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Posts Tagged ‘情報ネットワーク’


『あれから20年・・・阪神淡路大震災のこと』


   


     1月 19th, 2015  Posted 12:00 AM

関西では阪神大震災のことがより詳細なTV報道が増えています。
あらためて当時のことを思い出せば、この20年間、
そしてMarch 11.2011東日本大震災での反省とは大きく異なります。
あの日、私は福井におりました。大きな揺れを感じてTVを観て、
唖然となるほどの大惨事で映画の場面かと思いました。
神戸の友人には当然電話がつながりませんでしたが、
メールで彼の周囲のことを知り、私もすぐにAppe社にメール。
直ぐに支援金とPC100台を福井宛に送付してもらいました。
多額な支援金でした。そのときに対応していただいた方々がいます。
父はすでに福井県警を退職していましたが、福井県警は最初に、
神戸に入ったのです。福井震災の体験があったからでした。
が後に最初は新潟県警という誤りがありました。
そうして、キヤノン販売も被災地ショールームにあるコピー機を全て、
避難所に具えることがOKされました。
当時はMacに精通した連中がかろうじて情報の整備をしたのです。
私が最も気がかりだったのは身障者の人たちがどうしているかであり
デザインが間に合わなかったモノ、それはラジオだったのですが、
これもクライアントが無かったことで実現していませんでした。
この震災から、私のこころの中で、危機状況へのデザインでの対策は
大きなデザインテーマになってきています。
当時も、大きなデマが流れていました。それは火災爆発の危険性流布。
あれから、情報化手段は確実に大変化してきています。
なんといってもスマートフォンの普及であり、この情報ネットワークは
以後、3.11・東日本大震災でさらに強化されたと思います。
ところが、スマートフォンの発売は格段に増加しましたが、
こうしたネットワークも無いスマートフォン販売企業は不要です。
明日にでも日本列島は大震災の予測があります。
それだけに、まずはスマートフォンには呼び笛とミニ印鑑が必需品であり、
震災時のトレーニングは毎月必要だと言っていいでしょう。
これはリスク対応ではなく、クライシス対応だと付け加えておきます。

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「現在の世論と行動は『群衆的』とは決して言えない」


   


     7月 25th, 2012  Posted 12:00 AM

昨今の気候は、異常を超えています。
異常気象というのはもう半世紀も言われてきました。
しかし、大豪雨、竜巻、落雷、大猛暑、
それも連続しています。
この自然現象と平行するかのように、
反原発からオスプレイ配備反対などの「デモ」を
群衆的行動と呼ぶことは、大間違いだと言わざるをえません。
私自身は、冷徹に反原発には「範原発」という思想と行動を目指し、
オスプレイのような新たな飛行機器にはたまらない魅力があります。
けれども、オスプレイの完成度、認知されている事故頻発からは、
とても軍備機器にはなりえていないでしょう。
そして、現政権=政治は、
「民衆」・「民衆的行動=デモ」を群衆的行動と見ていますが、
それはとんでもない政治判断だと指摘しておきます。
大阪では、「大阪維新の会」の動向が、
あたかも大政翼賛会のごとく語られています。
これも歴史認識・知的史観に、あたかも大豪雨や竜巻のごとき、
現代民衆の「知的構造」に大変動が起きていることを見逃しています。
大衆・少衆・分衆は群衆になり、
それぞれの群衆的心理性はこれまで語られ「定本化」しています。
これがもう限界を超えてしまっていると判断すべきでしょう。
もはや政治形態・政治形式そのものが、
「環境」と「遺伝子」が「情報、そのネットワーク」によって、
環境構造変化と群衆の遺伝子操作が進行してしまったのです。
それはたとえ、この群集心理を利用して、
未だに左翼的イデオロギーを再興しよう、
国家転覆を意図している輩も綿密検証されて見捨てられるでしょう。
政権交代を渇望していた時あたりは、
まだ「群衆心理性」が反映していたかもしれません。
おそらく、大衆・少衆・分衆が情報ネットワークでの学習効果は、
群衆を「新公衆」へと確実に進化していると私は判断し、
私自身、「新公衆」の一人としてこの祖国を想っています。


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「資本主義からの逃走」
 「空間配置となるアンビエントアライアンス・コンテンツ」


   


     1月 28th, 2011  Posted 12:00 AM

「所有観」定義の変化
新コンテンツ産業案を提示しました。
仏語のvoir・avoir・savoirという経過。
見る・知る・所有するというコンテンツです。
そして、これらは「新情報産業化」への進歩を促します。
そして課題となっていくのは、
こうした産業の消費構造がどのように形成されていくかということになります。
この消費構造は明らかに、資本主義を革新する一つになるものと私は判断しています。
つまり、「所有観」という資本論での定義が変化するということです。
私の説明よりも、現在出版されている二つの著作と映画で確認できるでしょう。
是非とも確かめてください。

  ■ 著作は「The facebook Effect」・「フェイスブック」
  ■ 映画は「ソーシャルネットワーク」です。
二つの変革が提示されています。

まず、
  ● 物販流通ネットワークはこれまでのe-コマースが覆ること
  ● マスコミニケーションが分化し、広告手法が一新すること
アンビエントアライアンスの日常空間化
私は、こうした現象へと変貌していくには情報が「アンビエント・アライアンス」になり、
しかもこうした情報変質と情報ネットワークが日常化していくことになるだろうという予測です。
情報変質とは、3D情報からnD情報化がPCで可能となり、
このPCこそ、あらゆる機器に実装されることで、「コンピューターが消える」ということです。
さらに、情報ネットワークが日常化するというのは、
日常空間、すなわち、住宅・集合アパート・オフィス・生産現場、
「建築という概念と具体的な建築空間」そのモノが変わってしまうことになるでしょう。
日常空間の変貌は、デジタルによる「所有観」が変わるということになり、
これはマルクスの指摘予想を超越するということです。


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『資本主義からの逃走』
  「デザイン対象としての情報空間=『地球環境』」


   


     10月 29th, 2010  Posted 12:00 AM

地勢占有という国家欲望
資本主義経済体制では、土地は資本でした。
土地=不動産、すなわち空間です。
現代、不動産は国境・領土であり、
それは地球上での文字通り地勢占有という国家欲望です。
この事態や情勢に新たな思想哲学が更新されない限り、
いわゆる平和や安全な世界情勢は生まれないでしょう。
私はとてつもなく大きな理想主義を持ち出しました。
けれども、資本論の根底にあったのも理想主義でした。
そして、デザインもまた、理想主義を具現化する手法です。
地球環境の情報ネットワーク
さて、
国境・領土についての情報は、国際関係的な地政学となっています。
私は、地政学とは地球空間・地球環境の国際関係学だと思います。
もし、こうしたことをデザイン対象とするなら、
私は「デザイン政経学」にこの「情報空間」のデザイン手法を埋め込みたいと考えています。
資本主義が発展的に次世代イデオロギーへの手続きは、「デザイン」が担うものと確信しています。
資本主義と社会主義の対立、その根底には、
領土占有をめぐる地政学的な国家諜報・国家策略という情報戦だったと解釈可能です。
資本論で論理化された「土地資本」は、
領土占有が市場占有へ投影されたものだったということも考えられます。
経済的発展による国家間の貧富格差は、
領土・人口・文化水準・教育制度を背景とした産業展開の差異性であったことは明確です。
果たして、この事実認識が今崩れようとしています。
それは、「空間」=地球環境すべてを包み込んでいる情報ネットワーク、
すなわちwebに他ならないでしょう。
「情報空間」とは、
地球環境を包み込んでいるいわゆるインターネット環境がまず存在しているということです。


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