5月 20th, 2016 Posted 12:00 AM
この肖像はだれでしょうか?、といっても
一般的には有名ではありませんが、母校・金沢美術工芸大学の
初代学長・森田亀之助先生です。
終戦直後、金沢市には疎開していた画家や芸術家がいたのです。
敗戦直後の展覧会は行列になるほど、人は美術・工藝に癒やされたのです。
そこで美術学校を創ろうという話は議会テーマとなりました。
敗戦直後、何を無駄なことをするのか、と大議論になりました。
金沢市の判断は決まってこういう具合なのです。
「もし、前田の殿様が居たら、市民があれほど展覧会を喜んでいる、
無駄だからというなら無駄でいい、今のこの敗戦時に不可欠だ」となり、
その初代学長の「美術・工藝そしてデザイン」という方針が決定。
専門学校、短大、美大の伝統理念になりました。
私はこの話を、Yちんという主任教授から聞かされました。
Yちんは光風会の画家でしたが金が無くなると先生宅で夕食を頂きました。
無論、先生への手伝いは色紙に描いた絵に落款を押していました。
絵が下手だったことで辞めようとしたときにも随分はげまされ、
他企業が受かっても卒業はさせないから東芝に行けという命令でした。
先生が倒れたと聞いた私は上司にお金を借り飛行機で金沢に帰りました。
もう暗くなった病室で、「来てくれたのか大丈夫だ、大丈夫」と言われ、
病院の玄関まで逆に先生に送られたのです。
ほぼ一週間後に、先生は逝きました。それを会社で聞きました。
だから東京で一晩泣きに泣きましたが葬儀には行きませんでした。
車イスになって 母校の非常勤講師を命ぜられた時に、
Y教授からの伝言をM教授から聞かされて
ビックリしてその命令に今も従っています。
が、その伝言に、M教授の前ではばからずにまた大泣きしました。
出逢わなかった初代・森田学長は「学芸員の父」と呼ばれています。
母校開設70年です。
その最初からを史実記録にしなければなりません。
下落合がずいぶん長い森田亀之助
*『オーディオ界で出逢った新技術と二人のエンジニア』
*『毎夏、再自覚決心の日』
*『やっぱり、なぜこれほど落ち着くのだろう』
*『終戦間際の消された歴史・亜細亜の中の日本』
*『天衣無縫な時代と社会に活気がある』
Tags: M教授, Yちん, Y教授, テーマ, デザイン, ビックリ, 一晩, 一週間後, 上司, 下手, 不可欠, 主任教授, 人, 今, 他企業, 会社, 伝統理念, 伝言, 借り, 先生, 先生宅, 光風会, 具合, 初代, 初代学長, 判断, 前田, 卒業, 史実, 命令, 夕食, 大丈夫, 大泣き, 大議論, 学芸員, 学長, 展覧会, 工藝, 市民, 手伝い, 描いた, 敗戦, 敗戦時, 教授, 方針, 最初, 有名, 東京, 東芝, 森田, 森田亀之助, 殿様, 母校, 泣き, 無論, 無駄, 父, 玄関, 画家, 疎開, 病室, 病院, 直後, 終戦, 絵, 美術, 美術学校, 肖像, 色紙, 芸術家, 落款, 葬儀, 行列, 記録, 話, 議会, 車イス, 金, 金沢, 金沢市, 金沢美術工芸大学, 開設, 非常勤講師, 飛行機
Posted in ConsilienceDesign, 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務
目次を見る
5月 2nd, 2016 Posted 12:00 AM
東京から福井に帰ったときに、東京には在るが福井には無いものだらけだ、
どうして生きて行こうと思っていましたが、逆発想をしました。
福井にあって東京には無いもの。
それが越前市(旧武生市)の伝統工芸の打刃物であり、
あることで若手の刃物工業研究会との出会いがありました。
3ヶ月黙っている彼らに自分は難し言葉使いをやめて福井弁で話ました。
新素材開発でメーカー交渉を産地の代表として徹底的行いました。
国内外で展覧会をやり「タケフナイフビレッジ」を絶対に実現約束。
行政の力を借りずに「借金をして取り組んでもらう」ということ、
そのデザイン戦略をともかく盲信してもらうことでした。
ステンレスで鋼をサンドイッチにした高品位ステンレス鋼で
「ハマグリ刃:蛤のように断面で見ると中央が膨らんでいる刃」を
火づくり鍛造してもらいました。
世界で初めてすべて金属製ゆえの一体の刃物ゆえに、
熱湯で一変に大腸菌が防菌可能な一体金属の刃物を開発しました。
徹底的に図面に精確な研磨によりビッカー値硬度も60~62を実現。
その製品開発の中でも、高品位ステンレス鋼をグリップ部分に、
私の造形言語である「ウェーブレット(さざ波のよう波型)」を実現。
それを成しえてくれた今では親方・第一世代の加茂勝康氏が
瑞宝単光章を受勲できました。
昨年は安立勝重氏が受勲しました。
加茂氏はスキー、安立氏は登山家、それぞれの世界でも重鎮です。
第一世代では癌に冒されても「技を伝えて」と半ば命令していた浅井氏は、
工房でもう限界と言って2週間寝込んで逝ってしまった仲間です。
今、第一世代9名、第二世代20名を率いていますが、
新メンバー・新デザイナーを私は選別して、
「ナイフスクール」を本格的に開校します。
二人目の受勲お祝いの会は、さらに盛大に全員で祝いたいと思っています。
*11月5日Staff Blog
*『刃物の地肌、その偽物氾濫が流行している』
*『 ひとりの親方が逝った・・・ 』
*『タケフナイフビレッジ、恩人を見送った。』
*「鎌倉時代名刀と江戸時代名刀を語り合う」
Tags: 2週間, 60, 62, ウェーブレット, お祝いの会, グリップ, さざ波, サンドイッチ, スキー, ステンレス, タケフナイフビレッジ, デザイン戦略, ナイフスクール, ハマグリ刃, ビッカー値硬度, メーカー交渉, 一体, 世界, 中央, 仲間, 伝統工芸, 借金, 全員, 出会い, 刃, 刃物, 刃物工業研究会, 初めて, 加茂, 加茂勝康, 受勲, 可能, 命令, 図面, 国内外, 大腸菌, 安立, 安立勝重, 実現, 展覧会, 工房, 徹底的, 打刃物, 技, 断面, 新デザイナー, 新メンバー, 新素材, 新素材開発, 昨年, 本格的, 東京, 武生, 波型, 浅井, 火づくり, 熱湯, 瑞宝単光章, 癌, 登山家, 盛大, 盲信, 研磨, 福井, 福井弁, 第一世代, 第二世代, 精確, 若手, 蛤, 行政, 製品開発, 製造, 親方, 越前市, 逆発想, 造形言語, 選別, 部分, 重鎮, 金属製, 鋼, 鍛造, 開校, 開発, 防菌, 限界, 高品位ステンレス鋼
Posted in ConsilienceDesign, 企望を「までい」具現へ, 祈望から企望へ
目次を見る
3月 23rd, 2016 Posted 12:00 AM
初めて「国立新美術館」に出かけました。
それもイベントのオープニングにちょうど東京にいることもあり、
出かけることにしました。
おそらく同じデザイン界の人物に会うことになるだろうと覚悟しました。
正直、僕はひっそりとじっくりと観ることが好きなのですが
出かけました。
もう、その美術館の入り口から知人たちに会い始めました。
「三宅一生展」は、観ておくべき展覧会であることは間違いありません。
車イスゆえ優先的に最初に会場に入ることができました。
いきなり、建築家・安藤忠雄氏に出会い、そのまま三宅一生氏、
そして会場構成の吉岡徳仁氏と
グラフィック総括の佐藤卓氏に会いました。
佐藤卓氏とは、東京では結構思いがけない店で出会っています。
「よく会うね」とか、
「あの店大好きだから、今度一緒に」と会話しました。
三宅一生氏の仕事は、いわゆるファッションデザイナーを超越しています。
「プリーツプリーズ」の評論は、私が最初に書いたと思います。
その時にはポリエステル繊維から、布特性の7段階を知りました。
これは今ようやく「羽二重」ブランドの骨子になっています。
さて、問題はこの「国立新美術館」の建築設備でした。
遠慮無く断言すれば、美術館という空間建築とその設備は
もはやとても時代遅れはなはだしく、
私には美術館ではなくて「博物館」でした。
三宅一生氏の仕事の集大成は、もはや美術館を超えていたはずです。
明確に言い切ればデジタル表現の設備が全く考慮されていない空間でした。
これは、未だにプロジェクタースクリーンが4:3であることです。
すでに画面表示は16:9にも関わらず、日本全国の公的場所は4:3です。
しかも一画面でしかありません。
投影アプリがPowerPointばかりと同等です。
たとえばデジタルというとすぐに「デジタルサイネージ」が喧噪ですが、
その実態には何も新鮮さがないことに等しいのです。
IoT=Internet of Thingsというデジタル表現もこの漠然さに日本は呪縛され、
本来のIoTの、その将来がみえていないことに等しいのです。
僕は「デジタルアッサンブラージュ」を提案していますが、
おそらくこれが理解されるにはまだ当分時間がかかりそうです。
もはや、美術館も博物館も、そうなると街角のギャラリーですら
「デジタルとアナログ」、「アナログとデジタル」、
この相関関係のインターラクションが必要です。
しかし、
インターラクションの定義はもっと時代で研磨されるべきでしょう。
Tags: 16:9, 4:3, 7段階, Internet of Things, IoT, PowerPoint, アナログとデジタル, イベント, インターラクション, オープニング, ギャラリー, グラフィック総括, デザイン界, デジタルアッサンブラージュ, デジタルサイネージ, デジタルとアナログ, デジタル表現, ファッションデザイナー, ブランド, プリーツプリーズ, プロジェクタースクリーン, ポリエステル繊維, 一画面, 三宅一生, 三宅一生展, 人物, 仕事, 会場, 会場構成, 会話, 佐藤卓, 優先, 全国, 公的, 博物館, 吉岡徳仁, 同等, 呪縛, 問題, 喧噪, 国立新美術館, 場所, 安藤忠雄, 定義, 実態, 将来, 展覧会, 店, 建築家, 建築設備, 投影アプリ, 提案, 断言, 新鮮, 日本, 時代, 時代遅れ, 時間, 最初, 東京, 漠然, 理解, 画面表示, 相関関係, 知人, 研磨, 空間, 空間建築, 美術館, 羽二重, 考慮, 街角, 覚悟, 設備, 評論, 超越, 車イス, 遠慮, 集大成, 骨子
Posted in ConsilienceDesign, 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務
目次を見る
1月 5th, 2016 Posted 12:00 AM
僕の自動車遍歴は運転免許証を手に入れるところから始まります。
最近はカーデザイナーを目指しながら免許証も持っていない学生には
驚くばかりですが、それ以上に、
「車が欲しい」という欲求が皆無という若者が増えてきています。
僕も大学に入ったその年の夏休みには自動車学校に行きました。
しかし、当時の学校の教官はとても品格が無く、
言葉遣いも命令調でありその指導態度は我慢出来ないほどでした。
若さの余りに私はその自動車学校で事件を起こして、
しかも父は警察官、その学校の校長は父の元上司ということで
即刻、退学させられましたから免許証はありませんでした。
ところが、交通被災直前に私は実施試験とペーパーテストで合格して
免許証を手に入れていました。
美大は、なんといっても全国からカーデザイナー希望者が集まる
それこそ当時は数少ない工業デザイン専攻でしたから、
カーデザインのレンダリングが学生時代から、みんながとても上手くて、
僕は理由を聞いて、カーデザインという言葉すら知りませんでした。
車イスになって退院と同時に車は左ハンドルであるべきと、
シボレーのモンザ・モンテカルロ・カマロと乗ってきました。
カマロもベルリネッタ8気筒で、
それこそ、福井・東京間を競ったくらいでした。
それをデザイン企業支援者たちから見かねて、
僕は運転手付きでボルボのステーションワゴンに5年間乗りました。
それでも、僕の車遍歴がとどまらずに僕仕様の車を求めました。
一時は5台もあった時代があります。
BMWもベンツの時代もありました。それも数台乗っていました。
ワゴン車でスタッフ移動に使っていた頃もありました。
キャディラックのロングリムジンは、ある経営者から突然プレゼント。
流石に、全長7mのリムジンは名古屋から大阪に来るときに辞めました。
ベンツの時代には、6万kmで乗り換えてきたぐらいです。
正直、工業デザイナーですが、それほどの興味対象ではありません。
最も、カーデザイナーをめざす学生には
徹底した教育=レンダリング訓練を厳しくしてきたと思います。
カーデザイナーや車関係は、全ての教え子を企業留学させています。
従って僕には車仕様は「障害者対応の仕様」とその「部品デザイン」、
これにはメーカー本社と日本の制度を一致させていくことが目安です。
車遍歴は常に「障害者対応」が僕には基盤になっています。
Tags: 6万km, 8気筒, BMW, カーデザイナー, カマロ, キャディラック, シボレー, スタッフ移動, ステーションワゴン, プレゼント, ペーパーテスト, ベルリネッタ, ベンツ, ボルボ, メーカー本社, モンザ, モンテカルロ, レンダリング, ロングリムジン, ワゴン車, 一致, 上司, 事件, 交通被災, 企業留学, 全国, 出来ない, 制度, 即刻, 合格, 同時, 名古屋, 命令調, 品格, 基盤, 大学, 大阪, 学生, 学生時代, 実施試験, 工業デザイナー, 工業デザイン専攻, 左ハンドル, 希望者, 当時, 徹底, 我慢, 指導態度, 教え子, 教官, 教育, 日本, 時代, 東京, 校長, 欲求, 父, 理由, 皆無, 目安, 直前, 福井, 経営者, 美大, 自動車, 自動車学校, 興味対象, 若さ, 若者, 言葉遣い, 警察官, 車, 車イス, 車遍歴, 退学, 退院, 運転免許証, 運転手, 遍歴, 部品デザイン, 障害者対応, 障害者対応の仕様
Posted in ConsilienceDesign, 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務
目次を見る
12月 29th, 2015 Posted 12:00 AM
1984年は私にとって一つの大きな区切りの年でした。
それはAppleからMacintosh 128kが登場したことでした。
それまで、Apple?やコンピュータに興味をもちながらも、
このコンピュータの登場は、やがて私がこのパーソナルコンピュータに
それも深く関わっていく起点の年であったことです。
国内の企業にいくつか関わり、
その愚痴をApple Japanでこぼしていました。
「川崎さん、米国に行くべきです。Apple社を紹介します」。
そして私はオレンジとブルーのMindTopを持ってクパチーノに行きました。
「プリエ方式」という二分されたノートブックスタイル、
「Big Blue」を引き離すという意味、
これは当時、IBMを指すスラングでした。
私が驚いたのは、GRiDがクラムシェル型という手前にキーボードで
マグネシウム合金筐体=これはMoMA最初の携帯PCの登場でした。
これは友人・故ビル・モグリッジのデザイン。
キーボード位置は完璧な特許でした。
A:「なぜ、君のはキーボードが奥にある?」
K:「GRiD特許は避けないといけないのです」、「なるほど」。
A:「なぜ、トラックボールが手前で中央?」、
K:「マウスを裏返した造形です」。
沈黙の後に、私はコードネーム「ASAHI」を見せられました。
CEOジョン・スカーリーとアラン・ケイの前でのプレゼでした。
それからの闘いは、デザイン部門と技術部門の激烈な闘いの連続。
世界で最初のPowerBook100を生み出す現場で、
東洋人とWASPの闘いの中での日々でした。
福井でのデザイン活動は、「メディアインテグレーションの具体化」、
七つのプロジェクト=東芝との共同開発を抱えていました。
シャープとのNewton開発帰りには、メンバーが福井で打ち合わせ。
呼び出されると、私はクパチーノに出向いていました。
東京はちょうど「バブル経済のど真ん中」であり、
私には東京は狂っているとしか見えない情況。
福井 – クパチーノ、クパチーノ – 福井でのプロジェクトが
すべて中止になったのは、ジョン・スカーリーが、
クリントン大統領就任とともに、Apple社退任になった時でした。
DeskTop→LapTop→ PalmTop、だからMindTopという論理は、
金剛界曼荼羅が思想背景が明前とあり、
曼荼羅論はすでにスカーリーはすべて理解してしまっていました。
東京で会い、箱根でも打ち合わせが連続していました。
私の「Go a head, make my Apple!」が
プレゼンテーションではもの凄く受けました。
私のMindTopは、意匠権は20年で消滅しましたが、
この図面は、私の作品集で著作権となり、
国内雑誌にも特集、TVでも紹介されました。
GRiD社のキーボード配置は、
その後の技術でキーボード仕様は大きく変化。
今や、手前にポインティングディバイスで、
キーボードは後方が当たり前になりました。
PCの技術進化はクパチーノの現場での詳細な経験は深い思い出。
未だに、私のコードネーム=Jeepは実現されていません。
Tags: 1984年, 20年, apple, Apple Japan, Apple?, Apple社, ASAHI, Big Blue, CEO, DeskTop, Go a head, GRID, IBM, Jeep, LapTop, Macintosh 128K, make my Apple!, MindTop, MoMA, Newton, PalmTop, PC, PowerBook100, TV, WASP, アラン・ケイ, オレンジ, キーボード, クパチーノ, クラムシェル型, クリントン大統領, コードネーム, コンピュータ, シャープ, ジョン・スカーリー, スラング, デザイン, デザイン活動, デザイン部門, トラックボール, ノートブックスタイル, パーソナルコンピュータ, バブル経済, ビル・モグリッジ, プリエ方式, ブルー, プレゼンテーション, プロジェクト, ポインティングディバイス, マウス, マグネシウム合金, メディアインテグレーション, メンバー, 世界, 中央, 中止, 企業, 作品集, 共同開発, 区切り, 友人, 図面, 国内, 国内雑誌, 変化, 完璧, 実現, 就任, 後方, 思想背景, 情況, 意匠権, 意味, 愚痴, 手前, 技術, 技術進化, 技術部門, 携帯PC, 日々, 曼荼羅論, 最初, 東京, 東洋人, 東芝, 沈黙, 消滅, 特許, 特集, 現場, 理解, 登場, 福井, 筐体, 箱根, 米国, 紹介, 経験, 興味, 著作権, 詳細, 論理, 起点, 退任, 造形, 連続, 配置, 金剛界曼荼羅, 開発
Posted in ConsilienceDesign, 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務
目次を見る
11月 9th, 2015 Posted 12:00 AM
私が自分のデザイン活動をようやくニューヨークで
発表したのは30代中頃でした。
それは、いつか、海外で発表をと思っていた時期に、
米国のギャラリーからも誘いをいただきましたが
資金もなくて1年間待ってもらった経験があります。
そしてニューヨークでの個展から、
ようやく私も海外での仕事ができるようになりました。
日本がバブル経済で東京が浮かれているのを私は見ていて、
何か、変だと思っていたときは、
Apple本社でいくつかのコードネームでデザイン提案をしていました。
だから、最近は、次世代デザイナーの一部の
海外での活躍ぶりには目を見張るものがあります。
しかし、海外での日本人デザイナーの仕事は、
明確にはっきりとしつつあることが起こっています。
海外でのアドバンスデザイン展でのプロトタイプをコピーし
まさに盗作。
この情報も私には届いていますが、
先般の盗作問題もあり、
私はこうしたことが一般化することを反対しています。
これは正当な海外進出ではありませんから、
やがて国際問題にならないことを願いますし、
この事実は黙秘せざるをえません。
しかも海外評判を国内に逆輸入しているデザイナーには呆れます。
それを助長しているマスコミには大きな疑問があります。
国内の雑誌などで、いかにも国際的活動だという取材を見ると
残念でなりません。
しかし、このところインテリアデザインを主体に活躍している
Yasumichi Morita氏が、今度はインテリアを超えて、
写真家として、しかも写真表現そのものを
モノづくりに向けて、パリで発表することを以前から聞いていました。
丁度、パリには行こうと考えていた時期と重なり、
その個展を見にいくつもりです。
欧州には、教え子たちが何人かいます。
フランスにはインターン生だったフランス人もおり、
彼の仕事ぶりが心配なので会ってこようと考えています。
また、教え子たちでも車関係・カーデザイナーを目指す子は
企業留学しています。
私の時代、何も分からずに米国から出発しましたが、
最近は、なんとか次世代のデザイナーに
私に出来ることはないかということを自分に求めています。
なにしろ、最近は海外を目指す若者が減少しているだけに
そのことが不思議でたまりません。
Yasumichi Morita氏の国内外の仕事は、かえって海外での評価が高く、
そうした仕事は、海外からの依頼かと思っていましたが、
すべからく自分でそうした仕事を求めて行くという勇気を
私は絶賛しています。
彼がパリで、写真家、そしてそのデザイン応用の個展は
ほとんど国内で宣伝をしていませんが、
私自身、その個展を見てくるつもりです。
幸い、教え子たちにも会えそうです。
Tags: 30代中頃, Apple本社, Yasumichi Morita, アドバンスデザイン展, インターン生, インテリアデザイン, カーデザイナー, ギャラリー, コードネーム, コピー, デザイナー, デザイン応用, デザイン提案, デザイン活動, ニューヨーク, バブル経済, パリ, フランス, フランス人, プロトタイプ, マスコミ, モノづくり, 一般化, 不思議, 主体, 事実, 仕事, 企業留学, 依頼, 個展, 写真家, 写真表現, 出発, 助長, 勇気, 反対, 取材, 国内, 国際問題, 国際的活動, 宣伝, 情報, 教え子, 日本, 日本人デザイナー, 時代, 時期, 東京, 次世代デザイナー, 欧州, 正当, 残念, 活躍, 海外, 海外評判, 海外進出, 疑問, 発表, 盗作, 盗作問題, 米国, 経験, 絶賛, 評価, 誘い, 資金, 車関係, 逆輸入, 雑誌, 黙秘
Posted in ConsilienceDesign, 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務
目次を見る
11月 3rd, 2015 Posted 12:00 AM
大阪・京都から東京パルコ劇場に直行しました。
友人たちの革新的なことばと場踊りを観劇したのです。
松岡正剛・田中泯・石原淋・宮沢りえ、「影向」yow gowを
新たなことばとパフォーマンスとして受け止めたまま、
いよいよ、翌々日、
「KK塾」を大日本印刷のDNP五反田ビル 1Fホールにて開催。
キックオフ講師は、
国際的イノベーター・濱口秀司氏を米国から迎えました。
イノベーターというより、私にはデザインとエンジニアリングでの
企画コンサルタント=テクノロジストであり、
私が大阪大学大学院・医学系研究科に開設した
「コンシリエンスデザイン看医工学寄附講座」の育成目標人物です。
まず、私は前座で「コンシリエンスデザイン」を紹介して、
なぜ、濱口氏からかを紹介して、彼の講演を開始しました。
私は、最近、「デザイン思考」という、
スタンフォード大学のd.schoolとIDEOの手法論から
拝借しているデザイン論が、
デザイナーだけでなく一般的なイノベーション開発手法として、
東大のi.schoolでそのコピーが用いられていること。
また、イノベーションとは、提唱者であるシュンペンター自身が、
「革新」:コンバイネーション(独)「新結合」と呼び、
すなわち、私的にはコンシリエンスであることを説明しました。
シュンペンターのイノベーション=革新が、
共同的な発想で行えるコトへの大疑問や、
1927年・「社会階級論」が、結局は彼の予知どおりに
1929年の「世界大恐慌」につながったことなどから、
わが国の3.11復興策こそ、新たなコンシリエンスデザインです。
コンシリエンスも18世紀の造語であり、なおかつ対語的なレジリエンスが
決して、デザイン系大学教育には登場しないだけに、
まずは看医工学という提示とその教育成果こそ濱口秀司氏だと紹介し、
彼は約280枚のKeynote画面とホワイトボードで、
詳細な成功実例での方法論を懸命かつ賢明に講演していただきました。
DNPホールの現代ホール性能では、私も濱口氏もMacでKeynoteプレゼ、
これはおそらく初めて、映像と音楽を運用することができました。
よって、まだまだこのホールのPA音響から
コードマネージメント、さらには照明を変えることが可能です。
丁度、大日本印刷とは、「デジタルアッサンブラージュ」を進行中。
そしてこの大ヒントは、松岡正剛氏の「影向」が与えてくれました。
「KK塾」の今年度最終の講師は松岡正剛氏です。
Tags: 1927年, 1929年, 3.11復興策, d.school, DNP, i.school, IDEO, Keynote画面, KK塾, mac, PA音響, yow gow, イノベーション, イノベーション開発手法, イノベーター, エンジニアリング, キックオフ, コードマネージメント, ことば, コピー, コンシリエンスデザイン, コンシリエンスデザイン看医工学寄附講座, コンバイネーション, シュンペンター, スタンフォード大学, テクノロジスト, デザイナー, デザイン, デザイン思考, デザイン系大学教育, デザイン論, デジタルアッサンブラージュ, パフォーマンス, パルコ劇場, ホワイトボード, レジリエンス, 世界大恐慌, 予知, 京都, 企画コンサルタント, 共同的, 前座, 医学系研究科, 友人, 可能, 国際的, 場踊り, 大ヒント, 大日本印刷, 大疑問, 大阪, 大阪大学大学院, 宮沢りえ, 対語, 影向, 懸命, 手法論, 拝借, 提唱者, 提示, 教育成果, 新結合, 方法論, 映像, 東京, 東大, 松岡正剛, 濱口秀司, 照明, 現代ホール性能, 田中泯, 発想, 登場, 直行, 看医工学, 石原淋, 社会階級論, 米国, 紹介, 育成目標人物, 観劇, 講師, 講演, 賢明, 造語, 進行中, 運用, 開催, 開設, 革新, 革新的, 音楽
Posted in ConsilienceDesign, 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務
目次を見る
10月 12th, 2015 Posted 12:00 AM
この秋より「KK塾」を東京で開催することになりました。
大阪大学大学院医学系研究科にて
「コンシリエンスデザイン看医工学寄附講座」を開設し、
招聘教授の講演と私との対談でスタートします。
基本的には寄附講座ゆえに寄附企業関係を主体に
「コンシリエンスデザイン」と「看医工学」の目標と目的を説明し、
現在のデザイン思考やインクルーシブデザインなどの熟慮不足を紹介。
さらに、文科系+理科系に学術系+芸術系で、
次世代デザインへ展開します。
デザインがモノからコトへなど、結局、また大誤解を受けています。
しかもエンブレム問題でのデザインやアートディレクターの役割、
さらには、盗作問題も絡んできています。
問題解決・価値創出・未来創造がデザイン解答である、
ということさえ伝わっていません。
「デザイン思考」も大きな偏りがあって、問題解決の実務手法には
とてもいきついていないことが大きな気がかりになっています。
これまでのデザイン系大学では、
デザイン技能もPCやインターネットであり、
アナログ性とデジタル性も明確にはなっていないようです。
私自身も、阪大を一旦は退官して、特に、気候変動と感染症対策を
象徴的な3.11東日本大震災復興からも、
「危機管理デザイン工学」を目指してきましたが、
危機管理=リスクマネージメントでは、デザイン実務は無理と判断。
危険には起こってしまったクライシスと起こる可能性のリスクがあります。
その実務的な解決は、
危機=危険な機会とした危機解決には、
これからのデザインとしての実務=研究と開発をめざすために、
文理融合+学際化=コンシリエンスデザインこそ焦点化可能です。
これを「KK塾」として、まず、講座関係者から、
やがてデザイン界まで一般化し、
その研究・開発から実務実現事例を出していくつもりです。
これまでの「KK塾」は大阪でしたが、
東京で徐々に拡大化をしていきます。
講演者は、
大阪大学でも実務として「社会成果」を実現している教授、招聘教授を。
私はデザイナーとして、+デザインこそ、
次世代の真のデザインとして、
これまでのデザイン系大学の方向性を明確に変更させる覚悟です。
Tags: 3.11東日本大震災復興, KK塾, PC, アートディレクター, アナログ性, インクルーシブデザイン, インターネット, エンブレム問題, クライシス, コト, コンシリエンスデザイン, コンシリエンスデザイン看医工学寄附講座, スタート, デザイナー, デザイン, デザイン実務, デザイン思考, デザイン技能, デザイン界, デザイン系大学, デザイン解答, デジタル性, モノ, リスク, リスクマネージメント, 一般化, 価値創出, 判断, 危機, 危機管理, 危機管理デザイン工学, 危機解決, 危険, 危険な機会, 可能, 可能性, 問題解決, 基本, 変更, 大誤解, 大阪, 大阪大学, 大阪大学大学院医学系研究科, 学術系+芸術系, 実務, 実務実現事例, 実務手法, 実務的, 実現, 寄附講座, 対談, 展開, 感染症対策, 招聘教授, 拡大化, 教授, 文理融合+学際化, 文科系+理科系, 方向性, 未来創造, 東京, 次世代, 次世代デザイン, 気候変動, 無理, 焦点化, 盗作問題, 目標, 目的, 看医工学, 研究, 社会成果, 覚悟, 解決, 説明, 講座関係者, 講演, 講演者, 象徴的, 退官, 開催, 開発, 開設
Posted in ConsilienceDesign, 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務
目次を見る
10月 4th, 2015 Posted 12:00 AM
デザインはエンブレム問題・盗作問題・Gマーク問題で
一般的な不信を背負ってしまいました。
これは未だにデザイン=問題解決の手法というより、
デコレーション・装飾性や付加価値性が強いからです。
一方では、「デザイン思考」これなどはスタンフォード大学からの
借り物に過ぎませんが、私はユニバーサルデザインを
米国から持ち込み、その定義を政府に提示した一人です。
しかし、ユニバーサルデザインも誤解され、
ヒューマンファクターデザイン:HFD、UXデザイン、
インクルーシブデザインなどの大勘違いを指摘しました。
そうして「デザイン思考」に行き着いたわけですが、
この借り物を「コンシリエンスデザイン」にしました。
根本は、March 11.2011東日本大震災から、
気候異変・感染症増大に対してのデザイン実務背景を整理しました。
これは文科系+理科系をさらに学術+芸術にして、
信頼学・価値学・保健学・防衛学を加えることで
安全・安心・防災・防犯へ。
デザインを危機=危険時を機会として
解決を図るデザイン実務文理学際学にすることが可能になります。
危機解決では、リスク:起こるであろう危険だけではなくて、
クライシス:起こってしまった危険との、両方の危険回避と解決を、
デザイン実務に向けるという論理的な図解も、
学術と芸術の学際はデザインに集約するという段階に至りました。
実際は大阪大学大学院の医学系研究科にこの寄附講座を設置して
後期からは私が授業をやり、社会的には「KK塾」を
霞ヶ関にある大阪大学の分校的な場所で講座を開設します。
講師は、私がすべてのとりまとめをしますが、
選び抜いた講師陣を配置することになっています。
「KK塾」は、以前は大阪で実施してきましたが、
どうしても東京でという
この要請が強いことや講師陣を東京にも拡大することができます。
「デザイン思考」が例えば、医工連携+デザインになってきましたが、
私が看医工学という、保健学がきわめて真の人間学、
それは環境化(人工:ロボットや情報と自然との調和ではない)に
最適であることをこの図解では、明確になっていると考えます。
当然にPKD=Peace-Keeping Designと「完全無菌」対「抗体保健」を
なんとしても3.11復興と気候異変+感染症防止に向ける開発は
年内には、「デジタルアッサンブラージュ」としての
機器装置からロボティックス情報環境づくりで
これがデザインであるという、
デザインと何らかの発想を大転換できると考えています。
Tags: Gマーク問題, HFD, KK塾, March.11.2011, Peace Keeping Design, PKD, UXデザイン, インクルーシブデザイン, エンブレム問題, クライシス, コンシリエンスデザイン, スタンフォード大学, デコレーション, デザイン, デザイン実務, デザイン実務文理学際学, デザイン思考, デジタルアッサンブラージュ, ヒューマンファクタードデザイン, ユニバーサルデザイン, リスク, ロボット, ロボティックス情報環境, 一般的, 不信, 人工, 人間学, 付加価値性, 価値学, 保健学, 信頼学, 分校的, 医学系研究科, 医工連携+デザイン, 危機, 危機解決, 危険, 危険回避, 問題解決の手法, 図解, 大勘違い, 大転換, 大阪, 大阪大学, 大阪大学大学院, 学術, 学術+芸術, 学際, 安全, 安心, 完全無菌, 定義, 寄附講座, 復興, 情報, 感染症増大, 感染症防止, 抗体保健, 指摘, 授業, 提示, 政府, 整理, 文科系+理科系, 東京, 東日本大震災, 根本, 機会, 機器装置, 段階, 気候異変, 環境化, 発想, 盗作問題, 看医工学, 社会的, 米国, 背景, 自然, 芸術, 装飾性, 要請, 解決, 設置, 誤解, 調和, 論理的, 講師, 講座, 開発, 開設, 防災, 防犯, 防衛学, 集約, 霞ヶ関
Posted in ConsilienceDesign, 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務
目次を見る
9月 13th, 2015 Posted 12:00 AM
日本は地震大国であり、私自身は母の胎内で命が宿った時に、
福井大震災。結婚したてだった父は、
救援を求めるために石川県に自転車で県境を越えたと聞かされてきました。
それだけに、阪神大震災、東日本大震災で決定的に、
地震には特別な感情を持ってきたと思っています。
3.11以来、あれが地震兵器で、すでに開発されていたという説も、
それなりに徹底的に読みあさりましたが、そのことは都市伝説とし、
現在、地震予知は公的には禁止されていますから、
最も身近な、
ほとんどこれも都市伝説でしかない「地震雲」を見てきました。
また、3.11以後、この「地震雲予知HP」は無くなってしまいました。
しかし、プレート移動説という科学性予知をさらに決定している、
太陽黒点とプラズマ核融合=これはすでに新たな核融合炉が完成ですが、
この太陽黒点増減が電磁波として成層圏に移動値変動を与えています。
私はこの成層圏での電磁波変動値が雲の造形を変えている説を
本当に信じていますから、電磁波値の高低増減を知りつつ、
今後の地震、さらには火山活動をなるべく知りたいと考えて
私なりの情報収集をしてきました。
そして、この変動値で、この一年はほぼすべて地震が起こってきました。
そんなおりに、
FBでの友人(横浜)や元スタッフ(東京)の写真がアップ。
私はほぼ直感で、「怪しい,危険かも」と返信しました。
そうして、確実に震度5という地震が起こりました。
私が千里眼でもなんでもなくて、地震は予測し予知して、
外れることなど平気で構わないと思うのです。
外れても懲りることなく、危険かも知れないが蔓延して構いません。
それよりも準備万端にするべきだと考えます。
阪大退官時には「危機管理工学として」デザイン講座を持ちましたが、
「危機は管理出来ない」むしろ「危機は解決させる」ということです。
「危機解決こそデザイン=コンシリエンスデザイン」という講座を
阪大内にて、首都直下型から南海トラフに向けて、
その危機解決デザインを看医工学デザインに向けています。
気づいていることをともかくできる限りをデザイン対象化して、
実現度や具体的な実務化、
さらには制度化も国際的な訴求発表などを急いでいます。
今回は、この二つの写真で見事に地震は的中しましたが、
もう一つの雲の形も地震雲データになりそうです。
私たちは雲からのメッセージを読み取る能力が必要です。
Tags: 3.11, コンシリエンスデザイン, デザイン, デザイン対象化, デザイン講座, プラズマ核融合, プレート移動説, 予測, 予知, 元スタッフ, 公的, 具体的, 写真, 制度化, 千里眼, 南海トラフ, 危機, 危機管理工学として, 危機解決, 危機解決デザイン, 危険, 友人, 命, 国際的, 地震, 地震予知, 地震兵器, 地震大国, 地震雲, 変動値, 太陽黒点, 完成, 実務化, 実現度, 平気, 徹底的, 必要, 怪しい, 情報収集, 感情, 懲りる, 成層圏, 救援, 日本, 東京, 東日本大震災, 核融合炉, 構わない, 横浜, 母, 決定, 決定的, 準備万端, 火山活動, 父, 特別, 現在, 発表, 的中, 直感, 看医工学デザイン, 県境, 石川県, 確実, 禁止, 福井大震災, 私自身, 科学性予知, 移動値変動, 管理, 結婚, 胎内, 能力, 自転車, 蔓延, 解決, 訴求, 説, 講座, 身近, 返信, 退官, 造形, 都市伝説, 開発, 阪大, 阪神大震災, 雲, 電磁波, 電磁波値, 電磁波変動値, 震度, 首都直下型, 高低増減
Posted in ConsilienceDesign, 企望を「までい」具現へ, 危機解決をめざすデザイン実務
目次を見る