7月 15th, 2012 Posted 12:00 AM
先般、ワイフが郵便局の人に欲しいとかで、
わが家に貯金箱が4つ体制になりました。
「貯金」というのは郵便局で、
「預金」というのは銀行、
私の金銭感覚はこの程度です。
さて、この丸ポストは日本の町の風景の一部でした。
最近は本当に見かけなくなりましたが、
デザイナーから見るとある意味、不思議な形態ですが、
おそらく日本人の郷愁感にすっかり溶け込んでいるアイコンです。
おそらく現代デザインでは絶対に出てこない形態。
蒸気機関車のような日本の郷愁景観アイコンだと思います。
円筒形に正面は郵便物を受け取りますが、
庇があって雨よけでしょう。
そして取り出し口が正方形というのは、
まさに回収管理という造形言語ですが、なんとも不思議な形態です。
丸ポストの現在までの歴史そのものが、
今度は「貯金アイテム」というアイコンへの変貌はとても面白い。
これはフィギュアやミニチュアの「効能的存在性」をという
形態言語になっていると判断できます。
私は、ほとんど小銭を持たないので、ワイフの小銭管理を申し出ています。
私は車椅子になったときに貨幣デザインが変わったので、
500円硬貨に感激しているという漫画的な存在です。
だから、500円硬貨だけは持っていたいのです。
一応、1円・5円・10円・50円はこれらのポストに貯金し、
100円硬貨だけを持ち歩くようワイフに伝えています。
これらの貯金は、1年後には寄金するということにしています。
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6月 4th, 2012 Posted 12:00 AM
日本人は漢字とひらがな・カタカナを使います。
さらにアルファベットも漢字同様、アルファベットを使用。
その中で最も使うのは名字でしょう。
私はふるさと福井の「F」とデザイン「D」も、
本当によく使ってきました。
最近あらためてアルファベット「K」を見つめ直しています。
これまでもアルファベットも、企業ロゴタイプや商品名でも、
様々に使ってきましたが、アルファベット「K」について、
まとめておこうと考えます。
アルファベットは、常識として、発音記号的であり、
表音文字という理解がしみ通っていますが、
本来は、ヒエログラフやシナイ文字。
さらにはヘブライ語、ギリシア文字の原意から、
その「かたち」は由来していますから、表意文字どころか、
象形文字が源流と言っていいでしょう。
アルファベット「K」は、11番目の文字であり、
発音記号的には8番目の子音文字であることは確かです。
発音としては無声軟口蓋破裂音として存在しています。
しかし、象形文字として、
このKという形態には、手の平=掌(kaph)から、
「杯」・「溜め池」という具合に手の平を意味しています。
だから手術=chirurgieや手相占い=chiromancieなど、
ギリシア文字「手」=chiroの系譜がありますが、
もっと遡及すれば、Kはシュメール語「山」=Kur から、
仏語(角・堅さのイメージ)・ラテン語(革)まで拡大。
しかし、ヒエログラフ的には、砂丘や籠を象形し、
結果、「大地・力・強さ」という意味にまで集約されています。
漢字も、象形文字からはまさしく表意文字が生まれていますし、
表意文字に意味の転化や拡大はいっぱいあります。
しかし、アルファベット「K」は、
意味の拡張よりむしろ集約されているように私は感じます。
「手」ゆえの強さや力が、
それは大地まで意味が拡大したのでしょう。
具体的に例示するなら「rock」に統合されているのが、
アルファベット「K」だと思っています。
私が正式なアルファベット書体として、
それは、「キャスロン体」と「フーツラ体」を
美大のレタリング実習として相当に学びました。
Kazuo Kawasakiという私の名前、
その先頭アルファベット「K」を生涯使っていくのでしょう。
だから、美しい形態を求めています。
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5月 14th, 2012 Posted 12:00 AM
先般も評価しました。
わが国の文房具、そのモノづくりは最高です。
この「消えるボールペン」という発想と商品化は、
日本人のモノづくりゆえの繊細さと気配りが、
とても行き届いていることを証明しています。
日本の筆記具は西洋的な影響の中で進化してきました。
つまり、西洋は「指先より硬いこと」=スティルスが
原型=STYLEになっています。
しかし、東洋は「指先より柔らかいこと」=筆形式です。
まさにボールペンの発明は、
万年筆を超えた物だったと言っていいでしょう。
そして、万年筆にしてもボールペンにしても、
そのインクは消えること無くペン方式だけが進化。
それを日本人は「消す」という形式を付加したわけです。
文房具の中でもインクは、
地方でも優れたインクが開発されているというわが国です。
このことはマニアなら熟知していると思いますが、
私はこの「消えるボールペン」は、
世界の筆記具の歴史を覆す事件だとさえ思います。
そして、問題はここに潜んでいます。
たかだかボールペンですから、
その市価は限定されて安価なままです。
もっと商品価値を高めていく戦略が欠落しているのです。
4色の消えるボールペンを見つめながら、
私はしみじみと考え込んでしまいます。
このボールペンをタキシードの胸ポケットには入れられません。
ボールペンと言っても、
ブランドモノなら数十万円の物もある商品価値世界です。
私は改めてこれからの日本のモノづくり=商品価値づくりに、
この商品価値世界判断づくりが必要だと考えます。
たかが「消えるボールペン」の価値幅をされど拡大するべきでしょう。
ボールペンに限らず、
日本のこうした詳細で緻密で精美なモノづくりを
再考する時期にきていると判断しています。
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4月 23rd, 2012 Posted 12:00 AM
フリーランスになったとき、
これまで周囲の親しい人たちが急に冷たくなりました。
東芝関係で親交のあった人たちは、
私が東芝社員だったからやさしかった、
このことを思い知らされました。
しかし、本当に心ある人たちは私を支援してくれました。
その支援で、やりたかったことに投資というか浪費をしました。
シンセサイザー・4chデッキ・ミキサー などを買い込み、
現代音楽のようなものを作曲し、
その再生システムを本格的に造りました。
まだマイコンがようやく4bitの時代でしたから、
リレー回路でプログラマブルコントローラーと
30個のフルレンジでトーンゾイレタイプの
壁面スピーカーシステムを造りあげました。
これは2chに音楽をステレオ録音し、
2chで左右にどのスピーカーを鳴らすかという制御システムでした。
プログラマブルコントローラーは4800カ所ハンダ付けが必要でした。
それはまさに日本人のエンジニアが出来る「技」でした。
だから「伝統工芸」だと考えて、
当時、京都で行われた伝統工芸展に出品しました。
当然コンペ事務局から受け取れない旨の通知がありました。
それは想定していたことです。
やがて、このエピソードを残しておけば、
必ず「君の作品だったのか」ということになると想像していました。
それは意外と早く訪れました。
日本デザインコミッティで
「デザインフォーラム銀賞」をいただいたとき、
コミッティのある先生が京都でのコンペ審査委員でもあったので、
その話をしたとき、
「あれは君の作品だったのか」ということになりました。
さらに、このシステムを当時「ビデオアート」が騒がれ初めていたので、
ギリシアの現代音楽とビデオアートコンペにも出品しましたが、
見事に落選しました。それでも一向に構わない、
いづれ私はそのアーティストにもなれるはずだとうぬぼれていました。
シェーンベルクやクセナキスに憧れがありました。
だからシンセサイザーで作曲し録音し、
さらに30個のスピーカーで自動演奏させるシステムづくりに、
デザインで得たデザイン対価はすべて注ぎ込んでいました。
今や、当時のシンセサイザーはiPadのアプリになっています。
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4月 10th, 2012 Posted 12:00 AM
ケータイのデジジャラ。
すでにデジジャラという言葉は死語です。
デジジャラというのは、
ケータイ電話に様々なアクセサリーを付けることでした。
おそらくデジタルなモノに対する、
「自分用」の明示性への願望なのでしょう。
かつて私は面白がって、ドラえもんのケータイに、
これほどキティちゃんグッズがあるという見本をつくったことがあります。
どれほどケータイアクセサリーになりうるかを見極めておく、
資料になりました。
本来、iPhoneにはカバーもつけるべきではないデザイン、
それがApple Designのデザイン意図として明快です。
しかしやはり、ケータイもスマホも、
「自分用=MyType」にすること、
それが人それぞれ、
自分用表現を望んでいることは一般的なことなのでしょう。
3.11後、
「ふだん」と「まさか」というwebsiteを研究室でつくっています。
それは「まさか」の非常時に何を持ち出すべきか、
「ふだん」身に付けておくべき最小限のモノを情報化しています。
なんといっても、スマホは必要です。
スマホに健康保険証や運転免許証まで取り込んでおけばいいわけです。
それに最低限はホイッスルと印鑑です。
そこで、私は様々なホイッスルからLEDライト付きを選びました。
そして、印鑑も最も小さいモノとさらにedyカードを付けています。
日本人にとって印鑑は必要不可欠なモノになっています。
印鑑の歴史は日本人のルーツに関わる文明文化的な歴史性があります。
3.11のあの非常時に、
一番無くて困ったモノが、行政的な手続きで印鑑だったということです。
というわけで、現在私のiPhoneはこのスタイルになっています。
私は、自分なりの「ふだん」と「まさか」のデジジャラを
デザイナーとしてそれなりに考えると、
そこに次世代スマホの形式があるものと判断しています。
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4月 4th, 2012 Posted 12:00 AM
強烈な低気圧はまるで台風のようでした。
わが国の自然は「風光明媚」と言われるほど美しいのです。
しかし、その「風光」は、時に荒れ狂います。
春一番というのは、まさに日本の自然の優しい「風光」ですが、
荒れ狂う風は、自然の猛威に等しい。
仏教思想での五大思想には、明確に「風」が含まれています。
そして、日本には三つの風があるということになっています。
まず、山から吹き下ろす風、
海からやってくる風、
そうして、もう一つは瀬戸内海に吹き渡る風です。
それは、全国各地に吹く様々な風の名前を研究しつくした事典があります。
「風の事典」は長年の研究成果がまとめられ、
そこに日本の風がすべからく詳説されています。
特に、海の仕事に関わる人にとって、
「風の名前」は、彼らの生活を決定づけているほど重要です。
それこそ、自然との関わり方が
「風」を媒介して行われていることを証明しています。
風にはそのたおやかな吹き方から
荒れ狂うまでの程度があるということです。
それはまさに自然と日本人のつきあい方を決めていること、
そのことに等しいということでしょう。
先日晴れわたった石巻の海岸線や女川の高台から眺めた海は、
穏やかで、あれほどの津波を及ぼしたことなど嘘のようでした。
「風が吹く」ということは、
自然界であると同時に、
まさにメタファーとしての「風のごとく」に等しいと思います。
自宅にて、外には大変な風が吹き荒れていることが分かりました。
あらためて、私たちは、「風」に対しての感慨を
そのまま自然観としてきたことを精査しなければなりません。
1000年に一度であれ、100年に一度であれ、
私たち日本人が、どのような自然に包まれて、
どのような風に吹かれている民族なのかを考えること、
そのことを今教えられているのでしょう。
自然に抗うことなく、
風を受け入れるどのような姿勢が
最も大事なことなのかを考えてみたいと思います。
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3月 22nd, 2012 Posted 12:00 AM
有田に来ています。
身につけているのは、「いっちょらい」のモノです。
「いっちょらい」というのは福井弁です。
私の発音は未だに福井弁が消えていないようです。
京都生まれ京都育ちのワイフからしばしば指摘されます。
しかし、奈良と京都の文化を支えていたのは、
越前と美濃だという確信があります。
だから私は越前生まれを誇りにしていますから、
福井弁のまま生きていくでしょう。
今出張中ですが、
身につけているのは、すべからく私が選び抜いたモノですから、
多分、形見になるモノばかりです。
時計も私のコレクションの中では特別注文したモノです。
今、日本人のある時計師の方にもいづれ頼みたいモノがあります。
財布はもうこれほどのクロコダイルでしかも青染めは出てこないでしょう。
ブレスレットは、時計に合わせて自作したビーズのブレスレットです。
今年修士修了生には手作りのブレスレットを贈りました。
結構、私の手作りは人気があるようです。
時々、見せびらかすと「いい」と言われると、
ついついプレゼントしてしまいます。
なかなか時間が無いので、ちょっとの息抜きに造ります。
すべての教え子に贈ってやりたいと考えています。
つまり、ブレスレットで手かせとして呪縛してやろうという魂胆です。
カレッジリングも自分の大学卒業年度72アンティークリングを
いつも探して集めているコレクションの一つです。
自分の研究室生にはカレッジリングデザインして
造ってやりたいと考えています。
もう一つのリングは、
私なりにこのデザイナーとは闘ってきたライバルの作品です。
ともかく、私の「いっちょらい」を出張中ゆえに身につけています。
もう自分の時間制限が見え始めていますから、
「いっちょらい」に、
自分の生活を包んでおきたいというのが念願になっています。
有田の新作は、工房工場も訪問し、
スタッフの皆さんに挨拶ができました。
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3月 7th, 2012 Posted 11:42 PM
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3月 1st, 2012 Posted 10:54 PM
3月1日 仏滅(辛酉)
自然界の流れをありのままに受け入れ、
「共同体の和」を保ちたがる
農耕民族である日本人と、
それぞれの活躍の場を認め合い、
自らの仕事をスター的存在とするために
声を大にして来た
狩猟民族である西洋人とは、
その民族的な性格に
大きな相違を持つことになったと
考えることができる。
『プレゼンテーションの極意』「わがまま」と「誠実さ」
Tags: スター, 仕事, 共同体, 和, 性格, 日本人, 民族的, 活躍の場, 狩猟民族, 相違, 自然界, 西洋人, 農耕民族
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3月 1st, 2012 Posted 12:00 AM
金沢21世紀美術館での現代アートはいつも共時性があります。
それこそ美術館の社会的存在性=効能性にいつも驚愕させられるのです。
私は米国在住の日本人アーティスト・角永和夫氏の作品「SILK」は、
その制作から廃棄までというドキュメンタリーで
ジャーナリスティックな芸術表現の恣意性に呪縛されました。
9m*15mの漁網上に2万頭の蚕が
室温27度の中で三日三晩かけて平面繭を吐き続ける「家畜行為」を利用、
自然界を人間が制御することの
根源的な意味性を私たちに投げかけているのです。
私は、「自然との調和などありえない」、と主張してきました。
蚕・養蚕産業・家畜・人工的な改変・産業廃棄物
すべてを芸術表現とすることで、
人間、人工的行為と自然との対決観を見せつけられました。
この芸術表現の恣意性が
全く共時性があるということを熟考してみてください。
Tags: SILK, アーティスト, ジャーナリスティック, ドキュメンタリー, 人工的な改変, 人工的行為, 人間, 作品, 共時性, 制作, 制御, 効能性, 呪縛, 家畜, 家畜行為, 廃棄, 恣意性, 意味性, 日本人, 根源的, 現代アート, 産業廃棄物, 社会的存在性, 米国, 繭, 美術館, 自然との対決, 自然界, 芸術表現, 蚕, 角永和夫, 調和, 金沢21世紀美術館, 養蚕産業, 驚愕
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