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Posts Tagged ‘ふるさと福井’


『布の感性評価はこれまで無かったからこそ』


   


     12月 15th, 2013  Posted 12:00 AM

布には七つの要素があることは何度も書いてきました。
・こし
・はり
・きしみ
・しゃり
・ふくらみ
・ぬめり
そして、しなやかさです。
私は、しなやかさは形容動詞ですから、布の手触り感覚はまず、
このしなやかさで最初に判断が可能です。
こし・はり・きしみ・しゃり・ふくらみ・ぬめりの六つは、
まず、主観的に確認し、さらに、同意意見を確認することで、
客観的な感覚評価が出来ると判断しそのためのツールを考案して、
持ち込まれた繊維メーカーからの素材すべてにひとつひとつ、
しなやかさを確かめ、次に、ぬめり感があるか、はり感があるか、
あるいは、きしみ感があるが、それはしゃり感を感じるからとか、
そのような会話と素材を手触り合いながら、
ふるさと福井の繊維メーカーの若手たちと確認をしあいました。
私は、このような感性評価を成し遂げていくことは、
おそらく世界でも最初のことだと確信しています。
いづれ、この感覚を源に、
「製品開発とその実際感」の展示会を必ず開催することで、
私はやっと人間が布・繊維の感性評価が可能になる、
そんな気がしてなりません。
それは布と人間の関係、
特に、感性的な評価軸を再検証することで、
もっと重大な繊維素材の開発が可能になるだろうと思うからです。
これまで、ファッション的な商品選別の確実な感覚を
日本だから、繊維産地だから世界の評価軸を決定するつもりです。
この決定こそ、「羽二重・HUBTAE」ブランドの基盤にします。

関連ブログ記事
『「織物・布の感性的評価軸=オノマトペ」産地福井から発信』
「『はぶたえ=羽二重』の目立たなかった布の美しさ」
「『布』平織りの集積された知恵=晒を見直すこと」
「ふるさと福井の織物・繊維を世界の標準にデザイン主導する」


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『ご飯のふりかけ最高もの・福井名産数多し』


   


     11月 14th, 2013  Posted 12:00 AM

子どもの頃から、ご飯には「ふりかけ」が必需品でした。
そうして、ふるさと福井には「ふりかけ」最高品が一杯あります。
なんといっても、蟹とウニが最高です。
残念なことは甲殻類アレルギーになりました。
理由は、除細動器を体内に埋め込んでからのアレルギーです。
したがって、ウニのふりかけが一番のお気に入りですが、
きわめて高額です。
このふりかけは出征を余儀なくされ、これが生まれたらしいのです。
おそらく国内のふりかけの中では最高品最高額品でしょう。
でも、大好きです。
ウニは子どもの頃には三国の浜のおばさんが売りに来ていました。
シンプルな曲げ木のパッケージに、
ぎゅうぎゅうにたくさん詰め込んでもらった記憶があります。
だから、名産となって、気取ったパッケージを見ると、
当時の簡素なパッケージの方が美味かったとさえ思います。
最近は月1にはふるさとに必ず帰るので、
ふるさとの味は、いつでも自宅にそろっているのがうれしいです。
ワイフは京都ゆえに、京都に帰ればやはり京野菜は買い込みます。
車椅子になって、父や恩師から北陸に帰って来いと言われたときも
結局は、帰ればあれが食べられるとすぐに思ったものでした。
味覚は14~5歳で決定するとさえ言われていますから、
北陸に育った私には、なんといっても「ふるさとの味」が、
今でも楽しめることはとても幸運なことです。
ただ、母とは21歳の時に死別しましたから、
母の味の記憶はあっても、もう確かめることはできません。
父母や祖父母の好みは想い出すことができます。
人って、結局は育った環境の食べ物こそ生涯の味の基本です。
私にとって、ウニは欠かせない食べ物のひとつです。


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『ふるさと福井から大阪に帰る車中では、必ず!』


   


     10月 30th, 2013  Posted 12:00 AM

小さい時から、「ソースカツ丼」が大好きでした。
本当は敗戦後日本の貧しいながらも、
精一杯の豊かさが今では名産の一つなのかもしれません。
「ソースカツ丼」も、福井には多種多様ありますから、
福井の個々人みんなのオススメもいっぱいあります。
教え子がわざわざ差し入れをしてくれることもあります。
それでも、福井ー大阪へ帰阪する車中では駅中のお店のものを
必ず買って食べることを、正直楽しみにしています。
大阪では見つけていませんが、
京都ではこの「ソースカツ丼」を食べられるお店があります。
実にシンプルな薄いカツレツとそのソースがかけられたご飯です。
ワイフはまず、カツそのものに興味がなくて、
私が「絶対に!」というのを聞き届けて注文してくれています。
今回、このカツ丼にはミスがあったと私は思っているのです。
それはこの薄揚げのカツが2枚しかありませんでした。
「んー!、違うゾ、いつもは3枚のはず」と思っていました。
だから、ご飯をすべて食べられなかったことです。
この大きさなら、カツは3枚あるべきです。
「手を抜いたナ」とすら思いました。
そんな気持ちで大阪に戻れば、高級ブランドホテルの、
あれは確実に「偽装」で罪悪です。
平均で20倍の値段を付けていた?、なんということだろう!
大阪はここまで腐敗してきていると私は思います。
高級ホテルでオレンジジュースなどは、
「これ本物?」とよく私は聞いていました。
今、確かな信頼性を自らが偽装し始めてきているこの貧しさ、
しっかりと私たちは「喧嘩」を挑む必要があるのです。
少なからず、室町時代からの「喧嘩道」は文化です。
喧嘩とは「自らに喧嘩を売る」覚悟からスタートすべきことです。
この大好きな「ソースカツ丼」は絶対に偽装などしないでほしい、
そんな心持ちにならざるをえない「現代日本」になっています。


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『「知とちの急行」松岡正剛氏と大阪で対談講演』


   


     10月 25th, 2013  Posted 12:00 AM

私が知の巨人として最も敬愛してやまない松岡正剛氏と対談。
彼が京阪電鉄と阪大企画での「鉄道祭」プロデューサーとして、
一つの対談講演に私を指名してもらいました。
ところが、講演会場にはエスカレーターということで、
スタッフたちから「危険」とのことでしたが、
久しぶりの対談ゆえに私から強硬に納得をしてもらいました。
まず、私が大阪で何を感じ、
かつて上方と呼ばれた大阪の低迷さは彼も同様というスタート。
私は大阪弁で失われた言葉を指摘しましたし、
昨今の大阪が全国ベストでトップ項目は「犯罪ばかり」を伝達。
彼も大阪の低迷さや、上方文化がここまで破壊されていることを
きわめて論理的、彼らしい鋭い指摘を受けました。
彼との出会いは90年代からの付き合いゆえに、体調のことも、
これまでお互いが出会ってきた重要人物のことも理解済み。
さらに彼はデザインから建築、そして歴史観・現代感までを、
彼の言葉では、私との異質性と同質性がきわめて明快な間柄です。
彼には、来春出版予定の私の作品集では、
筆頭に評論を書いてもらっています。
私は、彼こそ「芸術の知識を知性で、科学の知識を感性」可能な
代表的かつ見習うべき巨人としています。
彼と対談に限らず、会話をする度に私は大きな刺激を受けます。
おそらく、対談時間があれば話は止めどなく続く相手の一人です。
新たで大きなヒントを短時間ながら一杯いただき、
私は、大阪からふるさと福井に行きました。
今、関わっている「ふくいの織物」を国際化するためです。
そして、今日は私が主宰していく「KK塾」の第一回目。
看護学の第一人者である大野ゆう子教授にお願いをしました。
「未病先防」と「冒険伝説」を頂いています。
私はまた大きな刺激をうけるでしょう。
大野ゆう子教授ともすでに長い付き合いをしています。


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「『はぶたえ=羽二重』の目立たなかった布の美しさ」


   


     9月 13th, 2013  Posted 12:00 AM

絹織物で着物の裏地として優雅な存在が羽二重です。
今では、この呼び方は布・織物よりも羽二重餅として知られ、
お土産お餅の名称扱いですが、
私のふるさと福井が織物産地として、
かつては人絹取引所までありました。
絹織物で着物の裏地は、人絹=人工的に絹のような繊維、
人工絹糸であり発明者の名前の略号としてスフとも呼ばれました。
最初は、レーヨンから出発した人工繊維モノでした。
そこから、今日の人工繊維は大変に工夫をしながら、
産業の基盤になっていったモノですが、
産業の高度化は織物そのものが時代遅れです。
人絹に対して正絹という自然の絹糸・蚕の糸は、
蚕の糸吐きの観察から、7回に1回、蚕身体の震えから、
人工撚糸されたこれを見破ったスフはイタリアであり、
日本製スカーフが輸出品から敗退した時期もあったほどです。
絹撚糸の経糸を二重にして、緯糸一本は、
今見直されていますが、現状では緯糸を機織り機械で、
シャトルと呼ばれるモノがありましたが、
これは木工技術の製造技術でした。
30年前に、タケフナイフビレッジ=越前打刃物の再興に取り組み、
その時には、シャトル製造工場で刃物のパッケージを製造して、
その精度は、パッケージの端面がまさにナイフで、
そのパッケージの角で指先を切るほどの精度を求めたものでした。
しかし、今ではシャトル自体の製造工場が無くなり、
シャトルで正絹を織る企業は、作り置きをしていると言います。
また、福井に残っているシャトルは、
すべて収集してほしいと伝えています。
福井の裏地人絹産業と正絹産業を共に復活させられると思います。
私は、ともかく「羽二重」=はぶたえを国際化を目指します。
たとえば、晒をデパートで発見する売り場はほとんどありません。
しかし、人絹の進化、正絹での蚕の遺伝子操作自体まで、
私はデザイン対象化ができそうです。
そのとき、「布」の膚触り、手触りは尺度スタンダードが可能。
この可能性をビジュアル化とオーディオ化ができるでしょう。


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「ふるさと福井の織物・繊維を世界の標準にデザイン主導する」


   


     9月 11th, 2013  Posted 12:00 AM

私のふるさと福井に「羽二重」があります。
しかし、むしろ羽二重餅の方が認知度ありで、
「羽二重」=はぶたえ、という呼び方自体知られなくなりました。
はぶたえというのは絹の平織りで「光絹」こうきぬは最高品です。
通常の平織り=経糸と緯糸と異なり、経糸を細い二本で緯糸一本。
ゆえに、着物の裏地としては最高品でした。
今では、絹織物より一般化したポリエステルになりましたが、
やはり、ポリエステルは洋服の裏地になりました。
かつて、三宅一生氏の「プリーツプリーツ」を最初に、
デザイン評論は私が取り上げて書きました。
ポリエステルは人類が辿り付いた最高の布地です。
そのときに、ポリエステルの評価軸を出したことがあります。
ところが、織物としてはやはり無機質=呼吸をしない布地です。
最も最近はさらに、ポリエステルの進化は素晴らしいのです。
私の一人の母方伯父や父方祖父も繊維に関わっていましたし、
育った松岡町には学校以上の織物工場もありましたから、
デザイナーとして、繊維に対しても興味はつきません。
したがって、まずは、繊維・織物の品質=性能評価軸を
「情報デザインとして明化」することを目標にしています。
もし、これから、洋服を買うときに、
これまでは、洋服ブランドのみでしたが、一般的にも是非、
「この洋服の裏地は福井産?」とユーザー知識をと思っています。
私はあらためて織物・編物・繊維・ファブリック・テキスタイル、
こうした物=自然素材とモノ=人工素材の「性能」の再評価を
私はプロとして再構築を目指しています。
たとえば、ガーゼ・晒布・タオルから工業用資材、スポーツ資材、
これらすべてにデザインの主導性を、なんといっても、
ふるさと福井でこれらのスタンダードを世界発信させたいのです。
特に、総理・岡・特岡は「手ぬぐい」の平織りです。
これらに、f(x)=ファブリックは、性能からデザインまでを
包括したインクルーシブデザインにしていくつもりです。


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「加飾すること=ファッションスタイルは最初提示の効能」


   


     9月 5th, 2013  Posted 12:00 AM

「スタートレック」3D映画を観ました。
1960年代のこの物語りには24世紀までがきわめて正当な風景です。
そして3Dの映画表現技術の進化をとても実感しました。
登場人物のファッション、
いづれあのようなスタイルになるかもしれません。
最近、私自身、本当にネクタイ大好きですが、
ネクタイをすることが無くなりました。
そしてワイシャツも襟が高めになり、第二ボタンには、
このような開襟スタイルを補助する加飾ボタンを選んでいます。
友人にも、時折、プレゼントしたりしています。
これまで、どれほど夏が暑くても、夏期用のネクタイ選びは、
それなりに楽しかったものです。
また、ノーネクタイは、どこか拍子抜けスタイルでしたが、
特に、今期の猛暑ともなると、開襟のスーツスタイルに対して、
全く違和感が無くなってきました。
そういうこともあってか、この加飾ボタンは一つのファッション、
そのスタイリングです。
ファッションへの価値感はほとんどが、
「好きー嫌い」だけでの商品選びに頼っていることだけや、
ファッションブランドへの好み性に寄りかかっています。
私はファッション商品の価値感をさらに価値感アップするべき、
ということをファッション企業にも発言しています。
私がワイシャツメーカーがこの加飾ボタンを提示してきたとき、
ある種のささやかな感動をしました。
ファッションの大前提は、
装飾性・加飾性が存在演出の効能になっています。
ファッションデザインは「効能性」表現、その価値提示です。
したがって、「好きー嫌い」だけでは、
企業の商品づくりは間違っています。
昨年から、ふるさと福井の繊維に取り憑かれていて、
確実に、織物や編み物、繊維の新素材開発へ発想を向けるとき、
「加飾」効能が、
ファッションデザインの要機能だと思っています。
多分、今世紀からネクタイの効能は薄れていくのかもしれません。
スタートレックのファッション予知、理解可能です。


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「『危機』・ことばの定義について」


   


     8月 16th, 2013  Posted 1:20 AM

終戦記念日は、歳毎に、私は「敗戦記念日」と思います。
先般も映画「終戦のエンペラー」を観て無念でした。
とりわけ、March 11.2011を受け止めてから、
私は阪大に「危機解決産業創成デザイン重要拠点」
自分の研究室名とし特任でプロジェクトリーダーになっています。
「危機管理工学プロダクトデザイン寄附講座」では、
「危機」というテーマを学術的に追いかけてきました。
7月30日にキックオフにて大阪府警本部長に基調講演後、
この講座の紹介を済ませました。
私の脳裏には、敗戦後以来、また再びの国難を「危機」として、
さらなる学術をプロダクトデザイン実務での問題解決を図る、
ほとんどの周辺学域設定をすませたと思います。
「危機安全学」は、制度設計の学問となったのは、
1960年のキューバ危機から、国際関係論として発生してきました。
今では、日常の防犯・防災から企業危機からテロリスト対策まで、
大きな学問に発展してきましたが、
デザインが接着剤となれば制度設計論から形態設計論になります。
「危機」とは、この文字通りの「危険」と「機会」にあります。
つまり、危険さを機会=チャンスとしての問題解決です。
そしてなんとしても「安全と安心」の確立をすることです。
私の父は、青春を20歳から28歳まで、戦争に従軍し、
焼け野原のふるさと福井に復員し30歳で私が生まれました。
父は今更ながら私を厳格に育てたのは「行学」思想でした。
現在わが国には、国際的な「危機」に取り囲まれています。
「靖国問題」・英霊に礼をつくすことは護らねばなりません。
「教科書問題」・教育での歴史教育を最も最高にします。
「南京問題」・虚像報道で国家までが非難されることに反対です。
「慰安婦問題」・軍事につきまとう事実性を明快にします。
なぜなら、3.11によって、私たちにつきつけられたこと、
それは、地球環境が悪化していくことへの対策です。
さらに、エネルギー問題の根幹を再確認しました。
日本だからこそ、この「危険」を「機会」にして、
「宿痾」=難問解決をデザインで実務的な解決をすることです。


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「陶磁器は進化も革新もしていなかった、私の判断」


   


     8月 14th, 2013  Posted 12:00 AM

陶磁器は「器」を呼ぶ一つの素材器です。
陶磁器はデザイナーに成って以来、ずーっと見つめてきました。
私はやっとプラチナ釉薬で、有田焼産地で作品商品化をしました。
すでに、陶磁器産業に関与しましたが、
おそらく自分でもそれなりに収集もし、使いこなし、さらには、
展示会から陶磁器産業の流通から、
価値付けの独特の日本流も批判を込めて見つめてきました。
今、確信をもって結論を断言できます。
それは、中国の景徳鎮を源流とするこの産業は、
まったく、進化も革新もしてこなかったことです。
ふるさと福井には六大古窯と言われる越前焼があります。
若い時に二回、その産地に呼ばれて講演をしました。
当時すでにある確信があり、若さに乗じた批判をしました。
結果「あいつは呼ぶな」と言われて以来、
その産地は本質を知る事になったので行ったことがありません。
六大古窯なら、もっと発展してよかったはずです。
その歴然とした理由も知っています。
最近は欧州の有名ブランド磁器メーカーはほとんど倒産です。
当然であり、本来は服飾ブランドの磁器に、
我が国の陶磁器産業はまったく商売価値を失っています。
今、私は、本来は「素材器産業」という包括的、統合的、
その本質的なデザイン開発をすべきだと考えています。
ずばり言えば、日本の工芸教育での陶磁器教育は、
まったく見つめていないことを私は指摘しなければなりません。
ここに3点の作品を再度並べます。
日本最初の輸出品である九谷焼と、
イデオロギーがデザインとして二分化された作品です。
ロシア・アヴァンギャルドが、抽象パターンと写実デフォルメで、
何を日常生活にデザインとして、
一つの表現体としてもたらそうとしたのだろうということです。
私は、この「素材器産業」を根本から革新することをねらいます。
ようやく、基本企画書ができました。
「器」とは文明の基本です。
つまり、私が「素材器産業の革新」は、
文明の変革でもあるのです。


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「安政の決定事項にデザイン導入してから・・・」


   


     7月 30th, 2013  Posted 12:00 AM

私はふるさと福井の伝統工芸にデザインを導入してきました。
750年の越前打刃物に「タケフナイフビレッジ」を、
デザインの導入によって産地を形成しすでに30周年になります。
すでに第一世代10名と第二世代15名になりました。25名です。
その背景には、この「定書」があります。
越前打刃物に伝わるこの書に登場する浅井(あざい)家は、
そのまま第一世代がメンバーにいます。
第一世代と第二世代が阪大の私の研究室を訪問してくれました。
第二世代に私は考え抜いた「産地モノづくり戦略」を話しました。
この「定書」という制度設計を成し遂げたのは、
まだ20代の橋本左内と熊本藩から越前藩の明道館に招いた、
横井小楠だったことが史実的にも確かめられています。
彼らの当時には藩政にとっても産業のあり方を述べていました。
だから、私はいつも、このように考えるのです。
「もし彼らの才能であったなら・・・どうしていただろう」と。
日本全国には、わが国の美学的結晶の伝統工芸があります。
絶対に不可欠なことは「デザインの導入」です。
30年、流行的なヒット商品を狙ってはきませんでした。
むしろ、現代の時間との共時性と産地技術の伝統性でした。
決して大儲けの産地になったわけではありませんが、
確実な「刃物のあり方」を伝統技にデザインを参画しました。
私は「働きがいと生きがい」を
未来の刃物に発見し、着実な日常性と産地存在性でした。
私は、新たな刃物を提案したいと思っています。
第二世代には、国内外で展覧会・流通・新たな存在性の確立です。
新たなデザイナーもそろそろ見つけ出したと思っています。
なぜならば、この「定書」にある制度設計を基盤にして、
情報時代から次世代時代を創出してもらいたいのです。
「タケフナイフビレッジ」を継体天皇の青春時代を送った、
その場に建設するまで10年かかりました。
その場に第二世代が全国から集まってくれました。
次の30年を根付かせるために私の役割を発見するつもりです。


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