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Posts Tagged ‘喧嘩道’


『暴力の意味性が替えられていると思う』


   


     7月 21st, 2015  Posted 12:00 AM

正直、阪大に来てからは読書を辞めようとすら考えていました。
名古屋から大阪に来るときに、蔵書はすべて処分しようかと思い、
故・恩師に電話で話したとき大学人の間は持っていなさいと言われました。
そして寝室には絶対に本は置かないとワイフに約束していた程です。
ところが、阪大では学生から、あの本とかこの本の読後感や、
論文作成などで名古屋時代以上に蔵書は増え続けてしまいました。
退官後は、なんだか上下巻を読まざるを得なくなっています。
しかし、盟友である松岡正剛はまもなく1600冊の書評を
書き続けていることには大敬意しなければなりません。
さて、「暴力論」ともなれば、
これまで数人が人間の野性として書いてきています。
60年代安保を見、警察官の息子だったことから、
学生運動に飛び込んでいた者の親が辞職することも見てきました。
70年代安保は学生運動のなかで傍観していた私でしたし
学生運動の弱さが赤軍の馬鹿さになることも予想していました。
だからこそ集団的自衛権の最も賢い手法論が語られないことを
確認するのがこの上下巻だととらえています。
まだこの上下巻は拾い読み程度ながらにも私は大ショックでした。
人類は明らかに「戦争をしないこと」と「平和でいたいこと」に
たどり着いてきたという見解に驚きました。
それは私自身が「喧嘩道」で暴力性への葛藤を抱え込んできたこと、
その大回答でした。解答にはなっていないと予想しています。
まだこの本を読み切ってはいませんが、戦争もバーチャル化と
武力の高度な技術戦では、
ISISの存在や、情報戦での悲惨さは増大している、
そんな印象はかき消されましたが、この本では未だに、
「暴力とは何であるか?」が主体的であり、
「何が暴力となっているか?」はかき消されている感が私には
強く残っているようです。
体罰も暴力とされる現代においては、「いじめ」なる暴力犯罪や、
宗教戦とマスコミが商売化している報道での演出暴力などは
これから読んでいくことで、私に確固たる読後考察が残るのだろうかと
思っている次第です。
私は今生のためには自分の暴力性は
しっかりと残存させておくことを替えようとは思っていません。


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3月25日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     3月 25th, 2015  Posted 12:00 AM

3月25日 庚子(先勝)

喧嘩、絶対に「勝つ」!
勝たなければいけません。
「逃げるが勝ち」は必要です。
逃げて負けるのは
完全敗北であり、
「逃げるが勝つ」手法こそ、
喧嘩道だと確信しています。

川崎和男「喧嘩道」


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1月26日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     1月 26th, 2015  Posted 12:00 AM

1月26日 壬寅(赤口)

本格的な「喧嘩道」が必要である。
最近、私はつくづく思う。
理由は簡単である。

喧嘩と暴力が同一視されていること!
同罪報復、
報復原則の喧嘩道が必要だからである。

川崎和男「喧嘩道」


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12月25日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     12月 25th, 2014  Posted 12:00 AM

12月25日 庚午(友引)

今、喧嘩の常道である、
怒鳴ってはいけない・・・’らしい。
怒鳴り合うと理解が届かず、
怒鳴られたら反感を買うらしいが、
その反感での怒鳴り合いが消えてしまった。

すいませんと
分かったふり、反発心を押さえ込んで
謝ったふり、
そんなことは無用だ。
怒鳴り合う喧嘩がことさら懐かしい。

川崎和男「喧嘩道」


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11月19日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 19th, 2014  Posted 12:00 AM

11月19日 甲午(大安)

私は、私なりに宗教は、
学問、あるいは哲学の対象でしかなかった。
理由は明快である。

多くの哲学者は、
宗教への全幅的な信頼を元にしたか、
あるいは無神論を確信したか、
そのいづれかである。

私は、宗教はひとつの熟考対象であって、
決してそれが信頼にも確信にも至らないと
考えている。

元来、思想や熟考は哲学であり、
それは宗教とは隔絶されていることが科学だと
思っている。

川崎和男「強い人間 弱い人間」


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11月18日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 18th, 2014  Posted 12:00 AM

11月18日 癸巳(仏滅)

人には役割がある。
その役割を成就することに
生涯をかけて生きることが
私は最も大切なことだと思っている。

だから、
その役割に懸命な人だけが、
賢明な人だと私は思っている。
もし、その役割に気づかない人は
私の喧嘩相手にもならない。
なぜなら、賢明さが零だからだ。

川崎和男「喧嘩道」


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11月17日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 17th, 2014  Posted 12:00 AM

11月17日 壬辰(先負)

喧嘩は戦争ではない。
喧嘩には武力が必要だ。
しかし、
戦争の武力=武器ではない。

喧嘩の武力とは、
策略、
デザインである。

川崎和男「喧嘩道」


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11月16日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 16th, 2014  Posted 12:00 AM

11月16日 辛卯(友引)

喧嘩には、
絶対に潜ませてはならないこと。
それは、三つあります。
「暴力性」
「陰険性」
「謀略性」、
この三つである。

よって、
暴力性には武力を行使し、
陰険性には、正当性を主張し、
謀略性には、無視か、
もしくは、さらなる謀略性の実現である。

川崎和男「喧嘩道」


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11月15日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 15th, 2014  Posted 12:00 AM

11月15日 庚寅(先勝)

武士道に競べれば、
喧嘩道には、まだ自由さがあります。
その自由さとは、
武士道の規律がないことかもしれません。

よって、喧嘩道には
暴力性ではない、
過激な武力制圧性はあります。
そのことに対して、
私は容認の立場をとります。

川崎和男「喧嘩道」


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11月14日
川崎和男のデザイン金言 Kazuo’s APHORISM as Design


   


     11月 14th, 2014  Posted 12:00 AM

11月14日 己丑(赤口)

武士道と喧嘩道は
大誤解を受けている。
いづれも
暴力的な、
まさに「斬り捨てゴメン」的な
即行動扱いをされるが、

真実、
武士道も喧嘩道も
誠心誠意をつくす
作法であり、暴力性などは
全く無いのである。
川崎和男「喧嘩道」


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