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Posts Tagged ‘iPhone’


「iPhoneとmemoの関係が進化し始めている」


   


     5月 21st, 2012  Posted 12:00 AM

多分生涯、メモ帳と自分の関係は変化の連続でしょう。
メモ帳はどれだけ様々なモノを使ってきたことでしょうか。
最近では、iPhoneとメモ帳にある関係が生まれてきました。
とりあえずですが、
SHOT NOTEとKYBERを使い始めています。
断言できるのは、KYBERはコストパフォーマンス的には、
それほど推奨できるモノではないと思います。
Smartpenというマーカーで、メモや切り抜きを囲んで、
iPhoneに取り込むというのも試してみましたが、
私には日常的なツールにはならないでしょう。
まあまあ簡単で使えそうなのは、SHOT NOTEでしょう。
そして、私にとって重要なのは、
その時に使うボールペンです。
それは私のコレクションの中では
カルティエ「パラジウムフィニッシュ・ブルーレジンカボション」です。
結局、ボールペンのペン軸は、純正よりも国内のあるメーカーが、
そのインクが最も優れています。
SHOT NOTEという商品化に対して、
このボールペンについては、
現代の「商品価値・価値商品」を見つめ直す
一つの重要なモチーフだと考えつつ、
iPhoneで変化するであろうmemoがまた変貌していくことでしょう。


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「iPhoneに受話器、電話形式転換へのガジェット化」


   


     5月 12th, 2012  Posted 12:00 AM

ワイフの机上にある受話器とiPhone(左)、
そして私は受話器だけ(右)を自宅ではつないでいます。
おそらく、コントのような演出道具のようですが、
使い勝手では、スマートフォンと受話器のガジェット化に、
次世代の電話機セットが見え始めていると思います。
すでに受話器とiPhoneがBluetoothゆえにワイヤレス化、
そんなガジェットも登場、大学ではコレを使用しています。
そして、もう自宅、ホームでの電話通信には、
これまでの電話機は不要になってきています。
むしろ、パソコン無しでのSkypeでのガジェット化なども、
新たな商品化計画になっていくでしょう。
かつて、最も「必要なモノ」という質問の答は、
「ケータイ」でした。
そして、最も「不要なモノ」という質問でも、
答は「ケータイ」ということでした。
それほどケータイが日常生活での要不要を決定づけたのです。
電話というのは、会話・対話=コミュニケーションの基礎として、
現代生活では重大なツールであり、
人間関係化のメタファーとレトリックとモードになっています。
したがって、「関係化」とは、
世界構造に連関した人間社会の基礎構造です。
この構造化をスマホという通信形式のガジェット化は、
「受話器」は電話形態の系譜をそのまま受け継いでいます。
ここから、「電話システムの次世代革新」を想像することは、
とても重要な一つの視界かもしれないと、
私は確信して、このガジェットを楽しんで使っています。

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5月2日 staffblog


   


     5月 2nd, 2012  Posted 2:45 AM

5月2日

今、
BOSS(川崎和男, Kazuo KAWASAKI)
iPhoneには充実アプリの他に
緊急時のホイッスルと印鑑、そして白熊。
こだわりの組紐は、九州と京都にて入手。

常々、持ち物はup gradeに余念なしです。


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「私のマサカのデジジャラ」


   


     4月 10th, 2012  Posted 12:00 AM

ケータイのデジジャラ。
すでにデジジャラという言葉は死語です。
デジジャラというのは、
ケータイ電話に様々なアクセサリーを付けることでした。
おそらくデジタルなモノに対する、
 「自分用」の明示性への願望なのでしょう。
かつて私は面白がって、ドラえもんのケータイに、
これほどキティちゃんグッズがあるという見本をつくったことがあります。
どれほどケータイアクセサリーになりうるかを見極めておく、
資料になりました。
本来、iPhoneにはカバーもつけるべきではないデザイン、
それがApple Designのデザイン意図として明快です。
しかしやはり、ケータイもスマホも、
「自分用=MyType」にすること、
それが人それぞれ、
自分用表現を望んでいることは一般的なことなのでしょう。
3.11後、「ふだん」と「まさか」というwebsiteを研究室でつくっています。
それは「まさか」の非常時に何を持ち出すべきか、
「ふだん」身に付けておくべき最小限のモノを情報化しています。
なんといっても、スマホは必要です。
スマホに健康保険証や運転免許証まで取り込んでおけばいいわけです。
それに最低限はホイッスルと印鑑です。
そこで、私は様々なホイッスルからLEDライト付きを選びました。
そして、印鑑も最も小さいモノとさらにedyカードを付けています。
日本人にとって印鑑は必要不可欠なモノになっています。
印鑑の歴史は日本人のルーツに関わる文明文化的な歴史性があります。
3.11のあの非常時に、
一番無くて困ったモノが、行政的な手続きで印鑑だったということです。
というわけで、現在私のiPhoneはこのスタイルになっています。
私は、自分なりの「ふだん」と「まさか」のデジジャラを
デザイナーとしてそれなりに考えると、
そこに次世代スマホの形式があるものと判断しています。

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「カーオーディオはもっと進展するはず」


   


     1月 17th, 2012  Posted 12:00 AM

おそらくもう車も生涯では今の車が最終かもしれません。
そう思いつつも人生最後の車種はこれにしたいという願望はあります。
先般も、友人デザイナー達と夕食をしながら、
最後にはどの車に乗るか、乗るべきかという話で盛り上がりました。
基本的には工業デザイナーは
すべからく「車」には人並み以上の欲望があると思ってます。
ところが最近、工業デザイナー志望の若者には、
「免許すら持っていない」という話もあります。
カー・カメラ・オーディオ・オートバイなどというのは、
工業デザインを志望する者のどうしても
物欲とデザイン嗜好の対象だったはずです。
ということもあってか、
車そのモノはデザイン対象にしてきませんでしたが、
男の子として乗りたい車には乗ってきたと思います。
一時は4台所有していたこともありますが、
今、たった1台=ベンツのSL500だけです。
ベンツのSLはSLKからSLも3台目と乗り継いできました。
私の場合は、車椅子ゆえに制御系を改造してありますが、
これも日本では独特の規制があって、
海外仕様には出来ないという不満があります。
いつか本当のことを書きとどめないといけないとすら思っています。
そして、車はある種「局部音場」ですから、
オーディオ空間としては車そのものを改造しています。
特に、iPhoneやiPodの時代になってからは、
FMで音を室内にFM音として飛ばして聴くことが可能になりましたが、
そのカーアクセサリーがなんとも進化していません。
だから、すでにいくつかのアクセサリーを使用し
それがすべからく試用になっています。
ようやく現在落ち着いているのは、Belkin TuneBase FM Liveです。
しかし、満足しているわけではありません。
いづれカーオーディオからカーナビもすべからく
iPhoneのように変貌するでしょう。
そうなったときには、カーオーディオも進化すると思います。
ただし、この場合、車のオーディオシステム、
特にスピーカーシステムそのものが変革する必要があると考えています。
たとえば、
今乗ってみたいと思っている車種のオーディオが変更になりました。
それはカーブランド・カーイメージそのものを
台無しにしていると評価しています。

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「iPhoneアプリ、六つ目の開発」


   


     12月 19th, 2011  Posted 12:00 AM

1984年にMacintosh 128kと出会ってから、
私の知識と意識は日常的にAppleで支えられてきたとも言えるでしょう。
そのパソコンがiPhoneという新たな形式となり、
ソフトウエアは「アプリ」と呼ばれています。
私たちはそのアプリ開発をしてその配布販売をしています。
目的は、私が提唱し始めたPeace-Keeping Designの一つの戦術です。
PKD活動の具体的開発は「結核ワクチン」のシステムが今中心です。
その活動支援として、アプリを販売して資金の一部にしています。
今はアプリ一つが85円です。
すでに、5つのアプリを開発配布販売しています。
「時計」HOLA・「TheClock」称号を持つモノをiPhoneに入れました。
「脈拍計」=15回の脈拍で、1分間の脈拍が計測できます。
「黄金比計算機」=黄金比がすぐに計算することが出来て、
デザイン設計時の補助計算機になります。
「緊急時のコール」=HelpCallとして、
声が出なくても助けを呼んだりすることが出来ます。
「手旗信号練習マニュアル」=手旗信号は
知っておいてもいいかもしれない、という提案です。
そして、時刻計測の基本に戻って、
「砂時計」を新たに開発しました。
これら全ては大阪大学大学院の私の研究室で学生達が私のディレクションで
プログラミング化して認証を受けて配布しています。
私の狙いは、これからのデザイナーはアプリ開発も出来ること、
リアルな機器設計とバーチャルな機器設計能力を身体化してほしいのです。
そして、iPhoneアプリには、
知識と意識を良識と見識にするソフトウエアの力があると認めています。
PKDはまさしく、率直に良識と見識のデザイン活動であり、
「デザインが世界を変える」ということです。
その活動の資金確保としては微々たることかもしれませんが、
それでも、その販売利益を得るとともに、学生達の能力を高め、
しかもPKD活動の連続性を告知広報する訴求力をもっています。
アプリ開発は、デザインの根幹である利便性を徹底的に求める
「思いやり」を込めることができます。
是非、こうしたアプリを使っていただきたいと願っています。

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「来年の手帳は選びましたか?」


   


     12月 1st, 2011  Posted 12:00 AM

iPhone、iPad以前、PalmTopの時代にも、
「手帳を持ち歩く」ことは辞めようとしてきました。
しかも学生時代・就職後も毎年毎年「手帳選び」には
悩んできました。
iPadで、すっかり手帳を辞めると決意しました。
しかし、どうしても手帳はなんとしても必要と判断しました。
私のスタッフ・学生も全員、iPadを使っていますが、
昨年、私から、自分がこの人からのメモという場合には、
絶対にノート、手帳、メモ形式、筆記具も含めて選び抜くこと。
このようなルールを作りました。
それは、手書きメモの重大さと文字を美しく書くという身体化を失う。
私自身、iPadでの手書き文字に美しさが無くなると判断したからです。
最近は、スタイラスの進化ですっかり「草書体」・「楷書体」まで、
iPadでは可能になりました。
この季節=歳末年末には、書店・文具店始め、websiteでも
様々な「手帳」が膨大に店頭やお知らせが満載です。
11月に入ると、私は二つの手帳を注文しました。英国製と日本製
これまで、日記帳・手帳はどうしても迷い抜いて、
「一つ」に決められませんでした。
これは不幸です。
「手帳で望みがなんでも適う」という類いの書籍もあります。
それはその人だけの自己修練、
男ならダンディズムが決定した人の特権。
私は、ようやくそろそろ人生引退の季節になって、
二つの手帳に出会いました。
いづれ、私の使っているモノを紹介したいと思っています。
しかし、これはやっと私がたどり着いただけに、
極めてプライベート、プライバシーのことかもしれません。
なにしろ、デザイナーとしてのSketch BookやMemoなど
膨大に悩み膨大に収集までしてしまっているというわけです。
筆記具、絵の道具、書道具からデジタルペンまで、
この収集は、ワイフから「また買ったの」と言われる始末です。
万年筆・硯と筆・和紙、そしてデジタルペンも、
語り尽くせない私の世界です。
オーディオ・鉄道模型から、デジタルペン、青い小物、
だから「手帳」もほとんど世界的な歴史や伝統性を
自分自身にも照らし合わせて考え。選び、使いこなして、
いや手帳に限っては「使いこなしてきた」とは言えないのです。
しかし、ここ数年、手帳は決定したモノを使ってきました。
2011年、わが国は多くの同胞を失い、国家が破壊しました。
なんとしても、来年に向かって、
この「国難」に対する自分自身のジャーナリズムツール、
それは「手帳」でしょう。
ジャーナリズムとは「日々の記録」です。
そして、「手帳」と「手帖」は日本の記録ツール、
明確な伝統性があります。
あらためて「手帳」、
来年の「手帳」への態度を決めたいものです。

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9月26日Staff Blog


   


     9月 26th, 2011  Posted 5:04 PM

9月26日

家(イエ)電仕様はこれで、
懐かし/便利に通話している
BOSS(川崎和男, Kazuo KAWASAKI)
ついつい長電話です。

外出時は、やはり
ヘッドセットとの組み合わせで長電話。


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「ケータイからスマホ、そしてもっと革新」


   


     5月 19th, 2011  Posted 12:00 AM

2007年iPhoneの登場。
ケータイ電話・モバイルホンは革新されました。
21世紀を具体的に認識できました。
しかし、この数年、日本のケータイはガラケー。
ガラパゴスケータイと呼ばれるほど、
世界から取り残された存在になっていました。
最近ようやく、わが国のケータイはスマホと呼ばれるほど、
スマートホンの世界観に入り込むことが出来ました。
しかし、日本の電話通信会社の通信ネットワークそのものが、
基盤的に変貌しようともしていません。
結果、スマホと呼ばれる新製品が商品の顔を持っても、
世界市場で競合できるOriginは、
全く国際的な提案にはなっていないと評価せざるをえません。
今回、東日本大震災ではTwitterなどソーシャルネットワークが、
最も救助・救済の引き金になったことは確かです。
ケータイも本当なら実際には役に立つはずでしが、
結局、通信会社はケータイの小売店、
そのフランチャイズ企業でしかなかったことを露呈しました。
こうしたことが新製品開発とその商品化を「国際的」にすること、
ほとんど不可能なことを、「スマホのデザイン」が表象しています。
正直、魅力無きスマホが氾濫しているとしか思えません。
少なくとも、私は次世代スマートホンは、
さらに進化は日本のソフト&ハード技術と、
それを支援し誘導するデザインが遂げるべきだと思っています。
私はポイントはいくつかあると熟慮判断しています。
特に、デザイナーに告げるべきことは、
「スマートホン」の次世代、それは通信ギアそのモノ・形式変更。
その形式から形態は、OS自体も変わるべきでしょう。
新たな提案がデザイナーから生まれて欲しいと願っています。
おそらく、「防災グッズ」の第一番目、
それは常に身体装着している通信ギアです。
自己同一性の象徴ギアであるべき通信ギアが必要です。
そして、国際的競合=貿易商品としてナンバーワンのモノこそ、
オリジナリティ・Originであり、
それが次世代の通信アンビエントそのものを変革し、
世界の通信システムBeginを成し遂げるものと判断しています。
iPhoneを超越する「革新的デザイン」が必要です。
そのためには、デザイナーが発案できる能力、
その能力から通信ギアソフト開発デザインだと考えます。

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『資本主義からの逃走』
   「ケータイから消滅した「かたち」への総批判」


   


     12月 1st, 2010  Posted 12:46 AM

いわば言いがかり文句
日本のガラケーがようやく進展しました。
よかった、とひとまず安心です。
しかし、iPhoneの存在にこれほど影響されていて、
私は、「創造性」・「オリジナリティ」がまったく失われていく傾向を悲しく思います。
もっとも、私自身がデザイナーであるのだから、
本来なら、「私だったらこうする」ということが提示できないのに、
批判など出来るわけがありませんし、そんなことを表明すること事態を随分悩みました。
自分にまったくデザイン経験していないデザイナーはデザイナーでなく評論家ですから、
私も今回はその一人だと思っていただいて構いません。
けれども、私の教え子たちもケータイ・デザイン担当で苦労しているのを知るたびに、
何事かをサッゼッションしなければいけない、と思うのです。
煽動的表現・ブーメラン効果
だから、とても大批判的なタイトルでアジテーションを書きとどめておきたい、と考えてきました。
「ケータイからかたちが消滅している」とまで煽動的表現として、
結局は、天につばすることは百も承知です。
自分で投げたボールは、もっと高速度と質量で大きなエネルギーとなって、
自分に大けがを負わせることも覚悟しています。これは「傷つくブーメラン効果」です。
私はデザイン界に棲息してきてそんな経験ばかりしてきたと思います。
「あの時、あんな発言」をしたばかりに、いまなお、私自身がさらに深傷を負うでしょう。
ところが、実は、その当時の大問題は、経年ですっかりと解決がついてしまうことや、
その当時の大問題そのものが忘却されることも随分と経験をしてきました。
結果、私は発言した限りはその反発は当然だと覚悟していることも事実です。
多次元アイテムのかたち
さて、話をケータイに戻しましょう。
ともかく、デザイン=かたちに集約と収束する、このことを下敷きにして述べます。
断言すれば、「Smart-Phone」という呼び方をしないモノづくり、
そのデザインをすれば、必ず「かたち」が変わるでしょう。
変異し変位し転回し、そしてまったく変貌・変身してほしいのです。
理由は簡単です。
二つの断言
人間が「身につけるモノ」として、時計・めがね・指輪とかを思いつけば、
ケータイは身につけるコンピューターであり、
メディアであり、ツールであり、アクセサリーなのです。
それも大量の性能性・機能性・効能性を、しかも「現在の情勢報告の機器・機械・通信から、
まさにお財布でありIDカード」まで、これも多次元なモノとしてのファッションアイテムなのです。
とするなら、「ケータイのかたち・対・かたちとしてのケータイ」まで、
その次元のどこにポジショニングされているかということになります。
断言は二つです。
  ●「なんとかPhone」とアイテム名称は変えます。
  ● 「ユーザーセンスを表現・使い手個性」の演出カタチ。
この断言の意味づけから「かたち」・造形デザインを第一義にすることです。


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