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Posts Tagged ‘ソーシャルネットワーク’


「ケータイからスマホ、そしてもっと革新」


   


     5月 19th, 2011  Posted 12:00 AM

2007年iPhoneの登場。
ケータイ電話・モバイルホンは革新されました。
21世紀を具体的に認識できました。
しかし、この数年、日本のケータイはガラケー。
ガラパゴスケータイと呼ばれるほど、
世界から取り残された存在になっていました。
最近ようやく、わが国のケータイはスマホと呼ばれるほど、
スマートホンの世界観に入り込むことが出来ました。
しかし、日本の電話通信会社の通信ネットワークそのものが、
基盤的に変貌しようともしていません。
結果、スマホと呼ばれる新製品が商品の顔を持っても、
世界市場で競合できるOriginは、
全く国際的な提案にはなっていないと評価せざるをえません。
今回、東日本大震災ではTwitterなどソーシャルネットワークが、
最も救助・救済の引き金になったことは確かです。
ケータイも本当なら実際には役に立つはずでしが、
結局、通信会社はケータイの小売店、
そのフランチャイズ企業でしかなかったことを露呈しました。
こうしたことが新製品開発とその商品化を「国際的」にすること、
ほとんど不可能なことを、「スマホのデザイン」が表象しています。
正直、魅力無きスマホが氾濫しているとしか思えません。
少なくとも、私は次世代スマートホンは、
さらに進化は日本のソフト&ハード技術と、
それを支援し誘導するデザインが遂げるべきだと思っています。
私はポイントはいくつかあると熟慮判断しています。
特に、デザイナーに告げるべきことは、
「スマートホン」の次世代、それは通信ギアそのモノ・形式変更。
その形式から形態は、OS自体も変わるべきでしょう。
新たな提案がデザイナーから生まれて欲しいと願っています。
おそらく、「防災グッズ」の第一番目、
それは常に身体装着している通信ギアです。
自己同一性の象徴ギアであるべき通信ギアが必要です。
そして、国際的競合=貿易商品としてナンバーワンのモノこそ、
オリジナリティ・Originであり、
それが次世代の通信アンビエントそのものを変革し、
世界の通信システムBeginを成し遂げるものと判断しています。
iPhoneを超越する「革新的デザイン」が必要です。
そのためには、デザイナーが発案できる能力、
その能力から通信ギアソフト開発デザインだと考えます。

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「資本主義からの逃走」
 「空間配置となるアンビエントアライアンス・コンテンツ」


   


     1月 28th, 2011  Posted 12:00 AM

「所有観」定義の変化
新コンテンツ産業案を提示しました。
仏語のvoir・avoir・savoirという経過。
見る・知る・所有するというコンテンツです。
そして、これらは「新情報産業化」への進歩を促します。
そして課題となっていくのは、
こうした産業の消費構造がどのように形成されていくかということになります。
この消費構造は明らかに、資本主義を革新する一つになるものと私は判断しています。
つまり、「所有観」という資本論での定義が変化するということです。
私の説明よりも、現在出版されている二つの著作と映画で確認できるでしょう。
是非とも確かめてください。

  ■ 著作は「The facebook Effect」・「フェイスブック」
  ■ 映画は「ソーシャルネットワーク」です。
二つの変革が提示されています。

まず、
  ● 物販流通ネットワークはこれまでのe-コマースが覆ること
  ● マスコミニケーションが分化し、広告手法が一新すること
アンビエントアライアンスの日常空間化
私は、こうした現象へと変貌していくには情報が「アンビエント・アライアンス」になり、
しかもこうした情報変質と情報ネットワークが日常化していくことになるだろうという予測です。
情報変質とは、3D情報からnD情報化がPCで可能となり、
このPCこそ、あらゆる機器に実装されることで、「コンピューターが消える」ということです。
さらに、情報ネットワークが日常化するというのは、
日常空間、すなわち、住宅・集合アパート・オフィス・生産現場、
「建築という概念と具体的な建築空間」そのモノが変わってしまうことになるでしょう。
日常空間の変貌は、デジタルによる「所有観」が変わるということになり、
これはマルクスの指摘予想を超越するということです。


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『資本主義からの逃走』
   「独裁されてきたケータイからの解放」


   


     12月 4th, 2010  Posted 3:01 AM

鎖国独裁のケータイなり
独自デジタルモバイル方式の鎖国国家は三つ。
なんと日本・韓国・北朝鮮という有様です。
GMSが全世界の標準になっています。
Global System for Mobile Communications=GSM、
これが第二携帯世代(G2)方式であり、約220ヶ国で使用されています。
したがって、この方式を採用しなかった時点で日本は取り残されました。
日本は、「ケータイ」と呼び、KEITAIを世界語にしようとか言っていた通信会社は、
日本国民の「通信権利」を剥奪したのです。
日本人のケータイは、日本流コンテンツとデザインは女子学生ターゲットでした。
この独裁者は誰だったのでしょうか。まさに、日本のケータイは北朝鮮並だったのです。
ケータイという呼び方をしたことが、すでにMobile Phoneと呼ぶべきことを遮断しました。
だから、その形式と内容を外観化させる造形デザインまでが、
通信会社によって独裁操作されてしまったのです。
通信会社がいかに独裁的であったことを日本人は知らなかったのです。
無論、行政はなんら世界標準ではないことを是正させようともしなかったから、
急いでこれから情報通信制度の改革で罪滅ぼしを示す必要があるでしょう。
私は、携帯電話がボックスタイプ、さらに車載から使用していましたので、
携帯電話の機器というモノとそのシステム,さらにプロダクトデザイン対象としてのMobilePhone、
これらの歴史は実体験しています。
ソーシャルネットワークからの制度設計
したがって、iPhoneが米国で発表され発売されたとき、すぐに使い始めました。
これで21世紀が本当に始まったとさえ思ったほどでしたからいくつかそんなことを書いたはずです。
日本のガラケーがやっと解放され始められたと言っても、
通信会社主導では、ただ数年遅れのままが続くでしょう。
単に海外製品を日本の空気=電話回線に乗せたり、
通信会社が海外製の物真似をデザイナーに強制させているだけです。
私は、通信会社こそ、企業のリエンジニアリングとリストラクチュアリングをし、
CSRの改革から制度設計の提案をするべき企業の出現を期待しています。
今、ソーシャルネットワークとしてのTwitterやFacebook、Ustreamにその芽吹きを感じています。
おそらく、ネットワークシステムの時代が革新される新たな提言を希望しているのです。
この思いを共有していただける読者諸兄は多いはずだと確信しています。
最近、海外製の小売り量販や、インターネット借用で大企業となった通信会社から、
「光の道」なる発想がありましたが、私は多くの認識誤謬を見つけています。
まず、「道」ではないのです。
「道」という「ことば」本来の意味さえ知らないタイトルに未来を託すことはできません。


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『資本主義からの逃走』
     「逃走の手立ては、情報変革化による学際化」


   


     8月 5th, 2010  Posted 12:00 AM

Red Ryder
「Red Ryder」というソフトを知っておられるとしたら、
それはパソコン創生期を存分に知っておられる方でしょう。
電話回線とパソコンでメールがやりとりできる。
それをパブリックドメイン(無償配布)した最初のソフトです。

このソフトで、構築されたのがBBS(Buliten Borad System)=電子掲示板でした。
これが現在のE-mailにつながっていきます。
残念ながら、BBSはユーザー志向が性悪説に向かってしまいました。
BBSは本来はSIG(Special Interest Group)へという理想主義を掲げていたのですが、
BBSでは匿名的な誹謗中傷へと情報化が拡張しました。
ここに集う人たちは不幸を自らに呼び込む性根に自分を情報化してしまった情報社会の被害者です。
そして、性善説を志向する情報の変革化は、ソーシャルネットワークとして、
TwitterやFaceBookを生み出しました。
しかし、これもTwitterストレスやFaceBookでのFishinngが横行し始めています。
私はたとえばTwitterが「販売促進」だとか「企業革新」の手立てになることは容認できますが、
それは現状の「変革」に向かっているものではないと考えます。
「変革」は理想主義に向かっていなければ「正道」ではありえません。
したがって、「情報変革化」はさらに進化を希求すべきだというのが、
私の認識でありデザイナーとしての目標です。
学際化
さらに、何の情報化を変革していくべきなのかを考えると、
それは「学際化」です。
専門家した学識、その融合化・総合化・統合化です。
これは「学際化」ということを徹底的に「情報化」する専門性を
開発することが求められているということです。
もし、これまでの歴史で「学際的」だった人物をあげるとするなら、
ピタゴラスやレオナルド・ダヴィンチなどになります。
しかし、彼らの学識や史実的記録は、
「変革」をもたらしたコトやモノは無かったものと私は判断しています。
しかし、「変革」の動機付けになった発想や表現は、
「情報」となって私たちは今なお大きな理想主義の手立てになっています。
私はここが偉大なポイントだと思っています。
私は「逃走」しようと投げかけています。
走って逃げようというのです。
「闘争」ではありません。
私の性格なら「闘争」を叫びたいのですが、
歴史を見れば、「変革」して、「革命」に至るのは、決して「闘争」ではありません。
したたかな「逃走」という「闘争」が「正道」だと確信しているのです。


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『資本主義からの逃走』
「 Media Integrationに向かってきた系譜・1」


   


     4月 22nd, 2010  Posted 1:48 AM

古い話から始めます。
Mac以前からコンピュータに関わり、自分の手元に、
いわゆる「パソコン」が日常生活に入ってきました。
そして、パソコン同士がつながったことから、
新たな社会構造が変貌し変容してきたのです。
おそらく、「BBS」という言葉がわかるでしょうか?
BBS=Bulletin Board System=電子掲示板でした。
その最初の市販ソフトがこれでした。

その後に、パブリックドメイン=無料ソフトが出ました。

ここから現在までに25年かかったと思います。
しかし、この掲示板が、誹謗中傷する掲示板を生み出してしまったのです。
人間が匿名で発言するある種の自由性を解放したのでしょう。
「性悪説」に存在している自己認識をしつつも、
ここへの「書き込み」は、ネットワーク社会の裏面を形成しました。
この「裏面形成」があってこそ、
「性善説」たるネットワークまでやはり四半世紀もかかってしまったのです。
E-mailが生まれ、ケータイ、SNSということで、
「マルチメディア」が、情報企業のタイトルとなっていきました。
その直前には、「ハイパーメディア」ということが掲げられましたが、
ハイパーは差別用語だったので、この言葉はほとんど瞬間的に消滅しました。
今、Social Networkの登場は確実にこれまでのマスメディアを消滅させます。
それは、明らかに「資本主義で防御された大衆情報操作」が終わるのです。
だからと言って、「バラ色の社会」が広がるというのは幻想です。
ともかく、願わくば、コンピュータとネットワーク上に、
「健全な」=綺麗事社会の形成が必要です。
綺麗事が幻想であるなら、その幻想に身を置く必要を
私は容認する立場にありたいと思いますし、決意します。
もし、このネットワーク破壊が行われるとするなら、
私はこのネットワーク社会の基盤であるハードウエア、
そのデザインで防御し、綺麗事を成し遂げるのです。
それが職能家としての義務でしょう。
私は、この新たなネットワーク社会を
Media Integration=メディアインテグレーション
そして、学者としての研究テーマをここに定めて15余年になります。


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