオの名前は、
「eX-Design」としたほどでした。
電話番号も2728にしました。
私は、「e-」冠詞がデジタル社会を表現する言葉だと
考え、exponentという概念を持ち出しました。
e=2.71828 18284 59045 23536・・・・
Napier’s constantというこの値と、
Napier概念定義をオイラーによって、
「理想数式」になっていったのだと私は思います。
あらためて、ネピア数=eが、
実は「人生」をも決定づけている、
というのは言い過ぎでしょうか。
デザインや設計理論で、このネピア数的思考は、
設計アルゴリズムになる!という確信が、
私には「絶対思考」となっています。
私の「デザイン思考」がまとまりつつあります。
それはパウル・クレーが悩んでいた解答手法は、
コレだ!という想いが、Napier’s constantかも、
と、今、一番思い当たっているのです。
それが、「造形思考」→「デザイン数理学」へ、
これから教育者としてまとめていくつもりです。
Design Algorithm
Digital Algorithmが「造形」=designに
向かっていると私は考えています。
したがって、ここでの論述は、メモですが、
「感覚」で受け止めてもらって、keyword=tagを
調べてもらえればと願っています。
目次を見る
1月 10th, 2010 Posted 1:00 AM
e-Management to exponent-Design Management
Atom的な「モノづくり」がBitなモノへの、
デザインへと必ず誘導するはずという予感があります。
exponentが術語で「指数」だと前述しました。
その代表的な三つの思考算式にふれておきます。
こうした思考を「デザイン数理学」にしたいのです。
新たなイデオロギーは、Bit-Designの具体化で、
経済論から制度論から文化構築の基盤になるでしょう。
「指数」というのは、Axでのxです。
日常的には会話用語として、
「物価指数」や「株価指数」などがあります。
これらは
● ラスパレス算式
● パーシェ算式
● フィッシャーの理想算式、までが生まれました。
こうしたことは、必ず「デザイン数理学」にします。
だから次世代のデザイン教育は、
こうしたことを理解できる資質が絶対に必要だ、
と、確信しているのです。
でも、安心してほしいのは「数学が得意」であるべき
なんてことを私は全く意図していません。
中学・高校の数学ではありません。
あれらは数学ではなくて数学的なパズルです。
数学的な思考を教え・学ぶという環境こそ本当は、
「デザイナー資質を育成する」場であるべきです。
実際には、ラスパレスが算式を考えていた同時代に、
マルクスは、見向きもしなかったのではないかとさえ、私は推察しているのです。
だから、「資本論」は「批判書」としても、
欠落部分が多いのです。
Tags: 「資本主義からの逃走」, Atom, Bit, Bit-Design, e, e-Management, exponent, management, イデオロギー, デザイン数理学, パーシェ算式, フィッシャーの理想算式, モノづくり, ラスパレス算式, 予感, 会話用語, 具体化, 制度論, 基盤, 必要, 思考算式, 批判書, 指数, 推察, 数学, 文化構築, 株価指数, 次世代 デザイン教育, 物価指数, 理解, 確信, 経済論, 育成, 術語, 誘導, 資本論, 資質
Posted in 010「AtomとBIt」, 資本主義から逃走せよ!
目次を見る
1月 9th, 2010 Posted 9:00 AM
e-Management
AtomからBitへというのは、
パーソナルコンピュータが日常化した結果です。
そして、次のようなマネージメントの言葉、
その手法は戦略論になっていきました。
すべてに「冠詞」=「e-」によって、
コンピューターをビジネスツール化したことです。
e-=electoronicsであり、
それはデジタル化という意味性を包含していました。
exponent
この「冠詞=e-」を私は、exponentという概念、
数理的な概念として理解していくことが正しいと
判断評価しています。
exponentは、数学術語では「指数」といいます。
そして、
数理論的には代表的には三つの思考算式があります。
私はこれらの思考をデザイン思考として援用する、
ということをめざしています。
「デザイン数理学」を、
大学人として提案するのが夢です。
それは、明らかに、Atom産業がBit産業として、
新たな経済イデオロギーへと向かうという予感が
あるからです。
Tags: 「資本主義からの逃走」, Atom, Atom産業, Bit, Bit産業, e, e-Management, exponent, management, イデオロギー, デザイン思考, デザイン数理学, デジタル化, パーソナルコンピューター, ビジネスツール, マネージメント, 予感, 冠詞, 判断評価, 包含, 大学人, 思考 算式, 意味性, 戦略論, 手法, 指数, 援用, 数学, 数学術語, 数式, 数理的, 数理論, 日常化, 概念, 理解, 経済, 術語, 言葉
Posted in 010「AtomとBIt」, 資本主義から逃走せよ!
目次を見る
1月 8th, 2010 Posted 8:00 AM
Bit Capitalism Equation
Bit資本は、パソコンの出現時にスタートしました。
けれども、Atom社会が資本主義というイデオロギーと、
ともに終わっていったという意識は、
全世界が認識することができなかったのだと思います。
私自身,デザイナーとしてパソコンをデザインツールとし、
しかも、
研究対象から趣味対象としながら気づきませんでした。
光造形システムで、「トポロジー空間論」や、
3次元CADから4次元CAD=「遺伝子操作のデザイン」へ、
さらに、その医療=命と向き合うデザインまでを
「デザイン対象」にしてきました。
ところが私の脳内の一方では、
再びマルクスの「資本論」・「経済学批判」にもどりつつも、
「数式」に書き換えるということにまでは気づかないという、
まったく別次元でした。
しかし、やはり、
このAtomからBitへの時代転換を「数式」にしてみます。
「数式」などというのはブログではさらに「重い」でしょう。
ひとまず、
「アルゴリズム」、いや、「数式的記号」に表現してみます。
そうすると、
?・!
とてつもない「不思議さ・?」と「そうだったのか・!」が
結びついたのです。
それをこれから記録していくことにしたいと思っています。
exponent
exponent=「e」の世界観
そして
imaginary
imaginary number=「i」の世界観が、
ぴったりと、Bitの世界の冠詞になっていたのです。
この数式あるいはアルゴリズムの進化を見極めれば、
「資本主義から逃走」して、
新天地に入ることが可能だとわかりました。
Tags: !, ?, 「資本主義からの逃走」, 3次元CAD, 4次元CAD, Atom, bit資本, e, exponent, i, imaginary, アルゴリズム, イデオロギー, そうだったのか, デザイナー, デザインツール, デザイン対象, トポロジー空間論, パソコン, ブログ, マルクス, 不思議さ, 世界観, 光造形, 冠詞, 出現時, 医療, 命と向き合うデザイン, 応用, 意識, 数式, 数式的記号, 新天地, 研究対象, 社会, 経済学批判, 脳内, 表現, 記録, 認識, 資本, 資本主義, 資本論, 趣味対象, 遺伝子操作
Posted in 010「AtomとBIt」, 資本主義から逃走せよ!
目次を見る
1月 6th, 2010 Posted 8:00 AM
錯覚
民主主義は、近代市民権で最高かつ最大の理想主義?。
私はそうは思っていません。
民主主義はある意味では、
「無血革命」での勝利成果なのでしょうか。
そうだとするなら、
「革命」は、民主主義の体制下では不可能だと思います。
だから暴力的な「革命」を私は望んでいるわけはありません。
なぜなら
「革命」と「革新」は、まったく意味が異なっています。
「革命」というだけに、「いのち」がかかっています。
「革命」は血が流れて「痛い・苦しい」はずです。
そんなのは嫌です。
「痛い・苦しい」というのは、
私はどれほど体験してきたことでしょうか。
だから、
民主主義は本来、決して、
痛かったり、苦しかったりでは無いはずです。
ところが、人生・生涯には、痛みや苦しみがあります。
それを民主主義が全て解放してくれるわけではありません。
革
「革命」の革という象形文字は、解体された獣の皮です。
「ピィーン」と張った「革」に刃物を入れることが、
「革命」・「革新」の「革」を表示しています。
私はもう一度、問い直します。
民主主義は語られれば語られるほどの理想主義でしょうか。
絶対に「民主主義」が大きな隠れ蓑になっていると思います。
その隠れ蓑を補強してきたのが資本主義かもしれません。
そろそろ、民主主義が民衆主義を言い換えている、
その事実をあぶり出す必要が私はあるとさえ思っています。
資本主義と民主主義の狭間に常に起こっているのが「錯覚」。
私はこの「錯覚」を見極めてこそ
「美」・「義」・「善」が、
やっと自分の表現に込められると考えています。
美・義・善
Tags: 「資本主義からの逃走」, いのち, 不可能, 人生, 体験, 刃物, 勝利成果, 善革, 意味, 暴力的, 最大, 最高, 民主主義, 民衆主義, 無血革命, 獣の皮, 理想主義, 生涯, 痛い, 痛み, 美, 義, 苦しい, 苦しみ, 表現, 解体, 解放, 象形文字, 資本主義, 近代市民権, 錯覚, 隠れ蓑, 革命, 革新
Posted in 002「民主主義」, 資本主義から逃走せよ!
目次を見る
1月 5th, 2010 Posted 9:00 AM
不満と信頼
150年前の著作を「もう一度」などと言うのは、
はなはだ「時代を読んでいない」と私は思っています。
再度、「資本論」への不満と信頼もあります。
ただし、信頼というのは、1850年当時の発想と論理です。
読み違いをまったくしなかった私の理由は簡潔です。
まず、副題が「経済学批判」であったこと。
この副題は、「批判」です。
「批判」をして、「提案」は何もありません。
デザインの実践者として、デザイン批判は受けますが、
それなら・・・という「提案」はほとんどありません。
そして、マルクスもエンゲルスも、
この書は、「共産主義を構築していく理論書ではない」ことを
完全に否定しています。
ここに私の信頼があります。
さて、150年前の指摘が、現代に当てはまるわけなど、
どこにも、もう見受けられません。
循環
そして、決定的には、彼らが指し示した「循環論」が、
「貨幣」・「生産」・「商品」の循環論です。
私はデザイナーとしては、
「生産」と「商品」に深く関与していますが、
「貨幣」の形式の大きな変貌について前述してきました。
私は「循環」からの視点が無いことが不満です。
「貨幣」は、クレジットカードやプラスチックマネーとなり、
「生産」に、労働による身分格差での剥奪論も底をつき、
「商品」には、意味論=デザインという全体価値があることを
彼らには、予言も予知も予測もありませんでした。
だからこそ、私は、不満と信頼のバランスで、
あらためて、この記述の下敷きにしています。
意味論の創出
Tags: 「資本主義からの逃走」, 150年前, エンゲルス, クレジットカード, デザイナー, デザイン, プラスチックマネー, マルクス, 不満, 予測, 予知, 予言, 信頼, 全体価値, 共産主義, 剥奪論, 副題, 創出, 労働, 否定, 商品, 変貌, 実践者, 循環, 循環論, 意味論, 批判, 指摘, 提案, 時代, 構築, 現代, 理論書, 生産, 発想, 経済学批判, 視点, 論理, 貨幣, 資本主義, 資本論, 身分格差
Posted in 007「資本主義」, 資本主義から逃走せよ!
目次を見る