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Posts Tagged ‘理想主義’


5月22日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     5月 22nd, 2021  Posted 12:00 AM

5月22日 友引(庚午)

『観念としてのデザイン』

つまり、
理想主義への意欲と
具体化手法の鍛錬は、
経済効果の尺度だけでは
評価不可能であることの
認識が
在来の組織形式に
備わっていないだけの
話だ。

artificial heart:川崎和男展


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10月1日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     10月 1st, 2020  Posted 12:00 AM

10月1日 仏滅(丁丑)

『技術としてのデザイン』

ならば技術としてのデザインへ、
デザイナーの理想主義は
その手法開発を
方向づけていくべきと
考えるわけである。

artificial heart:川崎和男展


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8月13日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 13th, 2020  Posted 12:00 AM

8月13日 大安(戊子)

『位相としてのデザイン』

そして、
この両面性が
デザインの理想主義を
純粋に保つ
原因でもあるわけだ。

artificial heart:川崎和男展


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6月15日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     6月 15th, 2020  Posted 12:00 AM

6月15日 先負(己丑)

『文学としてのデザイン』

そこで、もし、「ことば」と「かたち」の相対論を
仮説的な手がかりにして、
デザインの真実、デザインの理想主義を訴求仕直すなら、
「ことば」による表現が、
視覚的印象にまで到達しないデザインの真実を発見し、
「ことば」の表現から剥奪した「かたち」でしか
確認不可能なデスクールをデザイン意図に仕組むべきだろう。

artificial heart:川崎和男展


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3月27日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 27th, 2020  Posted 12:00 AM

3月27日 赤口(己巳)

デザイナーが、いつでも試み、
そして具現化するどのようなモノも、
理想主義を「美」で包んで、
その意味性を伝えようとしている。
伝えようとしてきた
歴史も保持している。

倉俣史朗のデザイン『夢の形見に』15 遺伝子操作としてのオマージュ


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『SNSを創造的破壊させるデザインが必要だ』


   


     7月 3rd, 2016  Posted 12:00 AM

BBS= Bulletin Board System:電子掲示板がスタートして、
パソコンのネットワークが見えだした頃、
意識革命と言っていたドイツの論理が情報革命を的中させました。
BBSはRed Riderというソフトがパブリックドメイン化した最初の頃は、
人は性善説でこの社会は予想的・理性的な社会が未来だと思っていました。
ところが性悪説が徐々にインターネット社会に落ち込んでいきました。
そしてTwitterが生まれfacebookという
代表的なSNS社会が出来上がりました。
Twitterの匿名性をfacebookは記名性にはしましたが、
いずれも性悪説の社会に人間界を落とし込んでいます。
SNSそのものをこのままにしておけばおくほど、性悪説は拡大します。
これは正しく荀子の指摘にもどり
マキャベリィの戦略論によれば、インターネットは
産業の革新どころか、倫理社会を崩壊させるものと判断します。
それこそTwitterでAIが試用されたことは、人工知能そのものが、
現代社会を破壊に向かわせていったと、もっと注視するべきでしょう。
それこそSNSでのストーカーを
制度として遵守出来ないことは殺人を許可したのと同じです。
SNSを創造的破壊するような、新たなネットワーク社会を、
もう一度、理想主義の中で発明してこの世界観を少なからず、
ネットワーク社会だけでも性善説でまとめ直すべきと考えます。
すでに情報社会が性悪説を纏ってしまった限りは、
SNS= Social Networking Service社会は破壊消滅させるべきでしょう。
でなければ、これからの戦争は核爆弾保有やテロなどではありません。
SNSを創造的破壊させるには、新たなデザイナーが必要です。
自分はデザインの教え子を警察官僚にしました。
それも情報技官キャリアです。これこそ次世代デザインの一つです。
なぜなら、光重合革命・電磁波革命・遺伝子革命はもう目の前だからです。

*『facebookには性善説のエチケット=ファティケット』
*『SNSが変えたデモ参加の心理は反射的群衆化』
*『facebook、ましてBlogにも未来はないだろう』
*『三つの革命・予測は当たっていた』
*『情報化への入り口は記号論or記号学だった』


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8月2日川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     8月 2nd, 2015  Posted 12:00 AM

8月2日 大安(庚戌)

理想主義を具現化する手法はデザインである。
唯一デザインのみが理想主義を掲げて
具体的にそれも日常生活を支援することができると確信している。


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『人類の夢・宇宙開発を支える「信頼・安全性工学」』


   


     12月 12th, 2013  Posted 12:00 AM

宇宙開発・ロケットは人類の夢、その代表的なものです。
宇宙飛行士はあこがれの職業でしょう。
私は職業柄どうしても、未来、夢、可能性の話をします。
正直経営陣には説得性を持っていないと感じることしばしばです。
ところが、宇宙開発や人工衛星に関わるとその夢はどんな人にも、
最大に夢を拡大してくれるものです。
しかし、宇宙に出かけるには、
相当の安全対策・信頼性の確約から決して想定外は許されません。
信頼・安全工学による完全な管理が求められています。
おそらく「完全」は人類には成し遂げられない工学分野でしょう。
デザイン領域でこの「完全」という言葉そのものは、
とても使いづらいことが多いのですが、
私は、「ユニバーサルデザイン」にデザインの理想主義を、
この言葉に注ぎ、「ユニバーサルデザイン」を政府に企画書を出し
「ユニバーサルデザイン賞」をGマーク賞にしましたが、
この言葉は商業主義的に、勝手な方向に拡大しました。
だから、「Human Centered Design」にまとめ直しました。
ところが、私のいとこには、この宇宙開発の最前線で、
特に、「信頼・安全性工学」を成し遂げてくれた人物がいます。
父の姉の息子であり、弟は私の母校・高志高校長をしました。
3.11直後に彼とこの天災から人災にまで及んだ話をしました。
今、私はデザイン主導の「危機解決産業領域」を考えています。
幸い「安全性信頼工学」でトップであるいとこがいて心強いのです。
そこで、最近は、カザフスタンのロケット発射に立ち会い、
宇宙ステーションからH2Aロケットやこれまでの宇宙飛行士など、
その全ての安全性・信頼性にどのように関わってきたかを
彼にKK塾で語ってもらうことになりました。
私たちの「夢」の現実がどのような信頼性安全性の工学で、
支援されているかを知ることができると思っています。


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「デザインから『ちの理想主義』は創出できるだろうか」


   


     9月 25th, 2013  Posted 12:00 AM

3.11は天災と人災で多くの同胞を失いました。
打ちひしがれた私たちに、オリンピック・パラリンピック、
この東京開催は、目標と時間設定を確認させてくれました。
多分、プロのデザイナーとしての人生も、
この東京開催まで、自分を支えられるかが最大目標です。
私は、一方で大学人ですが、それは先導と主導が可能だろうか、
これが一番の課題になっています。
デザイナーゆえ、ビジュアルでその理念や手法をまとめます。
三つあります。
 ● デザインは形態設計を制度設計にデザイン対象の拡大
 ● 「原資」獲得の具体的手法を先導
 ● なんといって「モノづくり」主体者の意識改革主導
これら三つは、現代の資本主義と民主主義への疑問の整理。
しかし、疑問を溶解するには、
新たな「理想主義」を私は「かたち」で生み出す必要があります。
資本主義の拡大は、歴史的には常に批判され、
その根本は評論以上にはなりきれません。
民主主義への最大抵抗は宗教主義での認識心情を変えるだけ。
私は、この二ついづれも疑ってきました。
4月に「危機解決産業創成デザイン重要拠点」として、
私は、「デザイン講座」と「プロジェクト」を立ち上げました。
あくまでも、「かたち」から入っていきます。
それは、「かたち」が「きもち」を動かし、
「きもち」は「いのち」を絶対に護ることになるでしょう。
それを言語と空間に造形化すれば、
「とち」の「つち」を見直し、「まち」の「かたち」になります。
すべからく、私の理念は「ち」一語に集約するのです。


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「商品デザインの結末は資本主義の終焉を必ず決めるべきだ」


   


     9月 22nd, 2013  Posted 12:00 AM

私はApple商品のエバンジェリストであり、
Apple本社で日本人初のデザインコンサルタントでした。
しかし、資本主義と民主主義への強い疑問を抱いてきました。
私の目標は、この二つの主義からの解放です。
だから、カラー透明のiMac登場時には、100人中唯一私ひとり、
この商品登場に「ゴミの出現」と表して多大なバッシングを受け、
一時期はApple社からも排除されました。
それでもあのiMac登場でMac-PCファンは急激に増加しました。
しかし、数年であの製品は真実「ゴミ」になりました。
iPhone5cが登場して、いわゆるスマホのこのカラー商品デザイン、
これも「ゴミ」の登場であり、この必要性と企業収益は無関係。
すなわち、私自身のパソコン、スマホは常に買い換えています。
それも絶対にApple商品購買ゆえどれだけの投資でしょうか。
いわば私は「ゴミ」に惹き付けられてきたデジタルライフです。
この大きな矛盾構造に私自身の存在が確定しているのです。
問題は生産と消費のサイクルは資本主義に呪縛されているのです。
ただし、資本主義経済網の中のApple商品ゆえに、
多少は、商品デザインの美しさが救いになっています。
しかし、それはたった5%程度のユーザーが享受しています。
比して、マイクロソフト商品では、世界の95%のユーザーは、
もっと資本主義に閉じ込められて緊縛されているのです。
その企業TOPの莫大な私的財産によって、
文化構造も制御された時代構造にその批判はまったくありません。
私は、自分自身が資本主義と民主主義での閉鎖空間の中で、
わが人生は無抵抗で流されていくわけです。
あの9.11も3.11も、こうした商品は一瞬にして消滅しました。
それだけが、商品を取り囲んでいた資本主義の破壊だとするなら、
私たちが、奈辺で疑問視しているこの二つの主義を、
なんとしても、破壊ではなく超越するあらたな理想主義こそ、
デザイン=問題解決の集中的目標にするべきだと考えます。
大矛盾の人生であっても二つの理想主義を創出すべきでしょう。


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