3月 4th, 2012 Posted 12:12 AM
アーティスト・角永和夫氏の作品「SILK」は、
自然と反自然を提示しています。
ここから私たちが学び取ることは、自然と人工の問題です。
文明=飢えと寒さへの人間営為は、
自然への人工的な制御技術の獲得でした。
人間が自然、その総体である地球環境で
生き延びるためには「自然」から科学を
そしてその具現化としての技術を進化させてきました。
結果、この作品が見事に提示してみせた人工とは「反自然」であり、
蚕が遺伝子操作によって平面繭を「美しく」吐き出して死を迎えます。
しかし、その労働を終えた蚕は産業廃棄物になり、
地球環境には戻せないという現実問題と直面したのです。
「反自然」=人工とするなら、
人工の成果は廃棄物になっていくことが決定しています。
それは地球に在ってはならない存在を生み出してしまうことでした。
自然と人工に循環という理想型を人間は未だに準備できていません。
これが現代の文明を呪縛し包含し解決不可能=アポリアとして
人間界を閉じ込めています。
この作品は、蚕と繭です。
この作品が自然保護団体から「反自然」と誹謗されている構造は、
「反原発」に重なります。
「反」を唱えることはアポリアを全面肯定している正義性に見えます。
が、人間が生きることを全面肯定するには、
「反」を掲げた問題設定では解決はありえないと私は考えます。
人類にとって、原子力・放射能に対しては、
「反原発・脱原発」・対・「原発推進」の構造ほど
アポリア全てを、実は、同一次元で全肯定しているのです。
原子力・放射能への「反原発」だけでは、
自然との調和などは智恵不足に他なりません。
自然との調和などありえないからこそ、
もう祈りにも通じる智恵が絶対に必要不可欠です。
人間は、生から死までを真剣に受け入れて
「生きがい」をもって自然なる死に至らねばなりません。
「反原発」というシュプレヒコールでは問題解決不可能なのです。
私は原発推進派と誹謗されていますが、
そんな立ち位置にいるわけではありません。
人工物・自動車による交通被災で歩けなくなり、
人工物・ICD=除細動器で心臓を護り抜いています。
私は、「反原発」ではなくて「範原発」です。
この根本は、「範自然」観を
デザインで創出することだと考えているからです。
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3月 2nd, 2012 Posted 12:00 AM
蚕は「家畜」ゆえに、一匹ではなくて一頭と呼びます。
「家畜」という存在を
人間は自然からその生命を剥奪することでつくりあげました。
人間が自然を手なづける=制御と管理を図った大きな事例が「家畜」です。
しかも最近の蚕は遺伝子技術で、
人間から繭形成までコントロールされています。
アーティスト角永和夫氏の「SILK」が
投げかけ問いかけている問題の本質は、
「家畜」という自然界での存在性を
人間の利得保持だけをめざした略奪行為にほかなりません。
2万頭の蚕が美術館のセット漁網に
ひたすら三日三晩繭を吐き続けるのです。
しかも彼らは上に登っていく習性があるために、
漁網もそれに対応する機械仕掛けです。
これはアートとしての作品づくりに蚕の特性と習性を利用しています。
美術館の一室は27度室温が保たれるとともに、
作家のみならず美術館スタッフも動員し
蚕を漁網に取り付かせる支援をしますが、
人間は全員、
防護ユニフォーム=原発作業員と同じ服装にならなければなりません。
「家畜」である蚕とのインターラクション性は、
まさに原発事故に立ち向かうことを象徴しています。
さらに、
命尽き果てるまで繭を吐き続けた蚕を桑畑で余生を、と図りますが、
2万頭は、産業廃棄物ゆえに桑畑は汚染されてしまうことになります。
自然界から利得だけを獲得しようとする人間は、
あらためて「家畜」という自然界との対決において
何が重大であるのかを再熟考させられる問題の前に立たされているのです。
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3月 1st, 2012 Posted 12:00 AM
金沢21世紀美術館での現代アートはいつも共時性があります。
それこそ美術館の社会的存在性=効能性にいつも驚愕させられるのです。
私は米国在住の日本人アーティスト・角永和夫氏の作品「SILK」は、
その制作から廃棄までというドキュメンタリーで
ジャーナリスティックな芸術表現の恣意性に呪縛されました。
9m*15mの漁網上に2万頭の蚕が
室温27度の中で三日三晩かけて平面繭を吐き続ける「家畜行為」を利用、
自然界を人間が制御することの
根源的な意味性を私たちに投げかけているのです。
私は、「自然との調和などありえない」、と主張してきました。
蚕・養蚕産業・家畜・人工的な改変・産業廃棄物
すべてを芸術表現とすることで、
人間、人工的行為と自然との対決観を見せつけられました。
この芸術表現の恣意性が
全く共時性があるということを熟考してみてください。
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